♪過去の雑談♪(単なるゴミ箱ですσ(^o^ゞ)

◎ 2005.03/13 -
うーむ、ひとまず第一ラウンドはライブドア側の「判定勝ち」ってとこですか。あ、いや勿論、例のニッポン放送株をめぐるライブドアとフジテレビの株獲得(つーより収奪だわね(^^;)合戦の事です。

3月11日でしたっけ、東京地裁の審尋で「フジテレビへの新株発行優先予約権」が却下される判定が下されたのは。
尤も、ニッポン放送側は即日異議申し立てを行ったので、改めて東京地裁で審尋が行われて、近いうちに再度判定が下されるそうですが。(←この辺がよー分からん、地裁の次は高裁じゃないの、と思うんですが、審尋の場合は同じ地裁レベルで再度審理が行われるそうで。)

それはともかく、私の思う所は大きくは二つあって、それを書いてみるとですね。

(1)「純」法律的つまり商法上の解釈的に言えば、今回の新株予約権の争いに関しては、2−8でフジ(ニッポン放送)側不利と見てました。
(2)とは言え、私個人の気持ちとしては、堀江君のような人に、フジサンケイ(の一部)を乗っ取られるのは、およそ納得できない

ってな感じになりますね。

まず、上記(1)ですが。
今回のニッポン放送の新株発行、つまり発行済み株式の割り増し策というのは、「現経営陣による経営権の維持のみを狙った」のは明らかですので、裁判官が「純」法律的な解釈をする限り、ニッポン放送側に不利な判定が下されるだろう、と私は思っていました。(実際、第一回審尋ではその通りになった訳ですが。)
可能性としては、「ライブドア傘下になるとニッポン放送という企業の企業価値が著しく損なわれる(=だから、現経営陣の保身という事でなく、逆に株主に対する経営責任を果たす為だ)」という主張が、裁判官に認めてもらえるかどうかの一点にかかっていたと思いますが、それも認められませんでしたね。

この判定は、少なくとも商法的に言えば、妥当なものだと思います。
ライブドアが、東証での売り買いが開く前の時間外取引で大量に株を買い集めたという手法が批判されていますが、それはそれ。
時間外取引が違法であるならば、それに対抗する為に大量の新株を発行するのだ、といういわば「反則には反則」の論理もありだと思いますが、ライブドアのやり方が現在の商法には(スレスレとは言え)反していない以上、新株発行予約権の問題と時間外取引の問題をトレードオフで論じるべきものではないでしょう。

要するに、ニッポン放送及びその(形の上では)子会社であるフジテレビは、今までの持ち株関係を放置している限り、こういう「敵対的M&A」の危険性が常につきまとうよ、という事の認識が甘かった、というだけの事です。
フジテレビやニッポン放送に、経営コンサルタントが居ないハズも無いでしょうから、そういう指摘はきっと今までもされていたハズです。けれど、現経営陣は甘く見ていたんでしょうね、きっと。
「我が社を敵対的買収しようと思えば、1000億円前後の現ナマが要る。
 そんなカネをポンと用意できる企業など、おいそれと無いだろう。
 逆に、用意できる企業は、大企業だから、そんな批判覚悟の無茶はやらぬハズだ」
と高を括っていたフシがあります。
資本がグローバル化して久しい昨今、今回のライブドアとリーマンブラザーズのようなやり方をすれば、それほど大きくない企業でも大金を捻出できる、って事です。(但しリスクは当然つきまとう)
ニッポン放送&フジテレビ側の経営者は、その辺を甘く見ていたと言われても仕方無いでしょう。

考えてみると、こういう、「親会社のほうが歴史はあるが、現在の企業規模では子会社のほうが遙かに大きくなっている」という企業グループは、日本には非常に沢山あって、一例を挙げれば世界のトヨタことトヨタ自動車と、その親会社の豊田自動織機なんかも、まさにそういう関係ですよね。
今回のライブドアによる「ニッポン放送乗っ取り事件」(という表現が良いかどうかはともかく)は、日本のある意味安穏とした経営者達に、確実に一石を投じたと思います。
それだけでも、良かったとは言えると思いますね。

さて、その冷徹な資本の論理とは別に、上記(2)なんですが。

堀江君が狙ったのが、メディアであるにしても例えば元々エンターテイメント路線で売っている新聞や雑誌(例えば東京スポーツとか(^^;)の会社なら、私は別に「ふ〜ん、堀江君がココ乗っ取ったんだ〜」位の感想しか持たないと思います。(※堀江君はフジテレビを「もっとエンターテイメント路線でやっていくべき」とか言っていますしね。)

