〜夢か現か−side C−・後〜




 ざらり。
「ああっ、マイク!!」

 みゃー……

「……マイク?」
 目の前にいたのは真っ黒い猫だった。カミューは一瞬呆気にとられたが、2、3瞬きをするとようやく状況を把握する。
「夢か……」
 あんなに幸せだったのに。
 カミューは重いため息を吐いて胸の上に乗っている猫を摘み上げた。さっきの、ざらり、とした感触はこの猫の舌だったのだろう。ゆっくりと上半身を起こす。
「こら、マイク。おまえはどこから入ってきたんだ?」
 マイク、と呼ばれた猫は、ここ、新都市同盟軍の城内で飼われている元・野良猫である。飼い主はこれといって決まっていない。城の住人全員といったところか。そういう犬猫は大勢いた。普段は「クロ」と呼ばれているこの猫だが、カミューはこっそり「マイク」と名付けて可愛がっている。
 カミューはマイク(本名・クロ)を膝の上に乗せてやると背中を撫ぜながら今しがた見た夢を振り返った。
「あーあ。いい夢だったなぁ。まあ、こんな都合よく事が運ぶわけがないけど……」
 夢の中のマイクロトフを思い出して、カミューは、にへら、と笑み崩れる。
「かーわいかったなー。あんなに顔を赤らめちゃって。もう、齧りつきたいくらい」
 齧りつくどころか、押し倒そうとしていたのだが、夢とは人に見られることはないのだから便利なものだ。ぐふふ……と元・上司に負けないほど不気味な笑い声を洩らしたが、ふと我に返る。もう部屋の中は朝日が入り込んで明るいではないか。いつもはマイクロトフが起こしにきてくれるはずなのに……。
 時計を見るとその時間はとっくに過ぎていた。



 慌てて身支度を整えたカミューはとりあえずマイクロトフの部屋に行ってみることにした。あの律儀な性格からいって起こしにくるのを忘れたとは思えない。というか、もう10年近く続いている習慣なのだ。ひょっとしたら体調が悪くて臥せっているのかもしれない。
 部屋に着き、軽くノックしてみるが返事がなかった。勝手知ったるなんとやら、で部屋に入り込むと、布団が人の形に盛り上がっている。やはり具合が悪いのか、と足早にベッドに近づいてみるが、その寝顔は安らかで、調子が悪そうには見えなかった。額にそっと手をあててみても熱もない。どうやら、ただ眠っているようだ。カミューは安堵のため息を吐く。
「めずらしいな……」
 こんなふうに寝坊するなんて。
 ここ同盟軍に参入して日も浅い。慣れない環境の中、緊張の連続で疲れているのだろうか。カミューはそう思いながら漆黒の髪に指を滑らせた。めったに見ることのない寝顔を見つめていると、健やかに呼吸を繰り返す唇に目が釘付けとなり、先程の夢が脳裏に浮かぶ。

 本当に……柔らかいのだろうか……。

 神妙な思いもどこへやら、唇に穴があくのではないかというほど凝視するカミュー。やがて、引き寄せられるようにゆっくりと顔を近付けていった……が、唇が触れる寸でで止める。

 やっぱり初めてのキスは意識のあるときにしたいし。

 そう思い直すと顔を離すかと思いきや、キスがダメなら、と舌を伸ばして薄く開いている唇をねっとりと舐めた。少し乾燥してかさついていたが、カミューを酔わすには充分である。

