『今昔物語』その1




 「今となっては昔のことであるが」と十数年前を振り返り感傷に耽る一夜があってもよかろう。
 文学部のスロープを駆け上がり受検番号を見出した喜び、徽臭い四畳半で始めた一人暮らしのとまどい、うどんつゆのどす黒さに怖じけづき、納豆なるものを初めて口にして顔をしかめていた頃。即ち、悲喜こもごも、喜怒哀楽の学生生活−−その中から、ひとつ、セピア色なれど眩しく輝く出来事を記してみたい。
 当時、大学の自治会は、法学部を除いて革マル派と呼ばれるセクトが実権を握っていた。新入生オリエンテーションのあとには、オルグの為に、いちごのショートケーキとファン夕が用意され写真撮影が行われた。その場で我が一年Kクラスの面々は「大学の自治とは何か」をややファナティックな口調で教えられ、彼等が4・28沖縄反戦デー、5・15学内ストに向けて、いかに問題意識を持って行動しているのか、ということを聞かされた。 映画『いちご白書』の中の挿入歌「サークル・ゲーム」が流行っていた頃ではなかったろうか。「神田川」という同棲生活をテーマにした曲がヒットチャートを上昇するにはまだ早すぎた。
 十月に行われた学生大会のことを、僕は日記に書き残している。
  彼等はエライと思う。素直に彼らに対して敬意を表さねばならない。
  彼等の自信にあふれた行動が羨ましく、ナンセンスと声張り上げることのできる姿に感心する。
  私は到底、彼等には成り得ない
  反戦は痛い程、心にしみ、成る程ベトナムは我々の日常と掛け離れたことではない。
  しかし、私は余りにも小市民的なものの考え方しかできず、反戦を唱えること、又デモに参加することを、私の日常の中に組み入れようとしない。
スイツさんという仏文四年生の女の人が壇上で主張を述べた。彼女を駆り立てているものは何か。
  何ものかに駆り立てられて発言するこの女の人を、えらい人だと思った。
  クロスさんという女の人が私の後ろの席で小さな声で、息でしゃべるように「ナンセンス」「ソノトオリ」と言っていたのが印象的であった。
  この人の闘士に成りきれぬようなか細い声が好きでたまらなかった。
 次から次へ、アジ演説と同じ口調で壇上でがなり立てられる意見に空しさを感じながらも、このように記したからには相当のインパクトを与えられたことは事実である。
 革マル一色の学生大会に我がKクラスの大多数が参加した。Y君などは1−Kとクラス名を書いたヘルメットを被っていた。我がKクラスは十月末の早慶戦を挟み、十一月初旬の早稲田祭では影絵劇に挑んだ。中島敦の『狐憑』を脚色したものであった。
 そうして十一月八日、「平静の裏に隠微な形で恐怖があった」と朝日新聞が評した、「川口大三郎君リンチ殺人事件」が革マル派によって引き起こされたのである。第一文学部二年生川口君は、革マルとは対立セクトである中核派のスパイであると誤解され、自己批判を迫られ鉄パイプでメッタ打ちにされた挙句、殺されたのである。それも僕たちが日頃授業を受けていた203号室での惨事であった。
 革マル派糾弾のためのクラス討論が繰り返された。クラス討論のさなかに教室に乱入しようとする革マル派のためにピケが張られた。クラス討論のための電話連絡網が作られた。そして自治会再建、反革マル派自治会実現のための学生大会が開かれた。我がクラスの参加者数四十二名。勿論Y君の姿もそこにはあった。ヘルメットを着用していたかどうかは記憶にない。ただ、彼がよく口にしていた言葉が
One for all, all for one.
(ひとりはみんなのため みんなはひとりのため)であった。

 思い出に忠実な余り、長すぎる寓話になってしまった。幾つかの寓意を込めたので逆説めいた箇所も見受けられる。ひとつひとつ説き明かすのは野暮というものだ。ただ一点、Y君に代表されるクラスのリーダーを、あなたがた自身望んでいるのかどうか、という問いかけだけはしておきたい。何故なら、ホームルーム合宿、あの上高地ホテルでの夜、「私達をぐいぐいと引っ張ってくれる人、言葉はよくないけれど《独裁者》がいたなら、どれ程クラスは盛り上がるだろう。その人に私はついて行きたい。」という意見が大勢を占めたような気がするからだ。
 確かにY君はヒーローであった。二つ年上であったから言葉に重みがあった。豪快さと繊細さを兼ね備えたラガーでもあった。ゆえに周囲に良き協力者を得てクラスをまとめ上げることができた。旗印のいかんを問わず人が沢山集まればいいというならば。
 あなたがたの今後の生活のある瞬間に団結という言葉が気安く出そうになった時に、一本の足を縛る「ムカデ競争」のロープでたやすく団結を生み出せるなどと感じた時に、或いは又〃一人一人を大切にすること〃と〃団結することの素晴らしさ〃がすぐにイコールで結び付くと思った時に、旗印のいかんを問わず集まることから逃げ出せなかった僕のあの頃のことを、今少し詳しく話せそうな気がするのである。
 余談ながら、学生大会で演説をぶった「スイツさん」は、リンチ殺人事件に関与した容疑で全国指名手配。「ねえ、君。デモに参加しない?」と一度だけ僕に声をかけた女性の顔は銭湯の壁を飾ることになった。又、か細い声でシュプレヒコールを送っていた「クロスさん」の顔は最早デモの隊列にはなく、ごくたまに文学部のスロープを黒いコートをなびかせて駆け下りる姿を見かけるだけになった。澄んだ瞳に、まぶたがやけに腫れぼったかった。

(一九八六年三月十三日清水谷高校39期2年B組、全員無事進級の決まった日)


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