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第四章 増田の最終手段

 

 

 

 

しばらく歩いていると、先程まで聞こえていた雑多な喧噪は一切聞こえなくなっていた。

風に揺られた、木の葉の擦れ合う音だけが耳に届く。

人が程なく少なくなった所で、増田の隣を歩いていた美影は、小さくこう呟いた。

「素晴らしい所ね」

「そうだな。心が洗われるようだ」

しばし立ち止まり、上を見上げてみる。

背の高い木々の間からは、幻想的な印象を覚えさせる光が差し込んでくる。

木漏れ日を遮るように額に手を当てた増田は、

ふと美影の方に視線を送り、微笑交じりにこう言った。

「美影は、こういう所大好きだろ?」

「もちろん」

美影も増田と同じように天を仰ぐ。

その表情はとても暖かく、彼女は自然と笑みを浮かべていた。

「ずっと、こうしていたいくらいよ」

林間の小道に2人。

彼らは、誰を気にするでもなくそうしていた。

少し後方に、ゆっくりと後ろを付いて歩いていた綾も、その歩みを止めた。

2人を倣って、彼女も辺りを見渡してみる。

「…………」

特にこれといった感想は思い浮かばなかった。

彼女にとっては、ここは木々が立ち並んでいるだけ。

その綺麗な長髪を撫ぜる風も、彼女にとっては煩わしく感じるだけだった。

(……斬りたい)

暇を持て余した彼女から生まれてくる感情は、そんないつも通りの簡素なものだった。

ふと木の幹から生えていた小さな小枝でさえも、

この時の彼女からするならば、それはただの衝動の掃け口に過ぎなかった。

「…………」

周りに誰もいないことを確認してから、2人がいる方をちらと見る。

こちらに気付いている様子は無い。

持参していた竹刀袋から日本刀を取り出し、軽く構える。

そうして彼女は、目の前にあった小枝を……

斬った。

「……」

形容し難い解放感が綾を包みこんだ。

何の抵抗も無く切れた小枝は、そのまま地面へと落ち、

既に散り落ちていた木の葉の中に紛れてしまった。

少し前まで小枝があった所は、いやにすっきりとしていた。

恐らく数ヶ月もすれば、幹と同化し跡形も無くなってしまうだろう。

満足した綾は、抜身の刀を鞘へと戻した。

そうして刀を袋に戻そうとした時、彼女は後方から強烈な殺気を感じた。

咄嗟に距離を取り、その殺気のする方へ視線を送るとそこには……。

不気味な笑みを固まらせたまま、こちらを見据える美影の姿があった。

彼女は問いかける。

「ねぇ、今何をしていたの? 綾」

「……別に。何も――」

「そんなわけないわよね?」

美影が一歩こちらへと近づく。

「もう一度聞くわ。何をしていたの?」

「っ……」

とてつもない殺気と、これでもかという程の威圧感を感じる。

いつ殺られてもおかしくないこの状況。

綾はすぐにでも抜刀出来るように、刀の柄に手を当てた。

「しらを切るつもりね? ならば、その身に直接教えてやろう。

貴様が行ったその仕打ちが、どれだけ浅はかな愚行だったかを!」

「ちょっ! ストップ! ストーップ!!!」

「「!?」」

血で血を洗う凄惨な戦いが始まろうとした時、2人の間に増田が割って入った。

勇んで入ってきた彼は、体裁こそ止めようとしていたが、

その足はひどく震え、顔も一層青ざめさせていた。

増田はとても焦った様子で、激情している美影に対しこう言った。

「落ち着け美影! 一体何を考えてやがるっ!」

「優作どいて。私、そいつ殺さないと気が済まない」

「それはお前のセリフじゃないだろ! いいから落ち着け!」

いくら訴えても、美影の怒りが収まる様子は無い。

これじゃ埒が明かないと思った彼は、今度は綾に向かってこう懇願した。

「綾も日本刀から手を離せ! お前が美影を煽ってどうする!?」

「売られた喧嘩は買う。それだけ」

「馬鹿、やめろ!」

綾も引き下がる気は毛頭無いようだ。

ついには刀を抜いて、美影をしっかりと見据える。

もう、2人に増田の声は届いていなかった。

(どうする、どうするっ? 

このままだと、またあの時みたいに……! くそっ! 一体、どうすれば――)

 

「なにあれ?」

「ん? 喧嘩か?」

「おい、1人日本刀持ってるぞ!」

「なになに、映画の撮影?」

 

増田が気付かぬ内に、いつの間にか人だかりが出来ていた。

若い男女が数人。少し離れた所でこちらの様子を伺っている。

どうやら騒ぎを聞きつけて、近くに居た人達が集まってきてしまったようだった。

対峙している2人は、その状況に気付いていなかった。

「もういいかしら?」

「さっさと来い」

今にも2人が距離を詰めようとした時、増田はどうにかこの場を収めようとある行動に出た。

(もうこれしかない……!)