 ああ……夢にまで見たマイクの唇……。

 一度触れると歯止めがきかなかった。犬も尻尾を巻いて逃げ出すのでは、という勢いで唇を舐め回す姿は、おとなしくキスしていたほうがマシではないかという形相である。唇の周りが唾液まみれになった頃、さすがに、というか、ようやく、というか、唇がピクリ、と動き、カミューは慌てて顔を上げた。
 瞼のあたりがぴくぴくと動き始めたのを見て、目覚めが近いことを知る。勝手に部屋に入り込んでいるこの状況を正当化するため、起こしにきたということにしようと、カミューはマイクロトフの肩に手をかけた。
「マイクっ!」
「わっっ!」
 少し揺すって大きな声で名を呼べば、マイクロトフはがばっと跳ね起きる。しかし、どこかぼうっとした表情でカミューを見上げた。
「カ、ミュー……?」
 状況がわからない、というふうに瞬きを繰り返すマイクロトフにカミューは焦った顔を作ってみせる。
「おい、起きてるか? 大寝坊だぞ。急がなくていいのか?」
 覚醒を促すように頬をぺちぺちと軽く叩くと、ようやく意識がはっきりしたように目を剥いた。
「今、何時だ?!」
 意気込んで聞いてくるマイクロトフにカミューは口元を指差して「よだれ」と指摘する。マイクロトフはちょっと赤くなって拳でごしごしこすった。……マイクロトフの涎ではなく、カミューの唾液なのだが。
「8時半。いつもならとっくに起こしにきてくれる時間なのに今朝は来ないから、おかしいなぁと思って来てみれば、まだ寝てたとはね……」
 めずらしいこともあるものだ、とカミューはくすくす笑う。するとマイクロトフは神妙、というにはどこか複雑な、おおよそ彼らしくない表情を浮かべた。それをカミューは、めずらしく寝坊してしまったことを悔やんでいるのかと解釈し、真面目だなぁと思う。自分などマイクロトフに起こしてほしいがために、起きていても狸寝入りすることも少なくないというのに。
 そんな、騎士として、というより人間としてどうか、というようなことを思いながら、マイクロトフの頭を慰めるようにぽんぽん、と軽く叩いた。
「まっ、たまにはいいだろうさ。朝練は強制参加じゃないし。ちゃんと青騎士団が仕切って訓練は行われたみたいだよ。
 それより、早く着替えないと朝食を食べそこなうぞ」
 なっ、と顔を覗き込むと、マイクロトフは顔を赤らめた。
「あ、ああ」
 至近距離で見つめられているというのに目を伏せて無理矢理視線をはずし、とまどったように相槌を打つ姿は、夢の中の可愛いかった彼を思い出させるには充分すぎるもので。カミューの心拍数が一気に上がる。思わず生唾を飲み込みそうになるのをなんとかこらえていると、マイクロトフは何を思ったのか、何かを吹っ切るようにぶんぶんと首を勢いよく振った。そして、ようやくベッドを降り、クローゼットのほうに着替えを取りに行く。

 ハッ! こ、これってひょっとして生着替え?!

 カミューの胸が高鳴った。空いたベッドにあたりまえのように腰かけると、寝間着を脱ごうとするマイクロトフの一挙一動を見逃すまい、と気迫のこもった眼差しで凝視する。と、マイクロトフの手が止まった。
「カミュー……」
 とまどったように名を呼ぶマイクロトフに、カミューは鼻息が荒くなっているのがばれたのかと、どきっとしたが、その動揺をまったく悟らせない鉄壁の笑みを浮かべる。
「はやく着がえなよ。ほんとに朝食食べそこなうよ」
「い、いや、その……」
 言いごもってうつむくその頬はうっすらとピンクに染まっていった。その恥らうような姿にカミューの理性がぐらつく。
「脱がせてあげようか?」
 カミューはからかうような口調で言ったつもりだったが、その顔はケダモノのようであった。うつむいていたため顔を見ていなかったマイクロトフはそのセリフに素直に反応する。
「いっ、いらんっっ!」
 真っ赤になったその顔を見て、カミューは思わず爆笑した。これが26歳になる健全な青年の反応だろうか、と可愛く思えて仕方ない。夢の中の彼は自分に都合良く可愛かったが、やはり現実の彼には敵わない、と思った。
 笑い続けるカミューに尻目に、マイクロトフは憮然とした表情で背中を向けると、口を開くことなく着替えはじめる。カミューがその背中を楽しそうに眺めていると、ふと、寝間着を脱ぐマイクロトフの手が止まった。なぜか首を傾げているマイクロトフに、カミューがまた脱線していることに苦笑する。

