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しかし。夢には終わりがあるのだ。 あっというまに1週間が経ち、マイクロトフの研修の最終日を迎えた。最終日は実験に加わらず、研修レポートを書くため休憩室にこもることになる。 カミューは暗くなりがちな己の心を叱咤してちょくちょく様子を見に行った。顔を出すとカミューにだけ見せるようになった照れたような笑みが迎えてくれる。 「進み具合はどう?」 「いろいろ勉強させてもらったから、書くことがいっぱいあって大変だ」 シャーペンを置き、椅子にもたれるマイクロトフにカミューは、ふふ、と笑う。 「マイクロトフは真面目だからね。コーヒーでも飲むかい?」 「え? ああ、すまない」 カミューはすっかり覚えてしまった配分でマイクロトフの好みのコーヒーを作ると、自分の分も煎れて彼の向かいに座った。ノートを覗き込めば几帳面な彼の性格を思わせるきっちりした字でいろいろと書き込まれている。 「大変だね、学生も」 「いや。カミューの方がすごい。ちゃんと働いてお金をもらっているのだから」 真面目な顔で返されて、カミューはさりげなく視線をそらす。慣れ、という惰性にまかせてきたため、真剣に仕事をしたことなどなかったことに後ろめたさを感じたのだ。 周りに同じようなことを何度も言われてきたが、特になんとも思わなかった。しかし、マイクロトフに言われると自分が恥ずかしくてたまらない。 「そんな立派なものじゃないよ……」 「そんなことはない。俺の周りには俺より年上も何人かいるが、カミューの方がずっと大人びている」 あまりにも熱心に言い募るマイクロトフにカミューは内心苦笑いする。彼にそう思ってほしくて振る舞っていたのは他ならぬ、自分ではないか。 カミューは気を取り直して、にやり、とからかうような笑みを浮かべた。 「老けているだけさ」 それを聞いてマイクロトフは少し赤くなった。1週間前マイクロトフがここにきたときに、カミューを年上だと思っていたという会話を持ち出されたのがわかったのだろう。 「あ、あれは……、その……」 「俺は傷ついたよ。同い年のやつに『年上だと思った』なんて言われて」 「う、す、すまない……」 申し訳なさそうに肩を落とすマイクロトフにカミューはたまらず吹き出す。 「冗談だよ。それに、言わせてもらえば、マイクロトフの方が大学生にしては落ち着いていると思うけどね」 「う。……俺こそ、若年寄というのだ」 マイクロトフの言葉にカミューは爆笑する。 「なに? ひょっとして誰かに言われたの?」 「よく言われる……」 「だろうね。俺だって思ったもの」 「っ、カミュー!」 マイクロトフは真っ赤になって睨みつけてきたが、もちろん本気ではない。2人はどちらともなく吹き出して、しばし笑い合った。 そして、その日の夜。 マイクロトフの送別を兼ねた打ち上げが居酒屋で行われた。 カミューは最初はいつものように周りの雰囲気にあわせて話題を振り、冗談を飛ばし、と気を使っていたのだが、酒がすすむにつれて、マイクロトフとは今夜限りの縁なんだ……といよいよ実感が沸いてきて、気が重くなっていくのを止められなかった。それをごまかすように酒を飲み……と、悪循環になっていて、普段はそんなに酔うまで飲まないカミューは明らかに度が過ぎていた。 「それにしても、マイクロトフくん、カミューくんと仲良くなったわねぇ」 ほんのりと頬を赤くしたエミリアが言うと、マイクロトフははにかんだように笑った。 「ええ。本当にカミューにはよくしてもらいました。世話になりっぱなしで……」 その、どこか他人行儀っぽい言い方が気に入らなくて、カミューはマイクロトフの肩にぎゅうっと抱きついて肩口に顔を伏せた。 