第六章 最後の試験
俺と店長はまずモスラバーガーを出て、すぐ近くの路地に入っていった。 そして少し進んでいった所で開けた場所に出た。 「どこに行くんですか?」 「……」 無言。 店長が俺の問いかけに対して無視をしたのはこれが初めての事だった。 西園寺や柊にはかなり無視されてるけど……。 「さぁ入って」 店長に促された場所は貸付ビルのような縦長い建物だった。 ここが試験会場なんだろうか……。 促されるまま、中に入ってみると生活感が溢れる一般家庭のような玄関がそこにあった。 「あの、店長。ここは?」 「うん? ここはね僕らが今住んでいる所だ。場所的には丁度店の裏辺りじゃないかな?」 ていう事はここは店長の自宅か。ん? 僕ら? 「店長。もしかして奥さんいるんですか?」 「失礼だなぁ。僕にだっていたよ奥さんくらい。」 少し怒ったような表情で非難する。 それにしても、いた。って過去形か……。 店長にも色々あるんだなぁ。これ以上は聞かないようにしておこう。 「そこのソファーにでも座ってて。今お茶を出すからね」 「あ、どうも」 そう言って店長はキッチンへと消えていった。 俺はソファーに座って、失礼だとは思ったが部屋中を軽く見回した。 かといって変わった物とかは一切無かったけど……。 応接間なんてどこも似たようなもんだ。 「お待たせ。おかわりが欲しかったら言ってね」 テーブルにお茶が置かれる。 俺はとりあえず落ち着くために一口飲んだ。うん、うまい。 「さて、本題に入ろうかな。でもその前に、一つ確認したい事があるんだ」 「な、なんですか?」 店長がいやになく真剣な目つきをしている。 それに合わせて何か部屋の中までぴりぴりしてきた気がする。 こんな感じになったのも面接の時以来だな。 「最後の試験は真実の試練だ。 ただ、この試練を受けてしまったら君はもうただのバイト仲間では無くなってしまうんだ。 聞かなきゃ良かったと後悔するかも知れない。それでも受けるか?」 店長の目つきが鋭くなる。 普段見ない店長に少し怖気ついてしまったけれど、 ここまで来たら俺は聞かずにはいられなくなっていた。 「受けます」 はっきりとこう答えた。 危険な所に首を突っ込む癖は治した方が良いと散々言われてるけど、 やっぱり俺は気になる事は知りたくなってしまう。 「そうか。じゃあ話そうか。まずは、そうだな……。出会いから話そうか」 「出会い、ですか?」 「そう。僕と、あの二人のね」
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「僕がまだ二十代だった頃、僕は奥さんだった人と結婚した」 だった……か。やっぱり店長は……。 「結婚生活は何の問題も無かった。ただ、僕の妻は不妊症だったんだ……」 「不妊症、ですか」 「そう。だから僕らの間に子供が生まれる事は無かった。 けど僕らはその時、どうしても子供が欲しかった。 子供がいる事によって、二人の愛を改めて確認したかったのかもしれないね。 最終的にたどり着いた答えが、孤児院から子供を引き取るといったものだった」 「……」 「孤児院にはたくさんの子供達がいた。みんな元気に遊んでて笑っていた。 その中に、まるでそこだけ世界が違うかのように二人だけで遊んでいた子達がいたんだ」 「その子達って……」 「多分、君が思っている通りだよ。その子達が綾と美影だった。 何故か妙に気になってね。僕達は綾と美影を引き取る事にした。 幸い二人共、すぐに懐いてくれてね。そこからはとても楽しい日々だったよ」 店長は話しながらゆっくりと窓の外を見た。その時の情景でも思い出しているのだろうか。 「これこそ僕達が望んでいた家庭だった。愛する人が横にいて、綾と美影は元気に遊んでた。 そしていつも笑顔が絶えなかった。……あの時までは」 店長の顔が曇り始める。 「綾達はすくすくと育ち、小学校に入学した」 「……」 「そしてある日、僕が仕事から帰るとテーブルに一通の手紙が置いてあった。 手に取って読んでみると、その手紙にはこう書いてあったんだ」
『あなたへ。
この手紙をあなたが読んでいる時、私はもう家にはいないと思います。 私は辛かった……。あの子達の笑顔を見るのが……。 あの子達の成長は素直に嬉しかった。でも、それと同時に自分達の子供じゃない、 っていう事を突きつけられるのが凄く辛かった……。 私はもうあの子達を愛する事は出来ない。いいえ、出来なくなってしまった。 ……ごめんね。あなたに全て押し付けてしまう形になってしまったけれど、 あなたなら……私の分まであの子達を愛する事が出来ると思うの。どうか、お元気で。
