これはある初老の男性が最初に整体をされたあと、部屋をでるまで何度も何度も呟いた言葉です。
その言葉は私にはとても嬉しかった。
" 分野 " では、一体どういったそれなのか。
われわれの環境はひと時も留まることもなく、変化しつづけています。
春夏秋冬、湿乾、寒暖、温冷の強弱、緊張と弛緩。
私たちの体もその一部分です。
それらの変化に伴って汗を排泄したり、梅雨時期に酸っぱいものが食べたくなったり、秋口には夏に疲労物質と共に排泄した塩分が美味しくなったりと、バランスを取ろうとする欲求も変化しています。
この自然の変化は避けられません。
また、同時に人間が作った利便優先の文化にも無意識に適応しています。
整体はそのようなところから人間の体の自然を眺めた一分野なのです。
だから、病気症状も経過(プロセス)の一部分と看ています。
ごくごく自然に円滑に新陳代謝を済ませてきていれば、つまり小さく患って大きく変化、これを繰り返していれば、そんなに極端な患い方をしないはずなのです。
体は緊張と弛緩を繰り返しています。
弛みきればよく眠れるし、それでまた一日動けます。
おかしなことに、弛みきらない、つまり緊張を残している状態でも患わない時には患いません。
体にそれだけのキャパがあるのです。
ありがたいことです。
そのために私たちはいろいろなことを成し遂げることができます。
しかし、これもある程度限界があります。
意識していなくても体が異常(歪み、偏り、持続的緊張)を感じてそれを自発的に整え治そうとするのです。機能不全を体そのものが嫌うのでしょう。
これもまぁ、ありがたいといえば確かにあり難いです。
右に傾いたものを左へ戻そうとする。
血液が鬱滞していれば痒みを誘って手に協力させる。
余った栄養素は捨てようとするという具合に。
胃が限界になったら吐いたり、食欲不振になったり、もうちょっと敏感であれば下痢をしたり、
汗を冷やして捨てるべき毒素を取り込んでしまったら、廃物利用で胃酸にする、
あるいは、急いでおしっこにして出してしまう。
このように本来はバランスする力は自らの中にあるのです。
子宮癌の手術で子宮を全部取っちゃった人が体操をしたり、
合間に少し熱を出したりしていたら、お腹がゴリゴリして硬かったのが取れてきました。
不健康な体になったら、こういう反応がとても鈍くなります。
その挙句はスリリングで極端な揺り戻しです。
こういう風に体の機能不全に対して反発する力、これに協力しようとする分野が、
整体だと私は解釈しています。
だから、この分野は消極的ではありませんが、また同時にとても謙虚な世界かもしれません。
ときどき、私はとてもつらいことがあります。
ご自分の体を駄目で、バカで、無能で‥‥、そのように本気で扱ってほしい方がいるのです。
ちょっとだけでいいから自分の持っている力を出す気になればいいのですが、
かてて加えてあれやこれや食べたり飲んだり施したり貼ったりと、
方法のデパート状態を好む人がいます。
なぜ人の心がそうなってしまうかを思うと気の毒になります。
それではご自分の自然治癒力をリストラすることにもなりかねません。
ちょっとずつでも、ご自分の自然治癒力の居場所を与えてあげる。
あるいは現在の症状の中にも新陳代謝していこうとする体の力を見いだす。
この方がご自分のためになるのではないでしょうか。
一時症状が消えて楽になっても体そのものの力、
改善のシクミ自体を壊してしまったのでは元もこもありません。
もしもあなたが他の分野に期待できないけど、ご自分の体の自然を守りながら強い体を得たい。
そういうお気持ちがあるのなら、整体の世界を活用されてください。
それはたった一つしかない「 体という私 」を本当に大事にすることにつながります。
この整体を私は療術とか治療法として説明できないのです。比較ができない。
鍼が効くか、サプリメントが効くかというのと同じところで並べることができないのです。
整体の方が優れているともいえないのです。
優れているのは‥‥ ね、分かりますでしょ ^/^
整体はそういう分野なのです。
病んでいる時に自分の体を肯定的に認めることはなかな難しく、
葛藤や不安が生じますがやはりスタート地点は大事だと思います。
整体の事に関しては、健康の秘訣「症状別シリーズ」を参考にしてください。
現時点04/05/05では<糖尿病>しか載せていませんが、
ご自分の症状と関係なくても整体のことは多少ご理解いただけると思います。
そこにはメンタルセラピーのワークに関しても書いてありますが、
それはこのホームページ自体が「体と心のつながり」がテーマだからです。
整体のみがご希望でしたら私はそれでもかまいません。
私はある時期、野口整体の外弟子だった小川長也さんという方に
10年くらいかけて整体を教わりました。
野口先生にその「手」の良さを大変認められた方と聞きました。
確かにただ触られるだけでふーっと全身が弛むようなそれだけで
体が元気になってしまうような感触がありました。
小川さんはもう亡くなられたのですが、ざわざわとしないでその体と息一つになるようなあり方を
今思い出すと、貴重な時間を頂いていたと振り返っております。
整体はワークと違いあまり言葉を交わしません。
時代が変わると体も変わるのでしょうか。人の体が大変鈍くなってきております。
そのため、私の場合、皆さんには1〜3種類の体操をご指導させて頂いております。
これを行なうとそうでないのは、歴然とした差が出るので私も嬉しいのですが、
やはりそれだけに体が時代の波を受けていると改めて思います。
かつて健康その他、こんなにも情報が氾濫している時代があったでしょうか。
これほどまで健康産業が成り立つ時代があったでしょうか。
3、4年前アメリカの健康産業が日本でのサプリメント販売に何兆円かの
売上を見込んで仕掛けてきている話を聞いたことがあります。
健康を気にするときには、不安があります。
だからいかにも効力がありそうな映像や文句につい気を奪われてしまうのです。
もし情報が、あなたの体そのものが基盤になれば、さして右往左往する必要はなくなります。
「あれを飲んでるから大丈夫」「からだに良いものを食べてるから大丈夫」
これでは体のことは実際には無視されています。
私の知り合いに、便秘に良いからと、そして仕事上のお付き合いだからと
健康食品を摂っている人がいました。
私はその人を10年くらいかけて眺めていましたが、段々太るし膝は痛くなるし、
結果は良くありませんでした。お通じも自力で出す力が無くなっていきました。
いろいろ頭で体を納得させようとしても、体は付き合いが良いかというとそうでもないようです。
体から離れては駄目です。
無理をさせすぎてもいけませんし、無駄もよくないです。
では、どこから始めたらよいのかというと、まずは力ではなくて、弾力。
弾力・動きが出てくると、バランスを保とうとする健康感覚が回復してくるのです。
「 そうか、世の中にはこんな分野があったんだ‥‥ 」
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