第五章 平成のピカソ
次の日。目覚めた僕は何か清々しい気分に包まれていた。 前日、鈴本さんの力になれたからだろうか? それとも、また違った理由で? いや、清々しいと感じられているから清々しいんだ。うん、そういう事にしておこう。 今僕は一ヶ月前からは想像も出来ない程、学校に行くのがとても楽しみになっている。 僕は軽い足取りで学校へと出かけていった。
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いつも通りの出来事しかないので、放課後まで割愛。 にしても今日の柊さんと西園寺さん。何だか今日はいつもよりキレが良かったな。 西園寺さんのあのサマーソルトからの左薙ぎは見事なものだったし、 柊さんの今日のあれ、なんて言ってたっけ? えーと……そう! 確か、夢幻呪縛(バインド・インフィニティ)とか言ってたな。 毎度毎度思うけど、どこからあんな量の包帯を出してるんだろう。 ゆうに病院二個分くらいは使ってるような……。 それを全部避けている増田はそろそろ人間という枠を外れる気がする……。 そんな事を考えてる内に美術室に辿りついてしまった。軽くノックをして、中に入る。 「こんにちはー。ってあれ? 誰もいな――」 「いるよ〜」 「うわぁ! す、鈴本さんっ!? な、何でいつもあなたは抱きついてくるの!? しかも今日はいきなり後ろからなんて……心臓に悪いって!」 美術室内には誰もいないかと思ったら、鈴本さんがいつの間にか後ろにいて、 不意を突かれた僕は見事に抱きつかれた。 驚かしが成功して上機嫌な鈴本さんはそこから更に僕をからかう。 「ふふっ、可愛い。これから部活がある日は日課にしちゃおっかなぁ?」 「勘弁してくださいよ……」 脱力しきった僕の言葉を聞いてようやく満足したのか、 鈴本さんは僕から離れ、美術室の真ん中に置いてある机に近づき、 そこに置いてあったポスターを手に取り、丸めてから口に当てた。 「これで良い?」 「心臓には優しいよ」 たわいもないやりとりを終えてから、和やかな雰囲気が流れる。 鈴本さんが言う前から、この流れはとっくに日常茶飯事と化していた。 「ういーっす」 「……」 「こんにちは〜」 いくら激闘を繰り広げようとも、数分後にはいつも一緒にいる、 見てて微笑ましい三人がやってきた。 今日もお疲れ様。 「ごめんなさいっ。掃除当番が長引いちゃって……。あ、みんな。こんにちは」 少し焦り気味に篠原さんも到着した。中にいる僕らに気づき、それぞれ挨拶を交わす。 市村高校美術部。現在、部員6名。部活としては十分やっていける人数だ。 「それじゃあ、活動開始ね」 鈴本部長の宣言で、このメンバーでは初である部活動が開始される。 「はーい。鈴本部長〜。今日は、というかこれから俺らは何をしていけば良いんですか〜?」 手を高々と上げながら、おどけた口調で鈴本さんに問いかける増田。 鈴本さんは微笑みながら増田に返答を返す。 「そうね。基本的には絵を描いてもらうわ。 そして、年に4回程開催するコンクールに出展するの」 「なるほど……。ちなみに次のコンクールはいつ?」 「次のコンクールは約一ヶ月後よ。 でもあなた達はまだ入ったばかりだから、その次からの出展で構わないわ」 美術部の説明をする鈴本さんの目はとても輝いていて、とても嬉しそうだった。 増田もやる気はあるようで、鈴本さんの説明を熱心に聞いている。 すると、再度増田が高々と手を上げ、驚きの言葉を口にした。 「はーい! もう一つ質問!」 「何かしら?」 「俺、絵全く描けないんだけど、その場合どうすりゃ良い?」 「…………」 鈴本さんの表情が凍りついた。 まるで時間が止まったかのように微笑みのままピクリとも動かない。 僕と篠原さんも大体同じような感じだ。 「え……増田。