藤本三郎先生講演
先生と児童生徒をつなぐもの

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【 藤本三郎先生講演 2 】

 二番目の「どうぞつきあってほしい、まっとうにつきあってほしい」、これも一番の、理解を深めるということと殆ど裏表のようなことなんです。付き合いということがどんなものであるかっていうことを、子供と先生の付き合いとは一体なにかっていうことを、五人の先生、七人の先生、一五人の先生、それぞれの先生方の学校の職員室の構成メンバーの中で、どうも阿南地区では若い先生が多くて困ると、まま校長先生方からお聞きしますけれども、私はわかい先生が多くて困るんではなくて、若い先生が多かったら若い先生の中で、徹底的に話し合ってみたらどうか。若い先生で弱った、弱った、では本当に弱っていってしまいます。そうじゃなくて、若さの中で、若い先生の多くない学校とは違ったものを、そして父兄に、その願いに応えられる子供との付き合いの仕方、その工夫を、学校で構成されたその仲間の力で掘り込んでほしい、掘り出してほしい、そうしますと、僕たちの或いは僕の子供との付き合いの仕方っていうものは、隣のB先生の付き合いの仕方とはどうも違う、同じじゃない、そういう問題が出てまいりますから、なんとか深まっていくいき方になるように、一致していきたい、そういう意味で一致点を見出だすことは、また最初の話にかえりますけれども、顔付きが違い色合いが違えば違うほど、その一致点を見出だすためには努力をしてほしいんです。その一致がなかったら、それは大変なことだと思います。

 三番目へすすむ前に、林芋村先生についての話をしたいと思います。私が県会の議場でフッと、ほんとにフッとだったんです、前段の話をしますと長くなりますけれどもその日は、前日に社会党県議団長溝上議員が約四〇分間にわたって、教育だけにしぼって委員長に答弁を求めると、こういうのがありまして、それは殆ど全部テレビ放送がありましたから、学校にいらっしゃった先生方は見られなかったと思いますけれども、見た方もあるかもしれません、それはなかなかごつい深みのある質問だったんです。それでそれを受けて翌日、新生クラブという会派がありますが、その新生クラブの代表深沢県議が前日の溝上県議の質問をうけて再び、最近の教師の姿勢っていうことで、一〇分ばかりの委員長に対する質問があったんです。私は前日は前日で答弁したんですけれども、まあそれと二日目の深沢さんの質問をあわせて、何か一言スカッと言えるものがないかなあと思って、じっと座っとったんですが壇上へ上ってからフッと頭へ出てきましたんです。それはあの平谷と売木の街道のちょうど真ん中のところに建たっておる、昨日私は売木の会場へいく途中わざわざあっちを通ってもらって、歌碑ですからお参りをするっていうのは相応しくないんですけれども、気持ちは林芋村先生にお参りをするようなつもりで、その歌碑を見てきました。

  深雪せる野路に小さき沓の跡   われこそ先に行かましものを

 林芋村先生は昭和四年に亡くなっていらっしゃるんですから随分昔の先生なんですけれども、惻々と、今日のですね、私たち教師に、持ってほしいといいますか、持っていなければならない気持ちだと、こう県会で言ったんです。
 実は、林先生の歌にこういう歌がございます。

  たらちねの親の心し思いやれば 吾の過ち耐えられなくに

 心しのしは強めのしですね。だから親の心をで結構ですね。親の心し、親の心を、その心をっていう強めの助詞ですね。たらちねの親の、子供を思う心を、しみじみと思いやってみると、俺の日々やっていることの過ちの多いことに、申し訳ない気持ちに耐えられなくなってしまうわ、子供を頼むと言って学校へ頼んでいる親の気持ちを考えれば考える程、俺の日々やっていることが大変に悔やまれて、もう耐えられなくなるよ、というのを、たくさん作られた歌の中から拾い出してみたんです。

