悪巧みには時として、相応のしっぺ返しが用意されるものらしい。
祐希の場合の「それ」は、いっそ常識や倫理さえもを敵としているものだから、分の悪さも元より覚悟のことではあっ
たけれど。
「忘れていた先約があったんだ。本当に悪い---ほんと、ごめんな・・・」
夕食を一緒にする約束をしていた兄から、なんとも言い難そうな、心底済まなさそうに断りを告げるコールを受けた。
自ら予約を入れておいた店へと向かうべく、祐希がまさに歩き始めた時だった。
几帳面でありながら、一部すこんと間が抜けている昴治らしい迂闊さだと言えた。もっとも火事場泥棒もかくやな成
り行きで強引に取り付けた「約束」だったから、昴治が先約を失念していたことを殊更責める資格など、本来祐希にあ
りはしないのだ。
そんなふうに冷静に状況分析などをしている自分に少々驚きながら、祐希は一言も言葉を発することなく一方的に
通信を切った。
おそらくは弟の罵倒を覚悟していただろう、無実の加害者の懸命な謝罪に応えを返すことなくあっさりと。いっそ冷
淡に過ぎる素っ気無さで。
時を遡ること二世紀と少し前。地球の極一部で大層なブームを呼んだと言う、単純明快にして一時の娯楽としては
頗る的を射た遊戯道具があった。
名を「カラオケ」といい、ここ数年メディアを賑わせている懐古趣味者らによって持て囃され、何処からとなく流行の
遊びと化した代物である。
ひとが多く興味を持てば、必ずそれを商売に活かす者が現れるのは必至で、当時の人々が楽しんだ有り様をリア
ルに再現したという「カラオケボックス」なるものは、そのお目見え以降、若者らを筆頭に---特に少女らの間での---
不動の人気スポットとなっていた。
その最終目的はとにかくも、実情は教習艦でしかない今のリヴァイアスにそんな最先端の娯楽がきっちりと用意さ
れていたのを知った時には、当局とやらの自分たちに向けられた期待度の高さ---いっそある種の阿りに近い---に
昴治などは内心嘆息を禁じ得なかったものだ。
とはいえ、今日のような催しにその古きにして縁しいスポットが最適であるのは間違いなく、フラアテ課の面々の希
望を当然優先した昴治は、高い倍率を運良く突破してこの「懇親会」の為の会場を無事確保したのだった。
幹事のささやかな苦労の甲斐あってか、早々に盛り上がりを見せている一同を見るでなく眺めながら、昴治はここ
1時間で何度目になるか最早定かでない溜息をまたもや零していた。
おそらくは先刻からそれを聞き咎めていたのだろう、
「何よ何よ、全然食べても飲んでもいないじゃないっ」
会の初めから隣に座っていた幼馴染みが、周囲の騒がしさに負けまいと昴治の耳元で声を上げる。
「昴治が乗り気じゃなかったのは知ってるけど。仮にも幹事なんだから、少しは楽しそうな振りくらいしなさいよ。何
もマイクを独占しろとまでは言わないから!」
冗談だろっ、と思い切りソファの上を後ずさった。ただでさえ気落ちしているこんな時に、苦手な歌など人前で披露
させられては堪らない。
「だから「言わない」っていってるんでしょ。何よ、どうしたの。珍しいね」
自身が乗り気であろうと無かろうと、いざ開催側に立ってしまえば、昴治が義務を疎かにすることなど今まで決して
ありはしなかった。まして参加者への心証を害する様子など、尾首にも出したことは無かったというのに。
無礼にも自分から身を竦めて逃げるふうを見せるオトコを引捕らえ、あおいは言葉とは裏腹にごく穏やかな顔で昴
治の瞳を覗き込んだ。
話してごらんよ、私でよければ。今や家族にも等しい友人が、優しい眼差しで告白を促す。
「・・・実は、さ」
得意気な歌声と拍手喝采、頓狂な掛け声に、そこここで交わされている雑多なお喋り。
