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【懐かしい歌へ】

千住真理子

ハーモニーインタビュー  ヴァイオリニスト千住真理子さん

10月18日テレビのスイッチを入れると、スタジオパークで千住真理子さんのインタビューの最中でした。千住さんについては何も知らなかったが、目が輝いていて知的で活発な受け答えをしていました。やがて、話題に出てきたバイオリン「デュランティ」で演奏を始めてくれました。始めた最初から私はそのバイオリンが持つ音の不思議な魅力の世界に惹きこまれました。素敵な演奏だったのです。
すぐPCで千住真理子を調べてみますと、いろいろのページが出てきました。その中の「ハーモニーインタビュー」が参考になるのでここへ転載しました。


七年目のある日。ステージの上で、突然、指の感覚が戻った。

300年間、誰にも弾かれることなく眠り続けていた「ストラディヴァリウス/デュランティ」。ちょうど一年前、この名器と運命的な出会いを果たした千住真理子さん。「それまでのわたしは、まるでおもちゃ箱をひっくり返して遊んでいたようなもの」と言わしめた、「デュランティ」との初セッションとなる小品名曲集『カンタービレ(歌うように)』に込められた思いをはじめ、挫折を乗り越えてきた「デュランティ以前」と「以降」のヴァイオリニスト人生について、熱く語っていただきました。

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きっかけは、ヴァイオリンを弾くアインシュタイン

ヴァイオリンとの最初の出会いは、2歳3カ月の時です。二人の兄が鷲見三郎先生にヴァイオリンを習っていたのですが、さかのぼって考えてみると、母の祖父母が経験したある出来事が、そのきっかけになっているような気がします。

母の祖父母は物理学者だったのですが、ドイツ留学した時に、船の中で、ヴァイオリンを弾くアインシュタインに出会いました。それはすばらしい演奏で、祖父母は夢うつつのような状態で、「ユーモレスク」を弾くアインシュタインの話を、身振り手振りを交えて語ったそうです。祖母は、その話を幼いわたしたち兄妹にも何度も聞かせてくれました。

熱にうなされるくらい、祖父母が感動したヴァイオリン、そしてクラシックという世界。その気持ちを母が受け継いで、わたしたちに習わせようと思ったんじゃないでしょうか。

母はいつもわたしをおぶって、兄たちの練習に連れて行ってくれました。ところがある日、わたしは母の背中から突然降りて、鷲見先生の膝の上に乗ったそうです。すると先生は「2歳3カ月じゃ、まだ早いね」と笑って、わたしを膝に乗せながら「メリーさんの羊」を弾かせてくれたそうです。

それが、初めてヴァイオリンを弾いた時なのですが、実はそれより以前に、兄たちの楽器をいたずらして、母に注意された記憶があるんです。兄たちをうらやましく思っていたんですね。わたしはヴァイオリンを取られるのが怖いくらいで、いつも握りしめていたことを覚えています。

そのくらい大好きだったはずなのに、小学校の低学年まではほとんど練習をせず、あまり上手に弾けませんでした。鷲見先生の門下生は、プロを目指している方がほとんどだったので、みなさんコンクールに出るんです。当然、わたしも出られるものだと思っていたのですが、「あら、あなたも出るの?」と、笑われるような存在でした。

その時からですね。夢中になって練習するようになったのは。やっぱり同年代の子が、同じ曲を自分よりもずっと上手に弾いているのを見たら、自分もそうなりたいと思った。それで猛練習して、上達したというわけです。

コンクールで1位になったのは、小学校5年生の時。それを知ったある関係者の方が、次の年にNHK交響楽団と共演する場をつくってくださいました。ちょうど、ヴァイオリンを弾くのがおもしろくて仕方がない時期でした。ただ、それからは年間60回くらいの演奏会をこなしていくのに必死で、いつの間にか10代が終わっていたというのが正直なところです。とにかく突っ走ってきた。そういう感じでした。

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ヴァイオリンを手にしなかった、20歳からの2年間

ヴァイオリン以外には何も目に入らない状況で、あっという間に10代が過ぎていましたが、すべてが順調だったわけではありません。20歳の時、それまで「天才少女」と呼ばれ続けてきたことに対するストレスと、このまま一生涯、音楽家としてやっていくのかどうかという2つの疑問が爆発しました。そして一大決心して、ヴァイオリニストであることをやめようと思ったんです。一人の学生に戻って、また女性として、自分らしい生き方がまだほかにあるんじゃないかと、とにかくヴァイオリンから離れることにしたんです。「もういらないから」と言って母に楽器を渡しましたし、もちろん練習も全然しなかった。クラシックも聴きませんでした。

