♪過去の雑談♪(単なるゴミ箱ですσ(^o^ゞ)

◎ 2004.06/06 -
5月末に、イラクで襲撃され殺害された2人の日本人ジャーナリストの件とか、6/1(でしたっけ)に起きた、佐世保市の小学6年生の女の子による同級生刺殺事件の件とか。前回の更新(5/23)から今回(6/6)までの2週間の間に、日本列島を震撼させた衝撃的な事件がありました。
特に、11歳の小学6年生による刺殺事件は、単に刑法上の対処(※刑事罰の対象年齢を更に引き下げれば、とか)で済むような話でないのは多くの人が思う所でしょうし、つまりは今の社会環境(※今回の事件の引き金はインターネットのチャットや掲示板が背景にあると報道されている)と教育問題そのものであるとも思うので、今回、その件について私の所感を書いてみようと思っていました。

しかしながら、今日の朝、以下のようなニュースを見かけました。

レーガン元大統領が死去、93歳

米国時間6月5日午後(日本時間6月6日未明)の事だそうです。
これを見てしまっては、これに触れない訳にはいきません。よって、小学生による同級生刺殺事件について思う所を述べるのは、またの機会にしたいと思います。

レーガン大統領の在任中(※1981年1月〜1989年1月の8年間)というのは、私の20代と丁度かぶっていまして、大学時代後半から社会人生活初期の数年間の頃なのですが。私が直接記憶している米国大統領の中でも、文句なく一番記憶に強く残っている大統領です。また、実績的にも、歴史に記録されるべき名大統領であると思っています。

ちなみに、リチャード・ニクソン以降の米国大統領を、実績の善し悪しで評価すると(勿論、私個人の私見です)、以下のようになります。

良し

1.ロナルド・レーガン(在職1981年〜1989年)
ブレジネフ、アンドロポフ、チェルネンコの各書記長時代のソ連に軍事的圧力を加え続ける(※SDI構想しかり、グレナダ侵攻しかり)一方、チェルネンコ後のゴルバチョフ書記長との対話(※レイキャビク会談等)を通じ、とうとうソ連をギブアップさせ東西冷戦体制を終わらせた。そして、ベルリンの壁崩壊⇒東欧諸国の自由化⇒ソ連崩壊という流れができた。誰が何と言おうとこれは歴史に刻まれる偉業。(他のどんなやり方で、ソ連崩壊・冷戦終結へと導けたか?)

2.ジョージ・W・ブッシュ(在職2001年〜現在)
イラク戦争断行により、イラクの自由化(※今はその途上)のみならず、中東の他の核疑惑国、リビアやイランの国策変更を余儀なくさせた上、パキスタンも核を闇市場に流出させていた事を認めた。(シリアも国策変更を検討中と言われる。)何れも『世界の警察』アメリカの本気度を思い知らされたからこそであり、今はとかくの批判もあるイラク戦争だが、この先に見える世界の秩序と安定を思えば、後世の歴史は確実に高く評価する筈。

悪し

1.ウィリアム・クリントン(在職1993年〜2001年)
この当時のアメリカのイメージをとことん「ヘタレ」にしてしまった腑抜け。(不倫騒動の時にはイラクのサダム・フセインにまで馬鹿にされた。)イスラム原理主義の「国際テロリズム化」を再三再四警告されていながら、何の手も打たなかった無能。この当時に、国際テロ組織に舐められきってしまった結果が、2001年の9・11テロを筆頭にその後の世界各地で相次ぐ無差別テロとなっている、と言える。クリントンの罪は実に重い。

2.ジミー・カーター(在職1977年〜1981年)
イランのアメリカ大使館人質事件で何ら強硬策を決断できず、事件を長期化させ、その後の中東各地でイスラム原理主義過激派が台頭するきっかけを作ったと言える。クリントンもそうだが、結局、「アメリカ(≒警察)恐るるに足らず」とテロリスト達に舐められてしまったのが、全ての失敗。余談だが、日本では福田赳夫首相が日本赤軍の要求に屈した「ダッカ事件」が起きたのもこのカーター大統領の時代。いくら同盟国とは言え、同じ時代に、似たタイプの指導者が出てくるもんですな。(^^;