「マイク? ほんとに朝ご飯いらないのかい?」
 背後からのからかうような声音に、マイクロトフはあわてて着替えを再開させた。



「今日は朝からおもしろいものがたくさんみられたなぁ」
 カミューは上機嫌でそう言うと、ミニトマトを差したフォークをマイクロトフの方に向けた。口元にはからかいを含んだ笑み。白飯を口に運んでいたマイクロトフは行儀が悪い、というふうにじろりと睨んだが、カミューは気にするふうもなく、さらにマイクロトフの鼻先にフォークを近づける。
「聞きたいかい?」
「なんだ?」
 だいたい想像がついている、という顔でマイクロトフは嫌そうに先を促してきた。へたに意地を張るとますますからかわれるということを知っているのだろう。カミューは、かしこくなったなぁ、と、にっこり微笑みながら空いてる左手で指を折る。
「マイクの寝顔、マイクの寝起き、マイクの寝間着姿、それからマイクの着が……」
「もういい!」
 耐えられない、とばかりに遮るマイクロトフにカミューは余裕たっぷりに返した。
「そんなに大声だしたらみんなが驚くよ。ほら」
 ぽいっとマイクロトフの口にフォークのミニトマトを放り込む。条件反射的に口を閉じてしまったマイクロトフはしかたなくトマトを咀嚼した。その素直な様子にカミューはくすくす笑う。
「マイクはほんとかわいいね」
「!!」
 一瞬、絶句したマイクロトフだったが、何か言い返してくるかと思いきや、そのまま食事を続行した。荒々しい手付きからいって明らかに怒っているのだが、無言なのが不気味だった。猛烈な勢いで食べ終わると、余計なことをしゃべってばかりいたため、まだ食べ終わってないカミューを置いてとっとと席を立つ。
「ちょっ、先に行くの? 待っててよ!」
 カミューは慌てて叫んだが、怒り心頭のマイクロトフが待つはずもなく。からかいすぎたかなぁ、とぼやきながら食事を再開するしかなかった。
 どんなにからかってもおもしろいように素直に反応するおまえだって悪いんだからな、とカミューはかなり自分勝手なことを思う。あんなに可愛いからやめられないのだ。そして、怒らせた彼の機嫌を取るのも好き。もう、手のつけようのない泥沼だった。

 さて、どんな手で機嫌を直してもらうかな〜。

 カミューは今度の作戦でも練っているような顔つきでいろいろなことを想像しては内心にやけていた……。



 食事を終えたカミューはマイクロトフを探すことにした。無頓着、というか、あまりこだわらない性格の彼はともすれば怒っていたことも忘れてしまう。それでは楽しみが減ってしまうことになり、カミューとしてはほとぼりが冷める前に接触を図りたい。

 あいつのことだから、むしゃくしゃしているときは剣でも振りに行っているかな……。

 そう予想し、道場のほうに足を向けた。と、その途中でマイクロトフの姿を見つける。やっぱり愛の力だよな〜と上機嫌になりながら、声をかけようとした。が、背中越しに小さな姿があるのに気付く。体格からいって女性だ。そう認識したとたん、カミューの胸が嫌な音を立てて軋んだ。
 さりげなく歩み寄っていき、相手が城主の義姉だと判明する距離まで近づくと、なぜか2人して顔を赤らめているではないか。

 何を……話しているんだ?

 苛立ちに似た感情がカミューの胸を支配する。
 2人の間に恋愛感情が芽生える、ということは考えにくい。あの純粋な少女は、10歳近く上の異性に対して恋心を抱くというよりは、憧れを持っているようだ。初めて出会ったときに、そのときは上司であったゴルドーが彼女に無体を働いたこともあり、礼をつくして一人前の女性として接したが、淑女のように頬を染めるのではなく、嬉しそうにはしゃいでいた姿を思い出す。
 そう冷静に分析する一方で、どうしても穏やかになれない自分がいた。相手がナナミだからというわけではない。マイクロトフが女性といるだけで、いや女性に限らず、自分以外の誰かといるだけで、何かが焼き切れそうになる。こんな激しい感情を抱くのは彼だけだ。
 そう思いながら更に近づくと会話の内容が聴こえてきた。

