♪過去の雑談♪(単なるゴミ箱ですσ(^o^ゞ

▼ 2007.09/30 -

気がつけばまたも約2ヶ月ぶりの更新ですか(苦笑)。

それにしてもあれにしてもこれにしても(どれなんだ?\(^o^)/)、前回更新日は、参院選の投票日(兼開票日)だった訳ですが…あの後、今日に至るまでの約2ヶ月、政界は激変…と言う表現が適切かどうかはともかく、いささか予想外過ぎる事だらけでしたね。

勿論、予想外の第一は、安倍晋三(前)首相の突然の退陣
参院選で与党が惨敗したのに、「政権選択選挙ではない」という名目のもと、続投を強行した事自体は、私はむしろ立派と思いました
そのココロは、その時点の安倍さんは、「インド洋での海自の給油活動を継続する」方策(←要するに法律ですわね)を、民主党と妥協してでも何とかとりまとめてからじゃないと、退陣するにも退陣できない、死んでも死にきれない、そういう心境じゃないか、と思ったから。
つまり、安倍さんは、『テロ特措法』(の修正案であれ、民主党との妥協の産物としての新法であれ)を、臨時国会でまとめてから、退陣するつもりなんだろう、と私は思っていました。

ところが。
参院選結果を受けての臨時国会が開会し、所信表明演説を終え、各党の代表質問が始まるその日に、内閣総理大臣が辞任表明
これを、前代未聞・驚天動地と言わずして何と言おうか。
いやまぁ、小泉内閣の時代から、サプライズは珍しくなくなりましたが、今回のサプライズに比べたら、物の数ではないね。\(^o^)/

まぁ、要するに安倍さん、よっぽど身体の状態が悪かったらしいですが。それならば、参院選の直後に、辞任表明していれば良かったんじゃないかと。百人中百人、誰もが思う事でしょうけれど…

安倍さんには敢えて厳しい言い方をするとね。一国の総理大臣たる者は、命を惜しんではイカンと思います。
もう27年前になるけど、1980年夏に、衆参同時選挙が行われた際、時の首相だった大平正芳さんは、激務がたたって選挙中に急死してしまいましたよ。そして、「野党転落の危機」ともささやかれていた自民党は、現役首相の急死に対する同情票を集めて、圧勝しましたよ。
「だから死ね」とは言わないけど、安倍さんに、果たしてそこまでの覚悟があったか?繰り返すけど、体調不良ならば、選挙結果が出た時に辞めるべきで、逆にそこで辞めなかった以上、文字通り、死んでも「己の命運を賭ける」法案を通してから、辞めるべきだった。いや、もしかしたら体調不良ゆえ、法案が成立するのを見届ける前に、自身は死んでしまったかも知れないけど、そこまでの覚悟を見せられれば、世論だって確実に味方するハズでしょ。って事は、昔と違って、与党も野党も世論に敏感だから、世論が後押しする法案は、通って法律になりますよ。

安倍さんにその覚悟が(少なくとも見た目上)見えなかったのは、返す返すも残念です。

ただ、結果的に安倍内閣は1年の短命内閣でしたが。その割に、今後の日本にとって重要な法律を多く成立させていますよね。
国民投票法しかり、教育基本法の改正しかり、防衛庁を防衛省に格上げする法律しかり。公務員法の改正もありましたね。
何れも、「国家の基本」や「国のあるべき姿」という、重い内容である(※従って日本を滅ぼしたい連中からは徹底的に抵抗される)がゆえ、歴代の自民党政権が手を付けなかった(付けられなかった)所ですが、そういう所に手を付け、実際に成立させた成果は、私は高く評価したいと思います。小泉内閣時代に取った「衆議院で2/3以上」という与党圧倒的多数の状況ゆえに強行採決を連発できた、という恵まれた環境ではあったにせよ。

何れにしても、安倍さんには、ご苦労様でした、と言いたい。
余談ですが、国会議員、まして閣僚、ましてや首相ともなれば、「何はともあれ身体が頑丈」ってのが、必須条件なんだって事が、今更ながら良く分かりましたね(苦笑)。