そんなこんなに紛れてならば、いま抱えている気鬱を口にしても周りを煩わせることはないだろうか。未だ「義務」と
「気掛かり」を乗せた両天秤の目盛りに心揺らしながらも、結局昴治はあおいの気遣いに甘える方を選んでしまうこと
にした。
「ブッキングかあ。しかも祐希と。そりゃあ気が重いねえ」
弟について、今夜の約束絡みの事だけに絞って話したに過ぎなかった。であるのに、あおいは「祐希が兄を食事に
誘った」という一大事にはさして衝撃を受けた様子も無く、昴治が不思議に思ったほど切実な面持ちをして幼馴染み
の心情に同意を示してくれた。
「でも、いくら昴治が悪いったって、何も無言で切らなくたっていいのに。そーゆートコは相変わらずなんだからっ」
我がことのように憤慨し、あおいは腕組み姿も勇ましくソファの背にふんぞり返る。
「もお、しょうがないなあ」
やれやれと呆れた表情も明らかな友人の溜息に、昴治は何やら自分の方が申し訳なく居所ない気分になって俯く
しかなかった。
「だから。行って良いよ、祐希んとこ」
あおいが続けた思いもよらない一言。辺りの騒がしさ故の、都合の良い聞き違いかと伺う視線で問いかければ、幼
馴染みはそんな逡巡をも見通していたと言いたげに笑ったものだ。
「一緒にご飯、食べたかったんでしょ?だから、行きなよ。ここは私に任せといてっ」
「や、でも---それは流石に・・・大体あいつ怒ってるし、今更・・」
「合コン」よりも弟を優先する男、という何とも体裁の悪い肩書きを与えられたも同然の運びだった。
けれどこの時の昴治には、目の前に提示された、ひどく気持ちを揺るがせる「お許し」を得られた事ばかりが重要で
あったらしい。遠慮の言葉を発しはしたが、それは身に馴染んだ「義務感」が言わせた痩せ我慢であることが、聞く者
にあからさまに伝わるものでしかなかった。
「何言ってんの。そんなに気持ちがお留守じゃ、ここにいたって却って皆に悪いわよ」
当然のことながら全くの図星をつかれ、面目なさに口篭る。しょぼんと項垂れてしまった昴治は、だからその時友人
が浮かべた、深い思慮をたたえた切なげな眼差しに気付かなかった。
「ほら、早く!もたもたしてる分だけ、あいつの機嫌悪くなるばっかりだって。それに、断言してもいいけど。祐希絶対
昴治のこと待ってる。わたし自信あるよっ」
俯く幼馴染みの左肩を遠慮なく連打しつつ請け合ってみせるあおいに、とうとう昴治は今夜二つ目の甘えを願うべく
心からの感謝を込めて両手を合わせた。
有難く授かった友情の証の為に、じんじんと鈍く痛む肩をこっそりと慰めながら。
幼馴染みの協力---派手な歌を派手な振り付きで熱唱し、皆の気を引いてくれた---を始め、幹事であるが故ドア近
くに陣取っていたこと、特に手荷物の一つも無かった事も幸いしただろう。昴治は誰の非難も浴びることなく「催し」か
ら抜け出すことが叶った。
頃は7時を30分ほど過ぎたところ。
昴治の謝罪を断ち切った弟は、何処かに出掛けることなく自室に居てくれるだろうか。
普通に考えれば、事前に連絡を入れてから訪ねるべきではある。が、先刻の仕打ちを思うだに、手にしたIDを操作
することに躊躇してしまう昴治だった。
(今日のところは大人しく帰って、明日改めて謝りにいこうかな・・・いや、でも---)
折角のあおいのパフォーマンスを無駄にするのは申し訳ない。そして何より、祐希が声を掛けてくれた---この折角
の、二度とはないかもしれない機会を無為にしたくはなかった。
逡巡しながら歩くうち、当然目的地に辿りついた。ここまで来たら後はもう覚悟を決めるしかない。一度決心を固め