「世話とか言うなよ……」 そんなんじゃないのに。好きだから傍にいたくて。役に立ちたくて。頼りがいのあるヤツだと思われたくて。 それだけだったのだから。 「カミュー……?」 マイクロトフはカミューの行動に困ったような声を出したが、 「あれえ? カミューさん、今日はもう酔っ払いですかー?」 と、ニナがからかうように言うと、そうか、酔っているのか、と納得し、ぽんぽん、と宥めるように頭を軽く叩いてやった。カミューはその手の大きさに、ぬくもりに、思わず目を閉じる。 「あら、本当につぶれちゃったのかしら? カミューくん、大丈夫? そろそろ帰る?」 エミリアが心配そうに問うと、カミューはがばっと顔を上げた。 「やだ」 マイクロトフと一緒にいられるのは今夜が最後なのに、先に帰るなんてことができるわけないじゃないか! カミューが半分据わった目でエミリアをむう、と睨みつけると、エミリアはいつにないカミューの酔っぱらい姿にくすくす笑った。 「マイクロトフくんと離れるのが淋しいからってやけ酒はダメよ」 と、茶化すように言ってくるエミリアのセリフに、カミューはマイクロトフの肩にまわしていた手に力を込めて、半ば本気で返す。 「やけ酒飲まなきゃやってられないよ」 「あらあら。ずいぶん気に入られたわね、マイクロトフくん」 エミリアがからかうようにマイクロトフにウィンクすると、マイクロトフは赤面して「いや、その……」と口篭もった。カミューはその顔をじーっと見つめる。 赤面するのは女の子が苦手だから。わかってる。妬かない。 と、自分に言い聞かせた。わかっていても、自分とのことをからかわれたのだとしても、自分以外の言葉に赤面したりするのはおもしろくない。まったくもって重症だった。 マイクロトフはなんと答えたものか、と、カミューの方を見た。カミューは真顔になりそうなのを必死にこらえ、 「なんだよー。迷惑なのかー?」 と、酔っ払いのからみに聞こえるように振る舞った。思惑どおり周りがどっと笑う。 「い、いや、そんなことはないぞ」 真面目くさったマイクロトフの応えも周りの笑いを誘うもの以外のなにものでなく。マイクロトフはさらに赤面した。その様子に、可愛いなぁ……とカミューが観察していると、マイクロトフは真っ赤になった顔を手で隠すように覆いながら、自分の肩口に顎を乗せた体勢で見上げているカミューに視線を合わせてきた。思わぬ至近距離にカミューがどきり、とする。マイクロトフは例の照れたような笑みを浮かべて、周りの笑い声にかき消されないようカミューの耳元に唇を寄せた。 「でも、本当にカミューに会えてよかったと思っているぞ」 マイクロトフの言葉にカミューは目を見開く。とっさに言葉がでてこなくて、口を2、3回ぱくぱくさせた。頭に血が上る……。 「あーっ、カミューさん、真っ赤ですよお! どうしたんですかー?」 ニナに大きな声で言われてカミューは自分の顔に手をあてた。確かに頬のあたりが火照っている。そのしぐさをエミリアはくすくす笑った。 「うふふ。いつもはどんなに飲んでも顔色ひとつ変わらないのにねぇ」 まったくだ、とカミューは思う。好きな人に嬉しいことを言われて頬を赤らめるなんて、中学生じゃあるまいし、と思いつつ、胸のどきどきがおさまらない。 「カミュー……? 大丈夫か?」 自分をこんなにした張本人が何も知らず聞いてくるのがかちんときて……カミューは日本酒の入ったお銚子片手に向き直った。 「俺も飲むからおまえも飲め!」 「は? カ、カミュー?」 「問答無用!!」 「いいぞ、カミュー」という年配者たちの無責任なはやしたてをよそに、カミューはマイクロトフのコップに残っていたビールを近くの灰皿に捨てるとそれに日本酒を注ぎ込む。 