藤本三郎先生講演
先生と児童生徒をつなぐもの

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【 藤本三郎先生講演 1 】

(はじめに)  金子武造先生を講師にお願いして、いろいろとお話を承った時に、次の言葉の意味をはじめて伺ったことを今思い出しました。なんでそんなことを今思い出しましたかというと、先生は私を、なにか私を、長野県の教育委員長でもって、長野県中の教育の責任者でもって、よくやっているというご紹介を頂いたわけなんですけれども、金子先生がこのとき『みずから立てると思うものは倒れぬようにせよ』という、パウロの言葉の解釈をなさったときに、お前がいま教育委員長という職務といいますかそういう立場に立っているのは、まあ、ちょうどほかに人がなかったから、しかたなしに、お前を委員長という職に立てたのだよと、いうならば、みなさんが我慢をしておってくれるからお前はその位置に立っておることができるんだ、もし周りの人達が我慢をしてくれなかったらとてもお前みたいな者が、こんな重要な位置に立つことはできないんだ、だから、自分で立っているとおもうな、立たさせて頂いているんだ、そしてその人達のために間違っても倒れないように、しっかりしろ、そういう意味のことをパウロがそんな簡単な言葉でいったんだ、『みずから立てると思うものは、倒れぬようにせよ』と。

 私はそのとき東部中学の校長でした。自分が校長という席に立っていまして、金子先生からこの言葉を聞かされたときに、いかにも、いかにもそうだなあ、なにも何かがよくできて自分が何かすぐれていて、そうしてそんな立場に立たされたっていうふうな、そういう思い上がりは、夢ゆめあってはいけない、だって僕と同等もしくは僕よりすぐれていると思う人でさえ、何かの都合や何かの運やいろんなことで校長になれない人もあれば、二年三年おくれて校長になる人もあれば、いろいろ考えてみれば、いかにもパウロがいうとおりだ、あるいは金子先生のいうとおりだ、周りの人がそうさしておってくれるんだから、やっとこさ立っておれるんだ、いうことを、ほんとに強く感じたことがございます。校長でなくても、今私なら私なりきのそういう立場を与えられておりますと、しみじみと、このときの言葉の意味が、また再びよみがえってまいりました。

 ええ〜と、お話にありましたように一日からずうっと出っぱなしでいまして、十分な用意もできないままにやってまいりました。こないだ教学指導課の四月号の指導時報に、また例によって随想の欄へ何か一文書けと、そう言われましたんで、いろいろ資料を漁ったりして、考えたりする余裕がありませんので、ふっと思いつきのままにこのことを書いときましたので、また、配布されましたら読んでみてください。私は毎年四月のはじめになりますと、先生達と子供との出会いっていうものの、運命的な重さというか深さというか、そういうものを、大変考えさせられますので、そのまま書いときました。(校長と入学式)

 考えてみますと、四月のはじめ、無論先年度からひきつづいてクラス担任をされている方もありましょうし、あるいは今年転任してきて初めてそこの村での学級担任になる方もいらっしゃいましょうし、大学をでてきて、ほんとに初めて子供を担任するというそういう経験にぶっつかった人もいましょうし、人それぞれ、みなさまざまですけれども、いずれにしても子供にとって先生との出会いってものは、ほんとうに、親子の間柄、と申しますと親に子供が生まれてくるという、あの親子の間柄にも比較されるような、あるいはあの間柄にもっとも近い、非常に運命的なつながりだっていうふうに思われるんです。子供にも親にもまったく選択権がございません。あの先生にお教わりたいと思っても、そのようなことを意思表示をして選択するという自由はないわけなんです。結局学校の、個々の先生のご希望や運営上の理由や、いろんな事情はありますけれども、最終的には校長の決断によって、一年の先生は誰、二年の先生は誰と、こう決めつけられるわけです。その先生とお付き合いしていかなけりゃならない。当たり前のことを当たり前に、新しく学校制度が作られてから、もう明治の代からずっと行われてきている何んでもないことなんですけれども、年度のはじめになりますと、その教師と子供との出会いの、意味の重さといいますか、そういうことをしみじみ考えさせられるわけです。