「あの……、カミューさんは一緒じゃないの……?」
「えっ?」

 自分の名前が出てきたことにカミューは一瞬目を見開く。そして、彼女の常らしからぬ、どこか恥ずかしそうな様子から、マイクロトフに話しかけた目的がどうやら自分であることを知った。女性から寄せられる好意に鈍い誰かさんとは違う。
 ナナミの問いにマイクロトフが怪訝そうな顔でもしたのだろうか。慌てて、「いつも一緒にいるから……」と言い訳しながら俯いてしまうナナミを微笑ましく思いながら、それなら、とカミューはマイクロトフの背後に立った。
「なにやってるんだい? マイクロトフ?」
 背後から肩に手をかけ、耳元に息を吹きかけるようにして声をかける。
「うわっっ!」
 マイクロトフが驚きの声を上げて飛びのこうとした。が、カミューはそうはさせじ、と腰に腕を回してがっちり抑え込むと、涼しい顔でマイクロトフの肩越しにナナミに爽やかな笑顔を向ける。
「おはようございます、ナナミ殿。マイクに何か用ですか?」
 アイテムなど必要ない天然の無敵スマイルを浮かべれば、ナナミはポッと頬を赤らめた。
「カッ、カミューさん! い、いえ、あの……」
「カミュー! は、離せ!」
 背後から抱きすくめられているような格好に、マイクロトフは顔を真っ赤にしながら、じたばたともがく。しかし、カミューはそんな抵抗などもろともせず、その体勢のままナナミの返事を待った。
「あ、あの、た、ただカミューさんと、い、一緒じゃなかったから、め、めずらしいなぁと思って……」
 カミューの笑みをまともに見られないのか、俯きながらしどろもどろに話すナナミにカミューはにっこり笑う。
「朝食を一緒に食べていたら、置いていかれたんですよ。
 今朝は寝坊したのを『わざわざ』起こしてあげたのに」
 『わざわざ』を強調して、ひどい話でしょう? と、カミューは肩をすくめてみせた。すると、背後にいたためマイクロトフの表情はほとんど見えなかったが、言葉を飲み込むように、ぐ、と歯を噛み締めるような音が聞こえた。ナナミの手前、怒鳴り散らすわけにもいかず怒りをこらえている様子が手に取るように伝わり、カミューはこみ上げる笑いを必死に噛み殺す。
 そんな2人の心境など知るはずもないナナミはまだ頬が赤いまま、どこかぎこちないながらもにっこりと笑うと、
「そ、そうなんですか? じゃ、じゃあ……」
 と、逃げるように背中を向け、駆け出そうとした。その背中にカミューが上機嫌に一言送る。
「ええ。気をつけてください、レディ」
 その言葉を聞いて、ナナミは走り去りながら目を見開いた。そして、カミューたちからは見えなかったが、聞きたかった単語が聞けたことに嬉しそうに笑っていた。



「……いつまでそうしてるつもりだ?」
 腰に手を回した格好のままナナミの姿を見送っていると、マイクロトフが怒りを抑えた低い声で聞いてきた。だが、カミューはそれに答えず、
「ナナミ殿と何を話していたんだい?」
 と、耳元に唇が触れんばかりの距離で問い返す。マイクロトフの頬がカッと染まったかと思うと力ずくで自分を囲う腕を振り払った。身体の自由を取り戻したマイクロトフは睨みつけるようにカミューと向き直る。
「おまえも聞いただろう! おまえと一緒じゃないのか、と言われただけだ!」
「それだけ?」
 カミューの瞳に一瞬、剣呑な光が宿る。何もなかった、と頭では理解していても、ナナミと向かい合って顔を赤らめていた状況は心が波打つもので。カミューは醜いと思いつつ嫉妬心を抑えられずにいた。

