第三章 ポスターで解決
柊さんや他のクラスメイトの尋問から何とか抜け出し、僕は今現在、美術室の前にいる。 ちなみに放課後。 篠原さんに想いを伝えたあの日から、近くすら通らなかった場所だ。 しかし何の因果か、僕はまた美術室にやってきた。 僕は入る前に、一応ドアをノックした。
コンコン。…………。
中から返事は聞こえない。 おかしいな、確かにあの女の子は美術室って言ったと思うんだけど……。 ドアの前に突っ立ってるのも何なので、僕は意を決して中に入っていった。 「あのー、すみません。 えーと、ここに来るようにって言われたんですけど……って居るじゃないですか」 中に入ると、昼下がりの僕達のクラスに嵐を巻き起こした張本人が、 美術室の真ん中にちょこんと置かれた椅子に座っていた。 ご丁寧に僕の分であろう椅子まで置かれている。 「……」 椅子に座っている女の子は、もう一つの椅子を指差した。 ん? そこに座れって事なのかな? 僕はそう解釈し、促されるままに少女の目の前に置かれている椅子へと腰を掛ける。 「それで、あの……本日はどのようなご用件で――っ!」 座って向かい合った所で話を切り出そうとしたら、おもむろに少女が立ち上がり、 そのまま僕の方へと近づきそして……僕に抱きついてきた。 「あのっ! すみません! いきなりそういう事されても困るんですけどっ! そういう事はちゃんとした順序というものがあって……って僕は何を言ってるんだ!」 いきなりの出来事に頭が困惑し、訳の分からない事を言い出してしまった。 僕が慌てふためいていると、耳元からとても落ち着いた声が聞こえてきた。 「落ち着いて。君が考えている事は、まだしないから」 「は、はい」 僕はとりあえず落ち着きを取り戻すように努めた。 心の中で深呼吸を何度かして、心を落ち着かせる。 ふぅ……なんとか落ち着いてきたぞ……。落ち着いた所で、僕は今の状況を冷静に分析する。 (そういえば、何で僕は抱きつかれてるんだ? 昼にも確か抱きつかれて……。 いや、これはこれでうれし――うおっほん! ……これじゃ増田の事をとやかく言えた立場じゃないな。 ん? ていうかさっきこの娘、『まだしない』って言った? それってどういう……。もしかして……。 って、だからそういう事を考えちゃ駄目だって!!) 変な気持ちにならないように、心を無にする。 僕が頭の中で様々な思案をしてる中、意味深な事を呟いた女の子は再び話し始めた。 「申し遅れたわ。私の名前は、鈴本 琴音(すずもと ことね)。この美術部の部長よ」 「あら、これはこれはご丁寧に」 冷静に努めようとしたら、おばさんみたいな口調になってしまった……。 いかんいかん、平常心を保たなければ……。 「私は、あなたに話があって来た。でも、あそこだと雑音が多いから……」 あそこ、とは僕達の教室を指して言っているのだろう。確かにあの教室は……雑音だらけだね。 「それは分かったよ。で、話って何かな?」 もう抱きつかれてる事も慣れてきた。ただ、油断するとやばいかもしれない。 どっちかが少しでも動くと、色々な所が触れ合って……ええい! 考えるな! 迫り来る煩悩をあらゆる手で追い払っていると、鈴本さんは気持ち声を張ってこう言った。 「美術部に入ってほしいの」 「……僕が?」 「あなたが」 「良いよ」 「え……?」 テンポの良い会話を交わした後、すんなりと承諾した僕に驚き、 鈴本さんが面を食らったような顔をしている。 「え、そんなにあっさり? てっきり断られるものだと……」 「え、だって断る理由が無いし」 絵を描く事は好きだし、僕は今現在何の部活にも入っていない。 しかも美術部に入る事は、僕にとっても有意義だ。夢の実現に一歩近づけるかもしれない。 「で、でも……」 鈴本さんはまだ納得していないようだ。 まぁ僕もここまですんなりと話が進むと、驚いて言葉が出なくなりそうだけど、 それはそれ。