 私はいま、一、二とですね、うちの子をよく知って欲しい、うちの子とよくつきあって欲しい、というふうに願っている親の気持ちに、私たちが一体応えられるか、どこまで応えられるか、林先生はあの雪深い平谷の山里で昭和の初めに、そういうことを思っていらっしゃった。しかも代用教員、おしまいに少し、どうか資格をとらじゃというんで、いま皆さんはきっとおわかりにならんと思いますけれども、当時の検定試験、僕はずっとそれをやったんで覚えていますけれども、尋常科の準教員、尋常科の正教員、小学校の本科専教員っていうふうに、少なくとも三段階あったわけですが、その林先生は尋常科の準教員の資格をとって教員をやっておられたんです。なんにも、おそろしい学問をしたわけでも、大変な大学へいったわけでもないんです。しかも平谷の人になろうとして、平谷でなけなしの金をはたいて山を買って、そうして子供を育てながら、二里だか三里ある、同じ村の中でですよ、そういう山奥へ山を買ってそこから学校へ通っていらっしゃった。
 不幸にして、林先生のことをお話すると林先生は、ある日ご長男を連れてその自分の山の植林に出掛けて、その植林にいった山の途中で、鎌が、大木を結んでいた藤蔓へ、まあどういうふうになったのかねえ、よくわかりませんが、お話としては、鎌でまちがって藤蔓を切っちゃった。そしたらグラッーと大木が倒れてきて、その下敷きになる瞬間に、息子さんを蹴飛ばして、息子は助かったが先生は亡くなってしまった。なにしろ五〇才になってるかなってないか位な年頃だと思います。が私はまだ、詳しくは林先生のことを調べてございません。
 いずれ暇をみてもう少し丁寧に先生の事柄を、まだ教わった方々がご存命のうちにもう少し聞いてみたいと思いますが、この歌などは、私がきょう前半に先生たちに訴えたかった気持ちそのままです。私たちの仕事は、日頃そんなことを通して考えておれませんよね。毎日は朗らかに元気に、キャッキャ、キャッキャといって子供ととんであるくことが、それが教師の日常の仕事なんですけれども、フッと静かになったときに「たらちねの親の心し思いやれば 吾の過ち耐えられなくに」おれは一体誤っていやあしないのか、どうなのか、っていう感じで、つきあわざるを得ない。なかなか先生方のお仕事は大変だと思います。まともにつきあってほしいという親に対して、精一杯の努力を払って頂きたい。

 三番目に、「わからないことをわからしてほしい」「できないことをできるようにしてほしい」という、こういう学校教育の一番時間を多くかけている学習指導にかかわる親の願いです。何が大切か、「わからないことをわかりませんといわせることだ」、間違っていますか、私はそう思います。教科指導の中で、何が一番大事だって問われたら私は、そんな訳のわからない理論をこねまわしておるよりも、教室のいま自分が受け持っておる子供が、分からないことを「わかりません、先生」「僕はわからんよ」と言わせることだ、まずそれが出発だ。そのことを言わせなんで「なんでてめえこんなことがわからんのよ、こりゃあ教えたじゃねえか」、いうふうな調子でですね、先生が教室に立っていて、何の研究会ぞや。こんなことがなぜわからないかって一喝されたらですねえ、まあ大抵の心臓の子供であってもですねえ、もう先生には、わかりませんということは言えなくなっちゃうんじぁないですか。「こんな事は、こないだ教えたじゃねえか、なんだこのやろう」って言われたらですねえ、とても勇気を持って「僕はそこがわからんのです」っていうことは、先生に言えないのが普通じゃないですか。そこの壁をとらない限り、どんな図を書いたり、いろんな形を書いて、指導法の研究がいくらなされても、それはまずい、それが第一点です。