 ああ……、どうしてこんなに好きなのかな……。

 自分でも呆れるほどの想いを抱えているカミューの心境になど気付くはずもないマイクロトフはムキになったように怒鳴り返す。
「それだけだ!」
「ふーん……」
 わかってはいたが本人の口からはっきりと否定されたことにようやく安堵したカミューは軽く肩をすくめた。
「なんだ。色気のある話が聞けるかと思ったのに」
 つまらなそうな顔を作ってみせると、マイクロトフは真っ赤になる。
「なっ、バカなことを言うな! ナ、ナナミ殿はお、おまえのことが、その……す、好きなんだろう!」
 意外な言葉にカミューは内心驚いた。まさか、マイクロトフの口からこのようなセリフが出てこようとは。しかし、そんな驚きを顔に出す男ではない。にやっと人の悪い笑みを浮かべて、
「おや、マイクロトフ、いつからそんなに色恋沙汰に詳しくなったんだい?」
 と、人差し指でマイクロトフの顎を掬い上げた。マイクロトフが何か言い返そうと口を開きかけたそのとき、
「あの……、カミューさま……」
 背後から女性の声がかかった。カミューは、いいところを……と思いながら顔だけは人当たりのいい笑みを浮かべて振り返ると、そこには名も知らぬ女性がどこか所在なさげに立っている。
「何用ですか? レディ」
「あの、カミューさまにお話が……」
 頬を染めてうつむく女性を見て、カミューは不意に既視感に襲われた。なんだろう、と考えかけて、今朝の夢を思い出す。

 こ、この状況は……!

「話……とは? なんでしょうか?」
 何気ない様子を装ったが、声が震えそうになった。カミューの問いに女性は困ったように隣にいるマイクロトフのほうに視線を送る。成り行きをぼうっと見ていたマイクロトフはハッと我に返ったように身を震わせると、
「そっ、それじゃあ俺は先に行ってる……」
 と、どこかぎこちないしぐさで背中を向けると、足早にその場を去ってしまった。
 動揺していたカミューは、先に行ってるといってもカミューが道場に行こうとしていたマイクロトフを追いかけてきただけで、どこかに一緒に行くわけではなかったということに気付く余裕もなく、夢のとおり話が進んでいることに半ば呆然としながらその後ろ姿を見送る。あの夢で見た後ろ姿もこんな感じではなかっただろうか。

 いやいや、落ち着け。あれは夢なのだから。しかし、この状況は……。

 予知夢……という単語がカミューの脳裏をよぎる。
 もし、今朝のあれが予知夢だとしたらマイクロトフは自分の部屋に戻っているはずである。カミューは女性の愛の告白に最低限の礼儀をつくしながら断ると、急いでマイクロトフの部屋に向かった。

 あの女性を意識した態度。ひょっとしたら俺のことを……?

 期待に胸をふくらませながら。



 マイクロトフの部屋の前に立つと、カミューは自分を落ち着かせるために胸を押さえて深い呼吸を繰り返した。焦ってすべてを台無しにはしたくない。気持ちを落ち着け、ドアをノックしようと拳を握ったが、ふと手が止まった。部屋の中で物思いに耽っているであろうマイクロトフが、もし、ノックの音で我に返ったりしたら夢と異なった展開になってしまう。夢の中ではノックの音にも気付ずに考え事をしていたが、現実でも同じように気付かないとはかぎらない。
 カミューは逡巡したが、やはりノックをせず開けることにした。マイクロトフに気付かれずにそばへ行き、不意をつかなくてはいけないのだ。もし、気付かれても「ごめん。つい、ね」と笑って許される仲のはず……だから。
 カミューは自分の中でそう結論づけるとゆっくりとドアノブを回した。大きな音を立てないように細心の注意を払う。
 ドアを開き、そっと部屋の中を覗くと、マイクロトフはベッドに腰かけた姿勢で頭を抱えていた。

 そういえば、この部屋には机がなかったんだっけ……。

 夢ではマイクロトフは机に肘を乗せて頭を抱えていた。改めて、あれは夢だったのだ、と思う。だが、場所は違えど、マイクロトフが何かを悩み、頭を抱えているシチュエーションは同じである。現実で夢の展開を追っているなど奇妙なことだ、と思いながらも、あの至福の瞬間を忘れることができず、カミューはどうにか夢どおりにことを進めようとゆっくりと歩み寄った。

 何を……悩んでいるのだろうか。俺の……こと、かい?

