〜神様へるぷ!〜




 マイクロトフは悩んでいた。


 カミューと夜を共にしなくなって10日が経つ。別に喧嘩したわけではないし、避けているわけでもない。自分が城主たちと2、3日外出し、帰ってきてから向こうでもらってきたらしい風邪を引いてずっと寝こんでいたためだ。
 自分は元々性欲というものに淡白なのかそんなにつらくはなかった。それどころか、自分を気遣い看病してくれるカミューの姿を見ていただけでけっこう心が満たされたりしていたのだが。しかし、カミューはそうではなかったらしい。昨夜、もう我慢できない、と文字通り襲いかかってきた。まだ体調が万全ではなかったが、カミューに求められることが嬉しくないわけではなく。はじめのうちはされるがまま許していたのだが……カミューのあまりの性急ぶりについキレてしまった。まるでただの欲求のはけ口にされているみたいで。
 蹴り飛ばされ、怒声を浴びたカミューはうつむいた姿勢のまましばらく微動だにしなかったが、やがて、ぽつりと「ごめん……」とつぶやいて浴室に消えた。逆上してさらに襲いかかってくるのでは、と思っていたマイクロトフは安堵のため息をつく。しかし、心のどこかでカミューを本気で怒らせたのでは、と不安になっていた。普段、自分に対して怒るときは子供のように力いっぱい怒ってみせるカミューだが、本気で怒ると一切の感情を隠してしまう。さながら氷の仮面を被るかのように。さっきはうつむいていたため表情が見えなかったが……。
 マイクロトフはそこまで考えて思わず身震いをした。

 肉体関係がうまくいかなくなったからってすぐ別れてしまうということがあるのだろうか……? でも、それでは心の繋がりは? 今まで長い間一緒に過ごしてきたのはただ身体の快楽を分け合うためだけのことだったのか……? なにも、なんの絆も生み出さなかった……?

 マイクロトフの思考は浴室のドアが開く音に中断された。慌てて布団に潜り込む。自分の心臓の音がやけに耳をついた。カミューは戻ってくると布団に横たわっているマイクロトフの背後にそっと近づく。マイクロトフの全身に緊張が走った。
「ごめんね。マイクの意思を無視しようとしたわけじゃないんだ。頭冷してきたから、明日……仕切り直しをさせてくれるかい?」
 カミューのセリフにマイクロトフは思わず振り返る。目の前にあるカミューの表情は穏やかで、それでいてどこか寂しげなものだった。それを見た瞬間、マイクロトフの心にさっきまでの葛藤の答えが浮かぶ。

 愛してなければ。誰がこんなに求める……?

「カミュー……」
「明日……ダメかな?」
 琥珀色の瞳に一瞬抑えがたい光が揺れた。それはおそらく頭を冷しても昇華しきれなかった想い。それを懸命に隠し、明日、と言っているのだ。
「わかった……」
 マイクロトフにはそう応えることしかできない。本当なら今でもいい、と答えるべきなのだろうが、さすがにそれを口にするだけの勇気はなかった。しかし、カミューは嬉しそうに微笑むと、「じゃあ明日」と優しいキスを唇に落とす。そして、おやすみ、と自分のベッドに戻っていった。マイクロトフはカミューの優しさに胸が痛む。

 明日は……少し素直になろう……。


 ……と、思っていたのだが。
 マイクロトフは剣を振るい目の前の敵を斬り倒すと、ちらり、と背後を見た。そこには狩人よろしく、獲物を目の前に舌なめずりしているような目つきのカミュー。目が合った瞬間、にやり、と浮かんだ笑みにマイクロトフは慌てて目を逸らした。
 今日は城主たちと洛帝山にモンスター退治にきていたのだが。カミューがなんというか戦闘体勢なのだ。いや、モンスター退治とは違った意味で。油断しているとそのへんの茂みに引きずり込まれるんじゃないのか、というぐらいにヤバイ気をばしばし飛ばしている。

 やはり昨日、あのままさせておくべきだったろうか……。いや、あいつだって「明日」なんて殊勝なことを言っていたのだから……!

 どう考えても今夜、無事にすみそうな気がしない。というか、出掛けに城主に「明日はマイクロトフと2人休みをいただけませんか?」なんて無敵スマイル全開で言ってたし。

 い、いや。これもカミューの愛の深さゆえ。俺は男らしく正面から受け止めてみせる……!

