第五章 優待招待券
月曜日。学校の昼下がり。 「あー。疲れたー。至福の時間だな昼休みってのは」 「午前中ずっと寝てたのに、何言ってんのさ」 「それはそれ。これはこれ」 「どんな理屈? それ」 親友と分け隔てなく談笑する。 何でもないような事ではあったが、今の増田にとっては安息の極みであった。 バイト先では、楽しくも騒がしい出来事が目白押しだからである。 「どう? バイト、うまくやってる?」 「ん? うーんまぁな」 「?」 増田にしては、歯切れが悪い返答だった。 倉崎は一瞬、バイトがうまくいってないのでは? と心配した。 「バイトは……楽しいよ。良い人ばかりだし。毎日行っても飽きないくらいだ。でも……」 「でも?」 「お前と遊ぶ時間が少なくなった―――!」 と言って飛びついてくる増田。それをひらりとかわした倉崎は心配した事を少し後悔した。 「そんな事どうだって良いじゃないか……。ったく、心配した僕が馬鹿みたいだ」 「どうだって良いっ? 俺は、どうだって良い存在。ああ、倉崎がどんどん遠くに……」 露骨に落ち込み始める増田。 だが少しどころか、かなりふざけてるように見えるのは倉崎だけでは無いだろう。 「何、馬鹿な事言ってんのさ……。元々バイトはお前が言いだした事だろ?」 「そうだけど……。そうだ! 今日俺はお前ん家に行く! よし決定!」 落ち込んだかと思ったら、いきなり元気を取り戻し勝手に予定を取り付けてくる増田。 「ちょ、ちょっと待ってよ! いくらなんでもいきなりすぎ!」 「えっ? 駄目なの? がっかり……」 また落ち込んだし……。本当にせわしない奴だよほんと。 倉崎は両手を上げて観念したようにこう言った 「分かった分かったよ。僕の負けだ。じゃあ放課後になったら僕の家で遊ぼう」 「本当かっ! やったー! 久しぶりだぜ、ヒャッホーイ!」 子供のようにはしゃぐ増田を見て、しばらく心配しなくても大丈夫だなと思った倉崎であった。
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「……」 「出かけるのかい? 美影」 「うん。一応……今出来る事は出来るだけしておきたいから」 「そうか……。今週はずっと休みにしておくね」 「ん。ありがと。行ってくる」 「行ってらっしゃい」
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土曜日。増田はこの日も変わらずバイトである。 しかしこの日のバイトはいつもより少しだけ何かが違っていた。 「こんにちはー」 「こんにちは。増田君。それじゃあ、早速だけど制服に着替えてもらって良いかな?」 「分かりましたー」 俺は店の奥へと入っていった。この店は基本的に狭いため、更衣室は存在しない。 だから店員(といっても俺含めて四人しかいない)は皆同じ部屋で着替えをしている。 最初、俺が不可抗力で覗いてしまったあの部屋だ。 今日もその部屋で着替えるのだが俺はあの一件以来、 万全を期すためにしっかりノックをしてから入る事にしていた。
コンコン。
「入りますよー」 俺は部屋に入っていった。そうしたら部屋の中には西園寺がいた。 念のために言っておくが、既に着替え終わっている、制服姿の西園寺がいた。 「お、西園寺。今日もよろしくな」 「……」 いつもの無言。 西園寺にとって、無言は肯定のようなものだから今更どうとも思わないが、 なんだかいつもと違う。 様子がおかしい。何故か西園寺は両手を後ろに回してうつむきぎみだ。 「あの、そこにいられると着替える事が出来ないんだが……」 「……」 「? 西園寺、どうかしたのか?」 「……」 「具合でも悪いのか?」 「……」 変わらず無言。これは困った……。意識的にしろ、無意識的にしろこれは明らかにおかしい。 これは一度店長に報告しにいった方が良いか? いや、それとも柊を呼んだ方が良いのか? とにかく誰かを――。 俺がどちらかを呼ぼうと部屋を出ようとした時、後ろから呼び止められた。 「待て」 静止。しかも命令形で。大人しく止まった俺は、泥棒には向いてないかも知れないな。 「どうかしたのか? 西園寺?」 「……」 再度、固まる西園寺。一体何なんだ? 「おい。本当に大じょ――ってうわっ!」 西園寺が心配になり少し近づいた所、いきなり西園寺が飛びかかってきた。 そして首元に脇差を突きつけられる。 「……俺、何かしたか?」 慣れてしまった自分が怖い。マウントポジションを取られて、 物騒な物が残り数センチの所まで迫っているのに、動揺一つしなくなってしまった。 ただ、何故こういう状況になっているのかは、俺には全く心当たりがなかった。 「良いか? 今から言う事を、黙って聞け」 はい。と言おうとして慌てて言葉を飲み込んだ。 今、言われたばかりなのに、返事なんかした日には何をされる事か……。 西園寺はもうとっくにスイッチが入っているらしく、目が完全に逝っていた。 何故か顔が赤くなっているように見えるが……。 「明日……午前七時にここに来い。来なかったら一センチ四方にお前を斬り刻む」 そう言って、西園寺は恐ろしいスピードで部屋から出ていった。 本当になんだったんだろうか。西園寺の行動はさっぱり分からないまま、 体を起こそうとすると、腹部の辺りに何か小さい紙切れが置いてあった。 「ん? 何だこれ? これは……」 腹にあった紙を見てみると、そこには『富士ランド優待招待券』と書いてあった。 これを見た後、俺はやっと、西園寺の不可解な行動の意味が分かった。 「なるほど。……七時ね。了解、遅れずに来るよ」 俺は西園寺が出て行った方を向き、微笑みながらそう言った。
「着替えてきたね、増田君。それじゃあ今日は厨房を頼むよ」 「分かりました」 今日は柊と一緒か。そういえば、あれから柊は中二病を卒業したのだろうか? あれ以来、会ってないから分からん。 そんな事を考えながら厨房に入っていくと……そこには、誰もいなかった。 「あれ? 誰も、いない?」 少し当惑しているとやや遠くから店長の声が聞こえた。 「ああ、そうそう。 言い忘れてたけど今日、美影有休でいないから! 悪いけど、一人で頑張って!」 「分かりましたー! ってえええええええええ!」 バイト始めてもう少しで一ヶ月。一人で厨房を全部任されるはめになってしまった。 ええい、何とかなるだろ何とか!
「ふぃー。何とか乗り切ったー」 死闘、実に三時間。 小さいながらに常連の多いこの店は、中々に一人で作るのは至難の業だった。 クレームが一切来なかった事が奇跡なくらいだ。 この三時間で柊がいかに手際良かったか、身に染みて実感出来た。 というか店長や西園寺も、俺がバイトしてなかった時期はこれを毎日捌いていたのか……。 そう思うと、三人共尊敬の域に達するよ。 「お疲れ。増田君。今日はもう上がって良いよ。明日、朝早いんでしょ?」 「情報早いんですね……。では、遠慮なくそうさせてもらいます……」 「うん。明日は楽しんでおいで」 「了解しました……」 疲れていつもの気力が無い。早く寝て明日に備えないと。俺は早々に着替えて帰宅した。
続
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