 二番目はですね、「ハイハイハイ」っていうあの挙手をさそって、「このことわかる人?、このいみわかる人? ハイハイハイ」っていうふうに子供に手を挙げさせて、そうしてその挙手をした人の中から先生が選んで指名をするという授業が続く限り、おちこぼれは続く。だってハイハイって手を挙げた人、その人の誰か彼かを選ぶ、これは手を挙げなかった子供にとっては、学習に参加する場はないわけです。原則的にないわけです。お前手を挙げないがわかっているのかどうだって、しばしばやってくださる先生もいらっしゃいますけれども、私が今ここで言っているのは大変おおざっぱな、そういう細かいご努力は勿論あるんですけれども、そんなことを抜きにして、基本的にです、先生の姿勢として、あの手を挙げる子供の誰かと先生とが応対するってう形では、落ちこぼれが生まれるのは当たり前だいうふうに思う。
 どうやってあの形から脱皮するか。で「わからないことをわからせてほしい、できないことをできるようにしてほしい」っていう親の願いに対して、理屈っぽい言葉で言えば私は、教科指導っていうのは、疑問を育てる、わからないっていう気持ちを育てることが教科指導だと思う。そうしてできるならば、そのわからないことを自分でわからせるように、わかろうわかろうと努力する気持ちを育てることだと思うんです。

 そう思ってましたら一昨日長野から帰る日に、長野の私の委員長の机の上に、東部中学で一緒にやった君が、一冊の本を送ってくれまして、久し振りだったし何か彼が本を書いたのかなあと思っておどけて開けてみたら、彼はまだ若いんで彼ではなくて、彼はその本の何十頁かを書いておるんであって、全体は上田地方を中心にした九人の小中学校、特に中学この場合は、中学の先生達が志を同じうするものが集まって、日頃の自分達の実践を一冊の本にまとめたので見てほしいという、編著者、これをまとめたリーダー、宮下時雄という先生、ご存じの先生があるかとおもいますが、宮下時雄編著となっていました。私に送ってくれたのは宮下君ではありません。この中の一員である東部中学で一緒だった君です。彼が俺に本を送ってきてこれを読めっていうには何かがあるぞと、こう思って帰ってくる汽車の中で前のほうからずうっと読んできましたら、この編著者である宮下時雄君が最初のほう一〇頁ばかり使いまして、これから九人の実践記録になるんですけれどもその前の、何というか序文というか、「生徒が生きる国語の授業・その視点」目のつけどころ、そういって彼が書いた文章があって、その中にこういう言葉があるんですよ。これは私は非常に近代にない、こういう種類の本がたくさん出ているんですけれども、わが意を得た、嬉しかった、ううんと思って読みました。

