トルコ旅行2006雑感
(13) カッパドキア:火山と灰と溶岩、そして風と雨と川と長い時間、最後に迫害。アナトリア中央の大地カッパドキアを今日有
らしめている要素を挙げればこうなる。
東西におよそ100キロ離れた二つの火山、エルジェス(3,916メートル)とハサン(3,268メートル)が数
億年前に噴火し、カッパドキアの地を火山灰と溶岩で埋め尽くした。ある場所には火山灰のみ、又ある
場所には灰と溶岩が交互に降り積もった。そしてこの二つの火山は死火山となった。そのときから風と
雨と雨を集めた川が凝灰岩となった火山灰を削り谷を構成した。
カッパドキア地方を一言でいい表わすのは難しい。シイタケやシメジといったキノコ状の岩の林立の所
もあるし、凝灰岩を下に掘り込んだ地下都市もあるし、スキーのモーグル走路のように白い凝灰岩の小
山の連なりもある。山をくり抜いて大きな蟻塚のような所もある。凝灰岩の崖を削って奥に掘り進み、
住居やホテルやレストランにしている所もある。今は新たに穴を開けることが禁止されているそうだ
が、すでに住居として引続き住んでいる所もあり、廃屋となっている所もある。崩壊の危険があるため
立ち退きを勧告されている所もあり、数年以内には雨と風次第では崖が崩れ落ちてしまうような谷戸も
ある。
カッパドキアの中心地でもあるギョレメの野外博物館の近くの丘に登ると、キノコの群生のような景色
が見え、その背景には凝灰岩や溶岩の層を成した丘が見える。キノコの傘の部分と背景の丘の溶岩層が
横一線に並んでいて、確かにキノコ岩の群生の生育状況がよく分る。
中東のイスラエルに起こったキリスト教は小アジア、すなわちアナトリアを通ってギリシャ、ローマへ
と渡ってきた。どの地においてもこの新しい宗教、特にこの一神教は安住の場所を見出すまでさすらい
かつ迫害を受けた。その物的証拠の一つがカッパドキアの洞窟教会なのであろう。カッパドキアには4
世紀前後からキリスト教の修道士が住み始めたという。ビザンチン時代には偶像破壊運動を避けてここ
に逃げ込んだ会派もあったようだ。セルジューク時代にはギリシャ正教(オーソドックス)系の信者が
隠れ住み信仰を守った。彼らは岩窟教会の天井や壁に多くのフレスコ画を残している。
カッパドキアではネヴェシェヒルという町に二泊して色々違った景色を見てまわり、写真もたくさんと
ったが、どれがウチヒサルでどれがパシャバーでどれがギョレメだか分らなくなってしまった。
ネヴェシェヒルからアクサライを通ってコンヤへゆく街道は昔からのシルク・ロードである。アクサラ
イまではカッパドキアの凝灰岩地帯であり、それより少し西に行ったところにスルタンハン・ケルヴァ
ンサライという宿場町がある。町の中心に四角く石塀で囲った昔からの隊商宿があった。この堂々たる
ケルヴァンサライは13世紀初めセルジュークのスルタン・アラッディン・ケイクバットによって造られ
たものである。中庭を囲んでレストランやら宿泊所やら商店などがあったが、外側は壁のみであった。
街道からケルヴァンサライヘ入る道には古いが大きな絨緞が道に敷かれてあり、私たちの乗ったバスは
その上をゆっくり走り抜けた。町の祭りの時に道に絨緞を敷く慣わしであるという。
Prev
Next