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厄除け大師でおこなった送り盆
〔佐野プレミアムアウトレット〕
[佐野厄除け大師]
No17

昨年(2004年)自分の働いていた会社が解散した。
あの時はいろんなことを考えたし無念さも味わった。
その頃からだろうか?
数ヶ月に一度、父とふたりでふらりとどこかに出かけることが多くなった。

仕事のこと、職場での人間関係、職場での心構えなど
父からたくさんのことを聞きたいな…と思い始めたのが
ちょうど会社が解散した頃だった。

父のアドバイスがほしかったのかもしれない。

お盆休み最終日

お盆休みの最終日、8月16日、その日は何も予定がなく
父と出かけることにした。
父とうまくコミュニケーションを取れなかった時期(10代〜20代始め頃まで)もあったが、この歳になるとできるだけいろんなことを聞いておこう!伝えておこう!と思っている。その日も次の日から仕事と言うこともあって父とふたりでゆっくり話したいと思い、どこかに出かけることにした。

あてはなかったが、何となく佐野のほうに行きたくなり、ちょっと見たいものもあって佐野プレミアム・アウトレットに行こうと思った。父とふたりで…と笑われるかもしれないが、そういうことはあまり気にせず行きたいところにいけばいいと思った。

佐野プレミアム・アウトレット

住所:〒327-0822
    栃木県佐野市佐野新都市78街区
電話:0283-20-5800

佐野プレミアム・アウトレット 佐野プレミアム・アウトレット
佐野プレミアム・アウトレット 佐野プレミアム・アウトレット
佐野プレミアム・アウトレット
探していたものは、この時はなかったが、ただ見ているだけでも楽しいですね。
佐野プレミアム・アウトレット

2003年オープン。「プレミアム・アウトレット」国内第3号店。アメリカの東海岸をイメージした建物には約100の国内外のブランドが集まっている。東側に広がる三毳山(みかもやま)を背景に緑豊かな環境に調和したショッピングモール。
(佐野プレミアム・アウトレットホームページを参照)

厄除け大師へ

ひと通り歩いて回ったがほしい物はなかった。その後、どうしようかと思ったが父親は佐野厄除け大師に行ったことがないと言っていたので近くまで来たし行ってみようということになった。

佐野厄除け大師の歴史

春日岡(かすがおか)とよばれ、多くの人から親しまれている寺である。朱雀(すじゃく)天皇の944(天慶七)年3月、奈良の僧 宥尊(ゆうそん)上人が開いた寺で、最初は日本の仏教で最も古い南都六宗の法相宗に属し、正しくは春日岡山転法輪院惣宗官寺 (かすがおかやまてんぼうりんいんそうしゅうかんじ)という。

藤原秀郷公が平将門降伏の誓願により、佐野の春日岡 (現在の城山公園)の地に、春日明神の社殿とともにお寺を建て朱雀天皇に申し上げたところ、天皇は大変喜ばれ「春日岡山惣宗官寺」の勅額を賜ったといわれている。 それ以来、藤原一門の信仰あつく栄えたが、平安時代の末期の保元・平治のころには衰えた。

その後比叡山の僧で俊海という人が、父の藤原光憲から「春日岡は、わが祖父である秀郷公の創立した氏寺である。昔、保元・平治の乱に殿堂が焼けて灰になったが、父の志を継ぎ修行の後にこの山を復興せよ。」このことを深く心にとどめ、この寺の荒れ果てたことを憂い、正応年間(鎌倉時代)に信徒を集めて、藤原一族および北条一門の有志とはかり、鎌倉幕府九代執権北条貞時をさとして、1297(永仁五)年8月に復興完成し、これ以後「法華経」を所依の経典とし、伝教大師を宗祖と仰ぐ天台宗となる。 その後十二世の僧豪海のときに1602(慶長七)年、秀郷公から30代の佐野信吉公が、幕命により唐沢城をこの春日岡(城山公園)に移すにあたり、寺は現在地に移転した。

徳川時代には御朱印五十石を拝領し、寺社奉行も置かれ、三代将軍家光公も参拝する等徳川幕府との縁故も深い。

また当山は、厄よけ元三慈恵大師(御本地・如意輪観音)を安置し、厄よけ、身体安全の祈願を続けており、年毎に信者が激増し、正月大祭には約百万人以上の参拝客を仰いでいる。
(佐野厄除け大師のホームページより抜粋)