さえすれば、いまの昴治が向きあうべきものから逃げ出すことは皆無といってよかった。
遠慮がちにインターホンを鳴らして待つこと、1分と26秒。
マイクを通した誰何の声---何時にも増して不機嫌そうな---に、つい「俺」などと簡潔に過ぎる応えを返し、それきり
黙ってしまった相手をドギマギしながら更に待つこと、1分と11秒。
かくして。随分と長かったような、祐希にしては意外に早い対応であった様な待ち時間の後、昴治にとっての天の岩
戸はようやっと開かれたのであった。
静かに開いたドアの内側、斜に構えた---ように見えるのは罪悪感の所以か---祐希は、タンクトップにジーンズと
いう出で立ちに氷の如き無表情をまとっていた。
顔を合わせた途端どやしつけられるのだろうと心の準備をしていた昴治は、弟のそんな冷静さに安堵するより焦り
を覚えた。
呆れられた。いや、それだけならばまだしも、最早腹を立てるだけの価値さえをも、祐希の内の自分は失ってしまっ
たろうか。
動揺に立ち尽くす兄を置き去りに、祐希は無言のまま踵を返した。鼻先でドアを閉められなかったことを入室の許可
と敢えて都合良く判断し、昴治は慌てて弟の見目麗しい後ろ姿を追い掛けた。
「今日はホントごめん!俺、本気で今夜の用事忘れてて。でも幹事だったから。行かないワケにはいかなくてっ」
「なら、なんでここに居るんだよ」
ベッドの上に胡座をかいた祐希は、こちらを見るでなく、またさして興味もなさそうな素っ気ない口振りで兄の言い訳
を難なく断じた。投げられた問いは至極当然のものだった。
「・・・いやそれは、だから・・・一緒に幹事してたあおいが---気、利かせてくれて・・」
「気?何の」
「っ・・・いや、それはその・・・」
答える声が篭りがちになったのは、今更ながら「合コン」よりも弟を優先したがった自分に、些かどころでない気恥ず
かしさを抱いたからに他ならない。しかももごもごと口篭っている間に、健康な身体が当たり前の要求を付きつけるべ
く腹部から大音量でシグナルを発したものだから、昴治の居た堪れなさはここに極まる羽目となった。
「・・・あんた、食ってねえのか。飲み会に出てたクセして」
ベッド脇で動揺に固まっている兄を見上げてきた祐希の、あからさまに怪訝な視線が痛かった。
「だって!・・・お前が---あんなうふうにコール、切るから・・」
思わず声を張り上げた昴治にしかし、弟は「だから何だよ」等と再びの追求をしてはこなかった。もっとも立派な逆
ギレであるところの発言の所以に、弟が本気で気付かぬ筈はなかったから、
「で、機嫌を窺いにでも来たのかよ。わざわざ腹減らしたまんまで」
「・・・・・・さっきは全然、食う気がしなかったんだよ。別に・・・わざわざじゃ・・」
八割方の図星をさされ、昴治は益々居所無く身を縮める。ベッドから腰を上げた祐希はそんな兄からあっさりと目
を逸らし、何事もなかったかのような素振りで簡易キッチンへと足を向けた。
やっぱり、怒っていた。
激昂でない分、祐希の怒りはきっと深いのだろう。
自分の迂闊さが今更に改めて悔やまれ、昴治は落とした肩の角度と同じだけ深い溜息をついた。その時。
俯いた昴治の鼻先に唐突につきつけられたのは、テイクアウト用の黒いパックプレート。
そこには現在リヴァイアスで人気フレンチ店NO,1との呼び声高い、昴治の好きなクリームコロッケが絶品だとの
噂の店名ロゴが、鮮やかな赤で記されていた。
ブッキングの故、祐希からの食事の誘いに兄が断りを入れてきてから、2時間と少し。
優先した合コンに参加している間も、昴治が反故にした弟との約束を気に病んでいたろうことは、改めて詫びに来
た情け無い顔を見るまでもなく分っていた。
