第六章 他人以上、知り合い未満
美術室に帰ってきた増田は、中の様子を見て一言言葉を漏らした。 「ん? どういう状況だ、これ」 西園寺さんから手を離して、増田がそう聞いてきた。 どう説明するものか、迷いながら僕は言葉を出した。 「えっと……。これはね――」 「あ―――――――っ!!」 「ん? あっ! お前!」 僕が話し出した所で、桐ヶ谷さんと増田が指を差し合い、何やら大声を上げた。 ……えっ? 知り合い? 「さっき私にぶつかった人!」 「小明じゃねぇか!」 「「えっ?」」 そう言ったかと思ったら、 話が噛み合っていない事に気づき、間抜けな声を出しながら双方共に聞き返す。 状況に付いていけない僕は、しばらく黙る他無かった。 「……なんで、私の名前を知ってるんですか?」 相当数警戒して、桐ヶ谷さんは増田にそう聞いた。 聞かれた増田も、少し動揺しながら言葉を返す。 「い、いや……そ、それはだな……」 返すというより、はぐらかしている。 何か言いたげな様子だったが、増田はそれ以上言葉を繋げることはなかった。 「もしかして、ストーカーさんですか? だから私の名前を知っていて……」 「ち、違う違う! ストーカーでは断じてないっ。 俺がお前の名前を知ってるのは……そう! こいつにさっき聞いてたんだよっ」 そう言って、隣に居た西園寺さんを指差す。 いきなり渦中に放り込まれた西園寺さんは、怪訝な表情を浮かべていた。 「私? 私は別に何も――ムグッ」 「そうだよなっ。さっきここに来る時に教えてくれたもんな!」 西園寺さんの口を塞ぎながら、補足を付け加える。 「綾先輩が……? まぁそういうことなら……」 そう言いながらも、増田に対する警戒の目は解こうとしない。 増田は力無く笑顔を浮かべるだけだった。 「どういう状況、これ?」 僕はレイ君に近づいて、相対している二人に聞こえないように、小声で問いかけた。 「僕にも分からないよ。二人は知り合いだったのかな?」 「そうは見えないけど……」 「だよね」 レイ君も困った顔をしていた。 何せこれだけ複雑な状況下だ。どう反応していいか判断に困る……。 「まさかとは思いますが、あなたも美術部員さんですか?」 「お、おう。まあな」 「えっ……」 「おいこら、何だその露骨に嫌そうな顔は」 「だって嫌なんですもん。人にぶつかっても、ロクに謝りもしないストーカーさんが居るなんて」 「だからストーカーじゃないっての! ぶつかったことは悪かったよ! すんませんでした!」 ……大丈夫なのかな? いやもう色々と。
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「じゃあ入部届け出してきますね」 「ありがとう、小明ちゃん」 「いえいえ、これからよろしくお願いします」 「こちらこそ♪」 鈴本さんと柊さんが回復した後で、桐ヶ谷さんは僕らに向き直ってそう言った。 その表情はとても明るい笑顔を浮かべていた。 「それでは」 桐ヶ谷さんは、入部届けを手に持って美術室を出ていった。 残った僕らは、安堵の息を吐く。 「良かったね、これでようやく安心出来るよ」 「ええ、本当に。小明ちゃんには感謝しなくてはね」 「そういえば増田。結局の所、桐ヶ谷さんとは知り合いなの? なんかえらく動揺してたけど」 僕がそう聞くと、増田は窓の外を一瞥してからこう言った。 「……知ってるには知ってるが、知り合いとも言い難い」 「そう」 「一応念の為に言っておくが、ストーカーは断じてしてないからな?」 「分かってるって」 そう返してから、僕は増田の背中をポンと叩いた。 こいつは重度の変態だが、道は踏み外してはいない。 今まで増田を見ていた僕ないしこの場に居る全員の中に、 この時の増田の言葉を疑う者はいなかった。
少し間が空いた所で、増田が何かに気づいたらしく、再び話し始めた。 「そういや入部で気づいたんだが、レイはいつの間に入部してたんだ?」 増田の問いに、少し困ったような顔を浮かべて、レイ君は落ち込み気味にこう返した。 「ひどいなぁ。僕、2月から既に美術部員だったんだけど」 「えっそうだったのか? すまん、遊びに来ているだけだと思ってた」 「気にしないで。確かにこういう場では言ってなかったから」 「ちなみに私は知っていましたっ」 そう言って小さく胸を張る鈴本さん。 横に居る篠原さんは半ば呆れ気味に言葉を返した。 「そこは誇る場所じゃないですよ、部長」 「そう? まぁ良いじゃない」 何だかいつもより機嫌が良さそうに見える。 桐ヶ谷さんが入ってくれるからだろうか? そんな鈴本さんに対する篠原さんも、先程からずっと微笑んでいた。
市村高校美術部。現在部員8名。活動開始。
続
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