トルコ旅行2006雑感
(15) ヒッタイト古王国:トルコの首都アンカラからアナトリア中央高原のカッパドキアへバスで移動
するのに、直線的に行って、途中トゥズ湖畔の天然塩田を通る道と、ちょっと、といっても200キロほ
ど東に寄り道して、八ットゥシャシュの遺跡を通る道があるが、どちらを選ぶかと聞かれた。私は迷わ
ず八ットゥシャシュ経由の道を選んだ。
八ットゥシャシュはヒッタイト古王国の首都があった所で、ヒッタイトは世界で始めて鉄器を発明した民
族である。若い頃、鉄鋼製品の輸出業務に携わっていたので、ヒッタイトに何となく郷愁を感じていた
からである。
ヒッタイトは紀元前二千年後半に馬と戦車と優れた鉄製武器によってオリエント世界に君臨した。
20世紀初め、ドイツのアッシリア学者ウィンクラーが八ットゥシャシュを発掘してヒッタイト古王国の存
在を明らかにした。発掘した主要なアイテムは首都アンカラのアナトリア文明博物館に収納されていて、
八ットゥシャシュの現場に残っているのはそのコピーにすぎないという。
アナトリア文明博物館でヒッタイトを鉄器の発明者としたものはどれかとガイドに聞いたところ、「さ
っき通ってきた辺りに鉄の指輪があったでしょう」という。探してみたら、確かに指輪らしいものがあ
った。その近くに銑鉄のなまこ玉に木の棒を突き刺したものがあった。鉄の玉はこぶし大である。棒の
長さは30センチほどである。まさか、これが鉄製の新兵器なのか。「ちがう。これじゃない」と思う。
ただ、その近辺の展示品に鉄の武器と思われるものは飾ってなかった。
ヒッタイトはシリアの領有をエジプトと争ったが、この争いの平和条約の書簡が八ットゥシャシュで発
見された。同じ内容の条約文書がエジプトのカルナック神殿にもあるそうだ。
紀元前14世紀から紀元前13世紀がヒッタイトの最盛期で、紀元前12世紀には滅亡、八ットゥシャシュは
炎上したという。
八ットゥシャシュはボアズカレ村のちょっと外れた丘の南西傾斜の約2キロ四方に広がった遺跡で、石
の外壁にかこまれている。大城塞、神殿、住居跡などの基石が散らばっている。その上にどんな地上建
造物がどんな材料で造られていたのか想像もつかない。丘の頂上の方の城壁にライオン門が付けられて
いる。門の左側は、何か動物の後ろ向きのような石像が据えられているが、風化していてはっきりと分
らない。右側のものは確かにライオンらしい。雌ライオンのようにも見えるがどうなんだろうか。ある
案内書はこの遺跡を「つわものどもの夢の跡」と表現していた。帰国後自分で撮影した八ットゥシャシ
ュの様々な写真を見て、「おごれるもの、久しからず」というのかなぁと思った。おごれるまでに成り
上がっていない男の負け惜しみの独り言である。
Prev
Next