 で私は校長を吉田の長野東部でっていう紹介がありましたが、校長はたった二校しかやっておりませんので、校長経験としてはたいへん浅いわけでございますけれども、長野東部に四年おりました。四回入学式をおこないました。緑ヵ丘でも二年おりましたから二回でありました。かならず決まって、四月の入学式が終わったあと、新一年の父兄の方々を前において、私は、先生と子供との出会いの厳粛さといいますか、大変緊張して学級担任の発表を致しました。それを発表したあと、つけ加えて二〜三のことをお母さんたちに強くお願いをしてきました。一つはいまご覧のようにみなさんの前にお立ちになっている先生は、男の先生もいれば女の先生もいる、大変若いはつらつとした感じの若い先生もいるし、定年まぎわのお年寄りの先生もいる、また、だんだん日がたてばおわかりだと思いますけれども、大変に運動が好きなスポーツマンもいますけれども、運動はまっぴらという先生もいる、まあ、ことごとさように、みなさんにこれから、みなさんの子供さんをお預かりする先生を発表したわけなんですけれども、その先生ってのは個々にまったく違った先生ばかり、しかも、そのとき、父兄にはあえて言いませんでしたけれども、先生の考えているものの考え方、思想、信条、宗教、みんな違う、偶然に一致している人もありましょうけれども原則的にはみんな違う、そういう先生が集まって学校ができているわけなんです。

 そこへ、父兄の選択権がなんにもないところへ、校長が、ただいまから担任を発表いたします、一組はだれだれ、二組はだれだれ、なんらかの期待を抱いてきた父兄は一瞬、期待の通りだったといって喜びの表情をする人もあるし、期待がはずれたということをありありと表情に出す親もいます。子供の中にもざわめきが起こります。校長とすれば、それを発表した以上、父兄のみなさんに、どうか三年間、私は中学校でしたので三年間は、いま発表した先生との付き合いをお願いします、よっく、よっくのこと、何か特別なことが起こらないかぎり、三年間は継続して担任をしていただく予定です、おそらくお気に入らないことやいろんなことがおこってくるでしょう、いろんなことがおこってきたら、まず、率直にその先生に申し出てください、遠回しの言い方や、外側でいろいろな批判をしたり、とんでもないところへ訴えたり、お願いしたり、いうふうなことはやめていただきたい、じかにひとつ先生に不満があったら不満を言ってほしい、どうしても先生にじかに言いにくいことがあったらわたしに言ってください、それからいまお願いしていることは、一方的にお父さんお母さんの側に立って私はいいましたけれども、先生の側に立っていっても同じなんですよ、とつけ加えました。

 先生だって、まことに運命的にみなさんの子供さんと対面をしたわけなんです。そして三〇人、四〇人それぞれ違いますけれども、当時の東部の中学の場合は、四七〜八人でした。学級が三〇学級ありました。一学年一〇人の先生の紹介をしているわけです。その他に教科だけを担当していただく先生も、まったく、子供との出会いにおいては同様なことでございますので、それぞれ紹介しました。先生の方から考えたってすき好みができるわけではない。俺はあの子が気に入らない、あいつの顔つきが気に入らない、あの親父が癪にさわるというふうなことで、子供をなげだすことはできない、担任を代わるというわけにもいかない、ほんとに、何の縁があってこうなったのかと思われるほど深い、なにか運命的に出会ったわけなんで、どうか不満に思ったりいけなく思ったりすることがありましたら先生の方も、お母さんお父さんに率直に話して、父兄の方も先生にじかにお願いすべきことはお願いして、三年間を本気でひとつ付き合っていただきたい、こういうお願いをいたしました。父兄の方にも相当な、ショックというか、なんかそれなりの覚悟というか、これはえらいことになったぞと、いうふうな感じを受け止められた向きがありました。それから学校の、うちの先生たちも、そういう意味の紹介をされて、いよいよ後へはひけない、まあまっしぐらに進むよりしようがない、いう感じがしたと思います。 (出会いと恩寵)

 私はクリスチャンではないんですけれども、またフッとキリスト教に関係する言葉を紹介いたします。下条小中学校にはあるいはあるか今朝ちょっと拝見しませんが、長野県の大変に有名な先生に小原福治という先生がございます。小さい原の、幸福の福に、明治の治、小原福治、この先生は小学校を出たっきりで一生涯教師を勤めたんですけれども、途中でクリスチャンになられまして、長野県の教育社会に与えた影響はとても大きいわけですけれども、その先生が私に、今の教師と子供の出会いのことを、『強いられた恩寵』という言葉でお話しになったことがございます。