予想外の第二は、新首相に福田康夫さんが就いた事。本来的には、流れから言えば麻生太郎さんだったでしょうからね。しかも、昨年の自民党総裁選では、「僕みたいな年寄りが…」と言って出馬しなかった人ですから。私はてっきり、福田さんは首相になる気は無い人だと思ってました(苦笑)。
これも結局、安倍さんの唐突な、最悪のタイミングでの辞任表明が、安倍内閣の閣僚だった麻生さんにマイナス要因となって、福田さん支持が雪崩現象で増えた、って事なんでしょうけれど。つまりは「安倍ショック」の副産物って事でしょう。

福田内閣は、次の国政選挙(※参院選はあと3年無いから、当然次の衆議院総選挙)で国民の支持を受ければ、本格内閣たり得る訳ですが。どうでしょうね、安倍内閣末期より支持率はだいぶ高いにしろ、これはいつものご祝儀相場ですからねぇ。
しばらく、今国会での政権運営を見てみないと、安定政権たり得るのかどうか、分かりませんね。

あと、今後に関して、私思うんですけど。
どうやら今の国民は、民主党中心の政権ができてほしい、と願っているようだから、一度、小沢民主党に政権取らせてあげたらどうでしょうね?その為にも、早めの衆議院解散・総選挙を私も望みます。(但し、多くの国民が望む意味合いとは別…(-ω-)/)

いわゆる「年金問題」に、小沢民主党がどう対処するのか?そこを、私も見てみたい
だって、こんな、「出口のない迷宮」に入り込んでしまった問題は、誰が首相を務めたからって、完璧に解決できる訳がない
だってね。客観的証拠(=領収証)が無いものを、「この人が『納めた』と言っているのは本当っぽい」、「この人が『納めた』と言ってるのはウソっぽい」、と、どうやって層別するんですかね?人柄を見て?そんなの、演技の上手い奴なら、ウソでも本当っぽく振る舞えるだろうし、逆に気の小さい善人だったら、本当でもおどおどしてウソっぽく見えるだろうしね。さ〜、困ったねぇ。σ(^◇^;)

ま、状況次第で平然と主義主張を変える小沢一郎なんぞに、まともな政策を実行できる訳が無い。(※政治家に、柔軟性は必要だが、無節操ではダメ)
私はそう踏んでるので、それを今の国民に思い知ってもらう為に、一度、小沢に政権取らせれば良いんじゃない?と思う次第。
▼ 2007.11/18 -

前回更新が9月30日でしたので、また1ヶ月半以上の間隔が空きました。σ(^◇^;)

そう言えば前回の更新の時は、この夏の猛暑だったのを引きずって、まだとても暑かったのを思い出します。今はもうすっかり秋…と言うより最早かなり寒くなってきてまして(※本日の名古屋地方の最低気温は7℃、予想最高気温は15℃)、冬の風情を感じざるを得ません。
一ヶ月半の間に体感温度では夏⇒冬と変わってるわけで、巷で言われる通り、本当に確かに秋が短くなっていますね。

NHKの19時台のニュースでお天気キャスターを務めている気象予報士・半井小絵さんの出した本『お天気彩時記』によれば、半井さんは個人的には日本の季節の移り変わりは、「春」「初夏(梅雨)」「夏」「秋」「冬」の「五季」とすべきだと思っているそうです。
私もその考えには賛成で、更に言えば、やや極論ですが、「秋」を外しても良いのかな、と。
と言う事は、「春」「梅雨」「夏」「冬」で「四季」って事になりますね。めでたしめでたし。
…って何が。\(^o^)/

まぁ何れにしても、昔学校で習った通りならば、日本は温帯気候に属するのですが、近年はどう考えても亜熱帯気候に変わりつつありますよね。秋がとても短くなってきてるのもその一例。ここ数十年の気象データを多角的に分析してみれば、恐らくそういう事になるんじゃないかと。
いや別に、日本が亜熱帯気候の地域に入るのがけしからん、と言うつもりは無いですが。少なくともそれが自然要因によるものならば。
時間的・空間的に全地球的な規模で見れば、地球も生きているわけなので、例え人類が存在しなくても、気候は「徐々に」なら変動するのが当り前。人類有史以前にも、氷河期もあれば間氷期もあったわけですし。