それ、冗談だよね?」 いち早く解凍に成功した僕が、淡い期待を込め増田に問いかける。 しかし増田は満面の笑みで僕の期待を打ち砕いた。 「いや、全く描けないぞ? どうも中学辺りから俺の感性が収まっちまってなぁ。 小さい頃は、『平成のピカソ』って友達にもてはやされたもんだったんだが……。 いやはや、年を取るって怖いね」 増田、それ褒められてないよ。そういうのを嫌味っていうんだよ? ……ピカソとまで言われてるんだ。これは本当に期待出来ない……。 糸目をつけずに、誘った結果がこれか……。 「そ、そういえば、綾ちゃんと美影ちゃんは? どれくらい絵描けるのかなぁ、なんて」 うまい! 篠原さん、ナイス方向転換! ま、まぁ柊さんと西園寺さんは、いつも何でもやってのける感じがするから多分大丈夫だろう。 僕が期待を込めた目を、柊さんと西園寺さんの方へ向けてみたら…… 「「…………」」 二人共、篠原さんと目を合わせようとせず、質問の返事も返さなかった。 僕は篠原さんと鈴本さんの手を引き、美術室の奥の方へと入っていった。 そして、二度目の耳打ち会議始め。 「どうしようか、この状況……」 「昨日は浮かれてて気づかなかったけど、 絵を描けるかどうかくらいは聞いておくべきだったよね……」 「そうだよね……。鈴本さんは……って大丈夫!? 鈴本さん!」 「…………」 鈴本さんは微笑んだまま、一切応答しなかった。まだ解凍してなかったのか……! どうやら相当ショックだったらしく、 いくら呼びかけても、いくら揺すっても鈴本さんの意識は戻ってこなかった。 「駄目だ。ここは僕らが何とかしよう、篠原さん」 「ええ、私達がつきっきりで教えれば何とかなるわよね」 「よし、じゃあ鈴本さんにはここで休んでもらってて、僕らは一度あそこに戻ろう」 「うん。頑張ろう、倉崎君」 結束を確かなものにしてから、僕と篠原さんは再び戦場へと足を踏み入れた。 そして、置き去りにされていた三人を手近な席に座らせ、 一人一枚づつ紙とペンを配り、こう言った。 「それじゃあ、どれくらい描けるか見せてもらいたいから、 簡単に……そうだね、じゃあこの林檎の模型で。これを描いてみて。簡単で良いから」 僕は辺りを見渡して偶然見つけた林檎の模型を机の真ん中に置き、三人にそう指示した。 三人共、素直に指示に従ってくれて、各々思い思いに描き始めた。 まず、どこまで描けるのか見極めなければ……。 「ん? どうしたの? 西園寺さん」 三人の進捗具合を見届けていると、突然西園寺さんの手の動きがピタリと止まった。 何かあったのかと思い、声をかけたらこんな返答が返ってきた。 「どう描けば良いのか分からない」 西園寺さんは、ほぼ白紙の紙を僕の目の前に提示しながらそう言った。 早速出番だな、と少し気合を入れ直してから手ほどきする。 「大丈夫、西園寺さんの好きなように描いてみて。絵は自由なんだ。思った通りに表現してみて」 「分かった。……自由。……表現」 西園寺さんは僕の指南を受けた後、 何かを呟いたと思ったらおもむろに立ち上がり、日本刀に手を掛けた。 そして…… 「はあっ!」 鞘から日本刀を抜き、机の上に置いてある紙に斬撃を繰り出した。 突然の出来事過ぎて言葉も出なかった。 「出来た」 「で、出来たって……。確かに上手だけど……」 西園寺さんが差し出した紙は、確かに林檎を自由に表現した物だろうけど……。 僕の手には、見事に林檎の形をした白紙の紙が手渡された。 切り絵って言ったっけ? これ……。 「まだまだなっちゃねぇな、倉崎」 「面目ない……」 「ほれ、俺も出来たぜ? 『本物の』絵がな」 いやに本物のという言葉を強調して、西園寺さんに続いて増田が僕の手へと手渡してきた。 同じく審査員の篠原さんと、挑発された西園寺さんも増田の描いた絵へと目を向ける。 