明美より』
その時、店長の目から涙が零れた。 「あの時僕は、自分が幸せだったからみんなも同じように幸せだと思っていた……。 そんな浅はかな考えがあったから、僕は妻の気持ちに気づいてあげられなかったんだ」 「店長……」 かける言葉が見つからなかった。 俺にはそんな経験は無いから、 こんな時どういう言葉を返してあげれば良いのか本当に分からなかった。 「僕は後悔した。なんでもっと早く気づいてあげられなかったのか。他に方法は無かったのか。 色々な事が頭を巡って僕の頭をかき乱した。しばらくそんな状態が続いたんだ」 店長は本当に辛そうな顔をしていた。 俺がこの場にいなければ今にも泣き出してしまうような、そんな顔をしていた。 「三日くらい経った頃だったと思う。その日、綾と美影が公園に行こうって僕を誘ってきたんだ。 正直気は乗らなかったけど、せっかく綾と美影が誘ってくれたのだからと思って、 僕は二人と公園に行く事にした」 「公園に着いたら、綾と美影がひっきりなしに構ってきてね。一緒に滑り台滑ろう、とか。 四葉のクローバー探そう、とか。追いかけっこしようよパパ、とかね。 とにかくその日はヘトヘトになるまで振り回されたよ。 で、僕がついに音を上げたんだ。もうパパヘトヘトだよ、ってね。そしたら何て言ったと思う?」 「え? うーん。もっと遊ぼうよ、とかですか?」 「はずれ。正解は、あ、やっとパパ喋った! でした。 言われてびっくりしたよ。今まで全く言葉を発してなかったんだって」 店長が照れくさそうに微笑む。 「それで間髪入れずに、じゃあもっと遊んでも大丈夫だねって。 ここで増田君の答えが出てきたわけだ。惜しかったね」 あまり悔しくないのは何故だろう。 「その後は普通に遊んでたと思う。 疲れ切ってはいたけど、普通に遊んで、普通に楽しんで、普通に笑ってたんじゃないかな。 でも帰るときには二人とも疲れたみたいで、僕の背中で寝息を立てていたよ」 店長の表情に明るさが戻っていく。 「帰り道に僕は思ったよ。今日、僕は綾と美影に気を遣わせてしまったって。 けどそのおかげで僕は考え直す事が出来た。 子供達が頑張っているのに自分は何をしてるんだと。 僕は大人なんだから子供に気を遣わせては駄目だろう、 この子達には普通の女の子として育ってほしいって」 「次の日から、僕は明るい父に戻るよう努力した。 仕事は前よりも意欲的に取り組んで、綾と美影のために家事も完璧にこなした。 綾と美影には自由に育ってもらおうと、あまり行動の抑制はしなかった」 その結果が……。いや、何も言うまい。 そんな事を思っていると、再び店長の表情が曇っていく。 「そして、綾と美影が中学校に入学するっていう時に僕はいきなり上司からクビを告げられた。 理由は不景気だから。ただ、それだけ。 僕以外にも解雇された人はたくさんいたみたいだった」 「そんな……ひどい」 どうして、こんなタイミングで……。 「不景気じゃしょうがないよ。職を失った僕はまた落ち込んでしまった。 その頃はもう三十後半だったからね。当時の年ではもうすでに定職には就けなかったんだよ」 え? その時に三十中盤? えーっと西園寺と柊は多分、俺と同じくらいだから……。 店長ってもう四十越えてるのっ? 全然そうは見えなかった……。 あっ、つい関係無いことを考えてしまった。 俺は改めて、店長の言葉に耳を傾けた。 「そんな時、またあの子達に助けてもらったんだ。 職が無いなら自分で作れば良い、私達も手伝うからって。 本当に、どれだけ僕は綾と美影に救われれば良いんだろうね」 自虐ぎみに店長は微笑を浮かべる。 「そうして始めたのがここ、モスラバーガーだ。 今でこそ常連さんが来てくれる程にまでなったけど、たぶんこれも綾と美影のおかげだと思う」 「そうだったんですか……」 「はい。昔話はこれで終わりだよ。何か感想とかあるかな?」 「いえ、何か壮絶すぎて、どう表現したら良いか」 「そうか、それもそうだよね」 店長はもうすっかりぬるくなってしまったお茶を飲んだ。そしてひと呼吸置いて、 「それじゃあ次はこれからの話だ」 「えっ? まだ続くんですか?」 てっきりこれで終わりだと思ってたのに……。 「まさか! むしろこれからが本番だよ」 マジですか……。 「ここからは今と未来の話だ。はっきり言うと今現在、綾と美影は学校に通ってないんだ」 「はぁ……。まぁそれは薄々分かっていましたが」 あの二人が今、学校に通っているとは到底思えない。