ただ、誰もが思うように、(エネルギー消費が爆発的に増えた)20世紀以降、気候変動の度合いが、激しくなったのは間違いないでしょうね。
これがいわゆる「地球温暖化」によるものであろう事は、遅ればせながらやっと世界的に認識されてきたって所ですかね。ただ、認識はされつつあるにせよ、じゃぁ対策は?となると、各国の事情・思惑の違いがあり、遅々として進んでいないのが実情。
しかし、今ここで、事情の違い・思惑の違いを乗り越えて、世界規模の相互協力ができなかったら、人類は22世紀を迎えることができないような気がしますね。
▼ 2007.11/18 -

そう言えば忘れていた…訳では勿論無く、敢えて意識的に話題にしてこなかったんですが…中日ドラゴンズ、日本一&アジア一、おめでとう〜!!\(^o^)/

いや〜、ドラの日本一は53年ぶりですが、私が生まれてからは初ですから、私にとっては史上初も同じ。
いや〜長かった。日本シリーズになると弱い中日。ってのがここんとこすっかり定着しちゃって
去年2006年は北海道日本ハムに1勝4敗でほぼ惨敗。
3年前の2004年(※私、当時、こちらでこんな事書きましたがσ(^◇^;))は、西武相手に逆王手までかけたけど、結局3勝4敗で惜敗。

更に思い起こせば。岩瀬、サムソン、落合英二で「1人1殺」、最後は宣銅烈(ソン・ドンヨル)が締めるという必殺パターンを確立して非常に強かった1999年も、日本シリーズでは良い所無く1勝4敗(※相手はダイエー)。王ダイエーの引き立て役になっただけ。
更には絶対ストッパー・郭源治を擁してやはり強かった88年も、シリーズでは借りてきた猫みたいなヨソ行きの野球になってしまって1勝4敗(※相手は西武)の惨敗…
更には、『強竜打線』と恐れられた82年も、シリーズでは2勝4敗(※相手は西武)とほぼ良い所無し。

王、長島を擁して黄金時代だった読売巨人の、10連覇を阻止して優勝した1974年に、「なんだ、地元にこんな良いチームがあるんじゃん」と気付いて、その時から私は中日ファンになったのですが、考えてみればその年も、日本シリーズではロッテ相手に2勝4敗で負けてるんですよね。まぁ、74年に限れば、最強だったジャイアンツに勝ってセ・リーグ制覇する事に全精力を使い果たした、と言っても充分言い訳にはなったと思いますが。

「何で、これほどに日本シリーズでは勝てないのか?」と、ある意味不思議に思ってたんですが。
今年に関しては、セ・リーグで勝率1位を逃したのが、逆に選手(及び監督)を気楽にさせたのかも。開き直りと言うかね。それが証拠(?)に、クライマックス・シリーズ以降の勝率は凄いですもん。
阪神に2勝。ジャイアンツに3勝。そして本番の日本シリーズでは4勝1敗。(※アジアシリーズでは優勝決定戦を含めて3勝1敗)
ポストシーズンは9勝1敗ですよ。しかも主砲の福留抜きで。

これで、中日は、間違いなく常勝軍団の一つに、なりましたね。

あと、サッカーでも、浦和レッズがACLで日本勢として初優勝。\(^o^)/
優勝戦の相手が、今核疑惑で世界の注目を浴びている国・イランのチーム(※セパハン)だったってのも、何だか因縁ですけど。(ーー;)

今年のプロスポーツ界は、結果を見れば、私にとっては万々歳の年でした。こんな年は、一生の中でもそんなに多くは無いでしょう。
ところで全く私的な話ですが、中日が優勝する年って、逆に個人的には(特に仕事面で)ロクな事が無かったのが今までだったのですが、今年は仕事面でもむしろ良い事のほうが多いのかなぁ、って感じで、ほんと、まだ今年は終わっちゃいませんが、このまま終われば、ほぼ全面的にハッピーで終われます。

ま、国家レベル、世界レベルでは難問山積の時代ですが、そうは言っても年がら年中悲観的になってる訳にもいきませんので、個人的な家庭・仕事・趣味・娯楽などの面で、ひとときの幸せに浸る時間は、絶対必要ですわね。
▼ 2007.11/25 -