 ちょっと紹介しときます。彼が書いてある一〇頁ばかりの文章の中の一節に、生徒が国語嫌いになるのも国語を好きになるのも、これは六年生から中学の一年生に入ったその子供達との対談をし、いろいろ調査したその結論がですね、生徒が国語嫌いになるのも国語を好きになるのも、先生の国語教室の経営の在り方によるのだということがはっきりしました、こう書いてある。国語が本来嫌いな子とか好きな子とかっていうものがあるんではなくて、先生の国語教室の経営の在り方が生徒を好き嫌いにしてしまうんだと。
 二番めに、生徒にものを言わせてくれるかどうかが、国語の授業を生き生きしたものにするか、退屈なものにするかの分岐点であると、生徒にものを言わせてくれるかどうかが、国語の授業を生き生きしたものにするか、退屈なものにするかの分岐点になる、そのためには一時間の中で教師の話がどの位の時間をしめているかを、お互いに反省してみたらわかる、とこう書いてある。
 三番めに、教師の出す合図で、いろんな合図が在りますわね、教師の出す合図で、授業の統制がとれていく、全体の授業が秩序だっていく、要するに全体を統括する能力が優れていることは、教師の不可欠の条件ではあるが、それと同時に一人一人の学習を導く力、個々を伸ばす力こそ問われているのである。私は最近は知りませんので、先生方にご無礼になるかもしれませんが、現職にある頃の記憶がまだ鮮やかに残っておるんでありますけれども、長野県の学校の教師は教室の統制をとることに、非常に力が強く加わっていると、静かにしなさい、こっちを見なさい、という言葉で代表されるような教室の秩序統制ということに非常に力があって、わからないっていうことをわからせてやろうっていう、一人一人のところへ駆け寄っていく姿勢、これが非常に弱い、というふうに思っていたんです。
 上田薫先生は、好きな先生も嫌いな先生もいらっしゃるでしょうけれども、上田薫先生はそのことを、異様なほどの静けさ、という言葉で本の中で言っていますね。教室の中へ入ってみると、三十人四十人というあの子供の集まった教室としては何という異常さ、しゅーんとした、静まり返った静けさ、果たしてそれが本物なんだろうか、っていう疑問を上田先生は投げかけています。これは非常に深く考えてみるべき問題だと思います。朝会とかね、廊下の静粛さとかね、教室の静粛さとか、宮下君は、それは優れた教師の不可欠の条件ではある、そしてそれが無意味だとは言わない、条件ではあるが、しかしってこう言っています、さらに言葉をつないで、生徒の読む活動を支援し、支援という言葉を使っています、支える、書く活動の相談にのって、教室の中を歩かなくてはならない。自分があらかじめ用意したことを計画どおり教え込むために、どしどし生徒を引き回していく教師よりも、生徒に聞く活動、話す活動、読む活動、書く活動を存分にさせて、生徒の個に対応することに腐心している、心をくだいている教師であることが、今強く求められている。こう言い切っています。私は大賛成です。私は教室の中で、図に書いたような一時間の流れに沿って、どこかの研究会できめられたような形を追っかけて、そういう形で一時間を流していくことがいい授業だなんて思ってしまったら、大変なことだと思います。先生の出す合図で授業の統制がとれていく、要するに全体を統括する能力、或いは、自分があらかじめ用意したことを計画どおり教え込むために、どしどし生徒を引き回していく教師、であってはならない、と思うんです。それから更に宮下君の提案は、もう一つ付け加えて言っております。

 生きた学習の場にするために、生徒が話したこと読み取ったことなどを生徒に書かせて、これを教材化することが国語教室でもっと試みられなければならない。生徒が話すこと、読み取ったこと、それを生徒の手で書くこと、この中にはたくさんその事例がでています、シナリオをつくったりですね、まあそんなことをはなしている時間がありませんけれども、要するに子供達が自ら書いたり読んだりする活動を、もっともっと重視しようではないかという、そういう主張です。更に授業は学び手である生徒の求めるところを、求めるときに即して指導がなされるとき、もっとも効果的であると思う。だから、めずらしくこの本は、一時間の授業はこう流せばいいというふうな、指導法の形式はどっこも出ておりません。私は四月の初めにこのように単元を構成して、子供とこういうやりとりをして、子供にこういうものを書かせ、子供にこういう話をさせ、そして先生がそれに寄り添って国語における何を指導したかということが書いてあるだけです。だからこれを読んで、あっ、と思ったら、今度はめいめいは全く自分の独創的な指導の方法を考えざるを得ないと思うんです。どっかに指導の形があってその形を学ぶ研究会ではないんです。そういう意味で「生徒が生きる国語の授業」これは第一法規、入手されることをお勧めしておきます。