3.ジョージ・ブッシュ(在職1989年〜1993年)
この人を、悪い実績のほうに並べるのは若干気が引けるが、一番の罪は湾岸戦争を断行しておきながら(※これ自体は功罪で言えば功)、サダムを完全に排除する所まで押し切らなかった所。この中途半端さが、サダムをその後ものさばらせる事となり、イラクという「超問題児」国家の再生に着手するまでに更に10年以上の歳月を要してしまった。しかもその間にアフガニスタン等も荒れ放題になってしまった事を考えると、その後の復興の困難な道のりを考えると、失われた時間と犠牲は大きい。

こうして見てみますと、ビル・クリントンと言いジミー・カーターと言い、米国大統領が「観念論的な人道主義」「空想論的な平和主義」であったりすると、世界はかなりマズい方向に傾いてしまっている、という事が言えるのではないか、と。私は個人的にはそう思っています。

例えば、ジミー・カーターなんかは(クリントンと違って不倫もしない(^^;し、家庭的なお父さんらしいから)、一市民、或いはせいぜい一都市の市長とか、一州の知事までなら、そこそこに「良い人」であり「良い市長」「良い知事」であり得たと思います。
しかし、世界最大の軍事力を有し、世界一のGDPを誇る超大国であり、世界の警察・世界のリーダーを自認するアメリカ合衆国の大統領には、単に「良い人」である事が求められる訳では無い筈です。時には「重い」決断をしなければならない事もある筈です。(※第二次大戦末期に日本への原爆投下を苦渋の末決断したトルーマン大統領しかり。)
そんな時に、「観念論的人道主義」や「空想論的平和主義」で、通用する訳がない

例えばですね。暴力団員に囲まれて「金出せ、オラ」と脅されている時に、「君達ね、そういう金品目的の脅し行為は『恐喝罪』であり、また実際に金品を奪えば『強盗罪』でもあるから、それだけでも複合罪で罪はかなり重いよ」などと諭しても意味は無い訳です。いくら正論でも。(^^;だって、彼らは犯罪行為と充分承知の上でそういう行為に及んでいる訳ですから。
こんな時に観念論では、いくら正論でも通用しません。
この場合は、逃げるか、闘うか、しか無い訳です。(※警察に通報すれば良いって?何を寝言を。それは、その場をしのいで初めて可能な事ですわね。暴力団員が、こちらが警察に通報しようとする所を、黙って指をくわえて見ていると思う?\(^o^)/)
闘って勝てそうな相手なら、闘ったほうが良いですよね。金を脅し取られずに済みますから。(^^;

国際政治に於いても本質は全く同じ。
今起こっている現実を、現実的に解決しようと思えば、どうしたって観念論や空想論では駄目な訳で、現実的な方策を採るしかない。当り前の事です。

「何が何でも戦争に反対!」という考え方は、日本でよく見かける観念論的平和主義思想ですが、こういう考え方はまさに「水と平和はタダ」(であるかのように思える)の日本ならではの、勘違いであると思います。

各家庭で「蛇口をひねれば水が飲める」のは、決して日本が自然河川に恵まれているからだけではなく、(1)人工のXX用水まで水を引き、(2)そこから更に浄水場を整備し、(3)上水道・下水道を張り巡らせて、初めて可能になる訳です。これは、最初の建設工事だけでなく、その後のメンテナンスを勿論含みます。(水道管内部が錆びついたりしていたら、とても飲料水として使い物になりませんから。)

「飲めるほどの品質の水」が、ただに近い料金で供給されている裏には、色んな裏方さんの努力があっての事、だってのは、大人なら分かりそうなもんですよね。

それと同様な事が「平和」にも言えるって事が、何故なかなか分からないんでしょうね。私には不思議でしょうがないんですが。
いや、平和維持の裏方さんの大変さは水維持どころではないと思えば、「平和がタダ」なんてあり得ない、と当然認識されるべきだと思いますが...

