夢の実現




お父っつぁんの勤めていた学校は、この病室から見えるのか?
ああ、その窓から見える。
とベッドの上で父は僅かに顎だけ動かした。
ねっとりと絡み付いたゼリーのような眼をし、
酸素吸入のマスクを付けている父に
いつになったらそれが取り外せるんだ、えらい大層なこってすな。
と僕は余裕をもって絡んでみたが、それが何になったろう。
倒れたと聞いて駆けつけた時から忍び寄る死を察知していた。
察知していたにかかわらず病室を訪ねる度に、
うすっとぼけた冗談を飛ばしていた。
見舞いに来てくれた従兄弟からも
ひょっとして病状を知らぬのではないか、
と問われる始末だった。

若くして教頭となった父が、
鉄の胃袋の校長に誘われ、
柿の種とピーナツを肴に飲み歩き
体中を黄色くしてしまったのは、
僕が中3の時だった。
夏休みの宿題をちゃんとした証しにと、
母が病室まで持って来るように命じたのだろう、
『老人と海』の感想文を父に見てもらったことを覚えている。
老人の名はサンチャゴ、
見る夢はアフリカのライオンだ。

二つの中学で十二年間、校長を勤めた。
退職後も教育委員会の嘱託などをした。
急性が慢性となり肝硬変となるのには二十数年しかかからなかった。
その上、肝臓ガンも発見されて尿も出なくなった。
肝腎要がいかれてしまった。

最後の見舞いに福島駅でタコ焼きを買ったのは
平常心を保つためのカムフラージュに過ぎない。
大阪人ならタコ焼きやろ、と酸素吸入のマスクを取り払い
銃口の代わりにタコ焼きを一つほりこんでみたかった。
末期の水の代わりに酒の一滴なりとも流し込んでみたかった。

昭和六十三年九月十八日0時50分自発呼吸止まり、
瞳孔ゼリー状にねっとり開き
体中に幾つもの装置をつけたままタコ足配線の姿にて父死す。

レ・アルサール・スエーニョというスペイン語が「夢の実現」を意味するのだと
つい最近、僕は知った。




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