〜行きつく先は〜




 マイクロトフの朝は自分を拘束している男をひっぺがすことから始まる。
 抱き枕と勘違いしているのか、がっちりと抱き込んで離さない腕を引き剥がすのは寝起きの身体にはなかなかの重労働だ。しかも、なるべく起こさないように気遣ってしまうところがマイクロトフらしい。元はといえば原因はこの男なのだから、起きたところで自業自得である。しかし、マイクロトフはできるだけそっと腕を外し、抜け出すようにベッドから降りた。
 脱出に成功するとマイクロトフは、ふう、と息をつく。毎日のこととはいえ、この作業ははりめぐられた罠から脱出してるような緊張感と集中力を必要とするのだ。
 マイクロトフは振り返ってベッドに埋没している亜麻色の髪が規則的に軽く上下しているのを確認すると、浴室に向かう。少し熱めのシャワーを浴びて目を覚ましつつ、身体をざっと洗い流して浴室を出た。
 下半身をバスタオルで巻いた格好で部屋を歩きながら濡れた髪をタオルでがしがしと拭う。こんな朝の時間のない時には自分の短髪は乾きやすくていい、と思ったマイクロトフは、自分の思考にひとり赤面した。別に朝にシャワーを浴びる必要がなければ、そんなことは思いもしないだろうということに気付いたのだ。マイクロトフとて夕べきちんと入浴しているのだが、まあ、理由は言うまでもない。
 あらぬ思いを吹き飛ばそうと頭を勢いよく振って深呼吸すると、気を取り直してクローゼットを開ける。そこには互いの服が所狭しと並んでいた。普通であれば1人で利用するくらいの大きさなのだが、都市同盟軍はまだ部屋数が充分ではなく、マイクロトフとカミューは相部屋となっていた。よって家具も共同で使うよりない。マチルダに居た頃は互いの部屋に8対2くらいの割合で互いの服を入れていた。それが、ここに来てからはほぼ半々に収納されている。マチルダでは、人目を避けて服を持ち込んだりしていたのに、ここではその必要ない。
 それは同室、という必然的な理由からなのだが、マイクロトフはなんとなく気恥ずかしくなってうつむいた。が、はた、と気付く。
 ロックアクス城を追われる身となって飛び出してきたのだから、当然、私物はすべて置いてきた。おそらく裏切り者の私物など破棄されるであろう。そのとき、クローゼットはそのままに中身だけを捨てる、というのは充分考えられることで……。
 互いの部屋のクローゼットを残った団員たちに見られたら。服のサイズはほぼ同じだが、明らかに嗜好が違うため、間違いなく1人分ではないということはばれてしまうだろう。互いの部屋に互いの服がある、というのはあまりにも不自然。そのとき、彼らはどう思うか……。
 マイクロトフは、辿り着いた結論に、ざあっと青ざめる。