話がいつもの如く逸れてしまいましたが。(^^;

何れにせよ、ロナルド・レーガン元大統領のご冥福をお祈り致します
m(_ _)m
70歳代(70歳になる直前〜78歳になる直前まで)という決して若くない年齢の時に、8年間に及んだ米国大統領という重い職務を全うされ、また晩年は自身がアルツハイマー病である事を公表されたその勇気に、心から敬意と賛意を表します。
長い間、お疲れ様でした。
ゆっくりお休み下さい。
◎ 2004.07/18 -
この所、梅雨明けもしないうちからの猛暑続きでバテ気味だったのと、仕事も若干忙しくて余計にバテに拍車がかかってしまって、WEB更新に時間を割けないでいるうちに、前回更新(6/6)から早40日以上経ってしまいました。ほんとに時の流れが速いです。歳を取ったんだなぁと痛感しますね。(^^;

さて、40日以上もあけば、その間に世間では色々な事が当然ある訳です。ただ、色々ありましたが、私としては(今日もこれから所用で出掛けねばならず)余り時間も無いので、ココで書ける事はどうしても限られてしまいます。
熟考(?)の結果、既に一週間前になりますが、やはり参議院議員選挙に関して所感を述べねばなりますまい。

ちなみに、私個人の投票行動は、選挙区選挙(※愛知県、定員3人)では、民主党の木俣佳丈という人に入れました。(※結果は第3位で当選)比例区選挙では、自民党とは書かず、竹中平蔵と書きました。(※この人は勿論当選してますね)
理由はココでは特に書きませんが、普段からの私の主義主張からすれば、まぁ妥当な所と納得してもらえるのではないかと。(^^;

ところで改選議席の結果を見ると、
自民党 − 49議席
民主党 − 50議席
公明党 − 11議席
共産党 − 5議席
社民党 − 2議席
☆ 無所属 − 5議席
(※他に議席獲得に至った政党は無し)
(※ちなみに、テレビ東京が、事前予想で全政党の獲得議席数を、ピタリと当てたそうです。(^^;)

これを見てまず思うのは、社民党はもう解党したほうが良いんじゃないか、って事やね。(^^;
だって、「反対の為の反対」勢力としてなら、共産党があれば充分であって、社民党にもはや存在価値なんて無いよね。
今回の選挙でも、選挙区では一人も当選者はおらず、比例区でかろうじて二人が当選できただけだもんね。(一人で終わる可能性もあった。開票作業の最終盤、明け方になってやっと二人目が当確だもの)

社民党がここまで没落してしまった原因を、まぁ大体国民はみんな分かってると思うので、今更言うのもアレですが。(^^;
やはり、いわゆる「拉致事件」を巡る対応が決定的に大きかったでしょうね。

2002年の小泉首相の訪朝時に、北朝鮮自身(=金正日総書記)が、「拉致事件」を公式に認めて以降も、『拉致事件』などというものは存在せず、一部の保守反動マスコミの妄想によるでっち上げ」と20年以上言い続けてきた社民党からは、公式に誤りを認め謝罪するコメントはついに発せられませんでした。(※共産党は一応仮にも陳謝の文章を『赤旗』やWEBページに掲げた。)
この段階で、大多数の国民からすれば社民党は終わってるんでしょうけどね。(^^;

さらに追い打ちをかけたのが、今回の選挙前に福島党首が言い放った自衛隊はやっぱり違憲。日米安保も容認しない。次の党大会で、そういう方針を確認したい」という発言ね。
1994年に村山内閣が誕生した時に、連立与党に加わった党の責任として、それまでの党是を転換し、「自衛隊は合憲。日米安保も必要」という方針に変えたのを、今度また元に戻そう、ってんですからね。
あきれてものも言えん。

党存在の根幹に関わる、こういう重大な党是(※そして国家としてみれば外交・防衛上の重大な見解)が、10年程度の間にころころ変わるようではねぇ。
もう誰も、信用しませんわなぁ。\(^o^)/
まぁ、あれですね。社民党は、1996年に、本来のポジションである野党にまた戻った時から、むしろ以前よりも尖鋭化した感じはありましたけどね。何故なら、もう少し現実的な考え方の出来る旧・社会党の人達は新進党とかその後の民主党とかに流れてしまったから。残ったのは観念論的平和主義者みたいな人達だけだからね。(^^;
そして今回、「自衛隊は違憲」という見解に戻す、ってんだから。
もう、「永久に政権を担う気は無い」と宣言したようなもんですね。\(^o^)/