別に怒ってはいない、気にするな、と早々に言ってやらなかったのは、身に染込んだ渋面を意図せず装っていた祐
希の気持ちを解そうと、懸命に言葉を継ぐ兄が可笑しく可愛いらしく思えたからに他ならない。
まして先刻のコールでの「仕打ち」がこうして昴治の気を引く為であった事など、白状するつもりもない祐希だった。
昴治が空腹に腹を鳴らした時には、流石に笑いが込み上げそうになった。一先ず堪えてはみたけれど、いまの祐
希が昴治を前にそう冷淡な態度を続けられるはずもない。
しょんぼりと小さくなった兄をこれ以上苛めてしまわないうちにベッドを降り、簡易キッチンの一面だけのパネルヒー
ターで保温しておいたパックプレートを取り上げた。一度は行ってみなきゃダメだよ、等と散々あおいが宣伝してくれ
た、兄の一番の好物が売りだという---今夜のために祐希が予約を入れてあった店のテイクアウトを。
「・・・え・・?」
鼻先に些かぞんざいに差し出したそれに、当然のことながら昴治は目を丸くした。尚も押し付けるように示したプレ
ートを受け取って、
「これ・・・何?なんで」
「今日行くはずだったとこのだよ。直前過ぎてキャンセル利かねえっていうし」
仕方ねえから包ませた。驚き冷めやらぬ様子で手元と弟を見比べる昴治に、愚痴のニュアンスで告げた言葉は真
実だった。
昴治がこの店に行きたがっていた事実を先からあおいに聞いてあったことは、勿論伏せておく。
「腹減ってんなら食ってけよ。俺は終わったから」
コーヒーでいいな、と言い置いて返事も聞かずに用意を始める。弟の背中に暫く遠慮がちな視線を注いだ後、どこ
か内緒話のような語韻をもって昴治は言った。
「ありがとな、祐希。俺・・・ここのコロッケ、すごく食ってみたかったんだ」
振り向いた先には、パックを開いた兄の満面の---それでいて少しはにかんだ笑顔。琥珀の香りを満たしたカップ
を手渡すと、その笑みは僅かにも褪せることなくすべて祐希へと向けられた。
空腹よりも、もっと深い飢えを柔らかく満たしていく---真冬の陽光のように。
今日の昼、唐突に夕食の誘いをかけた際には、あまりにも鈍感に過ぎる兄を少々懲らしめてやる---昴治にして、
それが云われない批難であろうとも---つもりだった。望みを叶え、いつにない気遣いを見せ、甘やかすようにどこま
でも優しく接し通し、そうしてまたいきなり素気無く身を翻して。
昴治が祐希との距離を縮めたがっていることは既に疑う余地もなかったから、弟のそんなどっちつかずの態度は
この単細胞を戸惑わせ焦りを抱かせただろう。
上手くすれば「近づけたかもしれない弟との距離」を惜しんだ兄に、祐希の背を追わせることさえ出来るかもしれな
い---そんなふうに思いもした。抱き癖のついた子猫が、飼い主の腕から下ろされまいとシャツに爪を立てるように。
けれど。
ベッドの端に腰を下ろし、部屋に1つきりの丸テーブルで満足そうに好物を頬張る昴治を見るうちに、祐希は自分の
中のあれこれ賢しい思惑が大層つまらないモノだったように感じ始めた。
こんなふうに自分の側で、気を許して寛ぎ、屈託ない笑顔を見せる兄が在る。
それなのに---そんな昴治をどうして、さしたる根拠もなく殊更に苛める必要があったのか。
(考えてみりゃあ・・・口説くにしたって、この激鈍野郎相手に持って回った遣り方なんか、多分無駄・・なんだよな)
祐希とて恋愛に関し決して達人とは言い難いが、相手に自分からアプローチしてきた実績から鑑みれば、辛うじて
兄よりも経験値は高いだろう自負があった。などと、またぞろ祐希が己の思惑に耽っていた最中、
「・・・あー・・あのさ、祐希」
