♪過去の雑談♪(単なるゴミ箱ですσ(^o^ゞ
▼ 2010.11/07 〜尖閣沖衝突テロのビデオが流出。最高でんな ヽ(^。^)丿〜
勿論私もYouTubeから(公開されてる分は)全編落として保存したけど。これは永久保存版だね。子々孫々に伝えねばいかん。
ところで今まで知らなかったけど、あの漁船、『よなくに』に後方から当たったあと、一旦逃走してその後『みずき』には右舷に思い切り体当たりしてんだね。別々の巡視船に2回、自分から衝突してきてるわけで、故意なのは明々白々。
まぁそれにしても、政府が国会で視聴させるさせないでもめた挙げ句、国会議員の中でも限られた委員だけに公開したビデオが、一般市民・全世界の人が視聴できるようになってしまって、政府の間抜けぶりが満天下に晒された格好ですな ヽ(^。^)丿
とりわけ、最後まで国会で見せることに消極的だった仙谷官房長官。あいつの顔に泥を塗ったという意味で、今回の流出はGJ!
那覇地検に漁船の船長を釈放させたのが仙谷(※注)だってのも今や知れ渡ってるよね。彼の普段の言動からしても、「日本は中国の奴隷になるのを嬉々として受け入れる」かのように国際社会に誤解されかねない。あんな売国奴を、政府(しかも中枢の中枢・官房長官でっせ)に入れておいては絶対駄目だわ。
(※注) 私は、政治家に対して一応仮にも一定の敬意を持っているので、特に書き言葉では一応「さん」とかせめて「君」と敬称を付けていますが、小沢一郎と仙谷由人については、呼び捨てで構わんわ、と最近思えてきたので、呼び捨てにします (f^^)
▼ 2010.11/21 〜白鵬の連勝63でストップ。しかし彼の心技体は既に双葉山クラスだね〜
その「事件」が起きたのは既に6日前で、時期を逸した話にはなるんだけど、やっぱりここで一言書いておかないと、ね。
九州場所2日目の11月15日。前日までに63連勝を記録した白鵬の、この日の相手は前頭筆頭の稀勢の里。2〜3年前は日本人力士のホープだったけど、ここんとこ伸び悩んでるこの若手に、盤石の白鵬が負ける可能性は極めて低いと、私は踏んでいたので、23時過ぎに帰宅するまで、全然、結果を知らなかったし、気にしていなかった。
で、帰って部屋でPCの電源入れて、WEBをチェック…すると白鵬が負けたというニュースが……!後で知ったけど、この日、白鵬が負けたニュースは名古屋市内では号外も出たとか。まぁ、連勝記録というのは、相手が誰であれ1つ負けたら終わりだから、本当に難しい。
しかし、白鵬のコメントなんかを聞くと、この人は単なる「相撲取り」と言うより、かつての双葉山がそうだったように、「求道者」、「修験者」の風情がありますね。
「昨日の初日に63連勝を達成して、もう1つ勝ち星を伸ばしてやろうと思ったところに、スキがあった」…今時の25歳が言ってるとは思えない台詞ですな。無心で臨んでいれば良かったものを、勝ち星を伸ばしてやろうと欲を出したところに…という事が言いたかったんでしょう。
「心技体のうち、心が最も難しい」とも、以前言ってましたよね。こういう心構えの横綱だから、今後もまた連勝記録のチャンスはあるかも知れません。
それにしても、72年前、双葉山が70連勝を阻止された時と、パターンが良く似てますよね。
双葉山の69連勝の時は、連勝スタート前の最後の黒星は、先輩横綱の玉錦に喫した。そして、69連勝でストップされた相手は、当時新進気鋭ながら番付はまだ前頭だった安藝ノ海(後に横綱まで昇進)。
今回の白鵬の63連勝の場合。連勝スタート前最後の黒星は、大先輩の大関・魁皇。そして63連勝でストップされた相手は、やはり期待の星ながら番付は前頭筆頭の稀勢の里。
かつての安藝ノ海は「双葉関に勝った自分が、みっともない相撲は取れない」と言って精進してその後横綱まで上り詰めましたけど。さて今回の稀勢の里は、「白鵬関に勝った自分が…」という事で気構えが変わり、良い相撲に変われば良いんですが。どうなりますやら。
▼ 2010.11/21 〜名古屋グランパス、Jリーグ発足18年目で悲願の初優勝!〜
これは昨日の話ですけど。正直、名古屋は湘南に勝つだろうけど、鹿島も神戸に勝つだろうから、11月20日に優勝が決まる可能性は低い、と思ってた。ま、良いほうに裏切られましたね。ψ(`∇´)ψ
3試合残して早々に優勝が決まるなんて、かつてJのリーグ戦でありましたっけね?ともかく、グランパス、優勝おめでとう!
