第一章 何かが、おかしい?
「優作―! 起きなさい、朝よ!」 「……ん? う、うーん。ふああぁぁ」 扉の向こうからお袋の声が聞こえてきた。 俺は寝ぼけ眼をこすりながら、上半身を起こした。 (朝か……。ん、朝っ!?) 覚醒してきた頭で昨日の出来事を思い返す。 あれっ? 俺は昨日確か……えーっと、 気絶から目が覚めて……美術室を出たら、田中って奴が居て…… そいつにそそのかされるがままに試薬品Xを……。 そうだ。覚えてるぞ。飲んだ後、俺は気絶したはずだ。 校舎内で。なのに何で俺はここに居るんだ? まさか昨日あった事は全部夢で……。 「……いや、夢じゃなかったようだな」 怪しげに思って部屋中を見回してみたら、 小さいながらも、この部屋の中で一際異彩を放つ物が目に付いた。 (試薬品X……!) ベッドから立ち上がり、机の上に置いてあった茶色い瓶を手に取る。 まだ中身は入っているようだった。 「優作―! まだ寝てるの!? 早くしないと遅刻するわよ!」 「分かってるよ! 起きてるって!」 口うるさいお袋に返事した後、試薬品Xを机に置いて、部屋を出た。 (昨日の事が夢じゃないとしたら、綾に謝らないとな。それとみんなにも) 朝の支度をしている間、俺はその事ばかり考えていた。
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「行ってきまーす!」 お袋の返事も聞かない内に、俺は小走りで家を出た。 試薬品Xの扱いを考えていたら、すっかり遅刻ギリギリになっちまった。 (これを家族に見つかるわけにはいかないからな。間違って飲んじまったら、どうなることやら) あれっぽっちを飲んだだけで、気絶しちまった程の代物だ。 栄養ドリンクのノリで一気飲みでもしようものなら、命に関わるような気さえした。 俺は悩みに悩み抜いた末、試薬品Xを制服のポケットに突っ込んで、早足で家を後にした。 (くっそ〜。近年稀に見る遅刻の危機だぜ。何の因果でこんな羽目に……) 無理矢理遅刻の原因を試薬品Xに押し付けて、 朝っぱらから俺は道中一人マラソン大会を開催した。
ちなみに、綾と美影はこの時俺の隣に表れることはなかった。
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しばらく走った後、俺は二日続けて親友の姿を見つけることが出来た。 走っている勢いそのままに、前を歩いている親友に対して軽くタックルをかます。 「ぃよーう、倉崎! どうだ、今日も元気でやってるか?」 「……増田か。朝から何するのさ」 物凄く虫の居所が悪そうな顔を向けて、いつもよりトーンダウンした声で俺を非難する。 流石にやりすぎたか。と軽く反省してから、 両手を合わせて頭を下げ、昨日の事と共に謝罪した。 「悪ぃ悪ぃ。ちっとやり過ぎた。 それと昨日も済まなかったな。俺のせいで迷惑かけちまっただろ?」 「昨日? あぁ部活中の」 少し怪訝そうな表情してから、思い当たる節が見当たったらしく返答を返す倉崎。 続けて呆れたといった風な顔をしてこう言った。 「あの事なら、僕より先に謝っておく人が居るでしょ」 「はは、違いねぇ。会ったらすぐに謝っておくよ」 照れくさそうに頭を掻いて、バツが悪そうに笑顔を浮かべる。 そうだよな、早く謝っておかないと。 脳内でその時の流れをシミュレートしていると、倉崎がとても小さな声でボソッと呟いた。 「人に好かれるのも得意なのかもしれないけど、人を傷つけるのも得意なんだから……」 「ん? 何か言ったか?」 「なんでもないよ」 「そうか」 原稿用紙一行分にもならない言葉を、二人で繋ぎ合わせて会話を構築する。 それからもそんなような会話が断続的に続き、俺らは市村高校へと登校していった。