勢いよく美影の方に駆け出し、そのままの勢いで彼女の近くへと滑り込む。

足は正座の如く座り込み、伏すように頭を下げた彼は、

野次馬として様子を伺っていた彼らにも十分に聞こえるくらいの大声で、こう叫んだ。

「すいませんでしたァー!!!」

辺りが静寂に包まれる。

美影と綾を含めた、そこに居た全ての者が言葉を失う。

増田がした行動とは、

誰がどう見ようと土下座と思わざるを得ないくらいの、綺麗な土下座だった。

「……え?」

美影が困惑した言葉を漏らした。

自分に限りなく近い所で、いい年した男が土下座をしている。

一時は頼もしいと思っていたその背中が、誰よりも小さく見える。

そんな状況に、美影の頭は理解が追いついていなかった。

そんなことなど露知らず、そのままの声量で増田は言葉を続けた。

「私が悪うございましたァ! 

全ては目を離してしまった私のせいです! 綾には後できつーく念を押しておきますっ!」

「え、あの……ちょっと――」

「だからどうか! どうか、この場はお納めを! 

後で如何様にして頂いても構いません! 何卒、何卒ご慈悲を……!」

頭を地面に擦りつける勢いで頭を下げる増田。

放つ言葉も必死すぎて、もはや変人の域も飛び越えている。

その光景は滑稽としか言いようが無かった。

 

「ねぇ、なにあれ?」

「うわ、土下座してるよ。もしかして修羅場?」

「ちょ、写真写真」

 

野次馬も面白がって携帯を彼らに向ける。

この時点で、ようやく美影は野次馬の存在に気付いた。

そして、気付いた瞬間、自分たちのあまりのみっともなさにも気付き、更に焦り始める。

向けられたカメラから顔を隠すようにしながら、

美影は未だ顔を上げようとしない増田に向かってこう言い放った。

「ちょっと! そろそろやめて!」

「すいません! 本当に、申し訳ない……!」

「やめてってば! 顔を上げて!」

「許してくださいお願いします、何でもしますから!」

「もう、いい加減にしてっ!」

いつまでも動こうとしない増田を、彼女は強引に手を引き立ち上がらせた。

そして美影は増田を連れて、人だかりが出来てる方とは反対方向に走り始めた。

後ろは振り返らず、ただただ恥ずかしさから、彼女はその場から急いで逃げ出した。

 

 

 

 

 

 

しばらく走った所で、美影はようやく止まった。

人影は見当たらない、とても静かな場所。

結構走ったからか、俺らは2人とも息を切らしていた。

呼吸を整えるよりも先に、美影は俺の方に振り返りこう言った。

「あなた、一体何を考えているの!? もう信じられないっ!」

声を荒らげてそう言い放つ美影。

「あー、恥ずかしかった……。なんであんな所に人だかりが出来てるのよ……もう」

紅潮した頬に手を当てて、俯きながら美影は首をふるふると振っていた。

対する俺は、そんな美影にどう返して良いのかが分からず、その場に立ち尽くしていた。

「もう二度とあんな事しないで。恥ずかしすぎて死んじゃいそう……」

「あ、あぁ」

反射的に返事を返す。

そうして、しばらくその場に立ち尽くしていたら、ようやっと美影は落ち着きを取り戻し始めた。

指の隙間からこちらをちらと見て、美影はこう続ける。

「あんなこと……よくあることよ。

あの子、何回言ってもやめないから、私もついムキになっちゃって……」

「そうだったのか。でも、だからって喧嘩は良くないだろ」

「してないわよ」

「え?」

「あなた勘違いしてるかもしれないけど、私達は別に喧嘩してないわよ。

あれは……なんというか、一種のじゃれ合いというか……」

なんだそりゃ……。

なんだか安心したような、肩透かしを食らったような。そんなどうとも言えない感覚に陥った。

でも美影の様子を見る限り、とても嘘を言っているようには見えない。

「なんだよ、じゃあ俺土下座する必要なんて無かったじゃないか」

「そうよ。だから、あなたが土下座した時本当に驚いたわ」

「悪かったって」

「ううん、私も悪かったわ。紛らわしいことしちゃってごめんなさい」

2人で謝り合った後、俺らは近くにあったベンチに座り込んだ。

未だに頬の紅潮が収まらない。顔を中心に、体全体が物凄く熱い。

手で風を送り必死に顔を冷ましにかかるが、焼け石に水だ。

なんだかこの短時間でどっと疲れた気がする……。

「……あれ? え?」

「どうした?」

まだ何かあるのかと俺は美影に問いかけた。

美影は俺と目を合わせた後、さっきとは打って変わって真っ青な顔をしながらこう言った。

「どうしよう……綾が、いない……」

「は!?」

 

 

 

 

 

 

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