= 焚き火のまえで =
初めて東海道を100キロ歩いた高校2年生の夏。東海道の旅と前後して沖縄の西表島へ出かけました。テント持参で約1ヶ月、天然の浜でキャンプ生活をしていました。
西表島というのは天然記念物の『イリオモテヤマネコ』がいる島で、亜熱帯のジャングルに覆われた原始の島。東洋のガラパゴスなんて言われています。
島のはずれに南風見田(はえみだ)という長い海岸があるんですが、そこでテントを張って過ごすこと1ヶ月。原始の島というだけあって、ホント天然そのもの。もちろん海の家なんてものはありませんし、あるのは空と海と砂浜と背後に迫る緑の山だけ。
山から流れてくる沢水が飲料水+シャワー代わりです。最寄りの集落までは4キロほど離れていて、缶ジュース一本買うにも電話をかけるにも炎天下の農道を40分も歩かなくちゃいけません。もっともまわりには天然の食料がいっぱいあるので、買い物に行くのは米と調味料くらいのもので、さほど困ることはありませんでした。
ここでの体験はかなり強烈なモノでした。カルチャーショックっていうんでしょうか。かなり人生観がかわるものでしたね。
「自然」という言葉を私たちは何気なく使ってますけど、その意味するところってなんなのかななんて考えてしまいました。無人の海岸に1ヶ月もいると、その間ってほとんど人工物を見ないんですよ。あるのはたぶん1000年前もまったく同じだった天然の景色だけ。
月明かりがまぶしいって感覚、わかりますか? 都会にいると月を意識することはあまりないかもしれません。でもなんの人工照明もない場所にいると、月明かりの偉大さがよくわかります。満月の日なんてホントにまぶしいくらいで、水面がきらきらと輝いて鱗のよう。夜の砂浜はどこまでも見通せて、物の陰をはっきりと落とします。日記をつけるのにランプはいりませんし、本だってちゃんと読めるんですよ。
20年近く生きていて、そんな基本的なことに気づかなかった自分に違和感を感じてしまいました。きっとそのとき感じた月の偉大さというのは、人類に普遍の感覚だと思います。そのほか、星座の動きでわかる時間のながれとか、風が強い日に感じる自然への畏怖とか。
本来、そういった体験がベースになって、文化とかいろんなものが生まれてきたと思うんですが、今の社会のなかではその基本の部分を感じることがとてもむずかしくなってきています。むしろ一生それを知らない人も多いんじゃないでしょうか。
だからなんだってことはないんですけど、これまで都会で生活してきて、あたりまえだと思っていた世界が、実はぜんぜんあたりまえなんかじゃなくて、不自然さの塊みたいな物なんだなと気づいた第一歩でした。
西表の原始生活で「生きる」ってことの基本を知った気がします。ただ生きるだけだったら、とってもシンプルです。バックパックに背負えるだけの荷物で十分に事足りるんですから。でも都会の生活じゃそうはいかない。やっぱり背景に巨大な「社会」があるからなんでしょうね。
便利さってなんなんでしょうね。歩いて数分のところに24時間営業のコンビニエンスストアがある生活。それを必要としているのは「社会」なんですよね。
ちょっと話の方向性がずれてきました。文明論を語りだしたらきりがなくなるのでここでやめておきます。
「1ヶ月も同じところにテントを張ってなにしてたの?」
よくそんな質問をされるんですが、なにをしていたのかといったら「生活してた」っていうのがいちばんぴったりする答えだと思います。
朝起きたら、まずいくつも紐でつないだペットボトルを持って沢へ水汲みへ。昨晩の残りごはんとみそ汁で朝ご飯を食べて、そのあとは海や山へいって食料調達。
原始の島だけあって、身近なところに豊富な食材が揃ってます。ざっと紹介しますと、沢を遡って山に分け入れば、キクラゲ、オオタニワタリ、ヘゴ、ルバーブといった山菜が採れますし、浜の周辺ではパパイヤ、ハマダイコン(葉っぱを食べる)、芋の蔓なんかが採り放題。あと川で採った手長エビもよく食べましたね。めずらしいところでは毒蛇のハブやヤシガニという大きな陸生のカニなんかも。
海では貝が採り放題です。一抱えもあるようなシャコ貝をつかまえて刺身で食べたり、サザエ、ベッコウガイ、クモガイ。モリを持ってもぐれば、そこそこのサイズのブダイなんかもとれます。そのほか岩海苔やモズクも簡単にいくらでもとれたので重宝しました。
そんな感じだったんで、それこそ本当に自給自足のくらしができたと思います。私の場合はそこまでこだわってなかったんで米と味噌と醤油程度は用意してましたけどね。
昼間はそんな食料調達と薪拾い、洗濯、テントサイトの整備であっという間に終わってしまいます。その日の食料はその日に調達する。そんなことを繰り返していたら、気づいたら1ヶ月経っていたという感じでした。
新聞もラジオもない、人ともめったにあわないような場所で、独りで1ヶ月なんて孤独で退屈で寂しそうというイメージがあるかも知れませんが、どっこい忙しく創造的で充実した日々だったんです。
日が暮れるころ火をおこして食事の準備。日が落ちるくらいに食事を終えて、そのまま焚き火のまえでなんとはなしに火をいじりながら、ボーとするというのが日課でした。地酒の泡盛を飲みながら、目の前の海を見ていると、だんだん星が見えてきて、気がつくと見事な天の川が走っている。ずっと空を見上げていると、星の位置が動いていくのがわかるんですよね。
たまにホタルが飛んできたりして、そんなのを眺めながらいろいろ考え事をしていると、いつのまにか夜10時とか11時になってしまいます。テントに入って寝て、気がつくとまた朝になっている。今日は何を食べようかと考えながら、海へ入るか山へ行くかを考える。そんな日々でした。
すっかり島の生活にハマッテしまった私は、その後、春休みや夏休みになるたびに沖縄へ繰り出すようになり、結局西表島で過ごした日々を全部で半年くらいになるはずです。
その間には、流木でテーブルや家具を作ったり、ランプの自作、ドラム缶風呂、ルバーブジャム、灯油缶でオーブンを作ってパン作り、岩海苔の佃煮、などいろいろ試してみて、手作りの楽しさを覚えたのもこのときです。
話は跳んでしまいますが、途中なりゆきでサトウキビの収穫の仕事をしたりもしました。地元の農家に住み込みで2週間ほど働いていたんです。そんな思わぬハプニングがあるのも旅の醍醐味。
なんだかんだで、誰もが夢に思い描くような南の島の生活を送っていたのでありました。(その後、数年間、春と夏に西表島に通いつめ、島で暮したのはトータルで半年以上に及びます)
つづく
By あきば・けん e-mail address |