手には食べかけのパックを掲げたまま、思い余った様子で昴治が言った。
「さっきから何で・・・何をずっと、見てんだよ?」
狭い個室のこと。先ほどより、そう遠くも無い位置からまじまじと食事風景を見られ続けていた兄が、居心地の悪さ
を抱いたのは至極当然のことだった。
「・・・別に。ただ」
どう口説いてやろうか考えていた、とは勿論口にせず、祐希はベッドからゆっくりと腰を上げた。不可思議そうに首
を傾げる兄へと歩き寄り、自分を見上げるその年齢よりも幾分幼い顔の上に屈み込む。
「メシ粒。何時気が付くか、と思ってたんだけどな」
何、と昴治が問い返す間もなかった。
まろみのある白い頬に、祐希はそっと唇を押し当てた。ほんの一瞬。小鳥が木の実を啄ばむ程度の、それはそん
な稚い行いでしかなかった---けれど。
「-------っ!」
テーブルを蹴り倒す勢いで昴治はその場に飛び上がった。
「なっ!何す・・・っだ・・・!!」
パニックのあまりにか必死の様相で発した声は見事にひっくり返り、実際座っていたカウンターチェアは派手な音
を立てて床を転がった。
兄が取り落とした---というより放り出したプレートパックを絶妙のタイミングでキャッチして、祐希は触れる前とは対
照的に真っ赤に染まった想い人の貌に、半ば呆れて見入ったものだ。
「お、お前!なに、すんだよっ」
飲み込みかけていたものを喉に詰まらせでもしたのだろう、咳き込みながら、それでも昴治は弟の不埒な所業を責
め立てる。
「なに騒いでんだよ。ちゃんと言ったろ。メシ粒ついてる、って」
憤慨も露に祐希は言ったが、それは全くの嘘だった。幼い頃ならばともかく、いい年をした男兄弟に普通では為す
筈のない行為を仕掛けた所以は、先刻兄に問われた視線の理由を誤魔化すためが半分、残りの半分は勿論ただそ
うしたかったからに他ならない。
「なら口で言えよ!いきなり何すんだよ、もうっ!」
同じ台詞を幾度も繰り返す昴治のその動揺っぷりが可笑しい。緩む口元を引き締めながら、「うるせえよ」と少々つ
っけんどんな物言いとともにプレートを再び兄に押し付けた。
思いもしなかった事だろうとはいえ、何やら昴治の反応は大袈裟に過ぎる気もした。が、これまでの二人の仲違い
の経緯を考えれば、この---昴治にとっては---急激も甚だしい接近の仕方に戸惑うのもまた無理からぬことだった
かも知れない。
食事の残りを掻っ込みながら、兄は未だぶつぶつと文句を呟いている。
今のは実はドタキャンの仕返しだ、と言ったなら。今度はどんな顔を見せて怒るだろう。
次はあんたの奢りだからな、と持ちかけたならば。改めての約束を兄は、やはり喜んでくれるだろうか。
そんな当たり前な会話も、取るにたらない「けんか」も、胸に染み入るような穏やかなひと時も。自らが望んで無駄
にしてきた---4年もの永い時間。
ならば、今更に後もう少しだけ。弟としてしか味わえない、懐かしい交わりを楽しむのも悪くはないかもしれない。
祐希が食の細くなった兄のためにと予め少なく盛るよう注文したプレートを平らげた昴治は、少しだけ眇めた眼差し
を側に立つ弟に投げて寄越した。
そのまま見合うこと、数秒。
ますます渋面になった昴治の方が、まさに渋々の表情で先に視線を外した。バツが悪げにほんの少しだけ頭を下
げて、
「ご馳走さん・・・美味かった」
その声音の情けなさ。とうとう祐希は堪えかねて爆笑した。こんなふうに声を上げ、気持ちよく笑ったのは随分と
久し振りだった。
何だよ、笑うなよ、と兄はなお不機嫌な顔をして見上げてくる。
ただの弟として味わう、この懐かしい交わりのひとときを楽しむ祐希を。
---だから。
いまは、まだ。
あと---もう少しだけ・・・。