だったら、似たような「反対の為の反対」党なら、党見解が時代によっても殆ど揺れ動かず、終始一貫して「自衛隊は軍隊であり、違憲。日米安保条約はアメリカの戦争に日本を巻き込むもので、独立国家としてとても容認できない」と唱えてきている共産党のほうが、よっぽどすっきりしているし、存在価値は高いですわ。(※好き嫌いは別。(^^;)

改めて言います。特に>福島党首
社民党は、もう解散すべきです。これ以上、不様な姿をさらす必要は無いでしょう。
いわゆる『55年体制』以降、長らく野党として、「反対意見の受け皿」としての存在価値を(ある程度は)持ち続けてきたあなた達ではありますが、時代はもうとっくにあなた達の前を素通りして行きました。
その事に気付いて下さい。気付けないほど、感性が鈍いのなら、それこそ政治家としては致命的です。議員をお辞めになったほうが良ろしいかと思います。
◎ 2004.07/18 -
参議院議員選挙結果の続きですが。

自民党は2議席減。但し連立を組む公明党が1議席増だから、与党としてはマイナス1議席に過ぎず、しかも元々、参議院全体では与党としては過半数を遙かに超える議席数を有していた訳ですから、(参議院全体の半数の)改選議席がマイナス1議席程度では、政局流動化の局面にもなり得ず、政権運営に何の影響も出ませんわね。(表面上は)

但し、野党第一党の民主党が大きく躍進したのも事実で、やはり通常国会での年金制度改革に関する与党側の議事運営のでたらめさが国民から非難された格好になりましたね。
それを象徴するのが小泉首相の「人生いろいろ、会社もいろいろ、社員もいろいろ」と怒鳴った発言ですわね。(^^;
常日頃は、小泉首相を、それなりに擁護(?)している私ではありますが、この発言はいただけない
いくら、野党のしつこい追及に、キレかかっていたとしても(注※1)ね。

「勤務実態が無かったのに、とある会社の厚生年金に加入させてもらっていた。一般国民なら、自営業者は国民年金に加入し、厚生年金より高い保険料を払っているハズだ。」という、若き日(国政選挙に落選した後の頃?)の小泉さんの年金加入状況に関する野党の追及に対する答弁の一部ですが。

はっきり言って、こんな30年以上前の、それも(今は総理大臣とは言え当時は)選挙に落ちた一浪人の年金加入状況がどうだったかなど、一国民としては、どーでもいー事ですわ。
そんな事よりも、このまま放置すれば破綻確実な(※と言うより、既に破綻している、という見方もできる)、「国としてのシステム」である「年金制度」を、どう抜本的に改革していくのか、のほうが遙かに注目すべき点であって。年金財源一元化とか、そういう方向性を打ち出してくれるものと私は思っていました。
(更に言えば、私個人は「年金制度廃止」論者ですが。\(^o^)/
ただ、現実的に、国としては、「年金制度」を今、「廃止します」とは宣言できない事情があるのも分かるので、取り敢えずは最低限、年金財源の一元化が、やるべき事の第一歩だと思っています。)

だけど、そういう、「大した問題ではないと、多くの国民は思ってるハズだ」と見透かした上での、「人生いろいろ」発言は、国家元首になって3年以上になる人の、「驕り」みたいなものが感じられてしまって、いただけませんでしたね。

あの場合は率直に、陳謝しておきさえすれば良かったんです。

「あの頃は、父のあとを受けて選挙に出たものの落選し、お金も無くて困っていた。
 幸い、父の代からの後援者の中に
 「ウチで雇っている事にしてあげるし、給料も出してあげるから、
 君は次の選挙で当選するにはどうしたら良いか、だけに専念しなさい」
 と言ってくれる会社経営者のかたがいたので、ついご好意に甘えてしまった。
 今思えば甘えすぎであったと思うし、忸怩たるものがあるが、
 あの当時は本当に行き詰まって、困っていたんです」