「ちょっ……、俺はそんなに飲めな……」 「俺の酒が飲めないのか?」 一昔前のおやじのようなことを言ってカミューは自分のコップのビールをぐいっと一気に呷ると、空になったコップをマイクロトフにつきつけた。 「注げ!」 「きゃははははは! カミューさん、オヤジみたーい」 いつにないカミューの態度にニナたちが爆笑するなか、カミューはマイクロトフに酒を注がせて、コップを、乾杯、というふうに合わせる。 こうなったら、飲んで、飲んで、飲みまくってやる! カミューは半ばやけになってコップを呷った。 しかし、性分とはおそろしいもので、カミューの理性はやはり最後の一線を越えることはなかった。つぶれるぎりぎりのところで本能的にストップをかけたのだ。かなり酔ってはいたが、細かい記憶はいくつかなくなっていたが、手もつけられないような酔っ払いにはならなかったのである。……自分は。 「カミューくーん、どうするのよー?」 「マイクロトフさん、起きませーん」 呂律がかなりあやしくなったエミリアとニナが、柱に寄りかかるように眠っているマイクロトフを取り囲む。カミューは少しふらつきながらマイクロトフの傍に寄った。 「おーい、マイクロトフ?」 顔を覗き込んで声をかけると目は閉じたままだったが、「んー」という生返事が返ってくる。とりあえずは意識がいくらかあるらしい。 「カミューくんが、がんがん飲ませるからよー」 エミリアがけたけた笑って言う。本来であれば笑っていられる場面ではないのだが、エミリアも相当酔っていた。 カミューとマイクロトフがハイペースで飲み始めると、周りも盛り上がり、つられるように飲みはじめた。そのため、中締めの頃にはほとんど全員ができあがっていたのだ。みんな、つぶれてしまったマイクロトフを心配する、というよりは面白がっている状態だった。 「はいはい。マイクロトフは俺が連れて帰るから」 「1人でだいじょーぶれすかー?」 ニナに言われて周りを見ても、いちばんまともそうなのは自分だ。それに、まだ1次会だから、次に行きたい連中もいるだろう。そして、なにより。マイクロトフの面倒をみる、という役目を他の誰かと分け合うつもりはなかった。 カミューは苦笑いしてニナに応える。 「大丈夫だよ。それよりニナちゃんこそちゃんと帰ってね」 「はーい。エミリアさんと帰るからへいきでーす」 ニナは上機嫌にエミリアの腕に自分の腕をからめた。エミリアは年下の面倒をみなくては、と思ったのか、ちょっとしゃんとしてカミューに手を振る。 「ほら、ニナちゃん、行くわよ。じゃあ、カミューくん、明日ねー」 「……明日は休みだよ、エミリアさん」 「あら、いやだ」 「もー、エミリアさんったらしっかりしてくださいよぉー」 けらけらと笑いながら歩いていく2人を、カミューは見送る。2次会に向かう者が何人か心配そうに声をかけてきたが、カミューは笑って、かまわずいってくれ、と促した。会社の人が全員いなくなると、カミューはマイクロトフに声をかける。 「マイクロトフ、大丈夫? 立つよ?」 「……んー……」 どこか寝ぼけたような声を出すマイクロトフの腕を肩に担ぎ、力を込めて立ち上がろうとすると、無意識だろうがマイクロトフも一緒に立ち上がった。しかし、足がふらついて倒れそうになる。カミューは慌てて支えようとして一緒によろめいた。それをなんとか踏ん張ると、ひとつため息をつく。 カミューとて相当飲んだのだから、それなりに酔っ払っている。しかもマイクロトフは自分より体格がいい。 「これはタクシーかな……」 独り言のようにつぶやくと、 「タクシーに乗ったら吐く……」 と、思わぬ返事があった。カミューはマイクロトフの顔を覗き込む。 「マイクロトフ! 具合悪いの?」 マイクロトフは顔を上げるとようやく目をうっすらと開けた。