それまでのわたしは、1日24時間というサイクルの中で、音楽を取ったら何も残らないというくらいの生活をしていました。眠る時までも、音楽のことを考えていたわけですから。
解放感というよりも、虚無感ですね。何をしたらいいのかわからないんです。何を目指して、どう生きていけばいいのかわからないという虚無感。平日は学校から帰ってきて、寝るまで8時間近く練習して、休日には1日12時間。それだけの時間がまったく空いてしまった。

一番大きかったのは心の問題でした。音楽というものが、自分の中でものすごく大きな割合を占めていたんです。自分でも気付かないほどに。それが文字通り、ぽっかりと穴が空いたようになくなってしまった。呼吸をすることさえも、難しいくらいの状況でした。

ヴァイオリンで忙しい時は、あれもしたい、これもしたいと思っていたんです。じゃあ、それをやればいいじゃないかと思って、始めてみたりしたわけです。スキーに行ったり、映画を観たり、買い物に行ったり、ボウリングをしたり……。とにかくいろいろなことをしましたが、何をやってもおもしろくない。わたしが目指していたのはこれじゃない。では、どれなの?という混沌とした状態の中で、ただもがいていました。

それを挫折とかスランプと呼ぶんでしょうね。なかなか打破できない、抜け出すことのできないクレバスに落ちてしまうことって、あると思うんです。わたしは完全にそこに落ちていた。ですから、自分なりに努力したり気持ちを入れ替えようとしても、結局駄目なんです。そうして苦しみながら、いつの間にか2年間が過ぎてしまった。

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ある人の最後に聞かせてしまった、人生で一番ひどい演奏

そんなある日、あるホスピスから呼ばれました。わたしが以前、活動していたころのファンだったという末期がんの方がいらして、わたしに会いたいということでした。

でもヴァイオリンを弾く自信もなかったので、会いたくないと言ったんです。そうしたら間に入っている方が、「そうじゃない。あなたはヴァイオリニストとしてではなく、人間として会うんじゃないか」とおっしゃったんです。わたしは本当にその通りだと反省しまして、一応楽器を持って会いに行くことにしました。

その方は本当に喜んで、「死ぬ前に会えてよかった」と言ってくださいました。そこでわたしはうれしくなって、実に二年ぶりにヴァイオリンを弾いたんです。

ところが、全然練習していないので、思うように弾けないんですよ。体は震えるし、音程も取れないし、それは本当にひどい演奏でした。そういうみっともない姿をさらけ出してしまった後に、その方はやさしく手を差し出してくださいました。目にいっぱい涙を溜めて、「ありがとう、感動しました。わたしは今まで生きてきてよかったと思う。ずっと苦しかったけれど、今、この瞬間はうれしいから苦しくありませんよ」って笑ってくださったんです。

わたしは、なんというひどいことをしてしまったんだろうと、ものすごく後悔しました。以前は、何時間、何時間とメモに取りながら毎日練習していました。そのころならまだしも、ヴァイオリンを投げ捨ててまったく違う人生を歩こうと、ボウリングをしたり、スケートをしたり、勉強に打ち込んで音楽を忘れようとしていた時期に、その方に会ったのです。しかも、その人にとって、最後に残されたわずかな時間に、わたしの人生で一番ひどい演奏を聴かせることになってしまった。やり切れなくて、胸が痛んで、悩んで、それから家に帰って練習を始めたんです。

それはヴァイオリニストに戻るためではなく、もう二度とこういうことがあってはいけないという思いからでした。万が一、どこかのわたしのファンの方が、また同じように会いたいと声を掛けてくださっても、自分なりに精いっぱいの演奏ができるようでありたいと思いました。そして再び、ヴァイオリンを手にしたんです。

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7年かけて、ヴァイオリニストに戻った

今から思えば、それが再びヴァイオリニストに戻っていく第一歩になったわけです。
その時は、2年間のブランクだから、2年でまた前のように弾けるだろうと思っていました。ところがそれは大間違いで、では、倍の年月をかければだいじょうぶだろうと、4年間頑張ることに決めました。