 はあぁ……。

 重いため息を吐くマイクロトフにカミューはそっと声をかける。
「どうしたんだい? マイクロトフ」
「うわっっ! カ、カ、カミュー!!」
 突然声をかけられる格好となったマイクロトフは驚いたように顔を上げた。すると、思いがけないほど近くにカミューの顔が迫っている。仰天したはずみで後ろに仰け反りそうになり、慌ててベッドに手をついて身体を支えた。
 その無防備な体勢を見たとたん、カミューの本能が働き、勝手に身体が動いた。マイクロトフを追うように自分もベッドに手をつき、マイクロトフの顔を覗き込む位置を確保する。鮮やかなまでの早業だった。
「ずいぶん重いため息だったけど、なにか悩み事でもあるのかい?」
 ぎしり、とベッドが軋んだ音を立てるのにもかまわず、カミューは笑みを浮かべて首を傾げた。間近に見下ろされて恥ずかしいのか、マイクロトフは無理矢理視線を逸らす。
「い、いや、べつに……」
 伏せる睫毛から覗く漆黒の瞳が落ち着かなさげに揺らめいていた。

 うっ……、本物のほうが100倍可愛い……。

 カミューは鼻の奥が熱く疼く感覚に襲われながらも、態度は平静を装う。ふうん、と目を細めるとベッドについていた手から力を抜いた。支えがなくなった身体は当然重力にしたがい、下にいたマイクロトフに圧し掛かかる格好となる。
「マイクはいつからそんなに冷たくなったんだい? 俺ってそんなに頼りない?」
「お、重いぞ、カミュー!」
 マイクロトフは顔を赤らめ、逃れようともがきはじめた。しかし、そんな抵抗は予想済みだったカミューはなんなく押さえ込む。体格ではマイクロトフのほうが上だが、こういうのは要領の問題だ。両手を片手で掴んで頭上に縫い付ける。
「さあ、言ってごらん。マイクはなにを悩んでいるの? まさか、恋の悩み?」
 からかう口調で言いながら顔を覗き込むと、マイクロトフは、びくっ、と過剰に反応した。驚いたように見開かれた目と視線が合うと、カミューの優しい笑みを浮かべていた頬が、ひくり、と引き攣る。
「へえ……。ビンゴ? お相手は誰だい?」
 どこか物騒に目を眇め、囁く声は地を這うような低いものだった。

 他の名前が出てきたら……(相手を)燃やす!

 めらめらと嫉妬の炎を燃やしながらも顔はあくまでも微笑んでいる。だが、なぜかカミューの機微には敏いマイクロトフはその気配を感じ取ったのか、どこか怯えたような目をしてカミューを見上げていた。答えあぐねているふうなマイクロトフにカミューの笑みはますます深くなる。こういうときに彼を追い詰めるのは簡単だ。そう、夢と同じセリフを言えばいいのだ。
「親友の俺にも言えないのかい?」
「それだっ!!」
「え?」
 なぜか勢い良く肯定され、カミューは目を瞬く。一瞬、拘束する力が緩むとマイクロトフは腕を振り解き、逃げるかと思いきや、カミューの背中に回し、ぎゅっと抱きついた。
 思わず息を飲むカミューに、
「俺を軽蔑してくれ! カミュー!!」
 マイクロトフが意気込んで叫ぶ。
「……はい?」
 カミューは間の抜けた返事を返した。

 猪突猛進、直情型のマイクロトフは本能……いやいや、感情のおもむくままに行動することがある。そのため、ときどき突拍子のない言動があったりするのだが、それは長年の付き合いであるカミューには慣れたものであったはずだった。周りがついていけない中、自分だけが彼の行動を理解し、フォローしてやるのを密かな特権だと思っていたのだ。

 だが、今のマイクロトフの行動はさっぱりわからない。脈絡がないにしてもほどがある。

 マイクロトフの行動を理解してやれないなんて……!

 なんたる失態。なんたる屈辱。カミューが己の未熟さに唇を噛みしめている最中もマイクロトフの猛進はまだまだ続いた。背中を抱きしめる腕にさらに力が入ったかと思うと、胸に顔を埋めるようにして、
「俺は人間失格なんだ!!」
 と悲痛な叫びを上げる。人間失格の生きた見本はさすがに慌てた。
「ちょ、ちょっと、待ってくれ、マイクロトフ。いったい……」
 どこかで聞いたようなセリフだと思ったが、それどころではない。とにかく宥めようと手を伸ばしかけた。
 そこに、
「俺はお前が好きなんだーーーっ!!」
 爆弾一発投下。
 カミューは石のごとく凍りついた。

 なん……だって……?

