Somethig new



 四十になった。初めてバリウムを飲んだ。半強制的だから飲まされたと言った方がよい。ドロドロしたヨーグルト状の甘ったるい金属臭の液体が喉元をぐちゃり通り抜け、胃の腑へと落ちた。「うつむけ、右向け、左向け」とマイク越しに指示されて僕は、回転を伴う堅い鉄板の上で一人身悶えていた。早期発見、早期治療が医学のめざす道とは言え、前の晩十時から何も食うな、水も飲むな、朝飯は抜け、タバコは喫うなと四十を過ぎた男に「そらあないぜ」の文面が冷たく笑う。発泡剤を飲ませておきながら「ゲップをするな」とはムカツクぜ。1リットルのコーラを一気飲みして、どれだけ長くゲップを我慢できるかを競い合って一気に死んだ奴もいるのだぞ。幾つもの禁止事項を守らなければ正しい診断が出来ないというなら、三度の食事が美味い、風呂上がりのビールは最高だと感じている人間の五感を信じた方がよい。七枚の写真に何も映らなければそれで安心というだけの一年間を送るためにここ数日、どれだけ気に病んだことか。僕が小心者であることはレントゲンで写されなくとも鮮明だ。と愚痴りながら「転ばぬ先の杖」という言葉とともに二年半前の苦い体験に思い至った。
 左目を悪くした時に「おかしいと思ったらすぐに来ていれば手術しないで済んだものを」と医者に言われた。右目の穴を早期発見してもらった時には医者に感謝した。医学は日々進歩する。
 さて、高校生になって日々新しい何かを体験するであろう君達に向かって、教師は何かと注文を付ける。やれ一日に何時間勉強せよだとか、出来るだけ活字に親しめだとか。悪気があってのことじゃない。悪気があったら大変だ。予習をして授業に臨めば理解も深まる。復習をしてわからない箇所を早期に発見すれば、わかる楽しみが持続する。読書体験は人間の幅を広くする。君達の将来に開かれた様々な可能性の扉を、一つでも多く少しでも広く開いてもらおうとするのが教師の使命だ。
 「転んでもただは起きぬ」という言葉がある。初めてのバリウム体験を語りながら、新入生に向けて教訓めいた話を書いた。これも教師の性(さが)であろう。いかにせよ、教師は外野席の応援団に過ぎない。十五、十六、十七・・・と人生の早春をこれから歩み出そうとする君達に向かって、僕は「羨ましい若さだな」と思いつつ、時々エールを送ることにする。
 Something new 何か新しいことに向かって開かれた未来を持っている人は、ただそれだけで素晴らしい。
     (一九九三年四月十六日 清水谷高校図書館報 No・357 )

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