まとめ

(10月30日)

 
約半年にわたり「野遊び」について 私のつたない話におつき合いを
いただきましたが 今回で終わる(放送上)事に成りました。
そこで今回は「まとめ」という事で お話をしてみたいと思います。
 


 「野山で遊ぶ」と言いますと 春から秋にかけての「暖かい時期」がベスト・シーズンという捉え方が 一般的だと思います。 しかし野遊びに慣れた人達にとってはそんな事は無く むしろ普通の人達にとってのベストシーズンを外れた時期の方が 静かで、ゆっくりと自然を楽しむ事が出来るものなのです。 「新緑」「満開の草花」「燃える様な紅葉」等という派手な演出は少ないかも知れません。 でも 地味ではありますが これからの季節も「冬枯れの梢に落ち葉の絨毯」それに空気が乾いてくると「澄んだ青空」と夏は観る事が出来ない「遠くの山々」そして厳しい冬の天気の合間に観られる「輝く雪嶺」と数え上げたら限りがない程の 自然のドラマが用意されておます。 
 また此等のフィールドでは沢山の遊びが待っています。 「雪山登山」とまではいかなくても 冬枯れの林に遊ぶ「日溜まりハイキング」、夏とは違った種類の鳥に出会える「バードウォッチング」そして新雪の上を自由に散策出来る「クロスカントリー・スキー」と 此等も又数え上げたら限りがなく 私達「遊ぶ者」にとっては むしろ暖かい時期より忙しくなって来ます。
 春から 色々な「遊び方」や其の「用具」についてお話をしてきましたが 野遊びを楽しむ上で本当に大切なのは「想像する事」ではないかと思います。 一つ々々の技術や情報そして知識も確かに大切で 無いよりは有った方が遥かに有利ではあります。 しかしたとえ其れらが「少し不足していた」としても 必要となった其の時に手に入れたり 他の物で代用したり 知識や情報はその時に最新のものを得れば済む事です。 でも「遊びを想像する事」が 習慣として無い人は 常に情報に振りまわされ 自分自身で想い描く事が出来ず 他の人がやった事の再現、つまり「真似する事」に終始して仕舞い 本当の意味での「自分の楽しみ」を見つける事が出来無いのではないかと思います。 
短いサイクルで様々に変化してゆく社会”情報”と”物”で溢れ帰った中で生きている我々ですが 野山に於いては「自然の悠久の営み」のほんの一瞬でしかない「現在」に遊ばせて貰って居る訳です。 少し”価値観”と”視点”を変えて「自分も自然の営みの一部である」という認識で行動の良否を判断し 社会生活での相対的な「価値観」叉は「幸福観」から離れ 「行動面での自由」という見せかけの自由に捕らわれない 「精神面での自由な野遊び」を楽しんで戴きたいと思います。

冬の遊びなどは、山想記(野遊び番外編)として
「とちぎ読売」掲載分をUPしてあります
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