 と、決心したマイクロトフだが。突然、背後からぐいっと腕を引っ張られバランスを崩した。ばふっと後頭部にあたった柔らかい感触。顔を上げるとカミューの笑みとぶつかった。背後に立っているカミューの胸に倒れるかたちになっていると理解したマイクロトフは慌てて身体を起こそうとする。が、カミューがわきの下から腕を回して胸の前で組み、体勢を固定してしまった。マイクロトフは焦って口を開く。
「カ、カミュー?! せ、戦闘中だぞ! 何をする……!」
「戦闘ならもう終わったよ。城主殿たちは向こうに移動して昼食を摂っておられるよ」
 にっこりと笑みを浮かべて応えるカミューにマイクロトフは精一杯平然を装う。隙をみせたら危ない……!
「そ、そうか。なら俺たちも……」
 と、身体を離そうとするがカミューの腕に力がこもり、それはかなわなかった。カミューはマイクロトフの耳元に唇を寄せ、艶っぽく囁く。
「ね、それよりマイク……」
 言いながら耳を柔らかく噛み、手はさわさわと胸のあたりを撫ではじめた。マイクロトフの背筋に快感より先に恐怖が駆け抜ける。
「なっ、なにを言っているんだ! それは今夜の約束だろう?!!」
「え? 誰も『今夜』なんて言ってないよ」
 あっさりと恐ろしいことを言うカミューにマイクロトフはざあっと青ざめた。

 そうだ……こいつはこういうヤツだった……。

「ね。マイク。ちょっとだけで我慢するから……」
 カミューは言いながらそっとマイクロトフの顎を捉え、自分の方に向かせる。口付けようと唇を寄せたとき……。
「離せー!!」

 バキッ

 マイクロトフの渾身の肘鉄がカミューの顔面をとらえた。マイクロトフはカミューの腕を振り切って全速力で走り出す。

 やっぱり嫌だ! こいつの欲望に付き合ってたら絶対死ぬ! 腹上(下?)死なんて死んでもごめんだー!!

 マイクロトフはまさに命懸け、という形相で走っていた。後ろから「うふふ。待てよ、こいつ〜」という声が追ってくる。マイクロトフは恐怖のあまり、ぎゅっと目を瞑った。

 神様……助けて、ください……!!

 思わず心の中で祈ったとき。

 ガツッ!

 思わぬ衝撃がマイクロトフの額を襲った。目を瞑っていたマイクロトフは知る由もなかったが、ピクシーの群れに突っ込んでしまったのだ。そのうちの一匹と頭突きした格好となったマイクロトフはあまりの衝撃に気が遠くなる。

 どうか……カミューの魔の手から逃げられますように……。

 気を失う寸前まで祈らずにはいられなかったマイクロトフだった。


 カミューとマイクロトフがいっこうに帰ってこなかったため、探しはじめた城主たち(なぜかカメラ片手に)が見つけたものは。マイクロトフの名を繰り返し叫び、気を失っている子供を抱いているカミューの姿だった……。
 余談だが、辺りには黒焦げになったピクシーの残骸が散らばっていたりする。


「身体に異常はないですね。このあいだのように1日もすれば元に戻るでしょう」
 ホウアンの言葉にカミューはほっと息をついた。マイクロトフは気を失ったままだったが、それも心配ないらしい。ただ、おでこには大きなたんこぶができていたため、ばんそうこうが貼られていた。
「それにしてもマイクロトフさんも災難ですねぇ。2回も子供になってしまうなんて」
「ええ。まったく……」
 カミューは苦笑を浮かべるしかない。「じゃあ、なにかあったら呼んでくださいね」とホウアンは部屋を出ていった。部屋に2人きりになったカミューはマイクロトフのふっくらした頬を指でつついてみる。ぷにぷに、とした子供特有の感触がなんともいえず思わず目を細めた。

 マイクロトフは5歳くらいの姿になっていた。カミューが駆けつけたとき、マイクロトフの周りを数匹のピクシーが飛んでいたため、原因はわかった。前にも一度ピクシーの特殊攻撃によってこんな姿になったことがある。そのときは記憶も歳相応に戻ってしまい、いろいろと大変だった。無邪気な姿を愛らしいと思いつつ、自分のことを知らない彼に寂しさを覚えずにはいられなかったのだが……。

