♪過去の雑談♪(単なるゴミ箱ですσ(^o^ゞ)

◎ 2003.10/04 - 久しぶりに、土日とも休みを取れる状況になって、少しくつろいでいます。まぁ、決して暇になった訳では無いんですが。仕事にぼわれっ放しのテンパりまくりでは、いずれ身体か精神のどっちか(或いは両方)を壊してしまいますのでね。休むべき時には休む勇気が必要ですね。(^_^;

ところで、唐突ですが、イラク戦争関連の事を、当WEBで久しぶりに書かせて頂きますと。
戦争の一応の大義名分だった「大量破壊・殺戮兵器」が、未だに発見されていない事、また、イラク国内で頻繁にテロ活動が起きており治安が一向に良くなっていない事などから、最近は米国内ですら、「あの戦争は必要なかったのでは?」という声も上がっているようですが。

結論から言えば、私は、そうは思いません
確かに、化学・生物兵器やいわんや核兵器といった、いわゆる「大量破壊兵器」「大量殺戮兵器」は、今回の戦争の終結宣言後も、見つかっておりません。未だに調査団が調査中のようです。

しかし。私はイラク戦争、サダム・フセイン政権打倒はいずれはやらざるを得ない戦争だったと思っています(私、以前、こう書いています。それの繰り返しです。)。それは以下の論点からです。

(1)イラン・イラク戦争中の1980年代半ばに、サダムは北部クルド人を化学兵器(マスタード・ガス)で大量虐殺した(5,000人と言われる)、歴然とした実績がある。(自国の国民を化学兵器で虐殺した、史上初の為政者である。)

(2)その時に使われた神経ガスは、残りがあるはずだが廃棄された形跡が無いし、それどころかその後サダム政権が様々な種類の化学兵器・生物兵器を開発貯蔵していた状況証拠は数多い。故に、未だ見つかっていない、と言っても、どこかに隠されている可能性は極めて高い。(「見つかっていない」=「無い」とは言えない、という事。(「無い」事を証明するのは大変です。))

(3)またミサイルの開発や入手にも熱心で、イラクは国連による制裁決議で長距離ミサイルの保有を禁じられていたのに、北朝鮮などから長距離ミサイルを購入しようとしていた。(→ついでに言うと、北朝鮮はイラクから代金だけ先に送金させて、その見返りのミサイルを渡さなかった(渡せないでいるうちにイラク戦争になってしまった)というオチまであるらしい。\(^o^)/流石は北朝鮮でんな。)

(4)そもそもサダム・フセインは「ペルシャ湾の覇者」から「中東の覇者」になろうと何度も試みてきた人物(イラン・イラク戦争も、湾岸戦争も、サダムの野心から起きた戦争)であり、放置しておいては危険な輩であるので、いずれは排除する必要があった。世界の為にもイラク国民の為にも。

だから、未だに大量殺戮兵器が発見されていないからと言って、イラク戦争の必要性が無かった、とは全然言えない訳です。米英軍による大量殺戮兵器捜索活動は確かに難航しているようですが、その事が、サダム政権下のイラクの危険性を否定する材料にはなりません。
そもそも、考えてみれば、イラク国民自身がサダム・フセインを権力の座からひきずり降ろしてくれればそれがベストだったのは論を待たない所ですが、サダムの支配力があまりにイラク国内で大きい為に、イラク国民自身にサダムを倒す力が無い、となれば、外国がやるしか無いのは致し方無い所です。確かに国際法的には「内政干渉」に相当する事ですが、これも時と場合によりけりです。

「自分で自分の事をきちんとできる人間に、誰も口出しはしないが、
 自分でできない人間には、誰かが面倒を見るしかない」

っていう事です。(^_^;

それに、よくよく考えてみれば、これだけの間見つかっていないのに、「大量殺戮兵器を発見した!」とか言って、兵器発見の捏造をやらないだけ、逆に米英は真面目に取り組んでいると言えるのではないか。軍による捜索活動は、仔細がマスコミに知らされている訳でないし、「兵器発見!」の捏造なんて、自作自演でいくらでもできるでしょうに、それをやらないでここまできているって事は、逆説的ですが立派だって事です。

