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しかし。次の日になってもマイクロトフは子供のままだった。 今回は効き目が長いのかな、とみんなのんきにかまえていたのだが。3日後も、一週間後も元に戻らなかった。さすがに周りも焦りはじめたが、原因はわからず、ホウアンも首をひねるだけだった。 そして、マイクロトフが子供になって2週間が経った。この頃になると、もう元に戻らないのではないか、という憶測が飛び交うようになっていた……。 「いったい、どういうことなんだ?!」 「落ち着いて、マイクロトフ」 「これが落ち着いていられるか!」 マイクロトフは背後に立っているカミューを振り返った。前は振り返るだけでカミューと視線が合ったのに、今は仰ぎみなければいけない。それが悔しくて悲しくて仕方なかった。カミューはそれを察したのか、視線が合わせやすいようにしゃがむとマイクロトフの頬をそっと包み込む。 「落ち着いて。身体に異常はないんだし、そんなに慌てることじゃないだろう?」 「異常はないって……これは異常じゃないのか?!」 言い返すマイクロトフの大きな瞳にはわずかに涙がにじんでいる。感情のコントロールがうまくいかないのも子供特有のものだろう。 「大丈夫。いつまでも5歳ってことはないだろう。ちゃんと成長していくと思うよ」 カミューはゆっくり言い聞かせるように話す。しかし、それはマイクロトフの望んだ言葉ではなかった。 「そういう問題じゃない! 俺はまた5歳から生きていくのか?!」 「人生、20年得したと思うといいよ」 「かみゅー!!」 人事みたいにのんきな答えを返すカミューにマイクロトフの怒りは頂点に達する。激情のままに部屋を飛び出そうとすると、一瞬早くカミューの手が伸びた。あっというまに抱き込まれ、肩あたりに顔を埋める格好となる。 「っ! はな……っ」 「大丈夫。大丈夫だから……」 大丈夫、と繰り返すカミューの声はかすかに震えていた。それに気付いたマイクロトフはこれ以上言葉を紡ぐことができなかった……。 これは罰だ……。カミューから逃げたい、なんて望んだからこんなことになったんだ……。 カミューはマイクロトフが幾分落ち着いたのを感じ取ると、「ちょっと待ってて」と部屋を出ていった。一人残されたマイクロトフは泣きたい気持ちでいっぱいになる。この戦時中に何の役にも立たなくなる自分。これからどうなるかわからない身体。なにもかもが不安だった。 でも……。 「マイクロトフ、おやつもらってきたよ」 ドアを開けて入ってきたカミューは穏やかな笑みを浮かべていて。マイクロトフはその笑みを見ているだけで心が静まっていくのを感じる。 カミューが傍にいてくれるから。きっと大丈夫……。 「正直言うとね、少し喜んでいるところもあるんだ」 「え?」 カミューの言葉に目を閉じようとしていたマイクロトフは再び目を開け、カミューを見た。今日はカミューも早く寝る、と言い出し、ひとつのベッドに並んで横たわっている。カミューは優しく微笑むとまだ少し濡れている黒髪をそっと撫でた。 「これで、マイクロトフが紋章を発動させて傷つくことがなくなるんだなぁって」 「かみゅー……」 「さすがにおまえが成人する頃には戦争は終わっているだろうし」 そう言うカミューの瞳には慈しみが溢れていた。そんな瞳をされてしまってはマイクロトフは何も言えなくなってしまう。カミューはそんなマイクロトフの様子に笑みを深くして口を開いた。 「それでね、考えたんだけど、俺たち別れたほうがいいと思うんだ」 「え?」 カミューの言葉にマイクロトフは目を見開いた。その無垢な瞳の中にいいようのない恐怖が広がっていくのを感じ取ったカミューは安心させるように微笑む。 「あ。もちろん、おまえが一人で生きていけるようになるまでは傍にいるよ。 でも、一人立ちできるようになったら、おまえは可愛い奥さんをもらって家庭を持ったほうがいい」 「どうして……」 突然の信じられない言葉にマイクロトフはいやいやをするように頭を緩く振った。カミューは、子供にこういう顔をされるとたまらないな、と思いつつ、笑みが崩れないよう努力する。少しでも安心させるためには、平然を、装わなければ。 「いいかい、マイクロトフ。俺はマイクロトフが死んだら、と思うだけでぞっとする。おまえの死に目に耐えられるかなんてまったく自信がないんだ。 でも、自惚れでなければ、おまえに同じ思いを味わらせてしまうくらいなら、俺がその苦しみを受けるほうがいい。……おまえに俺の死に目をみせたくない」 死に目、と言われて、マイクロトフは初めてその事実に気付いた。いや、無意識に避けていたのかもしれない。20歳の年の差は2人の人生の歩みを確実に違えてしまう。恋人同士という関係はおろか、一緒に生きていくのにもいろいろ困難があるだろう。 「かみゅー……」 「どう頑張っても20歳差をひっくり返すのは無理だろうからね。ただでさえ、マイクは健康的な生活を送っているから80歳はかるく生きそうだし。さすがに100歳まで生きる自信はないなぁ」 カミューの茶化すような口調にもマイクロトフは首を振り続けた。 「かみゅー……、いやだ……!」 