第五章 笑顔が一番
時は少し戻り、日没後の教室。 明かりも何も点いていない教室内に、2人はまだそこにいた。 「……ありがと。もう、大丈夫」 そう言って顔を上げた美影は、確かに言葉の通り、立ち直った顔をしていた。 落ち着いた目をしていて、泣き出す様子は見受けられない。 よく見ると、目はまだ赤かったが。 でもまぁ、もう大丈夫そうだと思った俺は、やれやれと言った風に溜め息をついてから、 美影に言葉を返した。 「そりゃ良かった。……そんじゃ部に戻るぞ。まぁこんな時間じゃ、後何分も……ん?」
ブー。ブー。
言っている最中、ポケットの中に入っていた携帯が震えだした。 取り出して見てみると、どうやらメールが来たようだった。開いて文面を見る。 そのメールはレイからのメールだった。 『部活終わったよ。僕達はもう帰るね』 「…………」 なんてこったい。連れていける状態になったと思ったら、部活自体が終わっちまった。 了解、とだけ返事を返して、俺は携帯を閉じた。 そしてそれから俺は、少し責めるように美影にこう言った。 「ほら見ろ。お前のせいで部活出れなかったじゃないか」 「たとえそうだとしても、それをさっきまであんな状態だった私に言う?」 「……確かに」 ジト目でそう返されてしまった俺は、即座に納得してしまった。 続けて、俺を論破した美影は、得意げに微笑みながらこう続けてきた。 「そう。普通ならしない。だからあなたは不自然。それに気づいた私は自然」 「あ、てめっ。このやろっ」 「ふふっ」 美影は笑った。とても楽しそうに、良い笑顔で。 (うん。やっぱり、女の子は笑ってる姿が一番可愛いよな。 見てて、こっちまで幸せな気分になる) すっかり立ち直ってくれた美影を見て、俺も笑みを浮かべる。 そうして、少し見とれていた所で、俺はある事に気づいて美影の顔に手を伸ばした。 「? なに?」 「いいから。じっとしてろ」 頭の後ろまで手を伸ばし、巻かれている包帯に手を当てる。 そして俺は、撫でるようにして結び目を探した。 (……お。ここか) 手探りだけで見つけることが出来た俺は、 もう一方の手もそこまで伸ばして、その結び目を解いた。 そしてゆっくりと包帯を外してゆく。 シュルシュルと解いたその包帯を、両手で受ける。 完全に包帯が外されたその時、そこには綺麗に閉じられたまぶたがあった。 ゆっくりと開かれた時、鮮やかな碧眼が俺を見据える。 両目でお互い目を見合わせた後、小首を傾げながら、美影が俺に問いかけてきた。 「どうしたの?」 「いや、涙で少し濡れてたからよ」 「あ……」 俺の言葉を聞いた美影は、まるで気づいていなかったといった風に声を漏らした。 俺の手に握られている包帯は、一部濡れている。 手に少しの冷たさを感じながら、続けて遠慮するように美影はこう続けた。 「別に良かったのに」 「そうか? んじゃ俺が見たかったってことで1つ」 「……ばか」 そっぽを向いて、呟くように美影はそう言った。 こちらから見える横顔からは、照れて赤面していることが良く分かる。 あの時ほどではないから、思考停止はしないだろう。 でも念のためここで軽口は止めておく。 「よし、帰るか」 「ん」 そう言うと、美影は身繕いをしながら立ち上がった。 俺も久方ぶりに立ち上がる。 ずっと同じ姿勢だったからか、少し腰が痛い。 腰を何回か叩いた後、俺らは教室を後にした。 出ていった廊下はなかなかに暗い。 数十メートル先は、もう全く見えなかった。 歩き出した所で、俺はある事に気がついた。 (そういや、バッグ美術室に置きっぱじゃん……) 割と冷や汗をかいた俺だった。 中に鍵入ってるのに……。 まぁ、誰か家に居ると信じよう……。はっはっは、居なかったらどうしよう……。 諦めて視線を下ろすと、俺と同じく美影も何も持っていなかった。 怪訝に思って問いかける。 「美影。お前バッグはどうした?」 そう聞くと、美影は大して気にもしていないようにこう返した。 「さぁ。多分教室」 「おいおい……。教科書とか入ってるだろ」 「そうだけど。別にそこまで大事なものでもないでしょ」 まぁ俺ら生徒からしたらそうかもしれんが……。 先生が聞いたら泣くぞ。 一応『大事な教材』って扱いなんだろうし。 ま、本人もこう言ってるし、もう階段も降り始めてるからいっか。 また上るのはちと面倒だ。 階段を降りていると、下から見覚えのある人が上がってきた。 担任の鈴木先生だった。軽く挨拶をする。 「さよなら〜」 「さよなら」 俺に続くように美影も先生に挨拶した。 鈴木先生は、少し呆れたような表情をしてから、返事を返してくれた。 「なんだお前ら、まだ居たのか。早く帰れよ」 「分かってますって」 「もう遅いからな。気をつけて帰れ」 「分かりました」 お互い立ち止まることなく言葉を交わし、そのまますれ違う。 姿が見えなくなった所で、俺はふと呟いた。 「大変だねぇ。宿直ってやつか?」 「違う。多分ただの見回り。最近は宿直なんてほとんど無くなったし」 「そうなのか? 俺が通ってた小学校は、当時宿直の先生居たからなぁ。 てっきり高校でも――ってうおっ!!」 「? どうしたの?」 キョトンとした顔で問いかけてくる美影。 全く心当たりが無いような顔してるが、 俺が声を上げたのってお前を見てびっくりしたんですけど。 「お前、いつの間に巻いたんだよ」 「巻いた? あぁ……」 俺の言葉を聞いて、顔に巻かれた呪縛布もとい包帯を撫でる美影。 確か、ついさっき外したと思ってたんだけどなぁ……。 今度は俺が首を傾げていると、美影は普通にこう返してきた。 「階段降りてる時。正確に言うと、下から足音が聞こえた時に巻き始めた」 「…………」 なんという……。そこまで徹底してるのか、お前……。 ていうか巻くの早いな。しかも俺全然気づかなかったし。 お前が巻いてるのも、鈴木先生の足音も。 「……やっぱお前、不自然ってことで良い?」 「ダメ」 「そうですか」 もうすぐ1年になるが、未だにこいつはいまいち分からんな。
続
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