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第四章 試薬品X

 

 

 

 

「こんばんは」

美術室を出ると、目の前に見知らぬ男子生徒が立っていた。

指定の制服をピシッと着こなしているが、

校舎の中だというのに、ハットタイプの黒い帽子を目深に被っている。

窓から差し込む夕日が逆光になっている事も相まって、そいつの顔はよく見えなかった。

あちらから挨拶してきたので、一応こちらも軽く挨拶を返した。

「こんばんは。それじゃ……」

いやに気味の悪い奴だったので、俺は早々とその場を離れようとする。

立ち去ろうとした俺の背後から、ひっそりと絡みつくような声が聞こえた。

「何をそんなに急いでいるんですか? 増田優作さん」

俺はいつの間にか立ち去る歩を止めていた。

立ち去ろうにも立ち去ってはいけないような、立ち去ったら最後……。

そんな不安が俺の足を動かなくさせていた。

「そう気張らないで下さい。今日はあなたに贈り物を届けるために来ただけですから」

ゆっくりと歩いて、俺の目の前でそいつは立ち止まった。

俺は立ちはだかるそいつに向かって、恐る恐る疑問をぶつけた。

「贈り物だって? ていうか、お前誰だよ」

言葉だけは威勢良く、こいつの雰囲気に飲み込まれないよう、俺は少し強気に出た。

しかし帽子の男はそんな俺の空虚な強気に一切動じる事無く、おどけた口調で答えた。

「ああっすみません。申し遅れました、では私のことは田中、とお呼びください」

「田中、ね。それがお前の名前か?」

「そういうことにしておいてください」

飄々として掴み所の無い奴だ。

こいつの言動から察するに、田中が偽名であることは明らかだ。

俺は警戒レベルを一段階上げてから、話を進めることにした。

「で、お前は俺に何の用があって来たんだよ」

「え? さっき言ったじゃないですか。あなたに贈り物を届けに来たんですよ」

イラッ。

今の言い方が無性に頭にきたので、俺は冷たく返した。

「俺もさっき聞いたはずだが、その贈り物っつーのは何なんだ? 全く心当たりが無いんだが」

田中が両手を広げて、呆れ顔で肩をすくめる。

「心当たりが無いのは当たり前です。

だってこれは、あなたを不憫に思った私が、一方的に贈ろうと思っているのですから」

「はぁ? おいふざけるならいい加減に――」

「あー落ち着いて下さいよ〜。あなたにとっても悪い話じゃないはずですから。

でもまぁそうですね。百聞は一見に如かず、とも言いますから先にお渡ししておきましょう」

そう言って田中はズボンのポケットから小さな瓶を取り出した。

そして俺に近づき、半ば強引にその瓶を握らせる。

「何だこれ?」

不審に思ってあらゆる方向からその瓶を観察する。

茶色い容器に白い蓋。

一見するとどこかが発売している栄養ドリンクのようにも見えた。

しかし無機質な白い下地のラベルには、乱暴に一字だけ書かれていた。

『X』と。

「それは我が社が開発した『試薬品X』にございます。

よろしければご賞味頂いてもよろしいですよ?」

「いや、遠慮しておく」

どこが開発しただとかそんな事はどうでもいい。

こんな得体の知れない物、簡単に口にしてたまるか。

ただでさえ渡してきた奴も怪しさ満点だってのに。

瓶と田中を見比べて、

色々と言いたいことを飲み込んだ所で、田中が試薬品Xについての説明を続けた。

「その試薬品Xは、使用者の願望を成就させる効果があります。

噛み砕いて言うと、飲めば願い事が叶う飲み物です」

「…………」

なに言ってんだ、こいつ。

「あ! 信用していませんね? 良いでしょう。ではこちらで実践してみますから。

すみませんが試薬品Xを一度こちらにお返し下さい」

呆れ半分、こいつの頭への心配が4割、

残り1割を怒りに割り振った視線を充分に田中に注ぎ続けながら、

俺は試薬品Xを田中に返した。

「使い方はまず口に試薬品Xを含みます。

含んだらそこで叶えて欲しい願い事を頭に思い浮かべて下さい。

後はそのまま飲み込めば、願い事が叶います」

「へー」

「……本当に話を聞いてるのか小一時間ばかり問い詰めた所ではありますが、まぁ良いでしょう。

では僭越ながら実践させて頂きます。あ、適量はこの蓋に収まるくらいが丁度良いですね」

外した蓋の中に中の液体を注ぐ田中。

ご丁寧にも手順の一つ一つをゆっくりと見せてくれた。

どこぞの通信販売かよ。

「それでは。……」

何のためらいも無く、田中は試薬品Xを口に入れた。

しばらくしてから液体が喉元を通って、田中が飲み込んだ事が分かる音が聞こえた。

「…………ふぅ」

やり切ったといった風に満足気な表情を浮かべる田中。

しかし田中はおろか、特に変わった所はどこからも感じられなかった。

「おい、やっぱりガセかよ。何も起こらなかったじゃねぇか」

「えっ、えぇ〜。おかしいですねぇ、すぐにでも効果が表れるはずなんですが」

「一応聞いてやる。お前は何を願ったんだ?」

たじろう田中に厳しく追及する。

さっきから下らない虚言に付き合ってるんだ。

これで嘘だと白状した時にはどうしてやろうか。

田中の凄惨な未来を色々想像していたら、田中は凄く慌てた様子でこう答えた。

「わ、私は『空が飛べるような羽が欲しい』って願ったんですけど……」

「あ? 羽なんかどこにも生えてねぇじゃねぇか。

