ウ・カンナム氏の軌跡
最後に残ったレポートである。一月二十二日、二十三歳の誕生日を心ひそかに祝いながら書き始める。卒業を前にして何事につけ、最後最後、との感傷が付きまとう。『名残り雪』なる曲がヒットチャートを上昇し、その詞にある「東京で見る雪はこれが最後ね」とのパートが私の心を揺する。大阪府立交野高等学校への赴任が内定し、急ぎ取り寄せた卒業見込証明書、教員免許状取得見込証明書から、見込の二字が除かれるのも間近い。学部長朱印がやけに眩しいのである。
「明治以降の詩を中心として」との課題なればウ・カンナム氏もその範疇に入る。僅か二十数年に過ぎないにせよ彼の歩んで来た跡を、感性の発露たり得る詩を例に取りながら辿ってみたい。
『ウ・カンナム氏詩集』の冒頭に、彼は次のような一篇を載せている。
天才は水に溺れて/カエルを笑っている
カエルは泳げるのさ/天才は泳ぐ必要がないんだ
丸い小さな井戸の中/大海が待っている、と誰かが言った
そんなことは/どうでもよいのだ、と
天才は水に溺れて/カエルを笑っている
「井の中の蛙、大海を知らず」との俚諺をベースにしたこの詩は、ウ・カンナム氏十代半ばの作品であり、幾分自虐的な面と、それを虚無的に笑い飛ばそうとする面とが伺え、この両面は彼のその後の作品にも散見される。自らを「ウジウジウジウジとハエにもならぬ蛆虫」と決めつけてみたり、
俺の周りを雑魚どもが/ピチャピチャと/さも楽しげにピチャピチャと・・・
と居丈高に構え、「俺は雑魚じゃない」としながらも、ひょっとすると「雑魚のエサ、プランクトンかも知れぬ」とグリム・スマイルを浮かべたりするのである。自らを他とは明確な境界を持って区別したいとの念は
彼等と彼女等を乗せて/にやにや笑いながら/機関手は先を急ぐ
行く先もわからず/間違った線路を歩む汽車に乗って/
彼等と彼女等は・・・
墓場のブタに会いに行く
などの作品に青春期特有の苛立ちを含みながら投影される。「行く先のわからぬ汽車」という発想はごくありふれたものであるが、「線路を歩む」の表現に見るべきところがあり、とりわけシェシャーキャットのような笑いを浮かべる機関手と墓場のブタとの対比がこの一篇を印象深いものとしている。
御多分にもれず、ウ・カンナム氏も十代半ばから幾度かの学内紛争を経験し、彼の斜に構えて対象を見詰めようとする態度からは、小説を含めた数多くの作品が生まれている。度重なる紛争の中で、目を白黒させながら己の無知を嘆き、友人の変貌に驚愕し僅かの涙を流したウ・カンナム氏の姿は、彼が十八才になったばかりの頃の作品『或る郷愁』(杜 第3号)に垣間見ることができる。当時の彼はカフカ、安部公房などに傾倒し、『或る郷愁』もそこから学んだ手法が用いられた作品だけに、一種のアレゴリーとなっており私小説らしき点は殆ど見られない。しかし、恐ろしい速度で青年への脱皮を遂げ、どこかに引っ掛かりを残して大人へと成長した彼の周囲の人々に、ウ・カンナム氏は僅かに小首を傾げているのである。次に掲げる散文詩にも、その頃の経緯が読み取れる。彼の友人により『絶叫』との題が施されたが「絶叫とするほどのものでもない」との考えにより、後にウ・カンナム氏自ら『かつては私自身への、そして今、あなたへのレクイエム』とした作品である。
彼等が歓呼して仰いだ旗−−
それは血の色も生々しい黒ずんだ悪魔の遠吠えを思わせるようなものではなかった筈だ。
それなのに、今、彼等の顔に浮かぶ、その旗の陰影とも思える、
青ざめきった薄ら寒い冬の日に、ひとつ、ひらひらと地に舞う
枯葉の様な生気のない微笑みは、一体何だというのだ。
彼等が見詰め続けてきたもの−−
それは実に力強く彼等の頭上に翻り、彼等を力づける勝利の旗だったのではあるまいか。
今、私は彼等の顔の中の薄ら寒い微笑みに接する度に深く考えさせられてしまう。
彼等は道に迷っているのだ。
誰かが彼等の道を彼等から奪ってしまったのだ。
そっと 黙って 彼等に一言も告げず奪ってしまったのだ。
私の思いが誤りである筈が無い。
現に彼等と共に行動してきた私も道を奪われた。
彼等と同様に薄ら寒い微笑みを浮かべ、
疲れ切った眼差しを定まらぬ対象に投げ掛けているのだ。
(『清友』、『杜』第2号)
前半の懐疑を後半が説き明かすスタイルをとるこの作品では、「彼等と私」とが対立しているかのように見え、実のところ同化してしまう。つまり、ウ・カンナム氏描くところの「彼等と私」は「他と自我」との問題に集約され、「他」にはウ・カンナム氏自らの心中で芽生える雑念、彼本来の自我を押し通すことの出来ないすべての情況が含まれる、とも考えられる。あらゆる制約の下では、自我を押し通すことなど到底出来ない。「花の生涯」を終えるには、いかなる陰口を叩かれようと動じてはならない。それにはウ・カンナム氏は余りに小心過ぎた。墓場のブタとの会見も彼に課せられたものであった。溺れる天才も、泳げるカエルも彼の姿に他ならない。ただ、天才は自虐的にカエルを笑わざるを得なかったのである。
『死人よ!』と名付けられた詩では、雑念を振り払おうとするウ・カンナム氏の姿が明瞭に浮かび上がる。この作品が発表された当時、とある大学で、一学生がセクトのリンチに会い殺されるという事件があったことから、『死人よ!』は様々な論議を呼んだ。
俺を導こうとする者は/死人か!