平成19年納めの大相撲九州場所は、白鵬と星一つの差で優勝を争っていた千代大海が、けが(※前日の白鵬戦でとったり気味に腕をたぐられた時に肘が決まってしまい痛めたそう)で休場となり、白鵬の優勝が自動的に決まるという何とも呆気ない幕切れ。
八百長疑惑が裁判沙汰にまでなったかと思えば、次は朝青龍の詐病疑惑&謹慎問題、そして入門直後の若手力士がシゴキ(暴行?)の果てに急死した問題…迷走しっぱなしだった今年の角界を象徴するような、今年最後の場所の幕切れではあります。

それはともかく白鵬は2場所連続5度目の優勝。今年は6場所中4場所で優勝したわけで、さすがに朝青龍がいないとなれば、白鵬以外から優勝候補を捜すのは確かに難しいですわね。

それにしても琴欧洲はどうしちゃったんでしょうね?大関に上がってきた頃のスケールの大きな相撲が全く影を潜めてしまって。確かに膝の故障が慢性的になってから、精彩を欠いているのは事実ですが、けがはプロの格闘家にとっては職業病みたいなもん。けがと上手く付き合っていく自分に合った方法を見つけ出さないと、現役生活を長く続けるのは難しいね。
今場所は途中休場で来場所はカド番ですけど、膝の故障と言っても大けがではないようだし、何とか盛り返して、それこそ休場明けで優勝!くらいの相撲を見せて欲しいもんです。何と言っても2mを超える長身。たたずまいだけで「お相撲さん」の迫力を充分醸し出せる人材なんだから。

さてそれとは別に、この九州場所を以て、現役引退を表明した『一の矢』。現在46歳、序二段。最高位は三段目という、いわゆる関取(=十両以上の力士)にはなれなかった力士ですが。
私、この人が角界入りした24年前から、影ながら(?)応援してたんですよね。
理由は、(1)年が私とほぼ同じ、(2)史上初の国立大学(※琉球大学)卒のプロ力士、という2点ですかね。

私も実を言えば(まがりなりにも)国立大学(※琉球大学ではないですが…)の出身で、しかも(大学時代ではないですが)相撲部にいた事がある人間なんですよね。
なので、私が社会人二年目の頃に、この『一の矢』が大相撲の世界に入った、というニュースを何かの新聞で読んで、「へぇ〜、国立大卒では初の大相撲入門〜?今まで一人も居なかったわけか〜。考えてみれば『学士横綱』と言われた輪島も、日大出身だしなぁ」などと、恐らく普通の人の数十倍、興味をひかれたんだと思います。

一の矢が相撲界入りする際には、両親には猛反対された、ってエピソードがその新聞に書かれていたのを鮮明に覚えています。「せっかく国立大まで行かせたのに、何でサラリーマンにならず、相撲なんていう明日の身がどうなるか分からぬ世界に行きたがるのか…」と、初めは両親が嘆いた、と。その後、本人の決意の固いのを見て「やる以上は精一杯頑張れ」と励ましてくれたとか…

私思うんですが、「その道に行く以外に選択肢のなかった」人間しか来ない業界って、所詮は駄目だと思うんですよね。典型的なのが暴力団業界。あれって業界か?というツッコミはさておき。(-ω-)/
やはり、「なろうと思えば選択肢は沢山あった」が、「敢えて、この道を選んだ」という人間が出てきて、初めて世間的にも認知されるというか。

プロ野球って、そうですよね。国立大出身の選手は非常に少ないにしろ、早稲田大学、慶応大学、…といった所から入る人は少なからずいますよね。(※スポーツ特待での入学であるにしろ、さすがにモノホンの馬鹿では入れてもらえない)
プロサッカーも今やそう。筑波大学出身の選手も多いですしね。
プロレスにしても、ジャンボ鶴田(※中央大学法学部卒、故人)が入ってから、世間のプロレス業界を見る目がだいぶ変わったと私は思います。
芸能界は、昔から間口の広い世界(≒関わる人間もピンキリ)だと思いますが、最近はほんとの高学歴・高学力の人も少なくないですし。そもそも、知的な人ほど、「演ずる」という事に興味を持つものだと思います。だから、役者とかタレントには頭の良い人が少なくないんでしょう。

