心に思ったことのタイトルバー

みなさんは一生懸命、生きていますか?
そんなにいつも、一生懸命でいることもないと思うけど...

けど、いつもベストを尽くせたなら...
とても幸せなことですね。

【一生懸命、がんばれたか?】
もちろん、それは自分自身が感じることで
誰かに判断してもらうことではないし
誰かの目を気にしてやることでもないと思う。

けどやっぱりできることなら評価してもらいたいですね。
誰かに認めてもらいたい!

けど...
必ず、【あなたの頑張っている姿を見てくれている人】、いると思います。
【あなたが頑張っている姿を陰で応援してくれている人】、いると思います。

僕は中学の時、野球部でした。
けど僕らが2年生の時、
地区で行われる駅伝大会に全校生徒、全員で応援に行って...
結構、うちの中学校は陸上がつよかったから...
その年も上位に入って...
そして駅伝部に憧れた。

沿道から、選手が走っている姿を見て
『すごいな。かっこいいな』...って
僕も走ってみたいな...って思った。

けど自分は野球部だったし
毎年、学校で冬にマラソン大会があるんだけど
駅伝部は陸上部を中心に
そのマラソン大会で10位くらいまでに入った他の部の人の
(サッカー部やバスケ部・野球部など)
選抜チームで組まれていたんですね。

僕は1年生のときは39位でした。
(僕らの学年は一学年、男子だけでも230人くらいはいました)

だから僕は選ばれることはないな...って思ってた。

けど、どうしてもあの時は駅伝部に入りたかったから
中2の秋から、毎日、野球部の練習が終わった後、
家の近くを7キロとか8キロ、走っていました。
そのときは友達と一緒に走ってた。

そして中2のマラソン大会では24位に入りました。
けど24位じゃ、次の年の駅伝部の選抜対象にはならなくて...
せめて15位くらいまでには入りたかったのだけど
一緒に走っていた友達は僕より順位がよかったけど
そのマラソン大会が終わった後、走るのを辞めてしまいました。

それでも僕は走りたかった!
まだあと1年あるし...って思ってた。

だから2年の3学期は毎日、ひとりで走ってた。
やはり野球部の練習が終わった後、
今度はひとりで5キロくらいのコースを毎日、走ってた。

3年になり野球部の練習もあったから距離は減ったけど
やっぱり家に帰ってから走ってた。
そして3年の夏に野球部の最後の大会が終わり
3年生のほとんどが部活を終えて...

駅伝部が結成されるのはその頃なんです。
夏から秋の駅伝大会までの期間限定の部で...

そして...僕は選ばれませんでした。
当たり前ですよね。前年、24位なんだから...

けど、それでも走っていました。
中3の夏休み、受験勉強をしながら、
今度は江戸川の土手を毎日10キロ以上、走ってた。
夏休みの間、ずっと走ってた。

そして、それを見てくれていた人がいたんです。

ひとりは陸上部の友達で
僕が夏休み、ひとりで土手を走っている姿を見てくれていた。
そしてもうひとりは野球部の友達で
中2の冬に毎日、僕が走っている姿を見てくれていた。
そして担任の先生も僕が毎日、部活が終わった後、
走っているのを知っていた。

そして...
夏休み明けのある日、朝、学校に登校したら...
駅伝部の先生と部員の人たちがよってきて...
『一緒に練習しよう!』...って
『ひとりで走っている姿を何人もが見ていたから』...って
『一緒に練習しよう!駅伝部に入らないか!』...って

そう言って入部するように誘ってくれたんです。

そして僕は駅伝部に入りました。
大会までは約、2ヶ月くらいしかなかったけど...
けど、すごく嬉しかったのをおぼえてる。

練習はすごく大変で毎日、20キロ以上は走っていたと思います。
うちの中学校は全国レベルの人が何人かいて
速い人ばかりだったから後ろの方でついて行くのがやっとだった。
一度、市街地を走っていた時なんか、あまりにも差が開いてしまったので
そのまま家に帰ろうと思ったこともあった(笑)

