詩と音楽の出会い





なかなかTさんと呼べなかった人が
元のKさんに戻ることを決め、学校も変わるのを知ったとき
茨木のり子さんの「りゅうりぇんれん」の詩を手渡して
おまけにガリ版刷りの僕の詩集も手渡して
最後のデートを演出した。
「最後だなんていう言葉は聞きたくない」
快く僕の申し出を受けてくれた。

彼女とは何故か気が合ってシスレーの絵も見たし
串カツも鉄板焼きも一緒に食べた。
免許取りたてのおぼつかない運転に同乗し
近所まで送ってもらったこともある。

そのコンサートは「りゅうりぇんれん」の他に
「自分の感受性ぐらい」「私が一番きれいだったとき」の三つの詩に
松井望さんが曲をつけたものだった。
ゲストで茨木さんご本人も出演されて女性司会者との対談があった。
「挽歌という作品をお書きになったということですが」
「十年前に亡くなった夫のことを書いたものですが
 私が死んでからでないと世に出しません。」
「早く読みたいですね。」
と言ってしまった司会者が
「いやそういう意味でなく、長生きしてください。」
慌てて言葉を付け足したが会場は爆笑の渦であった。
茨木さんも屈託なく笑ってらしたように思う。

それから数年、IさんになったKさんから
「すっかりご無沙汰しています。昨年は肩を痛めたり腰が重かったり、
 それでも自分の年を自覚していない私です」との便りが届いた。
お子さんに幾つかの詩を読んで聞かせているだろう。
お子さんに幾つかの曲を弾いて聞かせているだろう。
詩と音、芸術と芸術、人と人、私とあなた、感動と感動・・・
あのときのコンサートのパンフレットに書かれていた一節を
僕はときどき読み返す

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