 最後に「まっとうな人間に育ってほしい」という親の願いがあるわけなんですけれども、それはもう当然のことなんで、誰しもこどもをまともな人間に育てたい、こう思うわけでありますけれども、これが一体何であるか、日々先生方のおやりになっていることは総て、人間形成につながる大事なお仕事には違いないんですけれども、きょう残された時間の中で共通して申し上げたいことは、先生がこうしようああしようと思う以上に、子供は子供同志の付き合いの中で伸びると、いうことを強く意識に止めておいてほしい。
 ちょっと語弊がありますけれども、先生が一対一でその子をどえらく良くしようっていうことよりも、その子が同年輩の子供達と付き合う中で伸びていく伸び方のほうが多いって思ってもいいくらい、教師はときに無力感を感じるんですけれども、俺がこれほど思っておるのに、これほどやってるのに、どうもそのように思うようにいかない、それよりも集団の中でどんどんと子供達はある方向へいってしまう、まあ最近の非行問題なんかですね、私こないだ県会の答弁の中でもそう言ったんですけれども、一割に満たない長野県の非行が、いよいよ多くなってきた弱ったもんだ統計で言えば第何位だと言って、えらい心配する先生方がいらっしゃいますけれども、私は、全体の一割にも満たない非行非行って言われる事件や事例、その子供のことで、とやかくわいわい言ってるよりも、そうでない、普通、まともだって言われている一般の子供達に忍び込んでおる問題のほうが、将来の日本にとっては大問題だと、そういう意味のことを県会答弁でいたしました。間違っているかどうかご批判をください。
 今これほど非行問題が騒がれているときに、何か非行問題の方向に水をかけるような言い方をしたんです。たしかに問題には違いありません。先生の頭をぶんなぐったとか、硝子を割ったとか、どうしたこうしたというさまざま起こってくる事件は問題に違いありませんけれども、それは間違いなく問題であるんだけれども、いあんばいにうちの子供達は問題を起こさない、この学校には問題がない、この地区には問題がないって言っている、その普通だと言われている子供達に何が忍び込んできているかっていうことを、相当綿密、深刻に考えていかないといけないときではないか。
 まあ、一例を挙げればですね、殆どこの、都市部の学校でですけれども、問題を起こしたその子供の学級ですね、学級の子供達の実態を見ますと、まあ、僕らには関係がない、俺たちぁ関係しないんだと、全然無関心て言いますかね、そういう子供がたくさん出てきております。特に、特にその、成績の上で優秀だと言われるような子供にかぎってそうなんですね。それが本当に親が願っておるような、本当の社会のエリートになりうるか、本当の意味のエリートになり得るか、本当の意味のエリートっていうのは、社会を指導的に引っ張っていく人でしょう、本当に社会の指導者になり得る人は、社会の困った人や弱い人や、そういう人のわかる人でなければ、真の指導者になり得ないわけです。そういうことのわからない人を指導者として頂いたときは、それは私たちの不幸です。村で考えたって県で考えたって国で考えたってそうでしょう。弱いところや恵まれないところや、そういうところまでわかってくれて、全体をいい方向へもっていってくれるのが本当のエリートなんです。本当の指導者なんです。今の子供達のようにですね、あれは俺に関係はないんだ、あいつらはやりたけりゃやらしておきゃあいいじゃねえか、先生かまっとくなと、あんなもののためにそわそわしとりゃおらあ損しちゃう、もっとはやくきて教えておくれと、いう子供達はですね、私はもっと、今ガチャガチャそこらでちっとばかな事件を起こす子供達より、もっとでかいことをする、そのことはつべこべ言わなくてもおわかりだと思いますけれども、日々の付き合いの中でですね、ならば人にあまり関わりたくない、人のことにいろいろ言うな、自分だけしっかりしとればいいんだ、そんなことを考えて人のことを心配する暇があったら自分の勉強をしなさいと、いう世相にですね、子供達はやっぱり巻き込まれてしまっとりますから、個々ばらばらになっていってしまう。人情が薄くなったことを世の中の大人は嘆いています。
 いくら大人がちっとばかり嘆いたって、現実の生活がですね、その隣に座ってるもの、その学級の中にいるお友達、そうした人達にですね、本当にまるごと、付き合うっていうそういうことが学校の教育の中で重視されなかったらですね、こりゃもうますます、ますますもう勝手な、俺だけよけりやいいっていう人間を生産していってしまうでしょう。まあ公徳心もへったくれもないでしょう。現にお母さんたちの中にはごみは自分の庭先から外のほうへ出せばそれでいいんだっていうお母さんが、現に親としている訳ですからね。そしてそれが汚れてちらかったっていえば、そりぁ役場が悪いんだと、それを方付けない役所が悪いんだと、こう言うんでしょ。そういう親達の家庭から出てくる子供ですよ。どうか、せめて学校でですね、もっと逆にいう言葉でいえば、学校はそれがために学校へ通わせているんで、もし算数だけをどんどんできる子供にしたいんなら、なにも学校へこんたっていいわけだ、塾で結構だ、もう学校はいらないっていうテレビがあったじゃないですか。