それとも一週間くらい経たないと生えてこないとか言わねぇだろうな?」

「い、いえそのようなことはっ。だから私も今、疑問に思っている所で――――うっ」

必死に弁解をしている所で、田中がいきなり頭を抑えて苦しみ始めた。

「? おい、どうしたんだ?」

「す、すみませんっ。体が……熱く。

うっ……うああああああああああああああああああああああああ!!」

校舎中に響き渡るような悲鳴を上げた。

頭を抱えたまま膝を付き、痛みに耐えるように悶絶する。

「おい! 本当にどうした――って、なんだよこれ……冗談だろ?」

田中の近くに駆け寄ると、制服の下から勢いよく何かが突き破ってきた。

完全にそれが自由になった時、

俺の目に映ってきたのは……どこにでも飛んで行けそうな、黒い翼だった。

「は、ははは。どうです? 凄いでしょ? これで信じて頂けましたか?」

田中が力無い声を発しながら、誇ったような表情を浮かべた。

俺は目の前の光景を信じる事が出来ず、

ただひたすらに田中の背中から生えた翼を撫で続けていた。

「撫でられるとなかなかくすぐったいものですね」

感覚も共有しているようだ。

納得はしてないが、俺はもう考える事を諦めた。

ただこれだけは聞いておきたいんだが……

「なんで黒いんだ?」

俺の目の前にある大きな翼は、ある意味一点の曇りも無い純粋な黒色をしていた。

その様相を見る限り、まるでカラスのようである。

田中もこの事については同様に動揺しているらしく、乾いた笑顔を浮かべながら問いに答えた。

「さぁ何ででしょうね? まぁこれも翼と言っては翼ですから」

「色の指定は出来ないのかよ……」

「いえ、ちゃんと細かく願えば叶うはずです。

願ってない所は、試薬品Xが勝手に補填するか、設定するようですね」

ふーん、めんどくさい代物なんだな。

この時、俺の頭の中ではもう試薬品Xを疑う考えはほとんど無くなっていた。

目の前でこんな物を見せられれば、誰でもこうなるかもしれないが……。

「では、実践も終わった所で今度はあなたの番です。

さぁさっき教えた通りの順序で、あなたの願い事を叶えるのです」

黒い翼を羽ばたかせながら、田中が再度俺の手元に試薬品Xを渡してきた。

俺は受け取って、

もう一度瓶をあらゆる角度から見て、何かの仕掛けがあるんじゃないかと疑った。

「まだ疑ってるんですか? そろそろしつこいですよ?」

「いや、そういうことじゃないんだが……」

疑ってないと言えば嘘になる。まだ俺の中には常識が生きていた。

いくら非常識を見せつけられたと言っても、常識を捨てきる事は出来ない。

でも……

(もし、万が一、これが本当に願いを叶える、いわば魔法の代物だとするならば……!)

非常識に対する疑いよりも、

最初は僅かだった好奇心という名の欲望が、俺の中でどんどん大きくなってきていた。

その邪な思いを助長するように、田中が俺の耳元で囁いた。

「あと少しです。あと一歩踏み出す事が出来れば、あなたはあなたの願いを叶える事が出来る」

「俺の……願い」

「そうです。さぁその瓶の蓋を開けて」

田中に指示されるがまま、俺は特に考える事もせず、その瓶を閉めていた蓋を取り去った。

「あなたの願いは何ですか? 今の内に固めておいてください。

世界征服? 億万長者? それとも……」

瓶を傾け、外した蓋に中身を注いでいく。

「さぁ飲んで下さい! 

あなたにとっての理想の世界が、もう手に入る所まで来ているのですよ?」

「理想の、世界」

俺にとっての理想の世界。そんな物決まってる。

俺が、俺が願う事。それは……。

俺は蓋に注がれた液体を口に含んだ。そして言いつけ通りに、頭の中で願いを思い浮かべる。

(女の子にモテたい! そして、彼女が欲しい!)

「上出来です」

「っ!? あ、あれ? 意識が……」

飲み干した後急に眠気が襲い、俺の意識を一気に取り去っていった。

意識が失う直前、田中の声が聞こえる。

「いってらっしゃいませ。良い人生を」

 

 

 

 

 

 

目の前の男が完全に気を失ったのを確認してから、

黒羽の男は不敵な笑みを浮かべて笑い出した。

「ククククク。アハハハハ! 

チョロいもんだな、おい! ざっと、俺様にかかりゃこんなもんよ!」

周りを気にする事もなく、大声で独り言を言い続ける。

「こいつも馬鹿だよな。ちょっとけしかけただけですぐ信用しやがった。

翼なんて元から生えてるっての! あの驚いた顔。今思い出しても傑作だぜ! クックック」

ひとしきり笑い終わった後、思い出したかのように男は我に返った。

「おっと、ちゃんとこいつを家まで運ばねぇと。大事になったら、それこそ事だ」

男は気絶した男を背中に背負い、元から生えていた黒い翼を羽ばたかせ、

廊下の窓から月光のみに照らされた大空へと飛び立った。

「でもまぁ恨まれこそすれ、感謝してほしいくらいだぜ。

試薬品Xが願い事を叶える事は本当なんだからな」

我慢しきれずに、再び邪悪な笑みを浮かべる。

「俺が願った事、『こいつが試薬品Xを使いますように』って願いを見事に叶えてくれたしなぁ!」

もうすっかり真っ暗になった月夜を、気絶した男を背負った黒羽の男は、

歪んだ笑顔を浮かばせながら増田を家へと送り届けていった。

 

 

 

 

 

 

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