 お前その組を担任しろ、その子供をお前受け持て、というふうに校長を通して言われたことなんだけれども、それは校長という個人の、大変個人的な意味合いで言われたものではないんで、校長の職責といいますか校長に託されておる教育の権限といいますか、責任といいますか、そういうもので、あなたは一年一組の担任ですよっていうふうに言われたものなんです。あるいは、下条中学校長を命ずる、それは県教委が出した辞令だっていえばそれまでですけれども、県教委の誰かなにがしかが個人的に勝手に恣意で、欲しいままの気持ちね恣意、恣意でおこなったことではなくて、まさに小原先生に言わせればそれは『強いられた神の恩寵』だと、そういう受けとめ方をしなさいと、それは突然やってきた不意にやってきた、あるいは俺は今度は六年を持とうかなと思っとったけれども、それぞれの事情で最終的に三年生を持つようになった、一年生を持つようになった、それは、大変強いられた形で自分のところへ降りかかってくる、それを『神の恩寵』として、恵みとして受けとめなさいっていうのが小原先生の教えでありました。

 私が旧制の中学を卒業するときに、私は中学しか学校教育を受けておりませんので、なにか学校の先生っていうのは自分の中学の先生しか出てまいりませんのですが、その中学三年のときに教わった伊藤という先生が、ちょうど同じこのことを、伊藤先生は全く別の言い方で、クリスチャンでもありませんし何でもありません、この先生は、『万年筆の倒れた方へ行くさ』そういう言い方で教えてくれました。これから卒業してだんだん世の中へすすんでいくけれども、自分の思うとうりにならないだろうが、ある時点では自分が選択せざるを得ないだろう、その自分で選択した道をまっしぐらに進むしかない、もし進んでいって結果がよくなかったとしたら、結果が不幸せであったとか、あるいは思うように出世しなかったとか、思うように金儲けができなかったとか、自分の期待したとおり結果がいかなかったとしたら、それは、自分が選択した選択がいけなかったんではなくて、その選択したことを後悔する気持ちがお前を不幸せに導いていくんだと、選択にはいろいろありますね、私はそのとき師範学校の入試に失敗しておって、すでに合格不合格の通知が発表されたあとに教室の中で、その伊藤先生が卒業の最後の贐の言葉として『万年筆の倒れた方へ行くさ』と、先生は万感胸に、子供達のことを思っておっしゃったと思うんです。

 その後私が教師になって考えますとですね、悠々志望どおり陸軍士官学校に合格してピカピカで座ってる生徒もいるし、自分が志望した学校をみごとにすべって、不合格のまま今後どうしたらいいかっていう悩みに包まれている生徒もいるし、そういうものをまとめて、近いうちに行われる卒業式を前にして『万年筆の倒れた方へ行くさ』、お前の選択、お前が受けておる運命、それが幸せになるか不幸せになるかは、それはお前が後悔するかしないかだ、そういう教えでした。

 私は後年小原先生から教えられた『強いられた神の恩寵』っていう言葉と、同義語だと思っています。信仰をもつ人の言い方と信仰をもたなんで実際の生活の実感から言った言葉と、言葉の言い方は全然違いますけれども、意味するところは全く同じだ、そして吉川英治が、大変有名な言葉がありますね吉川英治の、『我、わがことにおいて後悔せず』、それは五輪の書の中の一節だそうですね、武蔵の五輪の書の中の一節にあります。『我、わがことにおいて後悔せず』まあ、そんなくらいな気持ちで、実は先生たちは子供達といきあって、そして新しい学期学年を出発されているんだというふうに受け取っています。

 え〜。ひるがえって先生と生徒の関係だけでなくて、先生同志の関係、今こうしてお集まりになっていますが、それぞれの学校の中における教師集団、先生同志の関係においても、いままで申してきたことを私は同じに考えています。校長と一般の先生方との関係、あるいは教頭さんとの関係、主任、学年主任、いろんな階層ができてきておりますけれども、そうした立場立場にとらわれなんで、一番そっこのですね、いちばぁ〜んそっこの、人間としての不思議な出会い、なんと考えても不思議な出会い、どうしてここでこの人と職を同じうして、そして子供のために毎日働かなきぁならないのか、考えれば考えるほど不思議な運命的な出会い、これを前向きにとらえて、どこまでも、『恩寵』として、受け止めていってほしい、とこう思うわけです。

