メッセージ (清水谷高校44期 1年D組の皆さんへ)
生徒は教師を選べない。教師も又生徒を選べない。ならば、何と素晴らしい生徒にめぐりあえたことかと感激を胸にしまい、又一方、さほど悪気のある教師じゃなかったと、この一年を振り返る。それが思いやりってもんでしょ。
教師になって十四年目、久しぶりに受け持った一年生。「健康診断の為に半袖体操服持参」を言い忘れ、遅くまで事務室で受話器を握った四月八日から、悲喜こもごも、喜怒哀楽、臥薪嘗胆、大器晩成。四字熟語を覚えましょ。
二月二十七日(火)3限、D組での最後の授業。「東風吹かば」を教えながら、未然形+ば タラ・ナラの「ば」を教えながら、「もぞ・もこその構文」忍ぶることの弱りもぞするを教えながら、昼からのL・H・Rレクレに興じる面々を見つめながら、この一年の出来事が、例のホレまわるやつ、ぐるぐると、決まり文句だ、走馬燈。
新任教師だった頃、早くなりたいと思っていた三十半ば過ぎ、四十肩をボキボキならして青春真っ只中の人々と触れ合う。その楽しさを充分味わうことができたこの一年。ありがとう。中年の域を越え、初老を前にしてもなお荒野をめざす青年でありたいと思いながらのサロンパス・ハイ。目立たない、匂わないなんてうそばかり。 試験最終日、三月六日(火)、教室の黒板に誰が書いたかほぼ見当はつくが、出席簿の表紙にまで「四十四期生、一年D組は永久に不滅です」とのお言葉。アノ〜〜いわゆるチョウさんミスター涙の引退セレモニー。手を振る外野席の応援団。「長嶋、やめるなあ、まだできるぞ〜〜」が、しかし時の流れに棹さすことはできゃあせぬ。
めぐる春。無事進級を遂げ、もう二年。あるいはまだ二年生。ともあれ、「まだ」と「もう」をバランスよく使い分け心のカジ取り大切に。
恋しきは何事につけても還らぬむかし。思い出は美化されるとともに風化し、思い出をいくら重ね合わせてみたところで色づきはしない。なれど君達の一年、僕の一年のこもごもをくっちゃべる機会があればな、とI think.
一度使いたかったBy the way 金さんの新しい住所を下に記し一年D組担任としての最後の連絡と致します。
1630 Liholio St.#1002
Honolulu,Hawaii 96822
Yoo Hyang Kim
それでは、皆さん お手を拝借 イヨー・・・
(一九九〇年三月十五日)
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