あとがき
三十代の卒業生からは
僕の今の歳よりもずっと若い時の先生に習ったのですね
と言われた
二十代の卒業生からは
私が生まれた頃から先生は先生なのですね
と言われた
僕のアルバムの中に君達がいて欲しいと思った
君達のアルバムの中に僕がいればいいと思う
どちらも二十三の春から黒板を背にしてきた者の思い上がりだ
しかしそれを失えばこの商売は立ち行かぬ
「初めて 卒業生を送り出す 春に」ガリ版刷りの詩集を百部作った
手元に一冊だけ残った『ウ・カンナム氏の軌跡 '70〜'81』から四篇再録し
交野高校在任六年目から八年目の作を五篇挟んだのち
清水谷高校在職十四年間に生まれた詩の数々をほぼ成立順に並べ
『続 ウ・カンナム氏の軌跡』とした
母校の教壇に立てるのは望外の喜び、と記した日のことは今なお鮮明である
高校の国語教師になろう、と決めた場で後輩を教える喜びを十四年間味わってきた
確かに愛する母校は変わった
ならば、僕の愛した清水谷よ、と遠きにありて思えば済むことなのか
「平成九年度末人事に関する調書」を記入しながら、例の走馬灯を回しながら
古き良きリベラリズムが世紀末の混迷の中で肩身の狭い思いをせぬようにと
願っている
夏以降
潔く母校の教壇を離れる為にワープロに向かう時間が増えた
秋の深まりを一段と早く感じる日々だ
一九九七年十月十日