まぁただ、米英にしてみれば、戦後統治を余りに甘く見ていたのは失敗でしたね。まさか、これほどまでに治安維持すらままならないとは、恐らく当初予想していなかったと思います。
米英は、ひょっとしたら第二次大戦後の、占領下の日本を、イラクにも当てはめたかったのかも知れません。
日本の場合は、降伏文書に調印し、政府レベルで敗戦を全面的に受け入れました。また国民レベルでも敗戦をキッパリと受け入れ、占領軍に対しとても好意的に迎え入れていたと思います。

しかし、今回の戦後イラクは、かつての戦後日本とは全然違いますからね。戦争の経緯・終結の仕方も全く違いますし、そもそも国家の性質も国民の倫理観・宗教観もまるっきり違います。

日本は単一民族国家でした(だから、天皇が敗戦を宣言すれば、みな受け入れざるを得なかった)し、国民は元々は高い道徳観を持っていたので、敗戦後は復興の為に全力を注ぎ、残党によるテロ活動なんて考えられなかった。
しかし、イラクは多民族国家・多部族国家ですし、イスラム教と言ってもスンニ派(←サダムは一応こちら)、シーア派等の違いで、利権もバラバラ。道徳観も日本人とは全然違いますから、治安が悪化すれば略奪・暴動やりたい放題ですわな。
時の最高権力者も、敗戦を宣言した訳でなく、生死も分からず(逃げていると言われている)、従って、敗戦を受け入れない残党が一部にいたりして、それが国連ビルを爆破したりする活動になっている訳ですよね。

こんなに戦後統治に苦労するとは米英も考えていなかったみたいで、最近になって国連に「やっぱ国連の名の下で多国籍軍を派遣して治安回復させるべきだよね〜」と泣きついてきてますが、それはさすがにムシが良すぎる、という印象を与えますね。

米英が起こした戦争ですから、米英中心でイラクを統治する限り、戦後の利権も米英が中心に握る、という事に対しては、私は何ら異存は無いですが、「国連中心の統治」に切り替えるなら、利権の配分も国連で決めるようにしないと、世界は納得できませんわねぇ。
このへんを、上手くやらないと、ブレア首相は言うに及ばず、いっとき驚異的な高支持率だったブッシュ大統領も、再選が難しくなる可能性はかなりありますよね。
◎ 2003.10/26 - 世間的にも比較的関心が高く、私個人としても密かに大いに注目しておりました、自民党の「衆議院比例区での出馬時73歳定年制」問題ですが。特に、言うまでもなく総理大臣経験者の去就ですね。85歳の中曽根康弘氏と84歳の宮沢喜一氏のね。

結局、宮沢さんは小泉現首相の勧告を聞き入れる形で自ら辞退。(ただ、小泉さんとの会談で「総理に恥をかかせる訳にはいきませんから辞退します」と仰ったそうですが、「総理に恥を...」っていう言い回しは、宮沢さん一流の皮肉が込められている気がします。(^^;まぁ、小泉さんには通用しないと思いますが。)

一方、中曽根さんは「非礼なやり方だ」と断固拒否しておりましたが、自民党本部が中曽根さんを「比例名簿に載せない」と正式に決定した事で、出馬は事実上無理になったようです。(出馬するかしないかは正式には明日(10/27)決めるらしいですが。)中曽根さんが如何に大物でも、小選挙区で無所属の立候補では、この10年、選挙区選挙を戦っていない中曽根さんの当選はおぼつかないだろう、というのがその理由だそうです。

まぁ、宮沢さんと中曽根さんでは、同じ八十代半ばの、同じ総理総裁経験者と言っても、事情はだいぶ違うんですけどね。宮沢さんの場合は、自身の選挙区(地盤)を甥に譲り、自分は比例区に回ったといういわば「自分と自分の身内の事情」による比例区転出ですが。中曽根さんの場合は、身内に地盤を譲った訳でもなく、ただ単に1996年当時の自民党内の候補者調整が難航した結果として、当時の橋本龍太郎首相の依頼によって「比例名簿北関東での終身一位」を約束されての比例区転出ですからね。いわば「党内事情」に配慮しての結果ですから、宮沢さんと一緒くたにして扱うのは、ちょっと違う、って気はします。

