交野高校第9期1年8組48名の皆さんへ
           −自己紹介を兼ねて君たちへのお願い−



 ヌーボーという言葉がぴったりでしょ。君達を前にして何かしゃべっている男。君達の担任。髪の毛サラサラのボサボサ、度の強いメガネ、幾分猫背で右の口もとに特徴のあるホクロ−−赤井宏之、年齢不詳。いや正直に申しましょう。花の昭和28年生まれ、29歳、おじんくさくなる30を前にして20代最後の一年を輝かしく終えようとしている人物。いまだ独身?嘘つきは何とかの始まり−実は妻子あり、今その妻が二人目の子を宿し、針でつついたら破裂しそうな腹を抱えて僕の周りをうろついている。プッチーン、無事生まれてくるまで落ち着かぬ日々。
 僕は国語の教師。国語の教師として君達一人一人が言葉に対して敏感であって欲しいという願いを込めて言いたいこと。それは「どうせ」という言葉を使うなということ。 
「どうせ」−−忌まわしい響きを持つ言葉。どうせ僕なんか、どうせ私なんか、どうせ〜したって、どうせ世の中なんて−−ああ、やけっぱちで捨て鉢で、あきらめが先に立ついやな言葉。お願いです。どうか、この言葉だけは使わないで下さい。
 もひとつお願い、というより命令。それは学校の行き帰り、必ず交野山を見ろということ。交野山を見て何か思い、ひととき君達は詩人になるのです。府立高校数ある中で交野ほど自然に恵まれた学校はまずないでしょう。季節の移ろい、木々の色の変化、雪化粧した交野山などなど・・・交野の自然を存分に味わって欲しいのです。クラブなどで遅くなった帰り道、東に山並み、西に沈む夕陽。この対照ほど感銘深いものはないと何人もの卒業生が話していました。
 最後に担任として君達に言いたいこと、そして君達に誓って欲しいこと。それは遅刻をしない、掃除をさぼらないという二点です。他のことはともかくこの点は厳しく指導します。覚悟の程を!
 どうせという言葉を使わず交野の自然に包まれながら15、16、17、18・・・実にうらやましい人生の早春期を悩みさえも友として楽しく過ごして下さい。学園は楽園であるべきだ、と僕は思います。ただし楽の意味には奥深いものがあります。自分一人だけが楽をすればいいというわけではありませんしね。
 勉強しなさい、は言わなくてもよいこと。無遅刻を心がけ掃除さえさぼらなければ自然と成績は伸びる。これ一つの信仰。君達の一人一人を信頼するのが僕のつとめ。お互い裏切りのバラードを奏でるのだけは止しましょうね。
 教師とは外野でうるさい応援団。きばるのは君達自身。さ、せえだい気張ってや。
                         (一九八二年四月八日)


トップページへもどる