けれど、フジサンケイは、今まさに国家的問題になっている北朝鮮の拉致問題。これを、二十数年前から取り上げて、地道に報道してきた実績があります。(※この拉致問題に対する取り組みは、フジサンケイ全体が、というよりは、今は亡き柴田穂(しばた・みのる)という人(元産経新聞論説委員)の意志と執念による所が大きいのですが。)
二十数年前(※つまり1980年頃)に「北朝鮮は日本人を拉致して連れ去っている」なんていう報道があった時には、当時の社会党や共産党、或いは進歩的文化人と称する連中には「とんでもない妄想で、作り話。北朝鮮のイメージを貶める悪意に満ちた虚報」と言われ、さんざん非難されたものです。
でも、今や「虚報」と言われた報道が、真実であった事を疑う日本人は居ませんわね。

これが、ジャーナリズムというもの。
マスコミ(或いはマスメディア)とジャーナリズムは、媒体(※つまり紙の新聞、雑誌であったり電波であったり)は同じでも、その精神は似て非なるものと私は思っています。
堀江君がマスメディアに進出するのは全然構いません
けれど、彼には、ジャーナリズムを握る資格は無いと言わざるを得ない。
「インターネットでアンケートを採り、国民の要望する話題を、
 どんどん報道していく。
 そうすれば産経新聞はもっと売れる」
なんていう発言をしている堀江君には、ジャーナリズムを握らせる訳にはいきませんね。
だって、こんな「儲かりさえすれば良い」的考えに翻弄されてしまったら、国民に全く知られていなかった時代の拉致事件を取り上げたり、同じく殆ど知られていなかった時代の薬害エイズ事件を取り上げたりした、フジサンケイの名が泣きますよ。
◎ 2005.04/03 -
2005年4月2日午後9時半(現地時間。日本時間3日午前4時半)過ぎに、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が死去しました。享年84歳
全世界に10億人以上と言われるカトリック教会の頂点に立つ人の死去ですからね。深く、哀悼の意を表します。
<(_ _)>

個人的な事を言いますと、私はカトリック系ではありませんが、キリスト教徒ではありますので、ローマ法王の死去に際しては、気持ちとしては「死去」という表現より「崩御」という表現を使いたい位ですね。(※日本語の「崩御」は天皇・皇后、及び皇太后・太皇太后にのみ使う言葉)

それはともかく、ヨハネ・パウロ2世は1978年10月の就任だそうですから、26年半に渡る在位期間になる訳で、歴代2位の長期在位になるんだそうです。(※考えてみれば、2000年に満たないローマ法王の歴史の中で、ヨハネ・パウロ2世が264代目なのですから、1代平均は7年半程度の在位期間であり、26年半の在位は確かに抜きんでて長いですね)

今回のヨハネ・パウロ2世は別として、歴代ローマ法王の在位期間が平均7年半と決して長くない理由として、昔から言われているのは

(1)就任時に既に高齢である場合が多い(^^;
(2)バチカンの有する莫大な資産を管理する頂点に立つ人物ゆえに常に生命の危険に晒されており、過去を紐解いても暗殺されたとしか思えない急死・変死の事例が多い

などですね。

まぁ、今回のヨハネ・パウロ2世の死去に関しては、たぶん暗殺ではないだろうとは思いますが(^^;。

それにしても、ヨハネ・パウロ2世は「行動する法王」として歴代法王の中でも出色の異色の法王であるのは誰も異論の無い所でしょうけれど、私には個人的に、思う所があります。

それは、アメリカ合衆国のレーガン(元)大統領との不思議なシンクロニシティ

ヨハネ・パウロ2世は、1981年5月に、サンピエトロ広場で銃撃され、一時重体説も流れるほどの重傷を負ったにも拘わらず、わずか数日後には「神とキリストと聖霊の名において...狙撃犯も許されねばならない」云々というメッセージを発し、健在ぶりをアピールした事がありましたよね。
肉体的には決して頑健とも思えない聖職者たちの中にあって、このかたは肉体的にかなりのタフネスだな、と思った記憶があります。と同時に、この時重傷を負っても死に至らなかった事は、この人物(ヨハネ・パウロ2世)には何かやはり天から与えられた大きな使命があるのだろう、と直感しました。

同じ思いは、やはり同じ1981年の3月に、暗殺されかかったアメリカ合衆国のレーガン大統領にも抱きました。レーガン大統領の場合、至近距離から狙撃されているにも拘わらず、致命傷を免れており、やはり「天の使命」を持った人であろう、と思いましたね。

『強いアメリカの復活』、『建国の精神をもう一度』を掲げて大統領になったレーガン氏は、対ソ連という事では(特に軍事面では)徹底的に強気に出て一切の妥協をせず、結果的に軍拡競争についていくだけの国力を失ったソ連がギブアップする形で、呆気なく米ソ冷戦体制が崩壊したのは、周知の事実です。