 呼吸すら忘れたかのようなカミューの頭の中でマイクロトフの叫びがリフレインされる。

 俺はお前が、俺はお前が、俺はお前が……

 好きなんだーっ!

 リンゴーンリンゴーン
 ガランガランガランガラン(←新婚旅行の出発の際に車の後ろに下げる缶の音らしい)
 おめでとう、おめでとう!
 ありがとう!!(白い紙ふぶきの中、両手を上げるカミュー氏)

 カミューの顔から驚愕の色が消え、代わりに浮かんだのは……矢で仕留めた獲物を取りにいく狩人の笑みだった。
「……ほんとうかい?」
 顔をわずかに傾け、自分の胸に顔を埋める格好になっているマイクロトフの耳元に甘く囁く。マイクロトフは身を強張らせたまま、こくり、と頷いた。
 カミューは満足げに微笑むと、そっと背中に回された腕を解いてマイクロトフの頬に両手を添え、自分のほうに上向けて視線を合わせる。触れた頬が熱い。
「ありがとう、マイク。嬉しいよ」
 カミューは心を込めて囁きながら、華やかな笑みを浮かべた。真っ赤になって照れるかと思いきや、マイクロトフは何かを成し遂げた漢のように、晴れやかな、そしてどこか浮かれた表情で見つめてくる。

 こ、これってひょっとして、待っている……?

 見上げる瞳がねだっているようだ、とカミューはどきどきしながら目を閉じた。マイクロトフがわずかに身じろぎしたようだったが、かまわずゆっくりと顔を寄せる。
「俺もずっとマイクロトフのことが好きだったんだよ……」
 甘く囁いて、そっと唇を重ねた。

 ああ、今度こそ夢じゃないんだね……。

 ひくり、と強張った唇にそっと舌を這わせ、緩く開いている口腔内にしのばせる。硬直しているマイクロトフの舌を捉えると器用に絡め取り、強く吸った。
「………んっ……」
 触れ合わせた唇の合間からくぐもった声が上がると、カミューはそれに触発され、昔、四方八方で浮名を流してきたのはこの日のためだ、といわんばかりに技巧のかぎりを尽くし、精魂込めて口付ける。その間、抵抗はまったくなく、それがカミューを勢いづかせた。

 夢では口付けだけで終わってしまったけれど……。

 現実では隅から隅までいただきます。
 カミューは頭の中で厳かに両手を合わせるとさっそく行動に出る。頬を包んでいた手を首筋に滑らせ、軽くくすぐり、襟元をはだけようと合わせに指を引っ掛けたところで、突然、マイクロトフが両手でカミューの胸板を突っぱねてきた。
「なっ、何をするっ?!」
 息を弾ませ、顔を真っ赤にして怒鳴るマイクロトフに、カミューは、照れているんだな、と可愛く思いながら花も恥らうような艶やかな笑みを浮かべる。
「何って……やだなあ、マイク。私たちは晴れて相思相愛になったんだよ?」

 そして、下はベッド。これ以上のシチュエーションがあるだろうか。いや、ない(反語)

 にーっこりと笑って小首を傾げるカミューにマイクロトフは少々ぎこちなくだが、かすかに頷いた。……もう、カミューを止めるものはない。
「ね? だったら……」
 魅惑的な笑みをたたえ、もう一度口付けようと顔を寄せる。間近に迫る美貌にマイクロトフは焦ったように叫んだ。
「え? だ、だから、夢では俺から……。っ! カ、カミュー!! どこを触って……って、うわぁぁぁぁ!!」
 マイクロトフの必死の叫びの中の『夢』という言葉が少々気になったが、それは後でゆっくりと聞くとしよう。今は今しかできないことがあるのだから……。
「♪♪♪」

 最初が机じゃなくてよかったね、マイクvv



おわり




127272HITしてくださったユウさまからのリクエストで
「『夢か現か』カミュー視点」でした。
初めて書いた文を下地にして書く、というのは大変な羞恥プレイでした(笑)
なんていうか……進歩してない(むしろ退化している?)
でも、ちょっと初心を思い出すことができたりと楽しかったです。
ありがとうございました。



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