「「「…………」」」 「どうだ? 凄いだろ〜。 いや〜正直不安だったんだが、どうやら感性は取り戻せてたみたいだ。 渾身の一作だぜ」 「うん……確かに、感性は戻っているようだね……」 西園寺さんは肩を震わせ、僕は落胆し、篠原さんは笑顔を引きつらした。 増田から渡された紙に描かれていた林檎は、 それはもう『平成のピカソ』の名に恥じない独創的な一作だった。 丸みを帯びているとは言い難いゴツゴツとした輪郭。 どこからどう見たらそうなっているのかと問いたくなる程、 異常な長さを持っている林檎のへた。 呪われているかのようなどす黒い影。 ……感性が戻っていない方が絶対に良かった……。 「おや〜、独創的な表現をした綾さん。どうしましたか? 私のあまりに素晴らしい芸術品に感動して、声も出ませんか。そうですか」 他称、平成のピカソは西園寺さんの頭をペシペシ叩きながら、再度西園寺さんを挑発する。 西園寺さんは絵を見た瞬間から、肩を震わせて怒りを抑えていたようだったが、 増田の二度目の挑発でついに最後の砦が打ち壊された。 「お前に言われたくないっ!!」 「うおわっ! なんだよ、いきなり!」 「うるさいっ!」 昼休みの遊びとは比較にならない程の速さを持った斬撃を繰り出す西園寺さん。 目にも止まらぬ速さでいきなり斬りつけられたというのに、それを驚異の反射神経で躱す増田。 うん、もう人間じゃない。決定。 「ちょ、ちょっと! タンマ! マジでっ! 俺死ぬから!!」 「死ね!! 粒子レベルまで斬り刻む!」 「まさかのナノ単位!? っ!」 律儀に避けながらツッコミをしていたら、 いつの間にか増田は美術室の壁際へと追い込まれていた。 「ま、待て。話せば分か――」 「問答無用!」 「ぎゃああぁぁ! ってうわっ!」 「っ!」 増田の命乞い虚しく、西園寺さんは躊躇なく日本刀を振り下ろした。 しかし、その斬撃は増田を捉えることはなかった。 増田が恐怖のあまりバランスを崩し、その場に倒れ込んだからだ。 行き場を失った斬撃は、増田の後ろにあった物を見事真っ二つに斬り裂いた。 「……ごめんなさい」 西園寺さんが日本刀を鞘に納めながら、僕らの方へ向き直り頭を下げて謝った。 「気にしないで、そんなものならいくらでも手に入るから。 そんな事より、怪我は無い? 増田君、綾ちゃん」 「あ、ああ」 「……大丈夫」 どうやら二人に怪我は無いらしい。良かった……。怪我でもしてたらどうしようかと……。 どうやら西園寺さんが斬った物は、彫刻に使う石材だったようだ。 ……ん? ちょっと待って。石……林檎……そして彫刻……あ! 「良いこと思いついた!!」 「「!?」」 「ど、どうしたの? 倉崎君」 「篠原さん。彫刻用の石ってどこにある?」 「え!? えーと、多分部長が知ってると――」 「ありがとう!」 僕はあっけにとられている三人を置いて、絶賛フリーズ中の鈴本さんのもとへと向かった。 「鈴本さん! ってまだ戻ってきてないし!」 「…………」 美術室の奥の方へと戻ると、相変わらず凍結状態の鈴本さんがそこには居た。 「鈴本さん! 鈴本さんってば! 戻ってきて!」 僕は鈴本さんの頬を軽く叩きながら、大声で呼びかける。 実に11回目のビンタで、ようやく鈴本さんの意識が本来在るべき場所へと還ってきた。 「はっ! ここはどこ? 私は誰?」 「……聞こえない事すっかり忘れてた。えーっと、ポスターは……あった。はいこれ」 足元に転がっていたポスターを手に取り、ちゃんと丸めてから鈴本さんに手渡す。 「ありがとう。……どうしたの? そんなに慌てた顔をして」 「鈴本さん。彫刻用の石ってどこにある?」 「えっ? 確か……壁際に一つ置いてあったような――」 「それ以外で!!」 先程、お亡くなりになりましたから! 「えっ!? 以外!? えーっと……あ! 