 ロックアクスに……帰られないかもしれない……。

 クローゼットを開けたまま硬直していると、
「朝からこんな色っぽい格好で何やってるのかなー?」
 と、背後からぎゅーっと抱きしめられた。布団から抜け出してきた相手はもちろん裸で、風呂上りのマイクロトフの身体には冷たく感じ、びっくりしたのと相俟って思わず大声を上げる。
「なっ、何をする?!!」
 抱きしめられた格好で首だけを後ろに向けると、にやにや笑った琥珀色の瞳とぶつかった。
「何って、こんな格好して突っ立ってるから、誘われてるのかなーとか」
 カミューはそう言うと、んーっと剥き出しの肩に唇を落とす。
「なっ、誰が誘うかっっ!!」
「マイクロトフ」
 カミューはけろっと応えると、ちゅ、ちゅ、と肩に次々とキスを降らせた。マイクロトフは、冗談じゃない、と、慌てて振りほどこうと身体を捩る。どうにか脱出に成功すると向き合う格好となり、すかさず一喝した。
「おまえは朝っぱらから何をする気だ!!」
「えー? 何って……」
 カミューは白々しく言葉を濁して肩をすくめると、視線を下に向ける。つられて視線を下ろしたマイクロトフは、目にしたものに真っ赤になった。
「そんな格好で突っ立ってるな!! どあほう!!」
 文字通り一糸纏わぬカミューにマイクロトフは顔から火が出る勢いで怒鳴る。カミューは悪戯っ子のような笑みを浮かべると、
「えー? ほらっ、こうすればマイクも一緒じゃん♪」
 と、腰に巻かれているバスタオルを剥ぎ取りにかかった。
「わっ、馬鹿!! 何をする?!!」
 マイクロトフは間一髪、完全に剥ぎ取られる前にタオルを押さえ、渾身の力で引き戻す。カミューも負けじとタオルを引く手に力を込めた。
 朝から熱い闘いがはじまった。
「何をするって、手を離したらおしえてあげるよ〜ん」
「どあほう! おまえが離せ!!」
「やだー」
「俺は朝練に行くんだ!!」
「朝練に行くのにバスタオルは必要ないだろ? 手を離して着替えればいいじゃん。生着替え♪」
「おまえは変態か!!」
「変態でけっこう。マイクロトフ変態〜」
「俺の名前に付けるな!!」
 あほな会話を交わしつつも2人の腕は震えるほど力が込められ均衡している。不毛な闘いにバスタオルのほうがギブアップしそうになったらしく、ぎし、と布が引き攣る嫌な音がした。その音に一瞬反応したマイクロトフの隙をカミューは見逃さなかった。目にも止まらぬ早業でマイクロトフの足を払う。
「うわっ!」
 どたっと見事に身体がひっくり返った。カミューは勝者の当然の権利とばかりに、転んだ拍子で無防備になったバスタオルを勢いよく引き剥ぐ。
「ううーん。いい眺め♪」
「見るな! 変態! どあほう!! 色情魔!!」
 マイクロトフは真っ赤になって罵声を浴びせながら、足を閉じ、手で隠して、と、できるかぎりの防御体制に入った。その様はカミューの目には可愛いもの以外のなにものにも映らず。
「可愛いことを言う口はこの口かなー?」
 と、がばっと覆い被さった。
「わーっ! 馬鹿! やめろっ……! んんっ……!」
 マイクロトフは必死に逃げようとしたが、カミューがこういうことで引けを取るはずがなく。無理矢理口付けられてしまう。カミューは、互いに裸なことだし、と朝っぱらから不謹慎な思いでいっぱいになりながら唇を貪った。しかし、この無防備な格好が却って仇となった。
 身体に手を伸ばしかけたそのとき。苦し紛れにじたばたさせたマイクロトフの足がカミューの股間をヒットしたのだ。朝の男の生理と不埒な思いで戦闘態勢に入っていたそこへのダメージは計り知れない。
「ぐ……」
 さすがのカミューも呻き声を漏らしてその場に崩れた。解放されたマイクロトフは肩を弾ませながらカミューの様子を観察する。足に残っている余韻からカミューのダメージのでかさを考えると、同じ男として同情を禁じえない。だが、元はといえばこの男が原因なのだ、と、心を鬼にして立ち上がった。
「おっ、おまえが悪いんだからなっ! 俺は朝練に行ってくる!」
 と、言い捨てると、急いで着替え、部屋を飛び出した。


 訓練場に着くと、意外な人物の姿があった。
「あれ? ビクトール殿とフリック殿。おはようございます。
 めずらしいですね。朝練に参加されるなんて」
「ああ……」
「ちょっと眠れなくてな……」
 腐れ縁コンビは、どこかげんなり、とした顔をしていたが、マイクロトフは心配そうに眉をしかめ、「大丈夫ですか?」と気遣うだけで、その原因が自分たちにあったなどとは知る由もなかった。
 薄い壁で遮られた部屋は大声を出すと隣に聞こえてしまう。この2人の隣の部屋はマチルダコンビであった。早朝の壁越しの怒鳴り声で目が覚めてしまったのである。声の主を怒りたいのはやまやまだが、原因はここにいない男である、ということがわかりきっているため、それもできない。
 隣人は選べない。不幸な我が身を嘆くだけである……。


「今朝の訓練はここまで!」
「ありがとうございました!!」
 マイクロトフの凛とした声に、朝練に参加していた元・マチルダの騎士たち、そして一般兵たちが声を揃える。緊張していた空気が緩み、皆、おもいおもいに解散していった。
 マイクロトフはそれを眺めながら自分も部屋に帰ろうと思い、今朝の出来事を思い出す。

 ……俺が……悪いわけじゃないからなっ!