と、普通に謝っておけば、済んだ話だと思います
少なくとも大きな騒動にはならなかったと思う。

ところが、率直に謝るという行為が、いつのまにかできなくなってしまったのか、或いは得意のワンフレーズでココも切り抜けられると判断したのか、「人生いろいろ」発言になってしまった。
残念ですね。
権力者らしくない人が、内閣総理大臣を務めているからこそ、小泉内閣には、しがらみに囚われない大胆な改革ができるのではと、以前は期待していたんですが。
どうやら、その小泉内閣の最終章も見えてきましたが、大胆な改革からはほど遠い所で、次の政権に課題を譲り渡す事になりそうですね。

仔細に述べる気はないですが、行政改革(※道路公団改革、郵政事業改革、社会保険庁改革等)。経済財政・金融改革。地方分権推進何れも、すっきりした決着は着かず、『灰色の改革』で終わりそうですよね。

あぁでも、金融改革だけは、当事者(※銀行など)の危機意識がかなり強く、そのお陰で、不良債権処理がそれなりに順調に進んだ銀行が多いのは、小泉内閣、特に竹中平蔵経済財政・金融改革担当大臣が睨みをきかせた功績と言って良いでしょうね。
(財政改革は全然駄目ですけどね。財務省の暗部には誰も手を付けられないんでしょうかね?)

ついでに言うと、毀誉褒貶が激しいというか、評価が様々に別れる、竹中大臣の進める金融改革(※中心は無論不良債権処理)ですが、私はそれなりに高く評価しています。悪く評価する人は、改革途中で中小企業などにかなりの犠牲がでている事を指摘しますが、この改革は誰がやっても犠牲はでます(注※2)。しかも絶対にやらねばならない改革です。
バブルに踊った馬鹿な国民の尻ぬぐいを、同じ国民がやっているだけの事です。尻ぬぐいはいつか誰かがやらねばならんのであって、責任のなすりあいをいつまでも繰り返してる訳にいかないのは明らかですしね。

話を戻すと、やはりあれ位、強力にプレッシャーをかけなければ、日本の銀行は自己改革なんてとてもできなかったと思います。
メガバンクの中で不良債権処理が進んでおらず(進められず)、かつ内部資料を金融監査で隠していたUFJ銀行が、ギブアップする形で東京三菱銀行と経営統合する事を決定しましたが、これも金融庁の「業務改善命令」を受けて観念した訳ですからね。(^^;「業務改善命令」でなく、「業務改善勧告」程度だったら、果たしてギブアップを決断したかどうか。
まぁ何にせよ、他の改革より一足早く(一足どころではない?)金融改革は最終段階に差し掛かった感じが強いですね。

これ自体は、日本経済の今後を思えば、歓迎すべき事ですね。

(注※1)
野党にしつこく、くどく、追及されるのは、与党側の宿命ですから。\(^o^)/
ついでに言うと、あの「年金未加入期間」があった議員がこれだけいるぞ、っていうあの暴露合戦。(→更にはこれがテレビキャスターなんかにまで飛び火しちゃって。(^^;)足の引っ張り合いそのもので、およそ「年金制度そのもの」を真剣に議論しようなんて考えは与野党とも無く、ただひたすら、法案を通したい与党と廃案にしたい野党のいがみ合いのみで、情けない事この上無い。本来の議論をしろよ!とどれだけ叫びたかったか。
まぁあれですね。あれだけ未加入議員がいたのが判明した今となっては、未加入問題が騒がれだした初めの頃に、「厚生大臣時代に未加入期間があった」(←しかも原因は社会保険事務所の単純なミス(^^;)事が発覚し、当時の政治情勢から代表を辞任せざるを得なくなった民主党の菅直人・前代表は気の毒やね。←とは言えこれも、先手を打って先に辞任表明した福田康夫・前官房長官の作戦勝ちと言えば勝ちだけどね(^^;。逆に、法案成立後に後出しジャンケンで未加入期間を公表した公明党の執行部。神崎代表も冬柴幹事長も未加入期間があったけど、誰一人、辞めてませんから。
いや〜、政治の世界って、一寸先は闇。恐いですね〜(^^;