やっぱり愛知県人としては、グランパスに今まで優勝が無かったのは、喉に刺さった小骨みたいに、とても嫌な、気になる事柄でしたのでね。
1993年のJリーグ発足当初から参加しているクラブとして、唯一、リーグ優勝経験が無い(天皇杯の優勝はある)。しかも毎年、戦力的に見劣りするわけでは無い。トヨタ系大企業がズラリとスポンサーについている事から、資金的には困窮する事もなく、タレントは豊富に揃えられる恵まれた環境にある。にも拘わらず、『おぼっちゃま軍団』と揶揄されるように、勝負どころで粘れない弱い体質、ここを踏ん張らねばという時のスタミナ切れ、集中力の切れ。こういう弱点を、長年、克服できずにここまできてしまった、というのがたぶん多くのファンや評論家の見立てだろうと思いますよ。
でも、今季は明らかに違ってましたね。
むしろ今までと逆で、引き分けになりそうなゲームをロスタイムで勝ち越し弾とか、負けそうなゲームを追いついてドローとか。ストイコビッチ監督3年目にして「Never give up」を試合で体現できるようになった感がある。そうやって引き分けを勝ちに、負けを引き分けに持ち込む事で積み上げ稼いできた勝ち点は、非常に大きかったね、最終的に。
実は私、12月4日のリーグ最終戦、豊田スタジアムに見に行く事になってるんだけど、優勝が決まった以上、お祭り騒ぎに参加しに行くだけで、緊張感は無くなっちゃった。ヽ(^。^)丿けど、とにかく「優勝」という結果は何より嬉しいですわ。
あと贅沢を言えば、川崎フロンターレみたいな苦手なチームを無くす事だね。それが来季以降に向けた課題かな。
▼ 2010.11/28 〜星野勘太郎氏、逝く〜
1960年代半ばから終わりにかけて、今年8月に亡くなった山本小鉄氏とともに『ヤマハ・ブラザーズ』として全米で名を馳せ、また日本マット界では日プロ⇒新日プロで活躍した、あの星野勘太郎さんが、11月25日に亡くなっていたそうです。アントニオ猪木氏と同じ1943年生まれだから、享年67歳。本人と遺族の希望で、親族だけでの葬儀・告別式が済んでからの発表となったようです。(最近はこういう形、多くなってきたね。)67歳って、まだ若いよね。。
最近の若い人達には『魔界倶楽部』総裁の星野勘太郎、と言ったほうが分かるのかな。しかし星野さん、身体は小さかったしコミカルな動きをしたりもしてたけど、実は知る人ぞ知る実力者でした。
1970年(昭和45年)には、猪木と組んでNWAタッグ・リーグにも優勝した実力者です。優勝戦となった猪木&星野組vsニック・ボックウィンクル&ジョニー・クイン組の試合は、60分戦って1−1で勝負付かず、延長戦になって10分以上経過したところでやっと猪木の卍固めがボックウィンクルを捕らえて日本組が勝利。計70分以上に及ぶ熱戦でした。
ボックウィンクルはその5年後にバーン・ガニアを破ってAWA世界ヘビー級王者になって長くベルトを保持した選手だし、ジョニー・クインにしてもヨーロッパ各地で一線級を長く続けた選手。その2人のチームに、猪木と組んで勝ったんだから、星野も大変な実力者です。
おっと、書き出すとつい長くなってしまうね。
星野さんとしては猪木さんと組んでの優勝も忘れられないだろうけど、やはり山本小鉄さんとの『ヤマハ・ブラザーズ』に尽きます。その相方の小鉄氏が今年8月終わりに亡くなってわずか3ヶ月後、後を追うように亡くなるのだから、この2人、やっぱりお互いに終生のパートナー。永遠のコンビですね。
ご冥福をお祈りします <(_ _)>