…ま、話がいつもの如く逸れましたσ(^◇^;)が、要するに、一の矢さん、お疲れ様でした、と私は言いたい。
何事でも、「史上初」というのは、プレッシャーのかかるもんです。
史上初の国立大卒のプロ力士として、24年間、やってこられた事に、敬意を表します。一選手としては関取になれなかったにしても、そんなの関係ねぇ〜!クサらず、ひたむきに取り組む姿は、周囲には、「生きた手本」としての存在価値が充分あったハズ
今後は高砂部屋のマネージャとして再出発、との事ですが、これまでの経験と知識をマネージメント業のほうでも発揮してもらいたいものです。(そう言えば高砂部屋って、あの朝青龍のいる部屋ですね〜、こりゃ大変かも)
▼ 2007.12/31 -

大晦日ですので、確実に本年最後の更新になります。(-ω-)/

そう言えば、極私的な話ですが、私が当WEBページ(※当時は、ホームページと称していました)を公開するようになって、本日で丁度まる10年です。初アップが1997年12月31日でしたので。(URLは初アップの時と今とでは違いますが…)
その時の文章はこんな感じでした。うーむ。ヘタウマなのかウマヘタなのかよく分からん文章なのは、今と変わりませんね(苦笑)。って、そういう事が言いたい訳ではなく、言いたいのは、始めた当時は「一般人目線でPC関係を見たネタ」で、中でも特に「マイクロソフトのえげつなさを罵って」やろう、と思っていたのですが、ほどなく、その気持ちも冷めてしまいました、って事です。

その理由を、今更ながら、考えてみました。
(1)私のようなアンチMS派も世の中には(特に技術屋には)沢山いるが、世の趨勢は、MSのソフトから完全フリーはあり得なくなってしまった

(2)技術的にも、PCはハードもソフトも陳腐化が激しく、特にMSの技術はいつもヨソを買収してのアレなので、面白みも興味もなくなった

(3)最高のキャラだったビル・ゲイツが一線を退いてから、笑いを取れる人材がPC業界に居なくなった
なんてところが大きいのかな、と、改めて思っています。\(^o^)/

特にやっぱり(1)が大きいですかね。
OS/2が、まだそれなりに元気だった頃は、ここまで世の中がWindows一色になるとは、正直思ってませんでした。当WEBを公開した97年末頃は、ユーザー数は多くないにせよOS/2 Warp4が、まだ現役で使われていました。(※無論私も使っていました。)ちなみにWindowsは勿論95の時代。OS/2 Warp4とWindows95とを比べれば、どう考えても安定性ではWarp4のほうが上でした。
Linuxも、いくつかのディストリビューションでインストーラが付くようになり、導入のハードルが下がりつつあった頃です。

あの頃の個人的な読みとしては、Windowsが一般的なオフィスユースではメインなのは間違いないだろうが、特定の用途ならば、OS/2やLinuxや各種UNIXが、目的に応じて適材適所で使われていくのだろう、と、思っていました。だって、オフィスユースはともかく、「落ちてはいけない」用途では、とてもWindowsなんて使える代物じゃなかったですからね、Windows95や98の頃は。

その予想を裏切り、Windows一色になってしまう流れになった原因としては、
(1)IBMがOS/2にコミットしなくなった(←これはたぶん98年頃から顕著になった)

(2)本来なら「Windowsの対抗馬」という点では結束すべきLinux/UNIX陣営間で、裁判などの泥仕合をするようになり(←これは2000年前後が激しかった気がする)、元々小さいパイのぶん取り合いになった

(3)その間に「不安定さ」がネックだったWindowsが、NT系技術を取り入れたWindows2000以降、それなりに使えるレベルになった
あたりだったか、と個人的には思っています。

そう思うと、IBMもUNISYSその他も罪が重いが、特にやっぱりIBMでしょうね。

Windowsがまだ95や98でDOSの不安定さをそのまま引きずっていた時に、OS/2は「DOSを16ビットの1セッションとして動かす」スタイルにする事で、DOSが落ちてもOS自体は落ちない、という優れた点を持っていたのに、IBMのマーケティングの失敗(※と言うよりそもそもIBMは全社挙げてOS/2を売ろうと思ってたのか非常に疑わしい)で、OS/2は商業的には失敗。
つまり言ってみれば、OS/2は、「名門の出自で、成績も優秀」なのに、「政治的な理由で抹殺された」ようなもの。とても不憫です。