一回り小さいけど、確かもう少し奥に行った所にもう一つあったと思う」 「ありがとう、鈴本さん。増田! ちょっと来て!」 更に奥へと歩みを進めながら、先程置いてきた増田を呼び寄せる。 「今度は何だってんだよ……ったく」 ぶつくさとぼやきながら、増田が奥へと入ってきた。 丁度僕も、鈴本さんが言ってたと思われる石を見つけた。 「増田。これをみんながいる所まで運ぼう」 「こ、これをか? うへぇ、骨が折れそうだな……」 「誰のせいだったかなぁ。そういえば、こういう石って結構高かった気が……」 「分かった! 分かったって! ……ほれ、運ぶぞ? よいしょっと」 増田を論破し、彫刻用の石を二人で運び出す。 見た目は重そうだったけど、持ってみるとそうでもなかった。 僕らはじりじりとみんなの元へと石を運び、 美術室の空いているスペースに壊れないように静かに置いた。 そして、僕は西園寺さんの方を向き、こう促した。 「西園寺さん。ちょっとこれで林檎を作ってみて」 「え……」 「良いよね? 鈴本さん?」 ゆっくりとした足取りで戻ってきた鈴本さんに了解を取る。 鈴本さんは少し驚いたような表情を見せてから、こう返答した。 「う、うん。いいよ。どうせいつかは処分しようと思ってたから……」 お許しが出たのを確認し、僕は再度西園寺さんに働きかけた。 「じゃあ西園寺さん。お願い」 「わ、分かった」 西園寺さんは僕のお願いを聞き入れた後、先程運び込んだ石の方を向き、 身を低くして日本刀の柄へと手を据えた。 そして―― 「はあああぁぁぁ!!」 気合の入った掛け声と共に、西園寺さんは目の前にある石を斬った。 ほんの一瞬での出来事の後、西園寺さんは日本刀を鞘へと戻す。 「出来た」
ガラガラガラ……
西園寺さんが言葉を発すると同時に、 今までどうともなっていなかった石が大きな音を立てて崩れ落ちた。 ……その中からは、滑らかな輪郭をした綺麗な林檎が出てきた。 「「「「…………」」」」 想像以上で言葉も出なかった。その林檎は人の力だけで作った物とはとても思えず、 このまま出展しても何も問題ないくらいクオリティが高い物だった。 「なんじゃこりゃ……すげぇなおい……」 「ヤスリで磨いたような滑らかさよ……。全然、ザラザラしてないもの……」 「ホテルのエントランスにでも飾られていてそうね……」 各々出来上がった彫刻を触り、改めてその凄さに驚嘆する。 「凄い! 凄いよ、西園寺さん!! これなら、全国も夢じゃないくらいだよ!」 「そ、そう……? あ、ありがと……」 褒められすぎて居心地が悪いのか、そっぽを向いて僕らと目を合わせようとしない西園寺さん。 僕は僕で凄く感動していた。絵が描けなくても、彫刻なら……! きっと―― 「ん?」 感動して舞い上がっていると、肩を後ろからポンポンと叩かれた。 気になって後ろを振り返ってみると、そこにはためらいがちに紙を差し出す柊さんが居た。 「盛り上がっている所、ごめんなさい。一応……出来た」 「あぁ、ごめんね。つい、興奮しちゃって……。 えーっと……。っ! 篠原さん、鈴本さん! ちょっと」 柊さんが提出してきた紙にざっと目を通した後、僕は篠原さんと鈴本さんを呼び寄せた。 「これは……」 「……上手」 「うん、これなら一ヶ月もあればコンクールで賞を取ることも夢じゃない」 さっきの受け答えから、柊さんもあまり得意じゃないのかな、と思ってたけど、 手渡された紙に描かれていた林檎はとてもモデルに忠実に描かれていた。 「……駄目、だった?」 柊さんが恐る恐る僕らに問いかけてくる。僕は満面の笑みで答えた。 「ううん、凄く上手だよ。明日から少しづつ頑張っていこう」 「! うん、ありがとう……」
続
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