愛猫家の嗜み
あいびょうかのたしなみ
−−本当に、猫みたいだ。
昴治は常々そう思っていた。
たとえば今。リビングのカーペットの上に転がってテレビを見ながらうたた寝していたらしい
自分に、何時の間にかひっついて眠っている、自分勝手で強情な甘ったれ坊主。一つ違い
の弟、名を祐希という。
可愛い顔立ちに似合わぬ人見知り故の素っ気なさと、何でもそつなくこなす生来の出来の
良さ。
世間の大人たち−−多分に女性らは、弟のこの絶妙なアンバランスさを愛おしんだものだ。
だからといって殊更昴治が蔑ろにされていた訳ではないが、小学生と中学生というスタンス
に立った今、凡庸な兄のフクザツな胸中を察してくれる者がいないのも事実である。
昴治がそっと起き上がると、相葉家のサラブレットは兄の袖を握った手もそのままに、不服そ
うな表情で身じろぎをした。未だ目を覚ます気配はない。
(こうしてると昔のままなのにな・・・)
最近昴治に見せるようになった、見下すような強い眼光が瞼の下に隠れているせいか。
少女めいた貌やこうして自分を求める素振りを目にするにつけ、逆に弟の態度の変化を認め
ざるを得ない昴治だった。
幼い頃は兄の後をついて回ることしか出来ない、大人しく泣き虫なチビでしかなかったのに。
何時の頃からか、何かある毎に酷く昴治を馬鹿にするように、突き放す物言いをするように
なっていた。急に伸び出した祐希の身長のせいもあったろう。まさに兄弟の力関係は一転して
しまったのだ。
昴治の、兄としてのなけなしの矜持だけを置き去りにして。
(たまに気が向くと、こうやって甘えてくるくせに)
こちらが構おうとすれば、あからさまに迷惑そうな態度で踵を返す。まさに猫の気質そのもの
ではないか。
何やら段々と腹立たしさがこみ上げて、昴治は些か乱暴に祐希の掴まっていた腕を取り戻した。
寝汚い祐希もさすがに目が覚めたらしく、
「・・・なに、すんだよ−−」
声変わりもしていない声で生意気な台詞を吐く。
「お前が離さないからだろ。俺は出かけるんだ」
素っ気なく言い放って立ち上がった。まったくそんな予定は無かったが、いつもいつも弟に甘
い顔はしていられない。3時を過ぎたばかりのこれからでも、何人か当たってみれば一人くら
い、気晴らしに付き合ってくれる暇な友達をみつけられるだろう。
とうに上着も必要ない季節だから、昴治はその足で玄関に向かった。相手にされず不貞腐れ
たろうかと弟を振り返ってみれば、
「俺も行く」
はたして祐希は当たり前の顔をして後について来ていた。最近では本当に珍しい弟のこの言
動に、昴治は呆れるより困惑せずにはいられない。
「ダ、ダメだ。用があるんだから」
「どんな」
「と、友達ん家」
「どこの」
追求され返答に詰まる兄をじっと見据えてくる祐希は、昴治の嘘を容易に見抜いていたに違
いない。
それでもそれを認めるのが悔しくてそっぽを向いた。多分に恥ずかしさからではあったが。
次の瞬間。
「−−もう、いい」
祐希は唐突に身を翻して、
「どこにでも行っちまえ」
捨て台詞にしては勢いに欠ける声音で言い、階段を駆け上がって行った。
「・・・何なんだよ、あいつ」
取り残すつもりが取り残されて、昴治は何やら身の置き所のない気分で階上を見上げる。
確かに自分の態度は余り褒められたものではなかったが、普段の祐希の在り様だって悪い
のだ。だから・・・なのに−−
「・・・もうっ−−!」
階段を昇る足取りの乱暴さはささやかな八つ当たりだった。
なら一緒に出かけようと、じゃなければ家で遊ぼうと今更言っても、あの強情っ張りな黒猫は
素直に頷きはしないだろう。