カミューを見てちょっと苦笑いする。 「いや……、車に揺られるのはちょっときついが……。ただ、足に力が入らなくて……」 どうやら飲みすぎて腰が立たなくなったらしい。カミューは意外としっかりした返答に安堵しつつ、考える。 ここからだとどう考えても自分の家のほうが近い。 「とりあえず俺んちに行こう。少し休むといいよ」 「……すまない」 「謝るなよ。こんなに飲ませたのは俺なんだから」 「カミューは……酒が強いんだな」 マイクロトフの言葉にカミューは苦笑いする。自分だって相当酔っていたはずなのに、自分より酔っ払っているマイクロトフを見たとたん、しっかりしなくては、とかなり醒めてしまっていたのだ。 「社会経験が長いからね」 カミューが茶化すように言うと、マイクロトフは暗に子供扱いされたことにむう、と唇を尖らす。普段は口数が少なく、表情もあまり変わらないため大人びた雰囲気だが、いまは酔っているせいか少し無防備になっているようだった。その思いがけないほど幼い表情にカミューの鼓動が跳ねる。改めて自分たちの状況を考えると、肩を貸して支えてやっているこの体勢はかなり密着しているではないか。 首の後ろに手を回して少しでも引き寄せたらキスでもできそうな……。 カミューはそこまで考えると慌てて首を振った。勢いよく振ったため、酒が一気にまわる。くらっとたたらを踏みそうになったカミューをマイクロトフがなんとか支えた。 「カ、カミュー……?」 「ご、ごめん」 自分の慌てぶりにばつの悪そうな顔をするカミューにマイクロトフはにや、と人の悪い笑みを浮かべる。 「しっかりしてくれよ、社会経験が長いんだろ?」 「言ったな……!」 めずらしくからかってきたマイクロトフに、カミューも頭を小突くふりをした。無邪気に笑うマイクロトフを見てカミューは目を細める。 こういう顔もするんだな……。 新しい発見に心が歓喜に震えた。 一目惚れしたのが4月。3ヶ月ぶりに奇跡と呼べるくらい偶然に再会できた。そして、たった1週間でこんなに惹かれてしまった。一瞬、一瞬ごとに彼を好きになっていく。それも、今日で終わりなのだ。これから彼を忘れることができるのだろうか……。 できない、とカミューは思った。でも、どうすることもできないのだ。自分も彼も男だから……。 カミューは絶望感を振り払うように、緩く頭をひとつ振った。 カミューのアパートに着くと、マイクロトフは倒れるようにソファに横になった。カミューはキッチンに行き、コップに水を汲む。自分も一杯飲んでから、マイクロトフの分を用意した。 「マイクロトフ? 大丈夫? 気持ち悪くないかい?」 ソファに歩み寄って声をかけると、マイクロトフは言葉にならない唸り声とともに身体を仰向けにし、顔を片手で覆う。カミューは軽い気持ちでその腕をどかし、顔を覗き込んで、 「こら。酔っ払い」 と、からかうように笑った。その顔が瞬時に強張る。 普段は色白な肌がほんのりと赤く染まり……扇情的にみえた。目を閉じたまま、わずかに開いた口から苦しそうに熱い息が吐き出される。掴んだ腕が熱い。 カミューはごくり、と、喉を鳴らした。脳裏に獣じみた声が響く。 ダキタイ…… 普段は心の奥底に必死に隠していた狂暴な衝動が自分の理性を揺さぶる。 最初のきっかけは夢だった。マイクロトフを抱く夢を見て、飛び起きた。そのときは男のマイクロトフに肉欲を覚える自分に愕然とし、激しく否定した。しかし、そのあとも同じ夢を見、現実でもマイクロトフの何気ないしぐさに身体が熱くなる自分に、好きになったらすべてを手に入れたいと思うのは当然だ、と、諦めに似た思いで受け入れていた。ただ、それはあまりにも現実離れしているため、実際にどうこうというわけではない、というどこか安堵していたところがあったのだが。 