「今日もだるいな〜。授業なんて無くなれば良いのによ」 「そういうわけにもいかないでしょ。 ていうか高校は義務じゃないんだから、別に来なくても良いんだよ?」 「確かにその通りなんだがな……? 何つーか俺は、学生らしい青春を送りたいわけよ」 「十分送ってるじゃない」 「そうか? まぁ学生ってだけでも、大人達からしてみれば青春しているのかもしれないが……。 何かこう、そう! 彼女が欲しい!」 彼女が居れば、薔薇色の青春時代が幕を開けるぜ! 力強くガッツポーズを取って、 高らかに宣言していたら、倉崎が疑問の言葉を投げかけようとした。 「はぁ? 増田、今なんて――」 「彼女が欲しいなら、私が付き合ってあげるよ? ゆ・う・さ・く・君♡」 「くぁwせdrftgyふじこlp!!!??? すっ鈴本っ!?」 不意に鈴本が俺の首元に手を回して抱きついてきた。 おかげさんで、倉崎の言葉が聞き取れなかったんだが。 「ふふふ、可愛い。優作君っていつも可笑しな反応してくれるから大好き♪」 「あ、それはどうも。……ん? おい鈴本、お前今何て――」 「鈴本さん、おはよう。今日も相変わらず元気だね」 「あ、おはよ〜。倉崎君。そうね、あなたも元気そうで何よりだわ」 俺の疑問を全く気にしていないように、倉崎と鈴本が挨拶を交わしている。 うん、いつも通りだな……。 (ってそんなわけあるかっ――――!!) 昨日の教訓を活かし、心の中で叫ぶ俺。 ひとしきり叫び終わった後、俺は状況の整理に全脳細胞を回す事にした。 (よし、状況を整理しよう。 俺は倉崎と話していた。そしたら後ろからいきなり鈴本が抱きついてきた。 あれ? これ以上整理する事が無いな……でも明らかに後者に対する俺の理解が及ばねぇ!) 「もう優作君。なんで苗字で呼んでるの? 私の事は名前呼び捨てで良いよ? って言ったはずだけど……」 言ってない! 百歩譲って鈴本がそう言ってたとしても、俺はそれを聞いていない! 続けざまに理解しがたい事が目白押しな事で、 只でさえ頭の中が混乱しかかってるのに、鈴本の声がその混乱に拍車をかけた。 耳元で囁かれる鈴本の声はとても清らかで、今まで聞いた事が無い程の綺麗な声だった。 ポスターを通して聞いた声とは似ても似つかない。 あちらの声がガラス玉だとするならば、 さしずめ今聞いている声は、磨きに磨かれたダイヤモンドと言った所か。 輝いているという面では共通しているが、輝きようが比ではない。 こいつこんな破壊力のある声してたのか。倉崎が気絶する程のことはあるぜ……。 「もう何とか言ってよ〜。それともいつもからかわれているからそのお返し?」 「こんなことされたのは、今日が初めてだと記憶してるんだが?」 さっきからいつもいつもと連呼しているが、 俺の記憶上では鈴本に抱きつかれた経験などしたことがない。 俺が反論すると、鈴本がバレたかといった風に、少し微笑んでからこう答えた。 「えへへ。確かに、いつもはしてないよね」 「だろ? ほれ見ろ、俺の方が正しかった。俺の勝ち」 鈴本を気遣いながら、小さく胸を張る。 その言葉を聞いた鈴本は、パチパチと拍手しながらとんでもないことを言い出した。 「うん、優作君の勝ち。じゃあ賞品として、今日から日課ね♪」 「えっ!?」 何だ? なんか今日の鈴本は様子がおかしいぞ? さっきからやけに引っ付いてくるし、付け加えて凄くご機嫌なようだ。 昨日今日で何があったんだよ。 怪訝に思った俺はストレートに聞いてみることにした。 「どうしたんだよ、今日はやけにご機嫌なようだが……。なんか良いことでもあったのか?」 俺が質問すると、鈴本は笑顔で答えた。 「うん、あったよ。朝から優作君に会えたって事と〜」 「事と?」 まだあるのか、と思って聞き返してみたら、 鈴本は俺の耳元から口を離してから、続きの言葉を呟いた。 「今日は邪魔者が居ないからね」 「え、何て?」 「ううん、なんでもない。ほら、はーやーくー。早くしないと遅刻しちゃうよ?」 「嘘っ?」 時計に目をやると、別にそこまで慌てるほどの時刻ではなかった。 でもあまりに鈴本が急かすので、俺は言われるがままに、歩くスピードを上げた。 鈴本は俺の背中におぶさっているので気楽なもんだ。 まぁおかげで、耳元と背中が軽くユートピア状態だったんだが。 俺ら3人は特に意味も無いままに、早足で学校への道のりを歩いていった。
続
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