第六章 君のために お前のために
「んじゃ俺らは先に帰るな。またな倉崎」 「……」 「お邪魔しました」 「今日はありがとう、順斗君。じゃあまた学校でね」 増田を含めた4人は、家が遠いとの理由で一足先に僕の家を出た。 残った篠原さんとレイ君も、あまり時間を置かずに帰路に着こうとしていた。 「じゃあ僕らも、これでお暇させてもらうね」 「それじゃあまたね、倉崎君。また学校で」 レイ君が玄関のドアを開けた。 僕も手を振りながら見送っていたが、この時ふと僕の頭の中に、とある懸案事項がよぎった。 「あ! ちょっと待って!」 「? どうしたんだい?」 レイ君がドアを半分くらい開けた所で、僕の声に反応して手を止める。 僕は迷惑をかけないように一応確認を取った。 「篠原さん、ちょっと今時間大丈夫?」 「え? えーっと、うん。まだ大丈夫だよ」 「ごめん、レイ君。ここで少しだけ待ってて。篠原さん君に見せたいものがあったんだ。 篠原さん、また上がってもらってもいい?」 「見せたいもの? ……分かったわ。ごめんね、レイ君。少しだけ待ってて」 篠原さんが靴を脱ぎながら、レイ君に謝罪する。 僕がレイ君の方へ目を向けると、レイ君は全然気にしてないといった風に、 爽やかな笑顔を浮かべこう言った。 「ううん、お気遣いなく。じゃあここで待ってるね」 「ありがとう、レイ君。それじゃあ、篠原さん。僕に付いてきて」 僕は篠原さんをある部屋へと案内した。
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閑静な住宅街を4人で歩く。 俺らの前方数メートル先では、美影と鈴本が楽しそうに談笑していた。 その姿は見ててとても微笑ましく、ただ見ているこちらまで頬が緩んでしまう程だった。 「でね! 筆をこうやって動かすと凄く綺麗に描けるのよ」 「なるほど、そんな方法が……」 身振り手振りまで織り交ぜてとても楽しそうだ。 まぁそりゃそうか。恐らく初めてなんだろう。 鈴本にとって、何の隔たりも無く会話が成立する相手は。 美影も満更でもなさそうだし。 やっぱり鈴本を修学旅行の計画に誘ったのは正解だったな。 ……そうか、修学旅行の計画と言えば……。 「……」 俺の隣で何も言わずに歩いているこいつも説得しなきゃいかんな……。 そもそも今回の計画を立てた理由のほとんどがこいつだってのに、 もし行かないと言われてしまったら、 色んなリスクを負ってまで、無理やりな計画を立てた意味が無くなっちまう。 俺は前に居る鈴本に注意しながら、綾に話しかけた。 「なぁ綾」 「……なに?」 「修学旅行。……一緒に、来てくれないか?」 「……」 だんまり、か……。 綾は修学旅行の話になってから、一切話の輪の中に入ってこなかった。 ただ傍観し、自らに話が振られないように、気配を極力押し殺して。 俺は何故、綾がそうしていたか。その意図が分かっていた。 だから、俺は綾に話を振らなかった。 綾はみんなに、聞かれたくなかった。言いたくなかった。そして、知られたくなかったんだ。 自分がこの計画に賛同しない、いや出来ない理由を……。 「……行くのは、危険だと言われた」 しばらく間を置いてから、綾はそう言った。 そうじゃない、そうじゃないんだ綾。 「お前はどうなんだ?」 「え?」 店長の言った言葉じゃない。俺は、お前の言葉が聞きたいんだ。 何を気にするでもなく、お前の……お前自身の、正直な言葉が……。 「今度は、綾。お前『だけ』に聞く。俺と一緒に、修学旅行に来てくれないか?」 「私は……」 「行きたい……。私も、修学旅行に行きたい……!」 綾ははっきりとそう言った。もちろん自らの意思で。 その答えを待ち望んでいた俺は満面の笑みで答えた。 「良く言った、綾。その言葉を待ってたんだ。 よし、そうと決まれば後は任せろ。店長にも俺が言っといて――」 「待って」 綾が俺の言葉を遮った。