(注※2)
そう言えば直接関係ないけど、テレ東のWBSはじめ、メディアで竹中批判を繰り返していた、早稲田大学大学院の植草一秀教授(今は元教授やね(^^;)が、女子高生のスカートの中を手鏡で覗こうとしたとかで逮捕されたのは4月でしたっけ。今は公判中で、彼自身は無罪を主張しているので、軽々しく論じるべきではないにしろ、彼もつくづく阿呆な事で転落しちゃったもんやね。盗撮系のDVDを自宅に大量に所持しているとか、そんなのは個人の自由だから良いけど、都迷惑防止条例違反はイカンわねぇ。(^^;
◎ 2004.07/24 -
『義司の週間絵日記』(週刊漫画タイムス)や『今週の義司』(週刊文春)を長期間連載してきた、漫画家の鈴木義司さんが、7/16に亡くなったそうです。享年74歳。まずはともかく合掌。

僕は喫茶店で週刊漫画タイムスをよく読みますが、僕の記憶では、この7月になってからも『義司の週間絵日記』は載っていたはずですから、亡くなる直前まで描き続けていたようです。(※時事ネタが殆どの漫画なので、描き溜めは不可能)
プロ根性、と一言で言ってしまうのもアレですが、立派なものですね。

ところで、その鈴木義司さんでふと思い出した事があるのですが。

今や一部好事家(?)の間で「お宝番組」「お宝映像」ともてはやされている、『お笑いマンガ道場』という番組が、昔ありました。愛知県の中京テレビが放送していた中京地区ローカル番組で、全盛期は20年位前(注※1)になるでしょうか。
16年間の放送史の中で、「お宝」と言われているのは、若い頃(もしかして大学生時代を含む?)の川島なお美が出演し、結構上手な絵を楽しそうに披露していた、恐らく1980年代半ば〜後半頃のものがメインなのでしょうけれど。(今思い出しても、この頃の川島なお美は本当に可愛かった。(^^;しかも、意外にも絵も上手かった)

今思えば、この『お笑いマンガ道場』って、凄いメンバーがレギュラー出演していたんだなぁ、と感慨にひたってしまいます。
(文中敬称略で書きますが)
プロの漫画家として、鈴木義司と富永一郎。(※この二人は、『笑点』でいう歌丸と小円遊みたいな間柄)
レギュラーのパネラーに車だん吉、川島なお美(注※2)。(あと、毎週ゲストが一人)
極め付きは、司会が、当時フリーアナウンサーの柏村武昭。今や参議院議員です。今年勃発した、イラクでの日本人人質事件では「反日的分子」発言が物議を醸しましたね。(尤も、私はこちらに書いた通り、柏村議員を基本的に擁護しますが。)

いや〜、ほんと、個性の強いキャラクターばっかりですねぇ。(^^;
こんな凄いメンバーが毎週顔を揃えていたんだもんねぇ。今ではもう不可能な組合せですよね。

話が逸れましたが。
改めて、鈴木義司さんのご冥福を、お祈りします
m(_ _)m

(注※1)
番組自体はかなりの長寿番組で、1977年〜1994年までの16年半もの間放送されました。中京地区ローカル番組なので、東京の人などは全く知らない人が多く、だからこそ全国的には「お宝番組」と言われていますが、中京地方の人間にとっては、知らない人の殆どいない超有名番組です(^^;。ちなみに土曜日夕方の放送でした。

(注※2)
川島なお美は、女性レギュラーパネラーでは3代目だそうです。初代が元ゴールデンハーフのエバ(←滅茶懐かしいネ)、2代目が秋ひとみ(←この人も顔・声ともに可愛い人でした)、4代目が森山ゆう子なんだそうです。
◎ 2004.07/24 -
数日前ですが、「伝説の夏王朝か」という記事がありました。(※ココでのリンクは読売に張りますが、朝日も産経も毎日も取り上げたニュースです。そりゃ、本当なら世界的ニュースだもの)

それを読んで個人的に思ったのは、
「発掘調査が進めば、きっと司馬遷の『史記』の評価が、ますます上がるんだろうなぁ」
って事。

(以下は、自分の知識をひけらかすようでアレですが。(^^;)
司馬遷の『史記』が、「本紀」「世家」「書」「表」「列伝」の5部構成から成る(注※1)のは、知っている人は知っている事でしょうけれど。(※ちなみに歴史書の記述方式で「紀伝体」というのは「本紀」の紀と「列伝」の伝からきています)