 なんで学校へ来るのか、それは一対一の付き合いではどうしても人間形成はできないから、人間ていうのはどうしても集団の中で、集団の中で人との付き合いを覚えなければ、社会人は成立しないから学校がある。だれがなんて言ったってですね、学校の学校としての機能と言いますかよさっていうものを、本当に先生達によって樹立して頂きたい。
 それには、一人一人が大事だという言葉によって、子供を一人一人にしてしまうことのないように、一人一人が大事には違いないんだけれども、彼等を一人一人にしてしまわないように、どこまでも連帯してでですね、そして学級の中で子供達の付き合いのできる学級経営をやってほしい。だから非行の問題でも県会答弁では、非行を恐れない、許さない、見捨てない、いうことを、学級経営の基本において、県下の先生方にやってほしいと思っておりますと、別に県会議場は先生の集まりじゃないもんだから、そういうふうに先生達にお願いしておるつもりです、とこう言って答弁しておきました。
 自分達の学級の中で非行をよけてしまわなんで、その問題と真っとうに取り組む学級経営をしない限り、非行は根絶しないと、こう思うんです。

 で先程申したことと、二つの大きな柱を申し上げたことです、どこまでもどこまでも一人に目を注いで、一人の子供を深く知って、そしてその子供と先生とが付き合って頂くと、そういう筋道と、もう一つ、子供を集団の中に投げ込んで、その集団を活動させる、先生がじかに手をくだすんじゃなしに、集団の中で個々の子供が伸びる場を与える、それが自主自治活動、自主活動或いは自治活動です。
 で生徒会児童会がそうなっていますか。職員会で決められたことを、きまりを守らせていくための組織ではないわけなんです。大変たどたどしいような、いったりきたりするような、すっきりしないようなものだけれども、少なくとも各学級から考え合い、学年で考え合い、そして学校全体でいま子供達が求めておるもの、その活動をすることによって彼等が人間として伸びてくもの、そういう活動を、自主的に自治的にやらせる努力、だから近頃学校は管理的になった管理的になったといって世間から非難されるけれども、管理をしていかにゃならない面は当然ありますけれども、確かにこういう点においては余程先生達に注意をして頂く必要があるんではないか。もっと子供達を信頼して、子供達に任せて、子供達が考えてっていう、そういう筋道をですね、先生達が大きくきちっと、抱きかかえてといいますか、危険安全が脅かされることのない先生達の配慮の中でですね、彼等がのびのびと自分達を生かす道、そういう道を辿らせたいと思うんです。

 それには、僕は学級にも学校にも或いは学級会にも児童会にもですね、文化的な活動が取り入れられなければならないと思うんです。自分の学級と隣の学級のどっちが文化的に質が高いか低いか、そういう角度から学級を見ていただきたい。教科担任の先生は、そこの教室へいって教科の指導をするときに、どれだけ彼等が文化的に上位にあるか下位にあるか、じゃあ文化とは何か、時間はもうきておりますので、それぞれの先生にお考え頂きたい。

 学級文化とは何か、学校の文化とは何か、この学校はいい学校だ、下条はいい学校だ、ていうふうに私たちが感ずるときには、必ずその学校に文化的な質が高められている。それを学校の教室の中に豊かにとりこむ努力をして頂きたい。それには本日の教育課程にそういう余裕があるとか無いとか、時間があるとか無いとか、そういう問題がきっと出てまいりましょうけれども、まあときたま教育改革が目指されているときでありますので、余計にもそういうものがうまく生かされるような道を探っていきたい。かように思います。

 時間が参りましたから、ほとんどお話としてはまとまっておりませんけれども、最近考えていることの一端を述べて責めを果たしたいと思います。ご静聴ありがとうございました。

  《昭和59(1984)年5月 阿南支会総会・下条中学校にて》

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