 私は父兄にそんな気持ちをもちながら、あんたがたの担任はこの先生ですよと言い切ってしまうときに、その先生方がそれぞれみんな違いをもっているわけですね、同じ一様な一律の同じ先生を、一組にも二組にも三組にも紹介するんなら、そんなに深刻な思いをする必要はないわけなんです。まあ大変な違いをもった先生を、同じように、ピカピカの一年生だといって入ってきて、同じような学校への期待をもった父兄にむかって、先生をお願いしているわけなんです。だから緊張するわけです。せめて自分が、ほんとに腹の底に、自信をもちたい、A先生、B先生、C先生、そのとき一〇学級一〇人の先生、それに数人の教科担任の先生、全くそれぞれ違う力をもち、違う色合いをもち、性格をもち、している先生を、それぞれ皆さんよろしくお願いしますっていうからには、どっかに、心底から間違いなしに一致していますよっていう一致点をみいだしたい。で私がそのとき考えたのは、親が一体その、先生が男の先生であったり女の先生であったりお年寄りだったり若かったりすることにこだわりなしに、それを踏み越えて、これだけは、これだけはっていう、学校に対する願いは何であろうか、で私はそれを四つばかりら分けて考えてみました。

(学校に対する親の願い)
 一つは、「うちの子を今日は連れてきたんだけれども、どうか先生、うちの子のことをよく知ってほしい、よくわかってほしい」ということです。生育の歴史のなかで非常に苦労をされたお子さんもいる筈です。近所のお子さんと比べていささか劣っているとか遅れているとか、同じことが同じように出来ないとか、まあさまざまな引け目あるいはいろいろなものをもっているんです。あるいは中には大変な優越感をもって校門をくぐってくるお母さんも最近たくさんいます。誰にも負けるもんか、人のことなんかどっちでもいい、勉強さえすればいい、誰にも負けなんで人を押し退けてでも、っていうふうな感じで学校へやってこられるお母さんもいます。けれどもですねぇ、よぉ〜く考えてみますと、それぞれのお母さんが、みんな一様に思っていることは、「うちの子のことを、よぉ〜くよくわかって頂きたい、知ってほしい」これが第一番の願いだろうと思うんです。

 二番めは、その理解を元にして「どうかひとつ、まともに付き合ってほしい」ということです。いろいろなことがあるかもしれません、先生にあくたいを言うことがあるかもしれません、先生のおっしゃるとおり出来ないことがあるかもしれません、けれど突き放さなんで、まっとうに最後まで手をにぎっておってほしい、これが親の、偽らぬ、どの立場にあろうとも共通の願いだろうと思います。

 三番めに、「どうかわからないことを、できないことを、教えてほしい」ということです。これはもう当然の学校へいれる、最大の目的のような感じになっていますね。学校へ行ってものを教わるんだと、できないことを出来るようにしてもらうんだと、これはもう当然のことだろうと思いますけれども、これは三番めです。

 四番めに「まっとうな人間にしてほしい、まっとうな人間に育ててほしい、伸ばしてほしい」っていうことです。まあ大体それが小学校であろうが中学であろうが、学校へ子供を入学させた親の、誰にも共通して間違いのない、願いではないかと思います。まあ分析の仕方はいろいろありますから、先生方それぞれお考えください。私はこの四つに考えてみました。

 そこでですね。私が一〇人一〇色の、しかもものの考え方、世界観、思想、イデオロギー、ほんとうにとことんまでのものを出しあったら、ほとんど一致することがないと思われるような、そういう先生まで、それを一様に、あんたがたの先生ですよと、この先生とひとつ三年間は間違いなく付き合ってくださいよと言って、校長の責任においてお願いするからには、私は父兄が願っている、共通に願っている、顔形はみんな違っている、おしゃれなお母さんもおるし、質素なお母さんもいるし、極めてまちまちな親の集まりではあるけれども、一様に願っていると思われる四つの願いに対して、うちの先生は、間違いなく全部、年が寄っておろうが若かろうが、そのことに関する限りは本気ですよ、ということに自信がなければ私は担任発表はできない。

 そのことがなしにですね、先生っていろいろあっていいんですよ、憲法によって思想信条は自由ですよ、そうは言っとれない。しかも学校は、そういう考え方や、いろいろのものの出来る出来ない、いろいろなことに堪能な人不得手な人、そういう先生の集まりの職員集団であることが民主教育の原則なんです。一律に軍服を着たように、みんなそろってピチャッと同じにすることではないわけなんです。そういう教育の時代を私たちは捨てたわけです。青い服も、赤い服も、黄色い服もあっていいわけなんです。けれども、それじゃあみんなばらばらであっていいのかってうと、そうはいかない。それじゃあ、大変皆様おご覧のように、まちまちな格好をした背のたかひくがありますように、いろんな違った先生ですけれども、それぞれに特色があり、特徴がある先生方の集まりなんです。