その「本紀」に書かれている王朝の歴史のうち、実在が確認されているのは現在の所、「殷」王朝(紀元前16世紀〜紀元前11世紀頃?)までです。
「殷」の前に「夏」という王朝があった、と『史記』は記していますが、今まで、発掘調査などでその実在が確認された事はありません。
今回のニュースは、その実在が未確認だった「夏」王朝の、実在証明になるものかも、という事で、考古学者は言うに及ばず、歴史に興味のある人なら誰もが注目するニュースな訳ですね。

考えてみれば、「殷」王朝も、20世紀初頭までは幻の王朝、単なる伝説の王朝、と言われていました
『史記』に現れる王朝のうち、本当に実在したのは「周」王朝からであり、「周」の前の「殷」、ましてその前の「夏」などという王朝は、最初の、神話の「五帝」時代からの続きで、神話・伝説の類にすぎぬ、と。
つまりは司馬遷の「作り話」、という訳です。

しかし、20世紀初頭の発掘調査で、「殷」王朝が実在した事が証明されました。同時に、『史記』の記述が実に正確であった事も証明されました
それ以来、『史記』に記述がある以上、「夏」王朝も実はあったのではないか、いや、さすがにあれは神話の続きだろう、などと侃々諤々の論争があったらしいのですが。
一世紀近い時を経て、今、「夏」王朝の実在論争が再燃しているという事で。
考古学者や歴史学者ならずとも、わくわくする出来事ではあります。

それにしても、司馬遷という人は、膨大な『史記』を一人で編んだというのも凄いけれど、不思議な人でもあります
何故かと言えば、かの「殷」に関する記述もそう、「夏」に関する記述もそうですが、これほどの大昔、言ってしまえば神話の時代ほどに昔の情報を、どこからどうやって集めたんでしょうか。勿論、情報などというものは、いい加減なものならばいくらでも集められますが、『史記』の記述は、古い時代の事もかなり正確である事が、時代を経るごとにますます認識されてきています。
一体これほど正確な大昔の情報を、どうやって入手したんでしょうか?
中国には司馬遷よりもずっと前から史官(※歴史書を編纂する役人)は居た訳ですが、司馬遷よりもよほど古い時代の史官でも、これだけ正確な情報を持っていた人は居ません。(少なくともそういう記録は無い。)
司馬遷一人が、正確に史実を知っていたのが、謎ですね。何か、神懸かり的なものを感じます。

ま、そういう謎も含めて、歴史のロマンですけどね。(^^;

(注※1)
「本紀」は、歴代(正統)王朝の歴史を綴ったもの。今回話題になった「夏」王朝についても「夏本紀」として記述がある。有史以来の順番に言うと「五帝本紀」「夏本紀」「殷本紀」「周本紀」「秦本紀」「始皇本紀」「項羽本紀」「高祖本紀」...と続く。あの悲劇の英雄、項羽を、正統王朝に数えている所に、司馬遷の強い思い入れが感じられますよね。
「世家」は、貴族・豪族(いわゆる封建諸侯)の歴史を記述したもの。かの孔子も「孔子世家」として残っており、司馬遷の中では孔子=貴族(※本当は孔子の出自は不明であり、その事は司馬遷もよく知っていた。が、孔子ほどの大人物を「列伝」に入れるのは忍びなかったのでしょう)である事が分かります。
「書」は、国家の制度などの記録。
「表」は、列国の年表。
そして最も人気の高い(※『史記』と言えば「○△列伝」を思い浮かべる人は多いでしょう)、「列伝」は、王でも貴族・豪族でもない、単なる平民(的身分出身)なんだけれど、類い希な才能を用いて、一つの偉業を成し遂げた人達の実績を書き留めたもの。「刺客列伝」などという、暗殺者達のストーリーなんかも残っています。(^^;『史記』の中でも最も生き生きとした描写がされている部分であり、人気の高い理由も分かります。

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