放っておけばいいと思う自分も昴治の中にいる。けれどひとまず放っておけないと主張する
自分に従うことにして、兄弟二人の部屋のドアを開けた。
今日はどうやって機嫌を取ってやろうかと算段する胸の内側の隅っこに在る、甘えられたこと
を喜ぶ気持ちになど、少しも気付いていない顔をして。
「昴治は絶対、猫派だよね」
「うんうん、間違いなし」
昼時に入ったレストハウスの1つで、偶然出会って同席したあおいとこずえが向かいの席から
口を揃えて言った。
「何ですか、突然」
隣席からそう問うたのは、単に昼食の為にだけ昴治に待ち合わせを申し出たイクミである。
「今フラ・アテ課で流行ってんの。「犬猫どっちと暮らしたいかで決まる簡単な性格判断」。尾瀬
は犬派でしょ」
「断言しますねえ。うーん、どうだろ」
共に本日のおすすめパスタを啜りながら、幼馴染みと親友は昴治に視線を向けてきた。
「俺に聞くなよ」
興味なさげにそう返す。「つまんないヤツ」と少女らはむくれたが、実際昴治はこういった遊び
が好きではなかった。
どちらと答えても、いいようにからかいの種にされるに決まっている。いささか疑心暗鬼になる
のも、この面子を前にしては致し方ないだろう。
「何はともあれ」
案の定、明るい翠の瞳に面白がる色を浮かべて、イクミは昴治を視線に捕らえながら少女ら
に身を乗り出し、
「祐希くんが犬派なのは、疑いようがありませんね」
いきなり弟の名が出たことに昴治は戸惑った。あおいとこずえは一瞬ぽかんと口を開け、お互
いの顔を見合わせたが速いか、きゃーきゃーと悲鳴のような声を上げてはしゃぎ出す。
「いやーん、イクミったら!そんなにはっきりぃ」
「そうよう!こんなトコで、人に聞かれたら昴治が困るでしょーっ」
意味有りげにニンマリ笑う親友と、それを言葉通りに咎めているとは到底思えない様子の少女
らを前にして、昴治は疑問符を顔中に張り付けるしか出来ないでいた。笑い転げる幼馴染みの、
「昴治ってば冷静な顔してえ、自分が犬タイプだって自覚ないのおっ」
聞き捨てならない一言を聞くまでは。
刹那言葉の意味を咀嚼した昴治に、頬がかあっと燃え上がるのを抑える術はなかった。
前言撤回。
どちらと答えても−−答えなくても、結局からかいの種にされる事は、とうに決まっていたら
しい。
「一人暮らしで飼うなら、犬と猫どっちが好み?」
V・Gのパイロットブースのパーテーションの上から、見慣れた顔が極上の笑みを浮かべて現
れた。
「邪魔だ」
質問者に一瞥もくれることなく、問われた祐希はピシャリと断じた。まさににべもない態度だが、
問うた側のカレンはこの道−−祐希の扱いにかけては達人の域である。些かも動じた様子も
なく、
「うーん、確かに犬は世話がかかるし、猫は好き勝手に甘えてくるけどね」
「空っ惚けんな、作業の邪魔をするなって言ってんだろうがっ」
「大丈夫よ、提出期限は明日でしょ。祐希なら楽勝。で、どっち?」
「下らねえ」
「お兄さんは猫派なんですって。祐希も同じかしら」
毎度の事ながら祐希はカレンに口では決して叶わない。どれだけ気が向かなかろうが、重要
な事柄にせよ軽口にせよ、結局付き合わざるを得ないのが現実だった。まさしく今のように。
「・・・何なんだよ、大体その質問の意図は」
苦虫を十匹ばかり噛みつぶした表情で、不承不承キーボードから指を離す。見上げた先には
カレンの晴れやかな笑顔が待っていた。
「あおいさんから聞いたの。要は一緒に暮らす相手にどっちのタイプを選ぶかによって、その人
自身のタイプを決めつけちゃおうってお遊び」
従順をモットーとする犬をパートナーに選べば、自分本位の我が儘者。