カミューは震える唇で名を呼んだ。 「マイクロトフ……」 早く、起きてくれ。早く、俺の前から姿を消してくれ! そうでないと……。 オマエ ヲ オカシテ シマウ…… 酒で脆くなった理性をかき集めて、必死に祈るようにマイクロトフを見つめる。カミューの視線の先でマイクロトフはゆっくりと目を開けた。かすかに開いた瞳は酔いのためか潤み、焦点があわないらしく、ぼうっと2、3瞬きしていたが、カミューと視線が合うと、ふわり、と笑った。 それはおそらくカミューへの信頼を込めた安堵の笑み。 しかし。 カミューの理性を焼き切るのには充分だった……。 カミューは目を開けると、自分が寝ている場所がベッドではないことに気づいた。ぼうっとした頭で、どうしてだろうと考える。状況を把握しようとしても、なぜか思考に霞がかかったかのようにもやもやとして、何も浮かんでこなかった。とりあえずゆっくりと頭を起こす。とたん、鈍い痛みに襲われた。 飲み過ぎたか……。 久々の症状に苦い思いで額を押える。その手を見て、自分が何も着ていないことに初めて気づいた。 「!!」 とたん、一気に昨夜のことを思い出した。慌てて自分が寝ていたソファを見れば、あちこちが無残に引き裂けていて、ところどころに血の染みと、白い……まぎれもない情交の跡が残っていた。 夕べはここでマイクロトフを……!! 全身の血が引く思いで部屋を見渡した。すでにマイクロトフの姿はない。 なんてことをしてしまったんだ……!! 身体中が震えた。脳裏に昨夜の情景がフラッシュバックする。 酔ってろくに動けない彼を容赦なく組み敷く自分。 苦痛に、屈辱に顔を歪める彼に、愉悦の笑みを浮かべていた自分。 やめてくれ、という必死の哀願で自分の名を呼ぶ彼と、愛してる、という想いを込めて彼の名を呼ぶ自分。思いがひとつになることはなく、最後までただ互いの名を呼び合っていた……。 「最低だ……」 偽善だとはわかっていたが、最後まで彼に尽くして、綺麗な思い出として心の片隅にでも残していてもらおうと思っていたのに。自分に会えたことを「よかった」と言ってくれたのに。 彼の純粋な思いを自分の汚い欲望で汚してしまった。 顔を覆った手のあいだから雫が零れ落ちた……。 しかし、どんなに傷ついても月曜日がくれば会社に行ってる自分がいた。心は憔悴しきっていたが、それを周りにみせるようなタイプではなかったし、淡々と毎日を過ごす。さすがに以前より無気力になったのは否めなかったが、会社の歯車に適当にあわせることはできた。 そして、再び春がきた。 4月1日。 新年度初日、といっても研究室で働くカミューたちに何がある、ということはない。総務のほうは人事異動やら何やらでてんやわんやらしいが、カミューはいつものように試験管を傾けていた。 「そろそろくるかなー?」 隣でどこか弾んだ声で言うニナに、カミューはそういえば、と思い出す。 今年は新入社員が入るんだっけ……。 カミューにはどうでもいいことだった。ただ、身の回りの世話は自分がするのだろうな、とか、歓迎会が面倒だな、とか、そのくらいの認識である。どこの学校を出た人間がくるのかも聞いてなかった。 そこに。 「おーい、みんな集まってくれ」 背後から課長の声がかかった。カミューたちは手を止めて、休憩室に向かう。 そこには……。 カミューは目を見開いた。 「今日からこの職場の仲間だ。まあ、みんな覚えているだろうがな」 課長の言葉に新入社員ははにかんだような笑みを浮かべる。 「マイクロトフです。一生懸命頑張りますので、よろしくお願いします」 真新しいスーツに身を包んだ彼は深々と頭を下げた……。 カミューとマイクロトフは2人で更衣室に向かっていた。