第六章 笑顔
「はぁっ、はぁ……どこだ! どこにいるっ?」 「来ないで。嫌っ! 誰か助けてえええぇぇぇ!」 「あっちか! 待ってろ! 裕子!」 再度、声の方へ向かって見ると薄暗い路地の少し開けた所に二つの人影が見えた。 一つはじりじりともう一つの人影に近づいており、 近づかれている方は座り込んでここからでも震えているのが分かった。 慣れてきた目でもう一度見てみると……。 いつもは明るい笑顔を見せている彼女が、普段の様子とは明らかに違っていた。 怯えている彼女を見て僕は我を忘れ、 「お前っ! 裕子に何してやがるっ!」 目の前に居た不審者を思いっきり殴っていた。 僕は相手が完全に動かない事を確認すると、急いで彼女の元へ駆けつけた。 「大丈夫か? 裕子?」 「レ、イ君?」 「そうだ、レイだよ。助けにきたぞ」 「あ、りがとう。レイ君。私、怖かったよ。……怖かった……」 「もう大丈夫。大丈夫だから。」 そう言って僕は裕子を抱きしめた。少しでも恐怖が紛れるように。 優しく、けど安心出来るように強く抱きしめた。
「ありがと。もう大丈夫だよ。レイ君」 「ごめん。僕があの時、この前みたいに送っていけばこんなことには……」 今までの嫌な予感はこれの事だったのか? だとしたら僕は何をしてたんだ? 結局事件は未然に防げなくて、大切な人に深い傷を負わしてしまった。 僕はなんてことを……。 「ううん。レイ君は悪くないよ。私が不注意だっただけ。だからそんなに自分を責めないで。ね?」 そう言って彼女は笑った。 いつものような輝きこそ無かったものの、その笑顔は確かに僕の知っている彼女の笑顔だった。 駄目だな……。僕は。また彼女に救われた。やっぱりずるいって篠原さんは……。 「おいっ! 倉崎! しっかりしろ! ひでぇ傷だ……。待ってろ今救急車を! もしもし――」 倉崎? 見るとそこには増田君とその近くに見知らぬ男子が横たわっていた。 「倉崎? ねぇ、今倉崎って言ってた?」 「あ、うん。言ってたね……」 「倉崎君!」 そう言って篠原さんは僕の腕から出ていき、倉崎とやらの方へ駆けつけていった。 一人取り残された僕の耳に聞こえてきたのは救急車のサイレンの音だけだった。 やっぱり、天然って怖いよね……。
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二人が心配していた倉崎君と呼ばれていた男子生徒を救急車に乗せた後、 増田君は急いで搬送された病院へ。僕は篠原さんを家に送り届けることにした。 彼女の家がほど近くなった所で、篠原さんは僕にこう言った。 「今日は本当にありがとう、レイ君。 あなたがいなかったらどうなっていたか……。じゃあまた明日ね」 言い終えると同時に、篠原さんはこの前の所で僕に別れを告げようとした。 「待って! 篠原さん!」 「えっ?」 僕は去り際、篠原さんを呼び止めた。 ほぼ反射的に声が出た。頭の中は真っ白で自動的に口が動いていた。 「今回の一件で分かった。僕は篠原さんの事が好きだ」 言った瞬間、風が吹いた。 その風は僕にとって追い風で、何か背中を押されているような感覚だった。 僕は言葉を続けた。 「いや、本当はもっと前から好きだったかもしれない。君が僕の見舞いに来てくれた時から。 僕は君の笑顔が好きだ。君の笑顔を見ると明るくなれる。元気になれる! そんな君の笑顔を守りたい。ずっと見ていたい! 君にはずっと笑っていて欲しいんだ。僕の隣でずっと」 「え、それって……」 「僕と、付き合って下さい」 言ってしまった。ついに。篠原さんは少し、置いた後、僕にこう告げた。 「『裕子』って呼んでくれるなら」 「え?」 返ってきたのは、予想していた『はい』『いいえ』の類ではなく一つの条件だった。 「やっぱり聞いてないんだよね。レイ君って。しょうがないからもう一回言うよ? 『裕子って呼んでくれるなら、良いですよ』って言ったの」 「え? そんな事で良いの?」 言ってしまってから、これは失言だったと後悔した。 予想通り彼女の機嫌を損ねてしまった。 「そんな事とはなんですか。助けてもらった時、私は本当に嬉しかったんだよ? あの時は普通に呼んでたじゃない。『裕子』って」 うっ! 確かに言ってたけどさ……。まさかあの状況で目ざとく聞いているとは……。 「あ、あれは言葉のあやで……」 「じゃあその言葉のあやを続けてね♪」 前言撤回。天然が怖いんじゃなくて、女子を本気にさせるのが怖いんだ。
続
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