その逆に自由奔放で自我の強い猫を選ぶなら、主体性のないお人好し。
言うまでもなく、心理学も人間学も一切合切を無視した、ただのこじつけである。兄に輪をかけ
てこの手の遊びを嫌う祐希が、呆れる余り言葉をなくしたのも無理はない。
「だから言ったでしょ。お遊びだって」
いつの間にか自分の席に戻っていたカレンの声が隣ブースから聞こえて、祐希ははたと先ほ
ど彼女が口にした台詞の1つを思い返した。
「・・・兄貴は猫派だって、あおいが言ったのか」
「そうよ。まあ当然、よね」
「当然」に妙な抑揚を持たせて相棒は言う。思わず立ち上がった祐希の視界に、ブースの影に
隠れ声を殺して笑うカレンが映った。
「そっか。祐希、自分が猫っぽいって自覚あるんだっ」
舌打ちをして座り込もうが時すでに遅しだ。
今更ながらただからかわれただけの自分に腹を立て、コックピットの床を蹴り付けるしかない
祐希であった。
部屋に戻ると、ベッドはすでに図体のデカい黒猫に占拠されていた。
「ただいま」と声をかけても、布団ごと身体を揺すってみても、祐希は起き上がるどころか顔も
見せない。最近、というより昴治に「告白」をして以来、弟のこんな態度は初めてのことだった。
(こたつの中の猫じゃ、あるまいし)
随分と懐かしいその様子に独りごち、そういえば昔はよく祐希を猫みたいだと思ったのを思い
出す。次いで昼時に仕掛けられた、埒もない「言葉遊び」を。
いま祐希が身を起こしたら、茹でダコ状態のこの顔を見咎められるだろう。本当に疲れている
のか、機嫌が悪いだけなのかは定かでないが、ここはそっとしておこうとベッドから身体を離した
途端、急に伸びてきた腕が昴治の手首を捕らえた。
「うわっ!ゆ、祐希−−起きてんなら返事くらいしろよっ」
のそのそと上掛けから這い出てきた弟の端正な横顔は、いつもの不機嫌面というより、拗ねた
子供のそれに近い。
「・・・あんたのせいだ」
恨みがましくそう言って兄を引き寄せ、その薄い胸に顔を押しつける。
「あ?何なんだよ、帰る早々にお前は」
昴治はぶつぶつと文句を口にしながらも、ほっと安堵の息をついた。これなら頬の火照りにも
気付かれなくて済みそうだ。
喉元に触れる祐希の黒髪を撫でつけると、幼馴染みの楽しげな笑い声が耳に甦った。
『昴治は絶対、猫派だよね』
幼い頃から昴治は 犬にしろ猫にしろ 何かを飼いたいと強く望んだことがない。ただでさえ
手の掛かる弟がいたせいで、というわけでもなく単に興味の対象ではなかったのだろう。
それでも改めて犬猫のどちらかと問われれば、
(猫、かな・・・って思うのは やっぱ、刷り込まれてるって事かよ・・・)
己の単純さに目眩など感じつつ、やれやれともう一度溜息をこぼす。
腰に廻された弟の腕の力が増した。
「祐希?」
「・・・嫌なのかよ」
「は?」
だから何が、と続けかけて、ああ今度のは「この体勢」を指すのだと察した。昴治の心情を知ら
ない祐希が、兄の漏らした二度の溜息を曲解したのも無理はない。
「バカ、そんなワケないだろ」
両腕を背中にまわして抱きしめた。腕の中からくぐもった声が応える。
「あんたに馬鹿って言われんの、すっげえ心外」
遠慮なく振り下ろした握り拳に、内も外も出来の良い弟の頭が派手な音をたてた。
「痛えっ!」
「−−早く離れないと、馬鹿がうつるぞ」
する昴治の腕を逆にとり、祐希はベッドの上に胡座をかいた足の間に兄を抱え込む。
離せ、と睨み上げてはみるが、正直昴治の中に怒りらしきものは見つかりそうもなかった。ただ
胸の内に、少しも不快ではない微かな疼きが湧き上がる。
「だってあんたは、猫がいいんだろ」