 おそらく部屋で怒っているであろうカミューの姿を思い浮かべ、マイクロトフは心の中で自分に言い聞かせた。

 そうだ。自分は悪くない。アイツが、時、場所かまわず手を出してくるから……。

 ひとり拳を固めていると、背後から「団長」と声がかかる。マイクロトフが振り返ると、そこには元・青騎士が数人立っていた。
 前に、自分たちはもうマチルダ騎士団を離反したのだから、団長という肩書きはよせ、と言ったものの、部下たちは自分たちにとって団長とはあなただけだと言って聞き入れなかった。
「あの、よろしかったら、朝食をご一緒していただけませんか?」
「席をふたつ用意しておきますので」

 青騎士たちがマイクロトフを食事に誘うときは席がふたつ用意される。ひとつはマイクロトフ、もうひとつはにっくき『赤い悪魔』(コードネーム)の分である。本当はマイクロトフだけを誘いたいのであることはいうまでもない。だが、昔、それを実行したところ、赤い悪魔にそれはもう容赦ない手口で報復され、青騎士団は壊滅寸前まで追い込まれたのだ。しかも、それだけのことをしておいて、マイクロトフをどう丸め込んだのか、マイクロトフがその事実に気付くことはなかった。
 そして、なにより。マイクロトフが赤い悪魔と一緒に行動するのをあまりにも自然なことだと思っている。無意識であればあるほど青騎士たちは傷つく。
 さすがに方針転換もやむなし、となり、それからはマイクロトフを誘うときは非常に不本意ながら赤い悪魔と2人で、ということになった。天国と地獄。天使と悪魔。ときどき射殺すような視線に晒されることを差し引いてもマイクロトフと一緒にいられるほうが大きかった。

 青騎士たちの申し出にマイクロトフはいちにもなく頷いた。さすがに今日はカミューと2人で朝食を食べるのは避けたい。
「じゃあ、お待ちしてますので」
 青騎士たちは嬉しそうに一礼すると、朝練の汗を流すためにテツが管理している浴場のほうへと歩いていった。マイクロトフはその後ろ姿を少し羨ましげに見送る。できるなら、自分も浴場へ行きたかった。大きいお風呂はやはり気持ちいいし、なにより部屋に戻りたくない。しかし、自分の身体に残された痕を人前で晒すわけにはいかず、結局は部屋に戻ってシャワーを浴びるよりない。
 マイクロトフは自分を励ますようにひとつ頷くと、自分の部屋へと向かった。


 部屋に戻ったマイクロトフを待っていたのは。ベッドの上で亀のように丸まった布団の塊だった。マイクロトフは数秒その塊を眺めていたが、疲れたようにため息をつくととりあえず声をかけてみる。
「カミュー?」
 返ってきたのは沈黙。マイクロトフはもう一度ため息をついて浴室に向かった。ああいう状態になると何を言っても無駄だということはわかっている。放っておこうと思った。
 あんなふうに拗ねてみせるなんて子供じゃあるまいし、と、呆れ半分、怒り半分である。ある意味、怒っているより性質が悪い。

 だいたい、なんで俺が拗ねられなければいけないんだ……!

 不埒な真似をして、自業自得というべき報復を受けただけではないか。けっして、あれはわざとではなかったのだから。不可抗力というものだ。
 マイクロトフは自分の正当化に成功し、浴室を出る。既に1日3回入浴するのが習慣になっている自分が恨めしい。
 着替え終わり、髪もある程度乾くと、さっきから形を変えない布団の塊に声をかける。返事がないであろうことは予想がついていたが。
「カミュー、朝食を食べに行くぞ?」
「……………………」
 やはり返事はない。マイクロトフは呆れたようにため息をつくと、
「青騎士たちが席を取っていてくれてるからな。俺は行くぞ」
 と、部屋を出た。
 普段は、青騎士、というと何かと突っかかってくるため、今回もそれを少し期待してわざと言ってみたのだが、追いかけてくる気配はなかった……。



 つづく






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