第三章 美影の初恋
彼女達は畳の上で小さな円を描き、三人で座っていた。 裕子と琴音は、これから話し始めようとしている美影の言葉に耳を傾けている。 そんな中で一人だけ、綾だけは少し離れた所で日本刀の手入れをしていた。 「ひーちゃんの初恋の人ってどんな人だったの? やっぱりかっこよかった?」 琴音は無邪気にそう美影に問いかけた。 美影は少し昔を思い出してから、やがて穏やかな笑顔を浮かべながらこう答えた。 「ええ。凄くかっこよかったわ。 ピンチの時にはいつも駆けつけてくれる、そんな白馬の王子様みたいな人だったわね」 今思い出しても、自然と笑みが零れた。 辛かった日々の中で自分の心の支えとなっていた人。 とても頼もしかったあの姿を、美影は鮮明に思い出していた。 「うわぁー。ロマンチック〜」 「素敵な初恋だったんだね」 裕子達も表情を輝かせる。素敵な人の話とあって、幾分か期待しているようだった。 「綾も覚えてない? ほら、5年生の時の」 「……覚えている。変な奴だったな」 美影の問いかけに、視線は向けないまでも答えはちゃんと返す綾。 一瞬作業を止めたその表情は、その頃をとても懐かしんでいるように見えた。 そんな綾に、美影はちょっとばかりいじわるをする。 「もう、綾ったら。……実はね、綾の初恋もその人なのよ」 「は!? ち、ちがっ――」 「そうなの? 綾ちゃんも隅に置けないなぁ」 「もう、そういう素直じゃない所可愛い〜♪」 「違う! 抱きつくな! 離れろ!」 衝動的に抱きついた琴音を、綾は反射的にはがそうとした。 動揺している彼女の頬は、誰の目から見ても赤い。 「本当に、私達のヒーローだったわ。当時いじめられていた私をいつも助けてくれていたの」 「優しい人だったのね」 「ええ。それこそ、彼がいなかったら今頃どうなっていたか……」 じゃれあっている綾と琴音を見ながら、2人はそう話していた。 そこでようやっと綾が引き剥がしたのか、琴音が諦めたのか分からないが、 琴音が輪の中に戻ってきた。 楽しそうな笑顔を浮かべている彼女に対して、綾はぐったりとした様子でうなだれている。 三人は話を続けた。 「それで!? その人とは付き合ったの、ひーちゃん!」 「まさか。そんな年でも無かったし、卒業したらそれっきりだったわ」 「むー。納得いかない〜」 駄々っ子のように不満を体全体で表現する琴音。 小学5年生の男女に何を求めているというのか。 裕子がふと思ったことを問いかける。 「美影ちゃん。その人とはその後会ったりとかは無かったの?」 「ここ数年でまた会えたわ。かなり突然の再会だったけどね」 何気なく答えた美影の言葉に、物凄い早さで琴音が反応した。 興奮しているからなのか、いまいち何を言いたいのか分からないが、 とにかく琴音は美影に詰め寄りこう言った。 「えっ!? じゃあもしかしてひーちゃん! その人と……。はっ! まさか、この前相談してきたのもその人関係で――」 「ち、違う違う。その人と初恋の人は違う人よ。 それに別に何も無かったわよ。その時はお互い忙しかったから、それ所じゃなかったし」 「なーんだ……」 慌てて静止を促す美影に対して、露骨に琴音は落ち込んだ。 だから何を期待してるんだか……。 「とにかく、私の話はこれで終わり。次はすーちゃんの番よ」 先程のジャンケンで決まった順番で、語り手を琴音に移そうと美影はそう言った。 その返事に、琴音は笑顔を絶やさないまま、おっとりした口調でこう言った。 「えー、私〜? 初恋の人はー、うーん、誰だったかなぁ」 「琴音。今更ごまかすなんて都合が良すぎるんじゃない?」 「そうよ。私はちゃんと言ったんだから」 「でもー……というか、いない?」 最終的に辿り着いた答えがいないという返事。 笑顔を崩さないまま言った彼女の言葉からは、嘘を言っているようには聞こえなかった。 やがて彼女は暇をもてあますように、手に持っていた紙筒で遊び始めた。 その姿を見て、裕子と美影は顔を見合わせる。 「……そういえば、すーちゃんが誰かを好きになっただなんて、今まで聞いたことがないわね。 噂すら聞いたことが無いわ」 「噂なら私は聞いたことあるなぁ。でも全員私の知らない人だったっけ」 「え、でも中学時代は好きな人いたじゃない。私、由里と一緒に喜んでたんだよ?」 「んー? それって、ショウ君のこと? だとしたら違うよー。私、中学時代は好きな人いなかったもん」 終始笑顔で淡々とそう言葉を返す彼女は、はっきり言ってかなり怖かった。 綾とじゃれていた時とはうってかわって近寄り難ささえ感じる。 直感的にそう感じた裕子、美影の両名はこれ以上言及することはやめた。 誰もが次に何を話すべきか迷っていた時、ふと時計を見た琴音が3人にこう言った。 「あっ、そろそろお風呂の時間だよ。準備しなくちゃね」 その言葉を聞いていた3人は、彼女に言われるままに入浴の準備をし始めた。