佐野の町を通り厄除け大師へ

アウトレットをあとにして県道9号線を北上する。両サイドに大きなお店が立ち並ぶこの通りは佐野市街を南北に貫くバイパス的役割をしている。ラーメン店も多数、目に入る。そして浅沼町交差点を左折。県道67号線を足利方面へ走ると右手に佐野駅が見えてきた。更に走り秋山川の手前を左折。暫く走ると佐野厄除け大師が見えてくる。

山門 金銅大梵鐘
山門 金銅大梵鐘
送り盆

今まで何度か来たことがあったがその時は駐車場はガラガラだった。しかしこの日は駐車場は満車。スペースが空くまで少し待ち、スペースが空いたのでそこに車を停める。最初はどうしていつもより人が多いのか分からなかったが金銅大梵鐘の前にテントがあり、そこでの説明をみて今日が送り盆なことに気付いた。

迎え盆・送り盆

13日の夕方か夜に菩提寺とお墓に参り、祖先の霊を迎えます。これを[精霊迎え]と言います。この時に霊が迷わず帰ってこられるように焚くのが[迎え火]です。地方によってはお墓からの道筋に、たくさんの松明を灯す所もあります。そして、16日は送り盆です。この日に、お盆の間一緒にすごした祖先の霊を送り出すことを[精霊送り]と言います。この時に[送り火]を焚くことも広く行われています。京都の[大文字焼き]も送り火の一つなのです。

水子地蔵尊 横から見た本堂
水子地蔵尊 横から見た本堂
境内はお線香の匂いが漂っていました。
春日岡山惣宗寺 (佐野厄よけ大師)

【所在地】 栃木県佐野市金井上町2233番地
【お問い合わせ】 0283-22-5229
【ご利益】 厄除け、交通安全、商売繁盛

先祖供養

うち(土肥家)では迎え盆をしていないのだが、折角(せっかく)だから送り盆はしてみることにした。金銅大梵鐘前のテントでロウソクを買う。そして筆でそのロウソクにメッセージを書き、掛けてもらった。水子地蔵尊の前あたり一面にロウソクがたくさん、かかっている。その横でお坊さんがお経を詠んでいた。その声をマイクが拾っていて辺りにお経の声が聞こえる。

ロウソク 子育地蔵尊
ロウソク 子育地蔵尊
たくさんの方々が先祖供養をしていました。 可愛らしいお地蔵さんでした。
先祖の大切さ

僕らの両親、そして祖父母、曾おじいちゃん、曾おばあちゃん、そしてそのまた両親、そういう人たちがいたからこそ、僕達は産まれてきたのですね。祖父母くらいまでは実際に会っているから思い入れもあるけどそれ以前の祖先となると、やはり不透明な感じがしますね。けどそういう先祖代々の方々も大切にしたいですね。お盆や彼岸などはちゃんと供養したいと思っています。

たぶん、一緒に行った父もそういう思いがあったのだと思います。ふたりとも長男だから家系に対しての思い入れも少しは強いと思います。

そして本堂へ向かって歩き出しました。

佐野厄除け大師 本堂
佐野厄除け大師 本堂
全国的にも名を知られる佐野厄除け大師。厄年の厄除けや、方位除けの祈願を実施している。境内には足尾鉱毒事件の救世主である田中正造の墓もある。

本堂でお参りを済ませ境内をひと通りまわった。墓地の方にもたくさんの人がいた。僕自身、母方の祖先は近くにお墓があるから、よく行くが父方の先祖が眠っているお墓は遠いのでなかなか行けない。もう7,8年行っていない。

このとき、久しぶりに関西の父の両親や祖先が眠っているお墓にもお参りに行こうと思いました。折をみて行ってみようと思います。

パゴダ供養塔
パゴダ供養塔
帰路へ

自己満足かもしれないけど先祖供養したら、なんとなく守られているような感じがしてきた。そして今、自分の傍にいる父や母のことも大切にしようと思えました。

帰り道、明日から始まる仕事のことで父と話をしました。40年以上、ひとつの会社で一生懸命仕事をしてきた父の言葉は、今の僕にとってとても大きく心に響くことが多々あった。これからも父のいろんな経験を少しずつでいいから聞いていこうと思います。

佐野厄除け大師へのアクセス

◆電車利用
JR 両毛線「佐野駅」より徒歩8分
東武佐野線「佐野市駅」より徒歩6分
●車利用
東北自動車道「佐野藤岡インター」より10分

(2005年9月23日UP)