また始めようと決めた時から、演奏会は毎年開かれるようになりました。まさか、自分が演奏会で弾けないなんて、想像もしていなかったのです。楽屋に帰ると泣くようなこともあるわけです。

ステージの上で弾けない。こんなに恐ろしいことはありません。体中がガタガタ震えますし、ヴァイオリニストとしての千住真理子は、二度と戻らないんじゃないかという不安が襲いかかってくる。2年、3年だと、まだ不安がつのるぐらいなんですが、4年、5年とたってくると、それが確信に変わるわけです。

それまでは、弾こうと思えば何でも弾けたんですね。自分なりの指の感覚というものがあって、指に任せていれば、頭で何も考えなくても弾ける。それがブランクの後は、以前のように12時間以上も、それこそ腱鞘炎(けんしょうえん)になるくらい練習した。家では弾けるんですよ。でも、ステージに上がると感覚が戻らない。それが1年、2年と続いて、4年目になってもまだ戻らない。

その間にずっと思い続けていたのは、ばちが当たったんだということ。音楽の神様がいるのなら、2年間弾かなかったことで、「きみには、もう弾く資格がない」と言っているんだろうと思ったのです。

そして、7年目のある日。ステージの上で、突然、指の感覚が戻ったんです。

その時わたしはステージの上で、一人喜びました。「やった!」って。そしてこれが一時的ではなく、完全なものならば、わたしは生涯ヴァイオリニストを続けていいんだと、やっと神様が認めてくれたということなんだと思いました。

それから感覚は失われることなく、弾けるようになってからは、演奏会がうれしくてたまらなくなりました。人前で弾けるということが、本当にうれしかったんです。

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何かが宿っているとしか思えない楽器との運命的な出会い

「ストラディヴァリウス/デュランティ」は、ある日突然、わたしの前に現れました。
今からちょうど1年前のことです。

そのころ、新しい楽器に替える予定はまったくなかったのに、突然、「楽器を見てみないか」という電話があったんです。「ストラディヴァリウス」という楽器は世界に何百台もあるし、こういった話はこれまでにもたくさんあったので、ある程度の予想はついていたんですよ。
ですから最初は、「見なくてもいいのでは?」という気持ちと、そんなにすばらしいのなら、「ちょっと見てみたいな」という興味が半分半分でした。

ところが、実際に手にして弾いてみた瞬間、生まれて初めての経験だと確信できるくらい、強い衝撃を感じたんです。

まず、「本当に300年間、誰も弾いていなかったの?」という驚き。もしそうなら、こんなに鳴るわけがない。しかもただ鳴るのではなくて、わたしがイメージできないような音を持っている。言ってみれば、それまでわたしの中で築き上げてきたものがすべて覆されて、今までの予想をはるかに超えた音楽の世界というものが、もはやそこにあったわけです。

その「もはやある」世界を膨らませて、さらに展開させていくには、すべてにおいて「ゼロ」の状態から始めなくてはならない。それまで弾いたどの曲についても、これから弾き直す必要があるんです。

この楽器を手にした人はそれをしなければならないと思うし、もちろんすごくラッキーで、幸せなことで、これほど演奏家冥利に尽きる話はないと思います。
その反面、ある種のプレッシャーがないと言ったらうそになるけれど、それはわたしにとって、「心地よい荷物」なんですね。

同時に、わたしはこの楽器と、生まれた時から一緒にいるような気がしています。
楽器にも相性があって、たとえば、ある有名なヴァイオリニストにとってはすばらしいと感じる楽器でも、別の有名な演奏家が弾いてみると「なんだこれは?」というような逸話が、世界にはたくさんあります。

それは、人の場合とまったく同じだと思うんです。世界には、こんなにたくさん人がいるのに「なぜ?」と思うことがありますよね。でも、その人にとっては唯一無二の存在であり、これでないと意味がないということが。

とにかく、こんな音の世界を今まで味わったことはありません。
「デュランティ」は、わたしにとって、普通のヴァイオリンではないですね。何かが宿っているとしか思えないような、恐ろしささえ感じます。楽器自身が強い意志を持っていないと、これだけ運命的なことはないでしょうし、何かすごいことがわたしの周りで展開しているような意識が、常にあります。