また一方、ポーランド出身のヨハネ・パウロ2世は、当時ポーランドで広がりを見せていた自主管理労組『連帯』(ワレサ議長)を支持する発言をし、当時の東欧での「民主化運動」にいわばお墨付きを与えた事がありました。
この、歴代法王の「政治的発言はせず」という暗黙の了解(?)を破ったヨハネ・パウロ2世のメッセージが、東欧の民主化運動を勢いづけ、その後のベルリンの壁崩壊につながったのは、周知の事実です。

バチカン市国の元首であるヨハネ・パウロ2世とアメリカ合衆国の元首であるレーガン大統領は、直接的に会談したりした事は(私の知る限り)一度もないハズ【2005.05/18訂正:両者は、1982年6月に会談した事があるそうです。この時、共産主義の終焉が近い事で認識の一致をみたそうです】ですが、この二人は、1980年代後半から1990年代初めにかけての
東欧圏民主化⇒ソ連崩壊⇒冷戦終結
への道筋を作ったという意味で、共に各々の立場に於いて歴史的な大きな役割を(意識せずとも)担っていたと、私は思っています。

そして、レーガン元大統領が亡くなったのが去年の6月ですから、それから10ヶ月程度でのヨハネ・パウロ2世の死去。

アンチ共産主義。ソ連崩壊。世界を二分する世界核戦争の危機回避【2005.04/08追記:『第三次世界大戦の危機回避』と表現したほうが分かりやすかったですね】。
こういうキーワードで考えると、この二人は、やはり、直接的な接点は無くとも、同じような使命を与えられていた人物であるとしか思えません。
そして、この二人が亡くなった今は、明らかに一つの時代が終わった訳で、人類は次の課題解決の時代に入った(既に入っている)、という事でしょうね。
◎ 2005.04/03 -
もう一つ、死去の話題になってしまいますが。今度は極私的な話で。
昨日(2005.04/02)、私の母方の祖母が死去しました。享年95歳
何はともあれ、まずは合掌。<(_ _)>

同居している訳でないので、昨日から今日にかけて情報収集に努めた所、4/4(月)が通夜、4/5(火)が葬儀・告別式という予定になったようなので、せめて通夜には参列させてもらおうかと思っています。(仕事の都合上、告別式参列は無理かも知れない)

私の親は共働きでしたので、近所に住む祖母が、私を保育園に送り迎えしてくれていましたし、私が小学校の低・中学年位までは、鍵っ子だった私の為に夕ご飯なども家で作ってくれていました。
そう言う意味で、私は祖母には大変世話になっている訳です。

思えば、父方の祖父母は30年以上前(※私が小学校高学年から中学生の時)に相次いで亡くなっており、また母方の祖父はやはり40年位前(※私が保育園児の時)に亡くなっております。(母方祖父が亡くなった時は、「戦争中の古傷が再発して、おじいちゃん、具合が悪くなってね」とかどうとか、親から当時言われたような記憶があります。)
つまり、私にとって4人いる祖父母のうち、3人は、還暦を迎える前後で、亡くなっている訳です。(※割と早死にという事です)
更に言えば、私の父も、還暦を迎え定年退職して僅か3年後、63歳の時に亡くなっています。(※1997年4月)

唯一、母方の祖母だけが、抜きんでて長生きをしてきた訳ですが、正直言って、この20年位はあまり幸福な余生ではなかったんじゃないか、という気がします。
いや、祖母本人は、90歳を超えても、耳が遠いとか足が少し不自由になっていたとかはあっても、頭のほうはボケていなくて(←相手によって、ボケたふりをしたりはしていた(^^;)、寝たきりでもなかったですし、年齢の割にはとても健康だったのですけど。
何が不幸だったのかと言えば、同居していたのが、祖母の7人の子供達(※私の母を含む)の中で、よりにもよって最低最悪の人間の所でしたからね。
色々な経緯があって、そういう事になったようなのですが、私は正直、晩年の祖母は不憫であったと思わざるを得ません
また、そういう状況に祖母が置かれている事がある程度分かっていても、何もする事のできない自分の無力さにも怒りを覚えていました。

まぁ、これ以上は親族の恥を晒す事になるので、ココで詳細は書きませんが(^^;。
何れにしても、祖母は色んな事情があって、自分の状況を堪え忍んでいたと思います。
その忍耐のみの日々から、ようやく解放されたのですから、ある意味、良かったとも思います。

いずれにしても、改めて、祖母の冥福を祈らせてもらいます。
<(_ _)>

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