これはこれだ。 「僕が入るって言ってるんだから、それで良いじゃない。……鈴本さん。入部届けはどこ?」 「入部届けは、まだ用意してない……」 「そう。じゃあ明日、僕が個人的に出しとくね」 「あ、ありがとう」 流石にいきなりすぎたかな……? でも、思い立ったが吉日って、どっかの増田が言ってたからね。 僕は、ポカンとして思考が追いついてない鈴本さんに向かって、笑顔を浮かべ問いかける。 「鈴本さん。この美術部って他に誰がいるの?」 「えっ? あ、えーと私の他には――」 「部長〜。新入部員の勧誘成功しました? 聞く限りじゃ凄い逸材だって……え? 倉崎君?」 「……え? 篠原、さん?」 鈴本さんの言葉を遮って入ってきた人の方を見てみると、 そこにはとても見慣れた女の子の姿があった。 「あ、帰ってきた。紹介するわ、同じく美術部の部員、篠原 裕子よ」 「ええ……とても、存じております」 美術室内に気まずい空気が流れる。 何故かというと、あの一件があってから、まだ日が浅いって事と……。 僕と鈴本さんが、まるで恋人同士であるかのように、 ほぼゼロ距離で抱き合っている(ように見える)からである。 「部長……。倉崎君……」 俯きながら、肩を震わせる篠原さん。 背中からは、何か黒いオーラらしき物が漂っているように見える。 まずい、これは非常にまずい……。 「篠原さん! 誤解なんだ! これは、声が聞こえにくいから必然的にこの距離になっていただけであって。 決してやましい気持ちは――」 「いいから……」 「え?」
「いいから……早く離れなさい!」
美術室どころか、学校全体に響き渡るような声で篠原さんは叫んだ。 僕と鈴本さんは、その大声と怒りに包まれた篠原さんに恐怖を覚え、即座に離れた。 しかし、これだけで篠原さんの怒りが収まったわけではないらしく、篠原さんは頬を膨らませ、 明らかな不機嫌オーラを取り巻きながら、それぞれにこう言った。 「倉崎君!」 「はいぃ!」 普段見せた事の無い篠原さんの怒号に恐怖し、情けない声を出してしまった。 「声が聞こえないなら、耳打ちで充分じゃない! 部長と抱き合う必要は全く無いわ!」 「はい……。おっしゃる通りです……」 確かに言われてみればそうだよね……。 なんで僕は、そんな簡単な事も思い出せなかったんだろう……。 「琴音!」 「!」 名前を呼ばれたことに驚愕し、ビクッと全身を震わせる鈴本さん。 「あなた、いつもこれを使ってたでしょ! なのに、何で今日はこれを使わなかったのよ!」 そう言って、篠原さんが手に取った物は……。え? 何かのポスター? 鈴本さんは篠原さんからポスター(?)を受け取り、それを丸めて筒状にして、口に当てた。 「ごめんなさい……。忘れてた……」 「これからは忘れないで下さい」 筒状のポスターをスピーカー代わりにして、謝罪を述べる鈴本さん。 その目には微かに涙が浮かんでいた。 一通り説教が終わったので、篠原さん自身が話題を元に戻す。 「それで、新入部員っていうのは……倉崎君のこと?」 「そう……。彼に聞いたら、快く承諾してくれた」 「あ、明日から入るつもり。これからよろしくね、篠原さん」 昨日の今日で、気まずい空気がどうにかなるとも思わないけど、 鈴本さんに入ると言ってしまった以上、撤回するわけにもいかない。 僕は腹を括り、なるべく篠原さんに気を遣わせないように、改めて明るめのトーンで挨拶した。 対する篠原さんは、僕と鈴本さんを何回か交互に見渡した後、 その後何かを決心するようなジェスチャーをしてから、笑顔を浮かべてこう言った。 「うん、また一緒に絵描けるね。これからもよろしく、倉崎君♪」 何かドロドロとした空気を感じながら、僕の初めての仮入部期間は幕を閉じた。
続
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