ただまぁ、その辺の経緯はともかくとしても、僕の見る所、中曽根さんも宮沢さんも、体力・気力・知力いずれをとっても、まだまだやれる、って感じはします。特に中曽根さんなんかは引退勧告に対して「100m競泳と国際情勢の論文で決めろと反論したそうですから、まだまだ体力も知力も自信があるんでしょうし、意気軒昂ですよね。と言うより今の自民党若手議員に、あれほどの気力を持った人が居るだろうか、と逆にそっちが心配になります。(^^;中曽根さんは、自民党憲法調査会の委員会を一度も欠席した事が無いそうですし、その精勤ぶりを考えれば「憲法改正と教育基本法改正に残りの政治生命を賭ける」という言葉が、あながち議員バッジにしがみつく口実とは思えません。本人にやる気がある以上、やらせてあげれば良いのに、と思いますね。

宮沢さんにしても、まだ高々2年半前まで、森内閣で財務相を務めていた位で、(見た目の頼りなさとは裏腹に(^^;)健康面にも全く不安は無い人ですし、元々経済・財政政策に明るい人ですから、現時点で定年を理由に強制退場を願わねばならない人とも思えません。これも、本人にやる気があるならやらせてあげれば、と思いますね。

それでも自民党が両氏を引退させる方向に動いているのは、「自ら定年制を設けながら、自ら簡単に例外を認めるのか」とか「80を遙かに過ぎた爺さんを頼りにせにゃならんほど、人材不足なのか」などの、世間の非難を恐れているんでしょうね。(^^;
(※僕は、どっちかと言うと例外扱い云々や爺さんに頼らにゃ云々と言った非難などどうでも良くて、現状の「比例代表制」そのものに大きな欠陥があると思っていますが。比例名簿の上位に登載されたら、有権者が落としたい奴でも基本的に落とせないでしょ。鈴木宗男や坂井隆憲がもし仮に比例名簿上位に載ったとしたら?(奴らは自民党を離党してるから、現状ではあり得ないけど。)考えただけでゾッとしまっせ。)

特に今回はマスコミが「政権選択選挙」「改革選択選挙」などといつになく煽っていますから、自民党に比べれば「しがらみが少ない」「若い」イメージのある民主党に、これ以上「若さ」のイメージで差を付けられては困る「年寄り政党」のイメージが定着してしまうと困る、と自民党幹部は恐れているんだと思います。(その為に、選挙の顔を若いイメージの「小泉・安倍」にもってきた訳だし。)
まぁ、ある意味、大衆迎合政治・衆愚政治ですな。
でも、民主主義社会である以上、ルール上政権を選択するのは国民(→従って最終責任者も国民)であるし、そうであれば政治家が世論を気にするのは当然であり、仕方無いんですけどね。

それにしてもですね。改めて「定年とは何か」と考えさせられますね。この場合は「政治家の定年」が問題になっている訳ですが、もっと広く、一般人にも適用して考えるべき問題だと思いますね。例えばサラリーマンは、現状では60歳になった時点で(その時の体力・気力・知力などに一切関係なく)「定年」という理由で社会的生産活動から強制退去させられる訳ですよね。まぁ尤も、企業側(←この場合は業績の良い優良企業)も「60歳で無条件に強制退場」の仕組みのもったいなさに最近はだんだん気付いてきているようで、本当に「まだまだできる」人ならば、その経験・知識の豊富さ、見識の高さや人脈の広さ、などを、退職後も活用して頂けないか、とお願いする事も珍しくはないようですけど。

私も、サラリーマン生活が長かったので、直属の上司が定年退職していったりするのを見てきておりますが、「何で、あんなに健康で、頭も全く衰えていない(むしろ不勉強な若造より遙かによく勉強している)人が、『60歳』ってだけの理由で、現役引退を余儀なくされるのかなぁ」と疑問に思わざるを得ない事も、何度かありました。逆に、60歳より遙か手前の人(と言うより年齢は関係なし)であっても、全くの不勉強、向上心のなさ、やる気のなさ、などをプンプン漂わせている人には、周囲への悪影響をも考えればそのマイナスポイントは非常に大きく、「早く消えてくれ」と願う事もしばしばありました。(^^;

要するに、年齢など殆ど関係無いって事ですね。あくまで個人の資質の問題であって、若くても駄目な人間は駄目だし、年取ってても立派な人間は立派だし。まぁ当り前の事ですよね。一般人も政治家もその辺りは同じだと思います。

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