自由と愛の鐘は鳴る
秋の芸術鑑賞会「大阪シンフォニカー公演」に寄せて
白亜の済美館に絡まる蔦の葉が色づく季節になってまいりました。清水谷高校現役生徒の皆さん、清水谷の秋をいかがお過ごしでしようか。
済美館に色づく鳶の「最後の一葉」とO・ヘンリーの短編とを絡ませながら、新入生に向けて心暖まる話をなさる図書館の東先生が過日、我々の先輩であり長らく本校で教鞭を取っておられた山村敏子先生とお会いになった。
− 今回の芸術鑑賞会は、この出会いがそもそもの発端であることをお知らせしたく筆を執りました。
「まあ、お久し振り」「相変わらず、お若いこと」「それにしてもなんてお美しいお召し物だこと」「いえいえ、ほんの寝巻よ」などと言う会話があったかどうかはともかくとして、お二人の話は、ご主人の健康のこと、お子さんの近況などを経て「清水谷」に尽きたに違いありません。
その結果、関西二期会のソリストとしても御活躍中の山村先生が母校清水谷のために、舞台に立って下さることになったわけです。
そのことを音楽料の中村美佐子先生にお話しますと、「それでは私も」と快く共演を引き受けて下さいました。山村先生が転勤されたあとに赴任なさったのが中村先生です。
お二人がソリストとしてお歌いになり、そこにオーケストラの演奏による清水谷の校歌が流れる。
− 舞台は見事に整ったと申せましよう。
阪田寛夫さんの文章に「いい歌と好きな歌とがある。あの歌はいい、とひとが言う場合、本当はあの歌が好きだということである」と言う一節があります。清水谷の校歌が、皆さん一人一人の胸に、いい歌であるとともに好きな歌として響きつづけることを願っています。
僕は僕で、生徒であった三年間、母校に赴任してからの九年半の幾つもの思いをごちゃまぜにして、今回の演奏に聞き入ろうと思っています。万感の思いを込めて、清水谷を語らねばならぬ日が確実に近付きつつあることを予感しながら・・・。
新校舎落成間近の清水谷は時の流れととともに変わっていかざるを得ない面もありましょう。しかしながら朔風荒ぶ世なりとも、自由と愛の鐘はいつまでも高らかに鳴り響くことを切に願って止みません。
頬を掠める北風に身震いを繰り返しているだけでは、一向に暖かくなりません。
古き良き清水谷の伝統を今に生かさんがため
− いっしょに考えましょ。これからの清水谷。
(一九九三年十一月 清水谷高校図書館報No・363)
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