俺は導かれようとする手を振り切り/もと来た道を帰る
何かを残せ、だと/残すものは何もない
あばかれた墓/ばらまかれた骨/こなごなに崩された石碑
確かに殺したはずだ
なのに何故/今も わめきたてているのか
死人よ!
白塗りの壁に飛び散った赤い血/それは/おまえの血だ
(『杜』第2号)
斜めから直截対象に切り込む、衝撃的だ、との評言に対し、ウ・カンナム氏は「なに、昔、思いも寄らぬ女にまとわりつかれた時にね」と漏らしていたが、成立の事情はともかく、私はどうしても脱い切れぬ雑念、日常生活の煩わしさを必死に振り払おうとする彼の姿を見出すのである。現代では文士は生まれない。詩人は死人に等しい。「大学のカリキュラムを変えなくては、文学青年はその軽薄さだけを際立たせて、凡人として卒業するだけだ。」
と、彼は乾いた心の足元に唾を吐き捨てながら語ってみせた。
深い深い闇の中、後退りしようと試みるが、どうしても思うようにならず、
さらに深い闇の中へ導かれ行くような気持ちで時を過ごしている。
押し崩された岩間から、あるいは押し流された土砂の中から、手だけを高く振りかざし、
風よ静まれ、と叫んでみたところで、声にはならず、涙と共に流れてしまう。
いにしえの旅人が歩んだ静寂な道は、私の心には無く、
ただ無謀に荒らされた索漠たる道の上、
雑然と並んだ石ころに足を取られながら、歩を進めている。
四方八方真っ暗がりの心の中を風が吹き抜け、ぽっかり空いた心の中は、
からんからんと音を立てている。
いかに歩もうとも最早抜け得ぬ闇の道で、益々強まり行く風の勢いに、
明かり灯そうにも術のたつき、ひとつだに存在しない。
との、友人に宛てた文面にウ・カンナム氏の苦悩が読み取れる。
十代半ばから、多くの感情を幼い筆致でしたためてきた彼が、二十代に入るや殆ど筆を執らなくなった。僅かの反古に、或いは『放出の鬼』(起源第3号)に彼のその後を探り得るが、それとて、彼が長年の間、求めて来たものとは程遠いように感じられる。「筆執る前に筆置かざるを得ない」と、苦笑を浮かべるウ・カンナム氏は、日常の雑事の中に己が求めるものを葬り去ったのであろうか。
童顔に髭生えて/吹き出物がポツポツはれる/若すぎた大人/ひねすぎた若者・・・
の彼が
くさりかけた脳みそに/程良くとけるアルコール/発酵しだした/味噌醤油
糸引き納豆/ねちゃねちゃと/昔のおまえを思ってる
などと、恋情に託し過去を回想するにとどまっていたのではウ・カンナム氏の今後に奇跡は生まれない。ただ「自らの才能を過信できぬ年代」に差しかかった彼が、今なお内に燃える炎を消さずにいるのがせめてもの救いである。その証拠に、先に挙げた『放出の鬼』で彼は、素っ裸になって駆け出す主人公を描いて見せた。自らの殻を破って飛び立とうとする醜いアヒルの子のおよずけたる姿は、未だ明白な形とはならない。しかし今後の彼に、新しい軌跡が生まれることは明らかである。『極楽の叛乱』『月夜に墓場をうろつくな』など、彼が長らく暖めていた作品が公表されるのも間近いことであろう。
ワセダを巣立つ私は、冒頭に述べた通り、府立交野高校で教鞭を執ることになっている。教職の重要性を肝に命じ理想に燃える教師の姿と、繁雑な学校業務の中、自らの文学を創造しようとする姿との対峙を余儀なくされるであろう。自虐的な面を虚無的に笑い飛ばせば済むことなのかも知れない。
交野高等学校校長水野明宣氏は、教員採用校長面接の際、私の名を尋ね「赤井ヒロ之君、−−えっと、ヒロという字は?と問い正した。「ウ冠にナ・ムです」と私は例によってにこりともせずこたえたのである。
(一九七六年一月、「日本文学特論」提出レポート)
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