 もぞ、と身じろぎする気配にカミューはハッとした。子供は大人の感情に敏感なもの。こちらが不安に思っていたりすると敏感に感じ取ってしまう。できるだけ優しい笑みを浮かべ、マイクロトフの覚醒を待つ。するとマイクロトフは2、3回小さく瞬きしたかと思うとゆっくり漆黒の瞳を開いた。そして、その瞳がカミューを捉えると、カミューは脅かさないようそっと名前を呼んだ。
「マイクロトフ……」
「……かみゅー……?」
 少し舌足らずな声が発した言葉にカミューは目を見開く。まさか自分の名を呼ばれるとは思わなかった。しかし、目を見開いたのはカミューだけではない。声を発したマイクロトフも大きな目をさらに見開いて自分の喉に手をあてていた。
「マイクロトフ?」
「かみゅー……、この声は……?」
 子供らしからぬ眉をひそめるしぐさ。それはいつもの彼の癖であって……。
「マイクロトフ? まさか、記憶があるの……?」
「俺は……いったいどうしたんだ……?」
 マイクロトフは大きな瞳に困惑の色をたたえ、カミューを見上げた。


 ひととおり説明が終わるとマイクロトフは重いため息をつく。
「そうか……。俺はまた子供になってしまったんだな……」
「うん。まあ、今回は記憶がある分、前よりは扱いやすいかな」
 カミューはそう言うと、ひょいっとマイクロトフを抱き上げた。
「うわっ! な、なにをする……!」
 慌てるマイクロトフにカミューは軽くウィンクしてみせ、
「なあに、1日もすれば元に戻るさ。それより、とりあえず着替えをバーバラ殿に借りにいこう」
 と、そのまま肩に乗せる。着替え、と言われてマイクロトフは自分の格好を見た。なるほど、子供用の夜着が着せられている。まだ日中。夜着で過ごすには早いだろう。それはわかった。わかったのだが……。
「かみゅー……」
 マイクロトフが名を呼ぶとカミューは顔を上げる。肩に乗せられていることによりいつもの身長差よりさらに高い位置から見下ろす格好となっていた。
「ん? なに?」
「その……降ろしてくれないか? 自分で歩ける……」
 恥ずかしそうに頬を染めるマイクロトフにカミューはにっこり笑う。
「悪いけど、履くものがまだないんだ。着替えが終わったらね」
「そ、そうか……」
 正論を言われてはどうすることもできない。マイクロトフはおとなしく引き下がるしかなかった。さっきまで対等の体格、対等の立場でいたのに、今は片手で持ち上げられるくらい非力になってしまった自分が情けなく、恥ずかしい。
 うつむいてしまったマイクロトフの心境を察したのか、カミューは肩に乗せてるほうの手で頭をぽんぽん、と軽く叩く。
「大丈夫。1日の辛抱だよ」
「ああ……」


「……というわけで、バーバラ殿。せっかくなのでめちゃめちゃ可愛く着飾りたいのですが」
 カミューはマイクロトフを差し出してにっこりと笑った。事情をすでに聞いていたバーバラは豪快に笑う。
「あいよ。まかしとき」
「犬とかウサギの着ぐるみなんかないですかねー? あ。セーラーでもいいんですけど」
 カミューの注文にマイクロトフはぎょっと目を見開いた。
「かっ、かみゅー!! バーバラ殿! 俺は普通のでけっこうです!!」
 顔を真っ赤にさせたマイクロトフが小さい身体で精一杯叫ぶとバーバラは、おやまあ、と目を瞬かせる。マイクロトフが子供になった、というのは聞いていたが、前と同じように精神も子供に戻っていると思っていたのだ。カミューはムキになったマイクロトフの様子にくっくっと笑いを漏らしつつ、バーバラに説明する。
「バーバラ殿、今回はこのとおり、記憶はあるんですよ」
「ああ、そうなのかい。それは残念だこと。じゃあ、とりあえず、このへんかねー」
 バーバラはそう言うと、青基調の子供服を取り出した。マイクロトフは、なにが残念なんだろう……とか、べつに青にこだわらなくても……とか思ったが、とりあえず黙っていることにする。
「はいはい。じゃあ、着替えようかねー」
 と、あたりまえのように夜着に手をかけられたマイクロトフはぎょっとしたように叫んだ。
「バーバラ殿! 一人でできます!!」
 その必死の訴えにカミューとバーバラは爆笑した。


 遊ばれてる気がする……。

 マイクロトフは廊下を歩きながら憮然とした思いを抱えていた。
 洛帝山で食べ損ねた昼食をレストランに摂りにいけばお子様ランチを食べさせられ(うまかったが)、自分より年若い婦女子(今は年上だが)には「きゃー! かわいいー!!」と抱きつかれ(こういうときにかぎってカミューはにやにやして傍観している)、終いにはユズ殿に「将来結婚しようね。毎日おいしい肉を食べさせてあげる」と言われる始末。

 俺に人権はないのか……?

