卒業文集



任した年の卒業文集に
「みんなみんないい人ばかり 胸を打つのは悲しいことばかり」
と書いた。
数学の笹川先生が
ようくわかるよくわかると、えらく感動してくれた。
どうも彼の胸には悲しみがいっぱい詰まっていたらしい。
「大人になるということは命の次に大事なものが いくつも増えるということだ」
と書いたのは三人目の子供が出来た年だ。
銀も金も玉も何せむに・・・との山上憶良の歌が頭にあった。
「エトセトラ積もりてのちの別れには言わぬが花に知らぬが仏」
と書いた翌年
「エトセトラ積もりてのちの別れには知らぬが仏に言わぬが花」
と訂正した。
仏に花を手向けるほうがいいだろうと思ったからだ。
「生きてるうちに花と咲け 死んでしまえばカルシュウム」
と書いたのは父が死んだ年だった。
笹川先生は
「死んでしもたら」に変えた方が大阪人らしゅうてええのに、
と言ってくれた。
その後、国語科では一行メッセージは廃止され、
たとえば『知に働けば角が立つ』との言葉のまわりに
皆が名前を書く様式となった。
もう笹川先生が何か言ってくれることもなくなった。

淋しくなった。

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