清水谷高校23期生の皆様へ




 清水谷での十四年目の教師生活を続けています。一応、回生代表とやらも続けています。十年経てば転勤という人事方針の下、十四年も母校の教壇に立てるのは身に余る光栄と思う日もあれば、引き取り手が無いのだろうといじけたりする日もあるのです。春は陽気です。夏は暑いです。秋から冬へは能登半島の気持ちでここ数年を過ごしています。「赤井と申します」と今更何をと思われるようなことから書き出しませんと「今頃になって」というお叱りの声がさんざめく喚声となって耳元を掠め、足元がつんのめるように思うのです。昨春の同窓会以来、たった(?)一年しか経っていません。ようやく名簿や写真や記念冊子をお届けすることになりましたが「誰のせいでもありゃしない」と昔のロカビリーを懐かしくお歌い下さいますようお願い申し上げます。
 ところでな、と急にくだけますが、前回の同窓会に「誰々さんが来ていた」というような話を当日来ていなかった人にしますと、必ず「なんでそれやったら前もって知らせてくれへんねん」などと言われたりするのです。で、「お前そいつのことが」というやりとりになるのですが、実にいいものですね、残り火とやらがぱっと燃え四十半ばの男の頬にぽっと赤みがさす瞬間、「恋は遠い日の花火ではない」というのは年若い女性から思われて跳びはねる時だけに使うコピーではありません。一つのイベントを通して高校時代にそうは親しくなかった人と親交が深まるなんてこともありますし・・・あちらこちらの街角で跳びはねている人々が増えていることを幹事一同期待致しております。
進路の選択に悩んでいる生徒には、「30年後、40年後の同窓会に出席している自分を想像してごらん。そうすれば、目指すべき道は無数にあることが多分見えてくるよ。」と言うことに決めています。果たして2008年大阪でオリンピックが開かれるのでしょうか?開催地はともかくとして、その年開かれているだろう我々23期生五十代半ばの集いではどのような近況が語られるのでしょうか?
 東京オリンピックは小学校の6年だった。100メートルのヘイズは早かった。河西昌枝はおばさんだった。EXPO'70は高一だった。太陽の塔は、今よりもっと背が高かった。
 「来し方行く末」との言葉にいたく感じ入る日々でございます。
                               (一九九七年五月九日)
     



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