そして沈痛な面持ちでこう続けた。 「本当に、私も一緒に行っていいの? もしかしたら……私は、また……」 綾の言っている事は充分に理解していた。確かに、俺も不安が無いわけではない。 旅行場所が京都ならば、観光客なり何なりで人は多いだろうし。 そして何より、今回は遊園地の時のように三人で行くのではなく、 美術部の面々とも一緒に行くのである。 正直言って、不安で一杯だった。それでも、俺は綾にこう返した。 「そんなこと気にすんな。もちろん、お前も来ていいんだ」 「ありがとう……。でも、やっぱり怖い……。私は、もう、誰も傷付けたくない……」 綾はついに立ち止まって、頭を抱え込んでしまった。 いくら言葉を重ねても、綾の悩みは一生解決しない。 いつか、俺がお前の悩みを解消させてやる。この計画はそのための第一歩なのだから……。 俺は綾の不安を煽らないように、出来るだけ優しめのトーンで言った。 「大丈夫だ」 「……え?」 「約束する。 お前も、美術部の奴らも、他の一般人達も、誰も傷付けさせやしない。俺が全部受け止める」 お前が危なかったら、俺が止める。何が何でも止めてみせる。 もうこれ以上、綾に辛い思いをしてほしくない。 そんな悲しみにまみれた顔を、見たくないんだ。 お前には、笑っていてほしい……。 「あなたは……どうしてそこまで……」 俺の言葉を聞いた途端、綾は俯いてしまった。 そして一言一言絞り出すようにして紡いでいく。 俺はそんな綾の背中を押すように、綾の頭の上に手を置き、はっきりとこう言ってやった。 「決まってんだろ? お前には笑っていてほしいんだよ。 そのためには、一日一日を楽しんで貰わなければならんからな。 ……俺が必ず、最高の修学旅行に連れてってやる」 「……ありがとう」 綾は涙を零しながら、俺の方に向き直り確かにそう言った。 その時の綾の表情は、思わず見とれてしまう程、美しい笑みを浮かべていた。
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「えーっと、確かここに……あった!」 随分前に保管していた物を、押入れに入れていた箱から取り出す。 それは以前僕が、いつかの時のために布で包んでまで、とても大事に保管した物だった。 「はい、篠原さん」 「倉崎君、これは?」 箱の中にあった物を、両手で持ち上げ篠原さんに手渡す。 篠原さんはそれが何なのか分からないようだった。 「見てみて。布は取っても良いから」 「うん、分かった」 篠原さんが静かに、そして丁寧にその物を覆っている布を取り去っていく。 ……君は、忘れているかもしれないけど、それは君と僕とを繋ぎ合わせた。 僕が希望を取り戻すための橋渡しをしてくれた、思い出の品だ。 「! これは、あの時の……」 「そう、初めて君と話した後……二人で一緒に描いた絵だ」 篠原さんはその絵を見た瞬間、一瞬驚いた顔をしてから暖かな笑みを浮かべた。 篠原さんは、覚えてくれていた。 「とても、綺麗ね……」 それは君が手伝ってくれたからだよ。 君があの時、話しかけてくれたから、この絵はここまで来れたんだ。 そしてその絵と同様に、僕もここまで変わる事が出来たんだ。 ……全部、君のおかげなんだよ? 篠原さん。 「その絵は、篠原さんにあげるよ」 「えっ? でも、この絵は――」 「良いんだ。その絵は、君に持っていてほしい。それは……君のために描いた絵だからね」 篠原さんの言葉を遮るようにして、僕は首を振りながらそう言った。 一枚しかないけど、いやだからこそ僕は、篠原さんに持っていてほしいんだ。 こればかりは、譲れない。 篠原さんも僕の思いを汲み取ってくれたらしく、篠原さんは思い出の絵を受け取った。 「ありがとう、倉崎君……」
続
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