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何百年も経つものがもつエネルギー

今回の『カンタービレ』という小品名曲集は、「ストラディヴァリウス/デュランティ」で、とにかく第1音、みなさんに何を聴いていただきたいかと考えた時に、これだという曲を吟味しました。

それはコンチェルトでもなければソナタでもない、世界中で何百年も愛され続けている曲。そういった小品の数々です。本来、あの楽器に弾かれるべき楽曲の中で、今まで一度も弾かれたことのないものばかりだと思いますので、自分でも非常に感動があります。

病気をされている方から、特に1曲目の「愛のあいさつ」について、よくお手紙をいただきます。「コンサートに行けないので、ぜひCDをつくってください」という声が、実はもう何年も前からありました。それがやっと実現できたという思いもあります。

今回、楽器というすばらしい味方ができて、今から何でもできるんだという、自由を与えられたような気がしています。感覚も戻っているし、何を弾きたいかとたずねられたら、本当にたくさんあるんですよ。

実際のところ、わたしが弾きたいのか、楽器が歌いたいのかわからない状態です。わたしが、というより、むしろ楽器に弾かされているような、楽器自身が歌いたくて、わたしを使っているような気もします。

楽器もそうですが、この世に生まれて何百年も経っている、その曲自体が持つエネルギーというものも、きっとあると思うんですよ。ですから、わたしの音楽を待っていてくださる方はもちろんのこと、まだ聴いたことのない方々に、わたしの音楽というよりも、ヴァイオリンってこんなにいい音色がして、クラシック音楽は、こんなに感動できるんだっていうことをわかっていただけたらいいなと思っています。

そういった意味でも、クラシック通の方だけではなく、一人でも多くの方々に聴いていただきたくて、今回は名曲小品集ということにしました。

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「次」への希望で、「今」を乗り越える

わたしが音楽を通して一番伝えたいのは、「心」についてです。

今、子どもから大人に至るまで、わけのわからない殺人や、いろいろな事件が起こっていますよね。討論会や教育者たちの集まりに行っても、みんな「心」というものについて討論する時代になってしまいました。やさしさや愛情というもの、何かとても落ち着いたところでしっかりと存在している、目に見えないもの。そういったものを、クラシック音楽の中から感じ取ってほしいと思います。

わたしたちの世代についていえば、今、一番、道が分かれる時期だと思うんですね。たとえば仕事をしている人。海外に行っている人もいるでしょうし、会社の中で自分のポジションに悩んでいる人もいるでしょう。それに、子育てをしている人。それぞれが、一番大変だと思われる状況の中で、いろいろな方向を向いている時期だと感じます。

だからこそ、わたしたちの心のどこかに「今を乗り越えたい」という共通した気持ちが、きっとあるのではないでしょうか。それが、おそらく、わたしの音楽の中の強いメッセージにもなっていると思うのです。

ヴァイオリンから離れて、再び完全に感覚が戻るまでの7年間、「努力は実らない」とか「世の中には不可能ということもある」とか、ネガティブな言葉がどんどん浮かんできました。その言葉に引きずられて、「自分はいったいどこまで落ちるのだろう」と、ある種、自分を見放すしかないくらいの状態に陥ったこともありました。

それでもあと1年、もうあと1年、と続けてこられた理由は、わたしがボランティアで演奏をした時に、涙を流しながら、純粋に喜んでくれた人たちの目を忘れることができなかったからです。そして、「戻りたい」「戻れるんじゃないか」という希望が、本当に微かにあったからです。

それぞれの人生で、いろいろな夢を追いかけている人がいらっしゃることでしょう。あるマラソン走者の話ですが、とりあえず、今、目の前に見えている電信柱まで一生懸命走ってみよう。それを超えたら、次の柱まで頑張ってみようと思って走り続けているのだそうです。そうしたら、いつの間にか、夢にまで見たゴールが視野に入っていた。わたしも、自分自身の体験から、その気持ちをとても理解することができました。

わたしとしては、やっぱりクラシック音楽というものを、より多くの方々に聴いていただきたい。それによって、みなさんが自分を取り戻してくれたり、あるいはリラックス感を味わってもらえたり、そこで何かを得ていただけるのなら、こんなにうれしいことはありません。

もちろん、わたしも、「デュランティ」とたくさんの曲を奏でていきたいと思っています。

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終わり

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