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「ふぅー。いい湯だった……。やっぱ、風呂上がりは浴衣だよな」 「そうだね。ちょっと動きづらい感覚はあるけど」 日本慣れしているレイ君でも、浴衣にはまだ少しばかり違和感があるようだ。 でも彼の浴衣姿は男の僕から見てもそれはそれは映えるものだった。 このまま雑誌の表紙を飾れそうな程のかっこよさである。 「慣れるとそうでもないよ。この格好で卓球とかもするしね」 「あれ、楽しいよなぁ。いっちょやりますかい?」 「時間があったらね」 他愛もない話をしている内に部屋に着いてしまった。 扉を開けて、壁伝いにスイッチを探し電気を付ける。 中に入った所で、増田が感嘆の声を上げた。 「おっ、布団敷かれてるじゃん。流石、サービスが良いこと」 そう言って吸い込まれるように増田が横たわった所には、確かに三人分の布団が敷かれていた。 旅館の人達が敷いてくれたのだろうか? 狭苦しさは微塵も感じないが、足の踏み場はほぼ布団である。 僕らの荷物は隅の方にまとめて置かれていた。 「よっしゃ、んじゃ結果発表といきますか」 すぐに立ち上がって、増田はそう言いながら足早に部屋を出ていってしまった。 増田を見送った後、僕は一番端の布団の上に腰を下ろした。 僕の対面に、レイ君が怪訝な表情をしながら座り込む。 「増田君、どこに行ったのかな?」 「隣でしょ? さっきの賭けの話」 「あー。……どうだったのかな? 楽しみだね」 「すぐに分かるよ」 そう僕が言い終わるや否や、増田が帰ってきた。 何やら微笑を浮かべて静かに僕らの横で立ち止まる。 不思議に思った僕は、こちらから話を切り出してみた。 「結果はどうだったの? 聞いてきたんでしょ?」 「いや、全員部屋には居なかった。鍵かかってたし、電気も消えてたしな」 そう言っている最中も、なぜだか増田は笑っていた。 僕らと目を合わせないまま、どこか遠くを見ていて……なんとなく僕は嫌な予感を感じた。 「なぁジュース買いに行こうぜ。なんだか喉渇いちまってよ」 「え? でも、ジュースはまた後で買うんじゃ……」 「今飲みたくなった。さぁ行こうぜ、2人とも」 「えっ? ちょ、ちょっと増田君!?」 浴衣の襟を掴み、半ば引きずるようにレイ君を連れていこうとする増田。 僕にもその強引な手は伸ばされたが、僕は反射的にその手を払った。 去り行く2人を見送るように僕は言葉を返す。 「僕は遠慮しておくよ。留守番してるね」 「おう、んじゃ任せた」 「増田君っ。そろそろ離してよ、自分で歩くからっ」 2人は廊下の奥へと行ってしまった。 2人の姿が見えなくなった所で、僕はレイ君に同情しつつ合掌した。 僕の予感が正しいなら……。 僕は備え付けられている時計へと目を向ける。 うん、女将さんから聞いていた時間とピタリだ。 篠原さん達も、この時間に合わせて部屋を出たのだろう。 今は、時間ごとに区切られた入浴時間の中で、女性が入る時間帯だった。 全く、増田も懲りないよなぁ……。 (……ま、いっか) そうと決まったわけじゃないのに、呆れるのは失礼ってもんだ。 本当にジュースを買いに行っただけかもしれないしね。うん、きっとそうだ。 さて、2人が帰ってくるまで何をしていようかな? (あっ! そういえば……) 僕は隅に置かれたバッグの中から、一枚の紙片を取り出した。 大事にしまっておいたその紙には、鈴木先生の電話番号が書かれている。 僕はそれと同時に携帯も取り出して、その番号に掛けた。 3回程コールした所で、電話が繋がった。 「もしもし。鈴木先生ですか? 倉崎です」 そう言って通話を始めたのだが、最初鈴木先生は焦り気味だった。 やっぱりまずかったかなぁ……? でも、一応こまめにしておくべきだよね? 緊急用にって渡された物だったけど、こういう使い方でも良いよね? そう思った僕は、順を追って先生に問題無いことを伝えた。
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「増田君、ここどこ? こんな所に自動販売機なんてないよ?」 「いいからいいから。ほら、こっちだ」 俺はレイを連れて、道無き道を進んでいた。 下調べは万全だ。この先にユートピアがある。 美影め、さっきはよくもやってくれたな。生憎だが、俺は相当諦めが悪いほうなんだ。 「増田君? やっぱり戻ったほうが良いんじゃない? 自動販売機はまた違う所で――」 「しっ! 静かに!」 「え?」 まだこれから何をしに行くのか分かっていないレイに、俺は静かにするよう促した。 ここから先は危険ゾーンだ。バレたら殺される。 レイには悪いが、もしもの時のために共犯になってもらう。 本当は倉崎も連れてきたかったが、あいつには既にバレているようだった。 伊達に俺の親友やってるだけはある。 下手に無理矢理連れてこうとして、レイにもバレたら本末転倒だしな。 この際しょうがないだろう。 (待ってろよ! 俺の桃源郷!!)
続
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