通っていたら色々問題だ。 「やっぱり、金銭的な問題でね……。中学までは無償だったから大丈夫だったけど」 「え、でも補助金とか貰えるんじゃなかったでしたっけ?」 「二人共嫌がったんだ。そこまでしないと学校に行けないのなら、行きたくないって……。 多分、また僕に気を遣ってるんだと思う」 「……」 「けど、あの子達には自由に生きていてほしい。僕に気を遣うことなく、伸び伸びと。 僕はこれ以上あの子達に気を遣わせるわけにはいかない。僕は、綾と美影の親だからね」 自分に言い聞かせるように強く言葉を繋げる。 その様子を見て俺は、本当に西園寺と柊の事を大事に想っているんだなと思った。 「そこで君に頼みがある。……ここで僕の代わりに働いてくれないか? 三人で店を切り盛りして欲しい。僕はこの地を離れる」 店長は神妙な面持ちで告げる。 しかしその表情はとても辛そうで、本当はそんな事をしたくない事くらいすぐに分かった。 「何を言ってるんですか! 店長! 今さっき、僕は西園寺と柊の親だって言ったじゃないですか」 俺は店長の言ってる事が理解出来なかった。 そんな事をしたって良い方向に行くとは思えないし、西園寺と柊のためになるとも思えない。 なにより提案した店長が一番辛そうな顔をしている……。 「でも、あの子達を自由にするにはこうするしか……。 僕が近くに居たら、あの子達はきっとまた僕に気を遣ってしまう」 店長が言葉を紡ぐ度に気持ちが落ち込んでしまっている。 色々悩みすぎて自分でも訳が分からなくなっているのだろう。 「良いじゃないですか、それでも! それは二人が望んでやっていることなんですから」 「……」 ついには黙り込んでしまった。返す言葉が見つからなかったのか、自分の過ちに気づいたのか。 「あなたはあの子達のためとは言ってるが、実際西園寺と柊の事は何も考えちゃいない! 自由に生きてほしいからって……。 あなたを今まで慕ってきた二人をいきなり引き剥がそうとしている。 そんなの親のやることじゃない。それはただの責任放棄だ。 自分の事を本当に二人の親と思っているのなら、二度とそんな事は言わないで下さい」 「…………」 勢いで言ってしまった……。店長にここまで言ってしまったら俺はきっとクビだろう。 でも、言わずにはいられなかった……。 俺が言った事によって少しでも店長が心を入れ替えてくれるのなら、 ここまで言った意味は充分にあるだろう。クビと告げられても悔いは無い。 俺は店長のどんな言葉も受け入れる覚悟をした。 「……合格だ。君は、本当に僕の想像を遥かに越えているよ……」 店長はもう参った、と言わんばかりに両手を上げている。 対する俺は予想してなかった言葉が返ってきたので口を開けてポカンとしている。 さぞ馬鹿な顔をしているだろう。 「すみません。……状況がいまいち飲み込めないのですが……」 「合格だよ。文句無しの。君は僕達が出した三つの試験に見事合格したってことさ」 試験? 合格? ……あぁ! やっと状況を把握した。 頭に血が上ってたからついど忘れしちゃってたけど、 そういえば今は店長が出した試練の最中だったな。 頭の中がスッキリした俺に向かって店長は再び話し始めた。 「あの時、君が断らなかったら、僕は即座に不合格を通告し、バイトも辞めさせるつもりだった」 「えっ?」 「でも、その必要はなかった。……これで全ての試験は終了だ。おめでとう増田君」 「はぁ……」 「だいぶ遅くなってしまったね。今日はもう帰って良いよ」 外を見ると日の光は無く、ただ暗闇が広がっているだけだった。 随分長い間、話し込んでいたらしい。俺は店長に促されるまま帰路についた。
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増田が帰って少し経った後、部屋にただ一人残された青年は鎮痛な面持ちで呟く。 「綾と美影の親と思っているのなら、か……。あの一言は効いたな……。ほんと」 その時、用事を終えた二人の少女が帰ってきた。 「……」 「ただいま」 「綾……。美影……」 青年は少女達を抱きしめる。 少女達はいきなりの抱擁に動揺を隠せない。青年の目には涙が浮かんでいた。 「ごめん。ごめんよ……。僕は、僕は……」 「……」 「……」 青年が何に対して謝っているかは少女達は分からなかったが、 二人は何も言わずただただ青年の涙が止まるまで青年の傍に居た。
続
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