…などと、「始めてから10年になりました(はぁと)」と軽く書くだけだったつもりが、何故かIBMへの恨み節になってしまいましたか。σ(^◇^;)

まぁでも、私は、今でも、IBMを本気で恨んではいません。マイクロソフトは、今でも本気で嫌いですが。\(^o^)/
ゑ?その理由?
そりゃあーた。マイクロソフト製品は今でも、品質が悪い上に、隠蔽体質があるからですよ。(技術屋としては、品質が悪いというだけでも、認めるべき点は何も無いです)
そのくせ、今やMSは自動車の世界にまで(車載コンピュータのごく一部だけど)入り込んでくるようになってしまって。あんな会社のソフト載せてて大丈夫か?いくら人命に直結しない部分の制御とは言っても。って感じで、昔よりむしろ私はMSを更に嫌悪しております。

まぁともかくそんな次第で。10年前にこのWEB始めた時に最初のネタをアップした『パソコン業界Watch』を、随分長く更新しておりませんが、その理由は前記の通りでして、私は決してMSを認めた訳でも好きになった訳でもありませんので、ご安心下さい。って誰に言ってるのやら。ヽ(^。^)丿
▼ 2007.12/31 -

ところで、だいぶ時機を逸しているのですが、ノアの小橋建太腎臓ガンで約1年半欠場していましたが、12月2日の日本武道館で、見事復活を果たしましたね。とある格闘技雑誌で読んだだけですが、彼がリングに帰ってきたというそれだけで感動モノです。

右の腎臓を全摘出したそうだから、今は左の腎臓だけが残っている状態。普通の生活なら1個の腎臓でも問題ないにしても、食生活を制約されてしまうと、レスラーというハードな職業に耐えられるのか?という疑問がありましたが、小橋は見事に復活しました(←何て言うか、「復活」という言葉以外、私には見つからない)。タッグマッチとは言え、27分もの試合(※しかもノアだから、中身が濃い)ができたのだから、大丈夫なのでしょう。
世の中の腎臓ガン、更にはその他のガンで闘病している人達に、勇気を与える良い話題ですよね。

余談ですが、横綱審議委員会の内舘牧子さんが、稽古をすっぽかした朝青龍を名指しして「小橋を見習えと言いたい」と言ったそうですが、確かに小橋の練習熱心さは有名ですからね。(^◇^)

もう一つ、プロレスの話題で。
12月20日に、IGFの旗揚げ第2弾が有明コロシアムで開催
この試合は地上波でも流されたので見ましたが…メインの小川直也vs安田忠夫戦は、最後猪木が乱入してグダグダで終わってしまったのはガッカリだったですが。

この日のベストバウトはモンターニャ・シウバvsジョシュ・バーネット戦に尽きるでしょう。
225cm(←223cmの故・アンドレ・ザ・ジャイアントを超える)のシウバの重いパンチで、何度かダウンして大苦戦したバーネットですが、最後はシウバの巨体をジャーマン・スープレックスで投げ、すかさず『ゴッチ・スペシャル』で仕留めましたね。
アメリカ人ながら、少し前まで新日本プロレスの道場でコーチ役だったと共に、「新日の道場で今一番強い」と言われたバーネットはさすがに掛け値無しに強いね。高い技術、屈強な身体、折れないハート。ある意味、最も新日っぽいレスラーだと思います。

ところで私、『ゴッチ・スペシャル』って名前は聞いたことがありましたが、見たのは今回が初めてでして、要するに『ヘッドシザーズ』と『チキンウィングアームロック』の複合技だというのを初めて分かりました。
こういう複合技は、例えば蝶野正洋の『STF(※ステップオーバー・トーホールド・ウィズ・フェースロック)』みたいな名前の付け方もアリだと思うんですが、そうせずに『ゴッチ・スペシャル』と呼んでいる所に、バーネットの、今は亡きカール・ゴッチさんへのリスペクトが良く現れていると思いますよ。
そう言う意味でも、バーネットこそ、『新日魂』を最も受け継いでいるレスラーのような気がします。
新日魂って、別に、日本人じゃなきゃ受け継ぐ資格がない、ってもんじゃないでしょうから。

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