マイクロトフの白衣がサイズが特注だったため、納品が間に合わず何日かカミューのを借りることになったのだ。 カミューは動揺していた。さっきから心臓がいまにも止まるのではないか、というほど早鐘を打っている。手が、足が、震えるのを止めることができなかった。 まさかこんなかたちで再会するとは。 「……あれからいろいろ考えた」 マイクロトフが突然口を開いた。カミューは弾かれたように顔を上げ、マイクロトフを見る。マイクロトフは真っ直ぐカミューの目を捉えていた。 「カミューが……どうして、あんなことをしたのか……」 その表情は固く、感情が読めない。カミューは怒鳴られる覚悟も殴られる覚悟もした。会社を辞めることすら考えて、次の言葉を待つ。 「よほど……憎まれていたのか……」 「違う!」 反射的に叫んだカミューに、マイクロトフは少し目を見開いた。そして、ふっと、視線を和らげると、 「では、酔った勢いか?」 と、問う。カミューは力なく頭を振った。 「違う……。いや、それも少しはあるけど、酒の勢いだけで男なんか抱けない……」 「では、なんであんなことをしたんだ?」 カミューはその嘘を許さない真っ直ぐな視線を、ああ、変わってないな……と、懐かしくも胸に痛みを感じながら受け止めた。 まだ……こんなにも……。 半年以上も会っていなかったのに、自分の気持ちが少しも変わってないことを改めて思い知らされる。胸に熱いものが甦るのを認めずにはいられない。 カミューがまぶしいものを見るように目を細めると、マイクロトフはわずかに視線を外した。 「言わないと……わからないだろう……」 マイクロトフの言葉に、カミューはあの夜のことを思い出した。狂暴な衝動に支配されていた自分。完全に理性が飛んでいて、彼の名前を呼ぶことしかできなかった。いや、あの場で気持ちを伝えたところで、受け入れられるはずはなく、嫌悪されるだけだったのはわかっている。でも、一言も想いを口にしないまま終わるのはあまりにも辛かった。 カミューはもう何もかも覚悟したんだから……と、不思議と穏やかな気持ちになっていくのを感じた。マイクロトフのために、もう決着をつけなくてはいけない。気持ち悪い、となじられ、2、3発殴られればいくらかは彼の気も済むだろう。 しっかりと漆黒の瞳を捉え、わずかに震える声音で静かに告げる。 「マイクロトフが、好きなんだ」 沈黙が降りた。 カミューにとって一瞬とも永遠ともつかない時が流れる。その呪縛を解いたのはマイクロトフのため息。 「そうか……」 カミューは目を閉じて歯を食いしばり、くるべき衝撃に身構えた。しかし、自分の頬に触れたのは、ふわり、というぬくもりだった。カミューが驚いて目を開けると、むにっと頬を引っ張られた。 「そういうことは……早く言え。順番が逆だろう……」 ばかもの……と、どこか安堵したような声音でつぶやいて手が離れていく。 カミューは思わぬ反応に困惑した。 「怒ってないの……?」 「怒った。そして、忘れようとした。だが、気がつけばあの夜のことを考えていた。どうしてあんなことをしたんだろうって。考えても考えても納得する結論にならなくて……しょうがないから直接聞きにきた」 「マイクロトフ……」 「納得いかない理由だったら2、3発殴ってやろうと思ったんだが……」 マイクロトフは一旦、言葉を切って少し照れたような笑みを浮かべた。 「まあ、納得してやる」 「俺の気持ちを受け入れてくれるの……?」 カミューが呆然と口を開くと、今度は少し怒ったような顔になる。だが、薄紅色に染まった頬はひどく甘く感じて……。 「言っただろう。俺は恋愛沙汰は苦手なんだ。だから、よくわからない。でも……」 マイクロトフはカミューの琥珀色の瞳を捉え、ふわ、と綺麗に笑った。 「おまえがおしえてくれるんだろう?」 終わり |