♪過去の雑談♪(単なるゴミ箱ですσ(^o^ゞ)

◎ 2005.01/04 -
明けましておめでとうございます。今年も宜しく。m(_ _)m
と、通り一遍の挨拶をしたところで...

今年2005年は、終戦60周年に当たります。(※太平洋戦争終戦は1945年8月15日)
人間が生まれてから、還暦を迎えるまでの歳月が経つ事になる訳ですね。
それを意識してかあらぬか、自民党、民主党、公明党など、主立った政党は与野党とも、今年を『憲法改正元年』的な位置づけにしているようです。

元々、1955年の結党時から「自主憲法制定」を党是に謳っている自民党は当然として、ある意味「非自民というだけの烏合の衆」とも言える民主党でも憲法改正を唱える勢力が大きな流れを作っているのは、これはもう時代の必然なんでしょうね。時代の要望でしょう。

憲法改正となると最大の注目はどうしてもまず9条になります。
「戦力の不保持」という条文と、現実の自衛隊という軍隊の存在
この文言と現実のギャップを、日本はかれこれ55年もの間(※注1)、埋める事ができなかった(しなかった)訳で、これははっきり言って国家として恥ずかしい事です。

政治に限りませんが、特に政治は、「言葉」が全てです。当り前ですが、公約などは必ず言葉で語られます。
およそ理性ある人間は、言葉で、自分を表現するものですし、またそうあらねばなりません。
ところが、その「言葉」を最も重んじるべき政治の世界に於いて、憲法9条と自衛隊という矛盾を、「内閣法制局による憲法解釈」などという小手先の技でごまかそうとし「根本的に条文を変える」という真っ当な方法で対処してこなかったのは、ある意味、戦後日本の大きな忘れ物と言わざるを得ません。(※勿論、条文の変更、即ち憲法の改正という正攻法で対処できなかったのには、色んな事情がある訳ですが。)
この忘れ物を、21世紀に入るまで放置しておいた恥は恥として、遅ればせながら、やはり取り戻さねばならないのは明らかでしょう。

今の自衛隊は、イラク復興支援活動での活躍を見ても分かる通り、もはや日本だけのものとも言えないほどに、国際的に認知されています。イラクに駐留する外国軍の中で、地元からの信頼度がずぬけて高いのが日本の自衛隊、というのは有名な話です。
また、災害時の救難活動でも自衛隊は欠かせない存在です。

そのような自衛隊に、憲法9条があるが為に肩身の狭い思いをさせておくのは、非常に良ろしくない事なのは明らかですよね。活動の根拠を、憲法によって与える必要があるのは明らかです。
自民党案でも民主党案でも何でも良いので、一つの案をたたき台として、『21世紀の日本の国防軍』のあるべき姿を、国会で真剣に議論してもらいたい、と切に願うものです。

他にも、教育基本法の改正問題もありますし、こういった日本のこの先百年を決めるかも知れない重要な問題について、真剣な議論を議員のセンセイ方に期待したいですね。
まかり間違っても、去年の「年金国会」の時みたいに、「年金未加入議員の暴露合戦」なんていう、本質から大きく外れたしょーもない事に時間・労力を費やすのはもう許されません。肝に銘じてほしいものです。

今年は、国政レベルの選挙は予定されていません。(※衆議院の解散・総選挙が無い限り。←その可能性も非常に低い)
という事は、選挙向けの、党利党略によるくだらない中傷合戦などをする必要は無いハズで、本質的な議論をじっくりできる、絶好の年である訳です。

是非、実りある議論をお願いしたいですね。

(※注1)
1950年に朝鮮戦争(韓国動乱)が勃発したのを機に、アメリカの意向で(自衛隊の前身となる)「警察予備隊」が創設されたのが、自衛隊のルーツ。という事は、憲法9条の「戦力不保持」条項と、現実には軍隊が存在する、という矛盾はこの時から生じている訳で、それで私は「文言との矛盾が55年」と書きました。
◎ 2005.01/16 -
既に旧聞に属する話題ですが、1月12日でしたっけ、いわゆる『青色LED訴訟』で和解が成立した、っていう報道は。
その後もこの話題、続報が色々出ていますので、この数日、私としては珍しく「紙の新聞」をじっくり読んだりして(^^;、また、やはり珍しくTVニュースをじっくり見たりして、マスコミの論調なんかも見ていたんですけど。

私個人の考えを率直に言うと、
遅延損害金を含めて8億円ちょっと(※実質は6億円)の和解金は、安すぎるぜ」
っていう事です。
いくら何でも、東京地裁の認定した200億円から、三十分の一以下の値段じゃぁねぇ、というのがあります。
(ちなみに私、以前こういうふうに書いています)

現在、携帯電話の画面が当り前のようにカラー液晶になっているのも、或いはもう少し古い話ならば、1990年代(※特に半ば以降)にノートPCの画面がそれまでのモノクロ液晶からカラー液晶にシフトしたのも、この『青色LED』なくしては成り立たない事なんですよね。
それほど、全世界に影響を与えた「世紀の大発明」に対する対価が、都心で土地付きの家一軒買ったら終わり、という程度の値段でしかないなんて、いささか情けないね。
これだけの大発明に対しては、最低でも和解金は100億円はいくべきだったなぁ、とね。思いますよ。

中村修二さんは、はっきりと「日本の司法制度は腐っている」と言っていますね。「東京高裁ははじめから和解ありきで脅してきた」とも言っています。
6億円の和解金についても「税金でもっていかれるし、裁判費用やその他諸々考えたら、いくらも残らない」と言っています。
私としては、かなりの部分、同調できます。

