「何故、李徴は虎になったか」
教えるとは何か?自己満足でありさえすればよかった頃は、とっくに過ぎた。
以前勤めていた高校の組合主催の学習会で「いかに生徒を指導するか」をテーマに、大層に言えばシンポジウムが開かれた折、
「私のような者の授業でさえ何人かが聞いてくれているだけでうれしい」と、のたもうた二十四、五歳の女講師の顔が思い出される。なかなかなまめかしい女性であった。彼女の発言は年寄り連中からひんしゅくを買ったものであるが、イケシャアシャアが小気味よかった。
紛れも無く中年教師になった。四十にはまだ間があるにしても教えることのダルさにいい加減あきあきしだしているのは事実だ。60年代後半から70年代にかけて、今から思えば夢のような、学園紛争が華やかであった頃、一高校生として授業のあり方を巡り討論を重ねた際に、「一斉授業における注入主義」なる語句に出会った。今の僕は、五十人近い生徒を対象に大切な事を教え込むにはもうあきあきしている。
今日の昼食をたまたま共にした数学の教師に(彼は僕より五、六歳年長であるが)「教えることにあきあきしませんか?」と問うてみた。「毎年毎年生徒が代わりますからね。どの程度理解してくれているのかを知るのが楽しみですよ」と彼は答えてくれた。残念乍ら励ましの言葉とはならない。
過日、ブラーと社会科の部屋を訪ね、「教えることとは何でしょう?」みたいなことを世間話の中ですると、僕とほぼ同年輩の教師が「女房、子供を養うため。一言で言えばお金の為ですよ」とにこやかに答えてくれた。頼もしい笑顔であった。自嘲気味なところはなくすがすがしい響きさえ感じられた。但し、そのことでさえが僕を励ましてはくれなかった。
ここ四、五日の間に、ある生徒を激しく叱りつけ、ある先輩教師に怒りをぶつけ、どうやら精神的に疲れているらしい。眼の病気のせいで飲み足らぬのではないかと揶揄されながら、帰宅後またもや、明日教えるために策を練っている国語科教師の宿命は、数学や社会もしくは英語や理科、ましてや芸術・体育の教師のそれとは異質ではないのか。但しこの問題提示は、自分が他の教科の教師には成り得ないのだから何一つ解決の糸口は見つからない。
ならば「仏門にでも帰依しましょうか?」と投げ掛けた僕の溜め息に、同じ国語科の女教師はさっと答えてくれた。「そのうち、一緒に飲みに行きましょ。」
多分、励ましの言葉は酔いの中から見つかるのであろう。桐壺更衣が死んだところで湾岸危機はどうなるものでもない。羅生門の下人のその後など知ったことではない。豊太郎を訪ねて横浜の港に降り立ったエリスが実在したところで僕の生き方と何ら関わりは持たない。ただ『山月記』の李徴が虎になることだけは容易に理解出来る。
酔わねばならぬ時が刻々と近づいている。臆病な自尊心にせよ、尊大な羞恥心にせよ、飲んだくれて大虎になりさえすればヘドに紛れて消え去ってしまうのかも知れない。
教えることは愛すること。
愛することは耐えること。
喉の奥深く何本もの指を詰め込みたくなっている昨今である。
(一九九一年二月六日)
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