「−−はあっ?」
本日三度目の間抜けな合いの手が口をついた。どんな顔で言っているものやら、昴治の右肩
に顔を埋め、祐希はでかい図体を預けてきた。
「重いって、祐希。じゃなくて・・・お前」
そういえば先刻の祐希の第一声 あの拗ねているような態度からして。
「あおいに何か・・・言われたのか」
いつだって人を馬鹿にして生意気な口をきくくせに。
「俺は犬なんか、いらねえ」
身勝手で偉そうで、人を自分のいいようにして。
祐希はやっと視線を合わせた。その眼差しの強さに押し切られるように、昴治は弟の導きの
まま、白いシーツに身を沈める。
「いらない・・・」
優美な眉を悔しげに寄せ、祐希は口篭もった。
胸の疼きは甘さを増して、その息苦しさを解放するため、昴治は自分に覆い被さる恋人の袖口
をそっと引いた。
「うん・・・祐希−−」
近付いてくる端正な貌を見つめ返す。言葉でなくても今の昴治には、祐希の「声」が確かに聴
こえた。苦手なそれに悩むより先に、その激しい「熱」を伝えて欲しい。
あんたしか、いらない。
形には出来ないほど深く大きな−−本当の想いで。
二階に逃げ込んだ黒猫を追って部屋のドアを開ければ、まず始めに目に入る弟のベッドの上
には、布団の小山が出来ていた。
何かというと不貞寝に走るのが最近の祐希の行動パターンだ。
「こんな時間に寝ると、また夜眠れなくなるぞ」
わざと大きな音を立てて階段を上がってきたから、自分が弟を追いかけてきたことは当人に知
れていただろう。思った通り掛けた声に反応はない。
「なあ、夕飯作るのつきあえよ」
盛り上がった布団がほんの少し身動きした。
その反応に気を良くして、昴治はベッドの脇に膝をつく。布団の端から右手を滑り込ませると、
すぐに弟の真っ直ぐな髪に辿り着いた。
手に馴染んだ、すべらかで確かな質感の祐希の黒髪。
指に絡ませるように幾度もすいた。心地よいそれは、やはり猫の美しい毛並みを連想させる。
「−−友達んとこ、行くんだろ」
くぐもった小さな声は涙に掠れていた。昴治の胸の奥がちくりと痛んだ。
「やめた。もう夕方んなるし。それに・・・」
「・・・それに・・・なんだよ」
お前が珍しく甘えてきたのが嬉しいからだよ、などとは口が裂けても言えるはずはなく、昴治は
理由を探して弟の散らかし放題の部屋を見渡した。
勉強机の上の給食当番用かっぽう着が目に止まる。昴治が洗ってたたんでやったそれを洗濯
に出した時の−−「今日カレーだった。うちのの方が全然うまい」−−祐希の不満顔が思い出さ
れた。
「お前うちのカレー食べたいって言ったろ。野菜の皮むき、時間かかるし」
「−−言ってない・・・」
その通りだったので無視を決め込み、昴治は立ち上がりざま布団の頂上を勢いよくたたいた。
「いいから手伝えって」
祐希は何の返事も返しはしなかったが、階段を下りる背中越し、ベッドの小山がのそのそ起き
上がる気配がした。
今日はあいつにタマネギを剥かせてやろう。知らず緩む口元で昴治は独りごちる。
何やかやと文句を言いながらも、祐希は負けず嫌いを発揮して任務を全うするだろう。泣き腫
らしたまぶたの言い訳ができるから、逃げ出したりせず昴治のそばにいる−−きっと。
昔からそうしてきたように。
片時も離れずに−−ずっと。
<END>
くさか智さまリクエストの「甘えたがりな弟祐希とお兄ちゃんな昴治のLOVE2」でございました。
お題クリアしてますでしょうか・・・まだまだですか?特に(どこかにある)Hが(涙)
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