「なんてかっこいいこと言って、単に先に老いる自分を見られたくないだけかもしれないけど」 カミューは、ふふ、と悪戯っぽく笑うと、マイクロトフの鼻を軽くつまんだ。マイクロトフがつままれたはずみで目を瞑ると、その両目から大粒の涙が零れ落ちる。 「いやだ、かみゅー……!」 子供の、しかも最愛の人の涙にカミューの胸がずきり、と痛む。しかし、悩みぬいた末の結論は最良のはず。わかってもらうしかなかった。 カミューは全身を震わせて涙を流すマイクロトフを優しく抱きしめる。 「こうするのがお互いにとっていちばんいい道なんだよ。おまえは幸せにならないと」 「やだ……やだ……」 26年生きてきた記憶を背負って5歳から人生をやりなおす、というたとえようのない不安も、カミューが一緒にいてくれればなんとかなる、と思っていた。それなのに。カミューと別れて生きていくなんて。耐えられるはずがなかった。 とめどなく流れる涙をカミューはそっと唇で拭う。 「大丈夫。今は5歳のおまえが影響して心が弱くなっているだけだよ。おまえは強い。時間はたっぷりあるんだから、少しずつ慣れていくさ……」 そのセリフは。どこか自分に言い聞かせているようだった……。 俺が悪いんだ……! カミューの傍から離れたいなんて願ったから。カミューに別れようと言われただけでこんなに辛いのに……。 神様……どんな罰でも受けます。もっと素直になります……。どうか……元に戻りますように……。 泣き疲れてそのまま寝入ってしまったマイクロトフの寝顔を眺め、カミューは重いため息をついた。 自分だって。手放したくない……。離したくない。姿はどうあれ、魂は自分の愛した人なのだから。しかし、確実に置いて逝くことがわかっていて、どうしてそんな残酷で利己的な真似ができよう……。 カミューはマイクロトフの眠りを妨げないようにそっと抱きしめる。子供らしい少し高い体温が心地良かった。 どうか……幸せに……。 翌朝、マイクロトフはいつもと同じ時間に目が覚めた。ゆっくり目を開けると、目の前にカミューの寝顔がある。昨夜のやりとりを思い出して、ずきっと胸が痛んだ。 強くなろう。カミューの死をちゃんと受け止められるくらいに。 そうすればずっと一緒にいられるのだから……。 マイクロトフは決心したようにひとつ頷いた。そして、幾分気持ちが落ち着くと、違和感に気付く。 カミューが……小さくなったような……? いつもの自分の目にはカミューはもっと大きく映っていたように思う。目の錯覚か? とカミューの頬に手を伸ばそうとして、視界に入った自分の手に目を見開いた。思わず自分の目の前にかざしてみる。それは昨日までの柔らかい子供の腕ではなく、鍛え抜かれた筋肉質の腕……。 「カミュー!!」 叫んだ声も昨日までの幼子のものではなく。声変わりを終え、低くなった男の声だった。 マイクロトフは上半身を起こして夢中でカミューを揺さぶる。 「カミュー! 起きてくれ!!」 「う……ん……」 寝ぼけた声と共にゆっくり開いた琥珀色の瞳が、目の前の人物を捉えた瞬間、大きく見開いた。 「マイク?!」 「カミュー! 元に戻ったんだ!!」 嬉しそうなマイクロトフにまだ完全に覚醒しきっていないカミューは茫然とつぶやく。 「これは……夢?」 「夢なんかじゃない! やっと元に戻れたのだ!!」 マイクロトフは喜びあまってカミューに抱きついた。カミューは勢いによろけそうになりながらなんとか受け止める。マイクロトフの体温を感じているうちにようやく実感が沸いてきた。 「マイクロトフ……」 どれほど安堵したのか、カミューの目にわずかに涙がにじむ。マイクロトフはそれに気付くと、照れくさそうに拭ってやった。 「すまない。いろいろと迷惑をかけた……」 「うん……うん……」 ぎゅうっと抱きしめてくるカミューの腕は、子供の頃に受けていた壊れ物を扱うような抱擁とは力強さが違って。マイクロトフは胸が幸福感で満たされるのを感じて目を閉じた。 とさ、と背中からベッドに倒されても抵抗はしない。……少し素直になろうと思ったのだから。 「子供のマイクも可愛かったけど……今のマイクロトフにも会いたかった……」 吐息が触れるほど間近に覗き込んで、カミューが熱っぽく囁く。マイクロトフは目を細め、そっと自分から唇を寄せた。 「俺もだ……カミュー……」 マイクロトフはベッドに沈没しながらなにやらぶつぶつ呟いていた。その顔には、疲労が色濃く浮かんでいる。間もなくマイクロトフが大人に戻って2日目の朝を迎えようとしていた。 指1本動かせないほど困憊しているマイクロトフの横では。カミューが満足そうな寝息を立てて眠っている。その安らかな寝顔にマイクロトフはえもいわれぬ怒りを感じ、離れようと渾身の力を振り絞って身体を動かした。しかし、しっかりと腰を捕らえられていたため、マイクロトフが身じろぎしたとたんカミューにダイレクトに伝わり、目を覚まさせてしまう。 「……ん……、マイク……」 ぎくっと身を強張らせるマイクロトフを余所に、カミューはいつもの寝起きの悪さからは考えられないくらい早々と覚醒してみせた。目を開け、カーテンの隙間から外を覗くと、まだ暗闇に包まれた景色に満足げに頷く。 「まだ早いね。もう一回しようか?」 「するかっっ!!!」 「するの♪」 神様……やっぱり子供がいいです……。 心のつぶやきは。マイクロトフの胸に虚しく響いただけだった……。 おしまい |