第一章 混浴騒動
「驚くべきことが発覚した」 「え?」 夕食後に部屋でのんびりとしていると、突然増田が妙なことを口にした。 さっきまで寝っ転がってた奴が一体何に気づいたんだろうか。 「実はこの旅館の風呂は……混浴なんだ」 「えっ!?」 「…………」 増田の言った一言は、確かに僕らにとって驚くべきことであったが、 僕はその事実に驚くというより、呆れを感じていた。 というのも……。 「いやぁ、俺もびっくりしたよ。 まさか『たまたま』選んだ旅館が『偶然』混浴の温泉旅館だったなんて、 普通思わないもんなぁ」 凄く言い方がわざとらしい。 それに加えて、終始ニヤついてるその顔と、その割には冷静に話を進めている辺り……。 こいつ、事前に知った上でこの旅館選びやがったな……。 「そ、そうだよね……。実際にあるんだ、混浴って……」 先程からレイ君が物凄く動揺している。 声を震わせながら、なにやら小さく呟いている。 僕がついに大きな溜め息を吐いた時、 増田は目をこれ以上無いくらい輝かせながら僕らに向かってこう言った。 「これはしょうがないなぁ! だって、旅館の方が混浴って決めちゃってるんだから、こっちは従うしかないもんなぁ。 郷に入っては郷に従え、っていうかぁ。 ここは『しょうがなく』、本当に『しょうがなく』混浴で入るしか――」 「最低」 「ぎくっ!!」 恐る恐る増田が振り向いた先には、相当怒っているであろう笑顔を浮かべた柊さんと、 彼女の背中に楽しそうにおぶさっている鈴本さんの姿があった。 増田を見下すように睨んで、柊さんが一言。 「残念だけど、この旅館は事前に予約をした人達にだけ、混浴のサービスをしているらしいわ。 だから私達は『しょうがなく』混浴で入らなくてもいいそうよ。良かったわね」 怖い怖い怖い。柊さん、目が笑ってないよ……。 こりゃとばっちり受けないように、下手なことは言わない方向で―― 「いやいや、だから俺がちゃーんと一ヶ月前から予約をばっちり取っておいたんじゃないか」 「「「「……」」」」 あ、これ死んだな。 「死ね」 「えっ、ちょ、おまっ……! ぎゃああああああああああああ」
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「ったく、ひでぇよな。何もあそこまでしなくてもいいのによ、アイテテテ」 「いや、あれは増田が悪いでしょ」 「僕もそう思う」 「ちぇ、味方ゼロか。はいはい、反省してますよーだ」 全くもう。本当に反省しているんだろうか……。 増田が気絶したその後、柊さんと鈴本さんはほどなくして部屋に戻っていった。 柊さんから僕らにも釘を刺されたことは言うまでもないが、 去り際の鈴本さんの目には、僕ら2人とも心を凍りつかされた。 人生で最も恐怖を感じた瞬間だった。 目は口ほどに物を言う、とはよく言ったものである。 「まぁまぁ。機嫌直して、増田君。ほら、念願の温泉だよ?」 「ガキか俺は。はぁー……」 増田は今までにないくらい大きな溜め息をついた。 そんなに露骨に残念そうにしなくても……。 脱衣所に到着した僕らは、各々服を脱ぎ始めた。 棚の中にあったカゴを取り出して、脱いだ衣服を入れる。 着替えは……隣のカゴにでも入れておこう。 「ま、増田君……! ど、どうしたの、それ……」 突然レイ君が凄く動揺した様子でそう言った。 見るととても顔を青ざめさせながら、増田を指差している。 「ん? あぁ、これか」 怪訝に思った増田がレイ君に指差された所を察すると、 増田は動揺しているレイ君とは対照的に、とてもあっけらかんとした様子でいた。 嬉しそうにそれを指差しながら言葉を返す。 「凄いだろ? これ。傷は男の勲章ってな」 そう言って僕らに見せたのは、背中全体余すところなく付けられた切り傷だった。 見ていられないほど痛々しいのは言うまでもないのだが……。 「ほら、ここにもあるんだぜ?」 今度は正面を向き、左肩を示す。そこには指三本ほどの手術痕があった。 そんなに見せびらかされても困るんだけど。 「じゃなくて! 本当に大丈夫なの? そんな大怪我、一体どこで――」 「え? 綾だよ。あの日本刀でどっちもズバッ! と」 「…………」 「いやぁ、痛かったなぁ。 血がドクドクと流れるのが見えた時はもう駄目かと思ったぜ。 ま、今はなんともないけど」 腕を大きく回したりして、大丈夫な事を表現する増田。 一方、許容し切れない程の衝撃事実を聞き続けたレイ君は、 驚きすぎて言葉が出なくなってしまっていた。 「おっ。そんなことより見てみろよ! めっちゃ広いぜ! ひゃっほーい」 もう本当に気にしていないのか、増田は早速浴場へと入っていってしまった。 僕も続けて入ろうとしたが、レイ君がその場で立ち尽くしているので、 振り向きざまに一言彼に僕はこう言った。 「気にしないほうが良いと思うよ。本当に重症だったら、あんなに動き回れないだろうしね」 「そ、それでもさ……。君は心配じゃないの? 友達があんな大怪我してたって言うのに」 「うーん、今はそんなに。最初は心配してたけど」 黙り込むレイ君に、僕は補足をするようにこう言葉を付け足した。 「もう随分前のことだからね、あの怪我。 半年以上前のことだから……もう完全に治ってるって。それに――」 浴場の方を指差す。 僕に示されるままにレイ君がそちらを向いた所で、 増田は自分しかいない浴場で大はしゃぎしていた。 「うらーらーららーらー! 風呂へっ! ピョーン!」 「ね?」 「………………」 あれを見てどこを心配しろと言うのか。僕は一週間が限界だった。 「ほら、行こうよ。あのままほっとくと旅館の人達に怒られちゃう」 もう一度促すように浴場を示すと、ようやっとレイ君は納得してくれた。 少し呆れ気味に笑顔を浮かべながら、彼は僕にこう返した。 「うん。そうだね」
続
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