 はああ、と子供らしからぬ深いため息をついたとき。
「だ、団長……?」
 恐る恐る、というふうな声がした。視線を上げるとそこには元青騎士団の面々。一様に信じられない、といった表情を浮かべていた。
「お、おまえたち……」
 マイクロトフはある意味いちばん見られたくなかった連中に見られ、動揺する。そんな中、青騎士の一人が感極まったとばかりに、
「そ、そんなお姿になられて……おいたわしい……!」
 と、がばぁっと抱きついてこようとした。子供であるマイクロトフに大人がいきなり近づいてくるというのは知った顔とはいえかなり怖いものがある。恐怖のあまり咄嗟に動けないでいると、
「はい、そこまでね」
 げしっとその青騎士の顔面に足が飛んだ。そして、マイクロトフはひょい、と宙に浮く。
「汚い手でマイクに触らないでもらおうかな」
 あたりまえのようにマイクロトフを肩に乗せ、悠然と言い放つその姿は……。
「カミュー様!!!」
 ばちばちばちっ
 一瞬にして双方の間に火花が散った。
「我々は団長を心配しているのです!!」
 青騎士の一人が叫ぶと周りが「そうだそうだ」と呼応する。しかし、カミューは余裕たっぷりに微笑むと、
「その気持ちはよくわかる。だが、マイクロトフだって、姿はこうでも記憶は元青騎士団長のマイクロトフのままなんだ。彼の動揺もわかってやってくれ」
 と、反論した。予想だにしてなかったもっともらしい言葉に青騎士たちは二の次が告げなくなってしまう。
「マイクロトフを思うなら青騎士団を正常に動かしてくれ。それがマイクロトフも一番喜ぶだろう」
 カミューのセリフにマイクロトフに視線が集まった。マイクロトフは居心地の悪さを覚えながら、
「……そういうことだ。よろしく頼む……」
 と、小さい声で応える。すると、青騎士たちから一斉に、うおおおお! という雄たけびが上がった。マイクロトフは突然の大声にびくっと身をすくめてしまう。
「まかせてください、団長!」
「我々が団長の留守をお守りいたします!」
「なにとぞ、ご自愛を!」
「どうか、良い子であらせませ!」
 「良い子で!」と口々に叫ぶ青騎士連中を尻目にカミューは歩き始めた。マイクロトフはといえば、何事だと集まってきた周りの視線が痛いらしく、真っ赤になってうつむいている。と、カミューの肩が奇妙に震えているのに気付いた。
「かみゅー?」
「いや、さっきの青騎士連中の見送り方、なんか、産休に入る人を見送っているみたいだったな、なんて」
「さん……きゅう?」
 マイクロトフは言ってから言葉の意味がわかったのか、かあっと赤面すると亜麻色の髪を力いっぱい引っ張った。確かに「ご自愛」や「良い子」を連呼されたのはそう思えないわけでもない。
「おっ、おまえってヤツは……!」
「いたっ、いたた……。ごめん。ごめんってば」
「しらん! 降ろせ!!」
「やだよー。悔しかったら自力で降りてみれば?」
 カミューの肩から床まで軽く1メートル半はある。子供の体格では飛び降りるには到底無理な高さであった。
「ぐうっ、卑怯だぞ!」
 悔しそうなマイクロトフにカミューは、あはは、と笑うと今度は頭上まで持ち上げる。
「ほら。高い高い」
「うわっ! や、やめろっ!」

 やっぱりいいように遊ばれている……!

 マイクロトフは悔しく思いながらも、1日の辛抱だ……と自分に言い聞かせるのであった……。


 そして、夜。
 精神は大人でも身体が子供のせいか、いつもより早い時間に強い睡魔に襲われたマイクロトフは早々とベッドに横たわった。カミューがベッド際にひざまづいてマイクロトフを寝かしつけるかのようにぽんぽん、と布団を優しく叩いている。マイクロトフはその心地良さに身をまかせようとして、ふと、昨日の出来事を思い出した。
「……すまない」
 突然謝ってきたマイクロトフにカミューは目を見張る。
「どうしたの? 急に」
「昨日……約束したのに」
 布団からわずかに顔をのぞかせるマイクロトフは怒られることを怖がる子供のようで。カミューはふっと笑みを零した。
「こんな状況に何を言ってるんだい。そんなこと、気にしなくていいんだよ」
「怒って……ないのか?」
「まあ、残念には残念だけど。あとでいくらでも穴埋めできるし。代わりに可愛いマイクがたくさん見られたしね……」
 穏やかに微笑むカミューに、マイクロトフは申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 明日、元に戻ったら……少し素直になろう……。


 つづく






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