(親の願いを受けて) 「生徒指導と生活指導」  時間のあるかぎりその一つ一つについて、若干の説明をしてみたいと思います。  第一は、「子供をよく知ってほしい」という親の願いに対してどう応えるかという問題です。全体で四八人、ちょっと五〇人近い学校でしたので、まあなかなか大変でした。しかしどこまでもどこまでも、あんまり面倒な研究には関わらなんで、どうやって担当しておる子供を深く知るか、子供を知るっていうことは一体どういうことなのか、そのことを先生方と繰り返し繰り返し話し合いをしました。そうしているうちによく教育現場で使われる、生徒指導っていう言葉と生活指導っていう言葉の意味内容の違いと、現場で使われる使われ方の混乱が問題になりました。

 生徒指導っていう言葉を使った書物やそういう言葉でお話しになる指導主事先生の話や、そういったものは非常に多分にです、全部じゃあありませんけれども非常に強く、1:1の理解の仕方を強調されます。あるいは非常に静的な、それを客観的といいますけれども、そういう人間理解の方法を教えられます。たとえば、知能検査、あるいはクレペリン検査、そういうものを通して子供を知ろうとします。非常に静的な理解の仕方ですね。生きておるものを生きておるものとしてとらえるんではなくて、そういう器具、検査、操作っていうふうなものを通して、子供を知ろうとします。

 例えばですね、生徒非行の原因は何にあると思いますかっていうそういうアンケートで、集約して一〇〇〇人だか六〇〇〇人だか調査をしたら、一位は生徒非行の原因は家庭にありと出た、だから生徒非行の原因は家庭なんだと、そういうふうに言えますか。アンケート調査から出てきますとそういうふうになってきます。二位は、三位は、四位は、というふうに出てきます。ほんとそうですか。ここに、操作、検査による理解の怖さ、難しさがあるわけなんです。
 子供に向かってもそうです。この子は一体どういう子かっていうことを理解する方策として、調査があり検査があるわけです。それは非常に重要なことであると同時に限界がある。それからもう一つ教育相談、カウンセリングっていうことが非常によく叫ばれておりますが、カウンセリングっていうことは原則的に1:1の理解です。グループカウンセリングっていう集団的なものがありますけれど、原則的にはカウンセリングということの機能は1:1の理解なんです。これもその人間がもつ、自分さえ気がついていない心の奥の深さ、そのご当人が気がついていないものを気づかせていくというふうな、非常に深い理解の仕方がカウンセリングにあるんですけれども、原則的には1:1の理解です。

 それに対して、先生がその子供を、子供同志の集団の中で、子供と子供が付き合う中で、その子供を理解するという理解の仕方があります。これは先生との1:1の理解の仕方とはちょっと違うわけです。いうならば、牧場へ仔馬をほったらかしといて、そしてどの馬が一番強そうな馬か、どの馬が弱そうな馬かっていうことを、馬同志のたたかいの中で先生がじっと見ているっていう、そういう理解の仕方ですね。だから思うさま裸になって思うさまのことをやりあわせればやりあわせるほど、それぞれの子供の本性がでてきて、適格にその人間の丸ごと、人間としてのものの見方や感じ方や考え方が先生にようく映ってくる。これは器具を使うとか調査、検査、机をはさんで対談をするカウンセリングっていう手法とは本質的に違っています。そういうものを、お互いに知恵をだしあい、文献に学び、そしてまた経験者に学び、よくよく考えてみませんと、私たちは簡単に子供を知るっていいますけれども、それは大変に怖いことなんです。

 どうやってどこまで手をつくして子供を知るか、家庭訪問にいってうちの様子をみて、お茶を飲んで、お父さんお母さんと二〜三〇分の話しをかわして、お父さんの職業は何ですか、お母さんは何ですか、パートですか、パートは何処の工場ですか、朝飯は一緒に食べますか食べませんかっていう調子の話題で、あのうちの子供はわかったなんちゅうわけにはいかんでしょう。私たちが言っておる専門職としての子供がわかるとか子供を知るってことは、そんなことじゃない。まあ、そのへんの知り方ですね。私はこの一番の、親が「うちの子を知ってほしい」っていう願いに応えるには、相当な努力をしなければできないと思うし、ものを教えるということよりも、もっともっと、その前提になる、教育の一番土台になると思います。「先生はうちの子のことがわかっとってくれる」っていうのは何ですか。顔付きがわかっているっていう意味じゃないでしょう。うちの位置がわかっておるっていうことでもない。その先生は家庭訪問もしてくれたし、授業参観日にはいくし、いろいろやっとってくれるけれど、「どうもうちの子のことが先生にはよくわかってもらえていない」と親が感じたとしたら、なかなか教育は成立しません。

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