知ること−そして

        芸術鑑賞会 劇団コーロ公演『私が私と出会う時』に寄せて




  知子という名の女性に「知ってる子だね」と戯れると、「何を知っているというの」とえらくつむじを曲げられたことがある。「私の何を・・・」か、それとも「私が何を・・・」か、ともかく僕は、彼女の母親が広島の被爆者であることをつい最近まで知らなかった。
 今一人「山梨はねえ、今、桃の花が満開でね、盆地になってるのね、そこがピンクに色付いて、もうとっても綺麗」と話してくれた知子は、慶応出の医者のもとに嫁いだ。その後の彼女について僕は、何一つ知らない。ただ、桃の花咲く山梨の春の美しさをこの目で見たいという気持ちは今なお持ち続けている。
 知らされて知ることが我々の常だ。たとえば有名なタレントが飢餓に苦しむアフリカの惨状をブラウン管を通して知らせてくれる。ドキュメンタリー番組が水質の汚染についてトリハロメタンなどという耳慣れぬ言葉とともに知らせてくれる。君達の実力を知ろうと行ったテストで、教師は君達の力を知らされて、こちらの力の無さを知りつつもぼやくことで気を紛らせる。
  今回の芸術鑑賞会、劇団コーロ公演『私が私と出会う時』で我々は、中国帰国者たちが通う夜間中学の日本語学級の存在を知らされる。日本語を知る必要に迫られた必死の思いの人々がいて、知る喜びと教える喜びとが幸福な形で結合する裏に、過去の不幸な歴史があることを知らされる。
  今回の芝居のように、本来教育の場は、教える側と教わる側とがとことんぶつかり合う必要のあるところなのだ。スクランブル交差点の中で、教える側と教わる側とが、お互いぶつかり合いを避けて、身を交わすことのみ上手になっていく。それが現代の教育の悲劇のように感じる。
 「私が私と出会う時」とは、つまり、かけがえのない自分に出会う時なのであろうと、僕は一人、知ったかぶりを決め込んでいる。

                      (一九九二年十一月 清水谷高校 図書館報 No・350)

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