ひきかえ、日亜化学工業の社長のコメント「当社の言い分が完全に認められた実質完全勝利」宣言には、全く同調できませんね。クソが何を寝言ほざいとるか!って感じですな。

そもそも、日亜化学工業という会社は、1980年代に中村修二さんが在籍していた頃、青色LEDの研究開発の価値が全く理解できず、研究のための資金も殆ど提供してこなかったのは有名な事実。
中村さんは自腹で、数十万円〜百万円単位の装置を購入したり、或いは自分で製作したりしながら、資金的に非常に苦労しながら研究を続けたんですよね。
それに対して、中村さんが会社からもらったのは、特許出願時の1万円と、取得時の1万円の計2万円、ってのは今や笑い話の世界ですが。

そして青色LEDの特許で、会社は思いもよらぬボロ儲け
日亜化学はライセンス料で、200億円を超える収益をあげているはず、と多くのアナリストは言っていますよね。

確かに、東京高裁側や日亜化学工業側の言い分も、分からない訳ではない。例えば、以下のような主張は、概ね常識論としては通用すると思いますよ。

(1)研究開発には企業にとって資金的リスクがつきものであり、
研究者も会社員として研究している限り、そのリスクを負っていない

(2)いくら大発明でも、商品化する為には、製造ルートや販売ルート
を整備しなくてはならず、それは研究者だけでできる訳ではない

など。
しかし。日亜化学の場合、上記(1)が該当しないんですよね。(2)はともかくとしてもね。
私が上記に述べたとおり、自社の研究者だった中村修二さんに資金的支援を全くしてこなかった訳ですから、「資金的リスクは企業が負っている」などという言い分は、当時の日亜化学工業については、全く手前勝手な言い分ですわね。

まぁでも、当事者の中村修二さんが(いくら不満があるにしろ結果として)和解に応じたのなら、もはや外野がとやかく言う事では無いですけどね。
中村さんは、本業の「研究開発者」という立場に、早く戻りたかったのだと思います。

あと、最後に私が勝手に想像で書くのですが。
中村修二さんという人は、研究者としては一流なのでしょうけれど、周囲との協調性・折り合い、特に会社側との付き合い方に、いささか問題があったのかも知れないなぁ、と思ってしまいます。
特に、会社を辞める前後に、何かトラブルがあったんじゃないか、と邪推してしまいますね。
そうでなければ、『青色LED』という世紀の大発明をした人、即ち会社にとっては大功労者に対して、日亜化学工業といえども、裁判でこれだけもめる事を望んではいなかったんじゃないのか、と思ってしまいます。

島津製作所の田中耕一さんとは、そういう点で実に対照的ですね。(※誤解のないように書いておきますが、どちらが人として良い悪いではないです。人には色んな生き方があるって事です)
◎ 2005.02/06 -
プロボクシング元世界ヘビー級王者のマックス・シュメリング氏が2月2日(現地時間)、ドイツはハンブルグ郊外の自宅で死去したそうです。享年99歳(!)。
何はともあれ、合掌。

私、ボクシングファンでありながら、恥ずかしながら、そもそもこのシュメリング氏が、まだ生きていた人だという事を、知りませんでした。(^^;
と言うのも、このシュメリング氏の最大のライバルと言われた、『史上最強のヘビー級』の呼び声も高い、『褐色の爆撃機』ジョー・ルイス氏が、10年以上前に80歳前後で亡くなっているハズで、そのルイス氏より少し年上のシュメリング氏が、まさかまだ存命中だとは、全然思っていませんでした。とっくの昔に亡くなった人と勝手に思っていました。(^^;

マックス・シュメリングとジョー・ルイスと言えば、やはり2度に渡る両者の対戦(※結果は1勝1敗)は、歴史に残る名勝負として語り継がれるのでしょうね。
単純にボクシングの試合としてのみの意味でなく、当時の時代背景もあって「ナチス・ドイツ対自由のアメリカ」という見方をされましたしね。

1936年6月の最初の対戦(※シュメリングは王座転落した後、ルイスはまだ王者になる前で、ノンタイトル戦)は、ジョー・ルイス圧倒的有利の下馬評を覆して、シュメリングがまさかの12ラウンドKO勝ち。

そしてクライマックスはやはり1938年6月の2度目の対戦(※王者ルイスに元王者シュメリングが挑戦する世界タイトル戦)でしょうね。
当時は既にヨーロッパではナチスの侵攻が広がり始めていた頃で、第二次世界大戦勃発(1939年)の前年でもあります。
当然、ドイツとアメリカの外交関係は最悪の状態になりつつある頃で、それ故この試合は当事者達の思いとは関係なく「アーリア人とアメリカ人とどっちが強いか」という国家・民族の威信を賭けた勝負、と見られましたね。(※、まぁ、1936年に行われたベルリン・オリンピックもまさにそうでしたしね。)

結果は、この試合に向けて万全のコンディションを作り上げてきたルイスが、ゴングと同時にラッシュを浴びせ、1ラウンドの2分程度でシュメリングをKO。「自由のアメリカがナチス・ドイツを破った一戦」として、世界中に打電された試合となりました。

今の時代では、ボクシングでここまで「国家の威信を賭けた疑似戦争」的な試合なんて、もうあり得ないでしょうね。
それに近いのが、(私いつも言っていますが)サッカーW杯と、オリンピックってとこでしょうね。

何れにしても、往年の名ボクサー、『生きた伝説』マックス・シュメリング氏のご冥福をお祈り致します。
m(_ _)m

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