グランドを走っていてマネージャーに
『もう少しだからね。ラスト40周だよ!』...なんて言われて
『あと40周もあるの?』...なんて内心、思ってた。

そりゃ、もう地獄でした(笑)

けどうちのクラスで駅伝部に入部したのは僕だけだったから
クラスメイトも応援してくれたし...がんばれた。
みんなは、もう受験勉強をしている中で駅伝部の25人くらいだけは
部活との掛け持ちで大変だな...とも思ったけど...
けど、ある意味、誇りを持ってた。

だってやっと入れたのだから。
ずっと入りたかったのだから。
ずっと無理だと思っていたのに入部できたのだから...

それでもレギュラーには、なれませんでした。
でも、あのメンバーと一緒に練習できたことは自慢できるなって思ってた。

本大会の前に行われる記録会を兼ねた大会で僕らの中学校は優勝し
本大会でも期待されていたけど結果は思ったよりダメでした。
僕はマネージャーとして参加しました。
正選手として走ることは、できなかったけど...
それでも駅伝部に入れてよかったと思っています。

そして中3のマラソン大会は12位でした。
1年=39位 2年=24位 3年=12位ってことは
もう一年あれば1位だったな...なんて(^^ゞ(冗談)

けど順位なんてどうでもよかった。
何位でもよかった。
それよりも最初に立てた
駅伝部に入りたい!...という目標を最後まであきらめなかったこと。
そしてそれを実現できたこと。
ベストを尽くせたこと。
今でも自信になっています。

仕切り線

長くなりましたね。
結局、何が言いたいかというと...

やはり見ている人は見ている...ということ。
あなたの頑張っている姿を、必ず、誰かが見ている...ということ。
あなたの一生懸命、生きる姿をみてくれている人、いると思います。

そして...
その人は、きっとあなたを応援してくれるでしょう!

だから、あきらめないでくださいね。
いつかあなたの陰の努力が報われるときが来ると思います。

その頃のことをあとで聞いたら...
僕の担任の先生が毎日、僕が走っていることを
駅伝部の先生に伝えてくれて、いたのだそうです。
そして何人もの人が
『俺も土肥君が走っているのをみた』...と言ってくれて

そして僕は駅伝部に入れました。

誰かは必ず、あなたの頑張っている姿をみていると思うから...

地道に努力していきたいですね。

カナダ・オリンピック・パーク
カナダ・オリンピック・パーク (カルガリー)
冬季、カルガリーオリンピックが行われた会場。できることならオリンピックを観にいきたかったなあ。
カナダ・オリンピック・パーク
カナダ・オリンピック・パーク (カルガリー)
カルガリーには友達がいたので、そこに寄せてもらいました。No107(好きなこと)で書かせてもらった友達がここに滞在していたので、いつも、いろんなことを話しました。楽しかったです。
カナダ・オリンピック・パーク
カナダ・オリンピック・パーク
たくさんの国旗がありました。
カルガリーのダウンタウン
カルガリータワーから見たダウンタウン
(カルガリー・カナダ)
カナディアン・ロッキーの玄関口、カルガリー。ダウンタウンからもロッキー山脈がよく見えました。
ロイヤル・ゴージ
ロイヤル・ゴージ (コロラド州・アメリカ)
スペーサーイメージ
ロイヤル・ゴージ
ロイヤル・ゴージ (コロラド州・アメリカ)
ここはデンバーに住んでいた友達に車で連れて行ってもらいました。だからどの辺なのか全然、分からないけどアメリカのドライブは快適でした。
ワールド・トレード・センター
ワールド・トレード・センター
(ニューヨーク・アメリカ)
あの2001年9月11日のテロを忘れないようにしたいですね。攻撃しあっても何も始まらないと思います。
ニューヨーク
ニューヨーク (アメリカ)
ニューヨークはとてもエキサイティングな街でした。
バッテリー・パーク
バッテリー・パーク (ニューヨーク)
マンハッタン島の先端にある公園。とても寒かったです。
@もう1度、この文章を読む
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