第五章 伸ばされた手
「わー、高―い。凄いよ、ほら順斗君!」 「危ないよ、鈴本さん。ほら、ちゃんと捕まって」 彼女に落下防止の柵に掴まるように言う。 何度も身を乗り出そうとする彼女を何度も注意しながら、 僕は鈴本さんの指差す方に広がる景色を楽しんでいた。 清水寺の本堂。その中でも清水の舞台と呼ばれている所に僕らは居た。 「えー、本当にここから飛び降りてたの?」 「そうらしいね。うわー、でもこうしてみると高いなぁ……」 ふと下の方に視線をやると、結構な高さだと実感させられる。 清水の舞台から飛び降りる気持ちで、 なんてことは言うけれど、少なくとも僕は断固としてお断りである。 ここから飛び降りたら、最低でも骨折。 最悪の場合死すら待っていることが簡単に想像できた。怖い怖い。 「ねぇねぇ、次はどこに行く?」 「そうだね……もう一通り回ったと思うんだけど、どうしようか」 道中で配っていたパンフレットに目を通しながら、しばし悩む。 「だったら、そろそろ増田君達と合流する? もしかしたら他にも行く所あるかもだし」 レイ君にそう言われて、僕は付けていた腕時計で時間を確認した。 現在昼の2時頃。 「それもそうだね」 時間的にも良い感じの時間だったので、 僕らはレイ君の提案通り増田達と合流する方向で落ち着いた。 「じゃあ電話しなきゃ……ってあれ?」 「? どうしたの?」 「増田君から電話だ。もしもし?」 こちらからかけようとしたタイミングで、どうやらあちらから電話してきたみたいである。 あちらでも同じようなことを言ってたのだろうか? それともたまたま? まぁ何にせよ丁度いいタイミングだね。 「うん。うん。あ、ちょっと待って」 対応していたレイ君が携帯を耳から離し、少し操作してから僕らの方に携帯を近づけた。 『もしもしっ? レイ?』 「もしもし。ごめんごめん。それで、何があったの?」 携帯からは増田の声が聞こえる。 周りの人にも聞こえるようになるハンズフリー機能だった。 僕達は怪訝に思いながらも、携帯から聞こえてくる声に耳を傾けた。 『お前ら今どこにいる!?』 聞こえてきたのはとても焦った声。 何やら穏やかでないが、何かあったのだろうか? そんな増田の問いにレイ君が答える。 「今本堂にいるよ。えっと、清水の舞台? って所にいる」 『そこにいるのか。誰か、そっちの方で綾を見かけなかったか!?』 「綾ちゃん?」 全員で顔を見合わせる。しかし誰も見ていないようだった。 「見てないよ。どうしたの? 綾さんに何かあったの?」 『綾が居なくなったんだ!』 「「「「えっ!?」」」」 『今こっちで探してる所なんだが、全然見つからなくてな……。 もしやと思って電話してみたんだが、やっぱりそっちにもいなかったか……』 「大変だ、急いで探さないと。 増田君、こっちでも探してみるから、もし見つかったら君に連絡を――」
『駄目だ!!』
「え……?」 『探さなくていい! 綾はこっちで探す! でももしそっちの方で綾を見かけたらすぐに連絡してくれ』 「い、いや、僕らも手伝うよ。みんなで探した方が早く見つかるし……」 『大丈夫だから! お願いだから探さないでくれ!』 「え、あ……」 『いいか? 絶対に探すなよ!? 絶対だからな!』 そう増田は言い放って、電話は切れてしまった。 通話が切られたことを知らせる無機質な電子音が鳴る。 通話は終了しましたと表示された画面を力無く見下ろす僕らは、困惑を隠しきれなかった。 「増田君、どうしたんだろう……」 「探すなってどういうこと? 綾ちゃん、今迷子なんだよね……?」 「私達、信用されてないのかな……。凄く怖かったよ……」 みんなの言う通り、さっきの増田の様子は普通ではなかった。 何かから逃げているような……いや、何かを怖がっているような、そんな印象を受けた。 「ど、どうすればいいの……」 不安げにそう呟く鈴本さん。突然の出来事に、僕らはただ立ち尽くすしかなかった。
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(どこだっ? どこにいる!?) 「くそっ。ここにもいない……」 先程歩いてきた道を引き返すように探してきたが、綾の姿はどこにも見当たらなかった。 息も絶え絶えな程走ってきた増田だったが、体力が回復するのも待たずに彼は再び走り始めた。 たった一人の背中を探して。 「優作!」 「美影か。どうだった?」 わずかな希望を持って増田は彼女に問いかけた。 そんな彼の思いは無情にも届かず、美影は首を振るだけだった。 「駄目。こっちにもいなかった……」 「くそっ、一体どこに行ったんだ……。今度はあっちの方を探してみる!」 「分かった。じゃあ私はあっちの方を探してくる」 再び2人は別れる。 探したくはなかった、あえて探さなかった場所。 どうかいないでくれ。増田はそう強く願った。 2人はそれぞれ、人がたくさん集まる大通りの方へ走っていった。
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人の流れに巻き込まれ、いつの間にかどことも分からない所に、彼女は居た。 おぼつかない足は、すれ違う人とぶつかるだけで倒れそうになる。 虚ろな目で俯き気味に歩いていた彼女の視界に映るのは、忙しなく動く人の足だけだった。
殺す……
(やめて……)
殺す……
(やめて……!)
殺す……
(誰か助けて……誰か、誰か……!)
「どこだっ? 綾、どこにいる!」 人の流れに逆らうように、僅かな隙間を見つけてはそこを縫うように走り続ける。 誰かにぶつかってしまっても、彼は振り返ることもなく走る。 他人を気遣う余裕など既に無かった。 彼の頭の中にあったのは彼女を案じる思いだけ。 この先に彼女がいると信じて、増田は走った。
(お願いだ……! どうか何事も無いまま、俺の思いすごしであってくれ……!)
気を抜くと手を伸ばしてしまいそうになる。 伸ばしてしまったら、もう我慢することは出来ない。 それが助けを求める手であったならば、どれだけ良い事か。 その手は、ただひたすらに刀を求めていた。
殺す……殺す……
呪詛のように頭の中に響き渡る声。 幾度となく意識を奪い去っていったその言葉は、徐々に大きくなっていった。
殺す……殺す……!
(嫌っ!) 思わず耳を塞ぎ、その場に立ち止まる。 彼女は声から逃れようと必死に抵抗したが、それは全く無駄なことだった。 彼女の意志とは裏腹に、その声は大きくなる。
「優作……」
(ここにもいない……くそっ!)
「優作…………」
(どこだっ!? 綾っ!!)
「……助けて」
男は探し続ける。少しでも早く彼女を見つけるために。 女は耐え続ける。彼との約束を守るために。
しかし、我慢の限界が来るのは余りにも早かった。
(もう、駄目……)
意識が朦朧とする中、自らの手が刀を掴もうと伸ばされているのが分かった。 何回も経験した、蝕まれるような気絶。
(ごめんなさい……)
彼女の手が日本刀の柄を掴む。
その時――
「見つけた」 (え……?) 何者かが綾の腕を掴んだ。その者は微笑みながら安堵の表情を浮かべる。 「こんな所にいたんだね。みんな心配してたよ」 意識が戻ってくる。声がだんだん小さくなっていく。 もやがかかっていたように霞んでいた視界も晴れてきた。 そうして彼女の目に映ったその人は……。
「じゅん……と?」 「うん。見つかって良かった」
続
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